・掲示版 書庫


かわさき さん 2005年 10月 31日 18時 06分 47秒

tan殿
早々のご連絡ありがとうございます。きっと現在は白井市教育委員会文化課だと思うので連絡してみます。以前、鳥見神社に付いて問い合わせたところ、とても親切にお教えいただきました。貴HPも毎回楽しみに見ております。これからも宜しくお願いいたします。

tan さん 2005年 10月 30日 20時 49分 46秒

こんばんわ かわさきさん
お尋ねの資料ですが、ちとあいまいですが「白井村史」の薬王寺関連のなかだったと思います。白井散歩みち\500-だったかも知れません。
市になってから訪問してないのですが、白井の社会教育カのお二人、役所裏のSCの学芸員の方、個人名は挙げませんがいずれも熱意を感じ親切な方々でした。地図展「印旛の古代?」を開催中でした。社会教育カというのは4F秘書課にありました。
白井市にお住まいですか、調べる環境はさらに整っていくと思います、少しうらやましい^^。


かわさき さん (kawasaki11@wine.plala.or.jp) 2005年 10月 30日 16時 54分 56秒

管理人殿 
突然の書き込みで申し訳ありません。千葉県白井市の「かわさき」と申します。1つお教えいただきたい事があるのですが、貴HPの白井市清戸の宗像神社の項で「平安時代の記録に「入江」と書かれた物がある。」とありますが、出典等のご記憶があればお教え下さい。お忙しい処、大変恐縮ですが宜しくお願い致します。

tan さん 2005年 10月 30日 13時 30分 22秒

hpの容量オーバー大変ですね。
契約容量の追加は殆ど割高ですし他の利用は管理が面倒になりますし、。とはいえ他のプロバイダを選んだのですが。。お勧めdionのダイアルアップコミコミライト、これの1hで月380-使える容量は今月から50Mらしい。出先で電話回線を借りる時など便利です(借先に電話代の請求が無い)。
あとJAVAとか2,3行の内容の頁を作るのに500行も使うようなhp作成ソフトを使わない、個々の画像容量のチェックとか、。まあものぐさというかsimple is bestもあって殆どhtmlタグしか使ってないので間違いも該当頁だけで済んでいます。



かわかつ さん 2005年 10月 29日 12時 48分 04秒

HPがかなり容量オーバーに近く、今いろいろやってるんですが、なにしろトラブルが多くて恐ろしい。へたにさわるとしっちゃかめっちゃかになるのでとりあえず高いお金をつかって容量増やすしかないなあ、と、溜息の日々です。

tan さん 2005年 10月 27日 23時 17分 52秒

かわかつさん
kashimir3Dは歴史の探索にも素晴らしい道具です、高いビルや樹木で今は見えない昔の景色を見ることもできますし、行った事の無い社からのそれもなんとなく分かりますしdataを加工して昔の地形をある程度再現することもできます。
google earth は見せ方が上手いというか世界旅行の気分に浸れる感じ、大都市の画像なら精度がいいですし、ただPCのメモリは必要ですね、推奨で1.4Gメモリ512Mですのでこれだとストレスがあまりないようです。
天体ソフトはMS-DOSの時代によく使ってましたがとんとご無沙汰してます、そろそろ冬の星座がきらめく頃ですね。



かわかつ さん 2005年 10月 27日 01時 33分 49秒

カシミールありがたく使わせて頂きました。これまでGOOGLE Earthを使っていましたが、あれはあれでダイナミックなのですが、日本語バージョンがないのでいまいち操作がわかりにくかったのですが、これなら理解しやすいですね。重宝してます。
天体図のSteraは最近あきちゃって使っていません。
容量の大きいソフトが増えてきて今、フォルダーの整理にいそしんでいます。外付けディスクへデータを移したら、かなり動作が速くなりました。
デジカメの画像がどんどん増えて行くのでCDーR書き出しなど、けっこうPCの世話が大変です。

tan さん 2005年 10月 26日 23時 57分 58秒

こんばんわ
地図のできばえ。。文字がでる? どんなのですかね。たぶん使っている地図が違うのではと思いますが。。
よく使うのは<http://watchizu.gsi.go.jp/>の1/2.5万が多いですが、雑誌に添付されている物とは違うのかもしれないですね。
カシミールは見えるか見えないかの確認ですとか、古代の海岸線を想定して3Dで見てみるとか、春分の朝日はどこから出てくるのとか、あそびかたいろいろ、実に楽しいですね。

か-たん さん 2005年 10月 26日 19時 16分 48秒

tanさん、U。・ェ・。Uノ~コンバンワン♪
やっと恐る恐るカシミ−ルを試して見たのですが、なんだかちょっとtanさんのと地図のできばえが違う・・・(-_-;)
なんで文字が出ちゃうのかしら?
少しずつ試して、いろいろできるようになりたいと思っています。
でもとっても楽しいですね(^ー^)ノ


tan さん 2005年 10月 24日 00時 13分 21秒

デジタルマップであそぶのが面白い。
「カシミール3D」というソフトで神社などからの景色を確認したりしますが、たしか'99頃に50mメッシュのdataが使える様になる以前はインストールしてあっても使った事がなかったですが50mメッシュになって山など写真とあまり変わらず見ることができます。ただ神社などの立地地勢など確認には5mとか1mが欲しくなります。
「NASA world wind」今年の夏まで時々使っていた。世界の気候、海洋、地震、山火事など環境の類のdataが色々提供されている。
「google earth」今年夏から、onlineでのgoogle mapでも上空からの写真も見れるがearthは精度が1段高い。使って面白い、これが無料とは!yahoより決算がいいのもうなずける。
ソフトではないが「asterがとらえた地球の造形」< http://www.ersdac.or.jp/ASTERimage/ASTERimage_library_J.html > 画像がキレイ。自然の造形ってすごいですね。
これらは全て無料、但し個人が楽しむ場合という条件で、無償=無償、モウケる=有償、という訳です。個人も組織も対等であるという世界でしょうネ viva int-netです。
対極にあるのがイラヌメールとかpcへの悪意の侵入とかですね、ファイアウォール、スパイ対策、ウイリス対策、他の人に迷惑をかけない為にもしっかり対策したいものです。


tan さん 2005年 10月 24日 00時 03分 14秒

>吉水さん
 ご出身は、よしのですか? 蛙?うつってましたか。


>かわかつさん
 安岐町は安芸につうじるのでしょうか。
葛城臣は後の移入者とか他(中央?)から来て地名を負ったとか馬見の古墳群と関連つけていた、ようなのを読んだような。。
鴨と賀茂は見ますが加茂は六国史あたりでは見ないですが加茂の初出はいつなのですかね。

古要傀儡子、ご紹介ありがとうございます。たしか大和岩雄氏の本で取組み表をみて、これは面白いとどこぞにupした記憶があります。
西角井正慶氏の『古代祭祀と文学』ではS41に訪問した感想が書かれていますが原始の神事なのかも、、など書かれています。

食事の言葉、感謝。食事中は喋らないというのは食べ物のキをとり込めないからでしょうか、無言で食事の習慣を世界に追うのもおもしろそうですね。
ダブリ、2つ消しておきます。


>おおさかさん
 こんばんわ。通常認識されている引用でしたら、どうぞ。ありがたい事です。
時折見かけるのが、まるまるコピー&ペーストで頁を作っている所がありますが。検索で尋ねられる方々を同じ物でがっかりさせないよう、したいものです。


>さつきさん
 こんばんわ。既にかわかつさんからお答えがありますが見られました?。神主さんから宿題? 楽しそうですね。


かわかつ さん 2005年 10月 22日 12時 13分 06秒


「たなつもの〜もものきぐさのあまてらす〜ひのおおかみの〜めぐみ〜えてこそ〜、いただきます」
無言で食事。

「あさよいに〜ものくうごとに〜とようけの〜かみのめぐみをおもえ〜よのひと〜、ごちそうさまでした」
片づけ。

さつき さん (satuki-@hotmail.co.jp) 2005年 10月 19日 20時 46分 37秒

はじめまして。知り合いが神主をしていてこの前宿題を出されました!誰か教えてください。神式?古神道?でいう食べる前の挨拶ってどういうのですか????お願いします。

おおさか さん (yakimiss@hotmail.com) 2005年 10月 15日 20時 44分 39秒

管理人さんへ。
はじめまして。今、大阪府八尾市の玉祖神社についてのHPを個人で作っているところなのですが、ここのHPの玉祖神社の説明文を引用させてもらってもよいでしょうか?
よろしくおねがいします。

かわかつ さん 2005年 10月 15日 19時 13分 41秒
URL:http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/kamizumou.html

こないだ国東の方へ行ったとき賀茂建角身を祭ってる賀茂神社を見つけました。地元で賀茂社を見つけたのは奇遇でした。安岐町という漁村です。
なかなか九州で賀茂神社というのは少なくて、ちょいとした驚きでした。
ものの本によると葛城曾津彦の一族と葛城臣は別族ではないかとか、賀茂と加茂は違うのではないかというような説を見かけることがあります。
神職系と武家系みたいな区分がどうもあるのかなと。
藤原氏と中臣氏みたいに。どうでしょう。よくわかりませんが。

12日に中津市の古要神社の神事に参りました。神相撲くぐつ舞いをアップしましたので、よかったらみておくんなさいまし。

吉水 さん 2005年 10月 13日 15時 05分 05秒

私も吉水です。親たちに吉水神社があるよ〜といわれて開いてみました。   やっぱりあったと思うと蛙がたくさんうつっていたからしょっくです

tan さん 2005年 10月 09日 23時 50分 15秒

かわかつさん かーたんさん おひさ!折角の連休も雨がちです、こんな時は近くの社へ。
>三柱鳥居
鳥居柱の基礎を堅固にできない(しない)の訳の次に置く方向ですが、ヒジリ(日出・日入)の確認か遥拝方向か。これは遥拝でしょう。
池中の鳥居は周りより低いので鳥居を陽の確認に直接使うのは難しい、神事などとして池中に入り陽をみるなどはあった?。三囲では旧村名から梅の枝下を通して陽が鳥居と重なって見えたのかも知れません。
遥拝場所は神宮遥拝は多くの社にありますがほぼ全国の社の遥拝所がある所もあります。河内南の美具久留御魂社殿から池の間に全国海道(街道)別に遥拝所がありますがその方向はアバウトです。神武天皇遥拝も拝する方向が北であったり大阪で西であったり。。
三柱の方向は遥拝と確認の中間、確認寄りといった感じでしょうか。

>カモ氏
これは かわかつさんに大略と細部をお聞かせ願いたいところです。
未調査ですが、古事記ではタネコの鴨君のみ、葛木に縁深い綏靖2にもカモは見られなくて。
書紀では初出が安寧3前期の鴨王女、次が神功前紀の吉備臣祖鴨別-応神22年の御友別弟の鴨別。。賀茂は持統9年の賀茂朝臣蝦夷、次は文武2年の賀茂祭騎射禁止。。
姓氏録では開化9の子・彦坐、孝霊7の子・稚武彦。崇神10の鴨部。メインは神武の時の八咫烏の流れで鴨・賀茂県主、丈部・矢田部・祝部など。素戔鳴-大国主系-タネコ系の大神朝臣・賀茂朝臣・鴨部祝、崇神10の時賜姓。
(追)小角者和州葛木上郡茆村人也姓賀茂役公氏其先大己貴神之児味{金且}鷹彦根神亦名鷹鴨神十一世孫大鴨積命磯城瑞籬朝御世賜賀茂君姓。
これからみると神武の時の八咫烏が葛木に地を貰い綏靖2が娘を貰った時にはカモという(地)名があった、その後カモの名を負う氏がでる、食事など天皇身辺の役を担うのが多い。
部から出たカモは土木鉱業など実務でマツリとは違うのかも。小角はなんとなく笛吹に繋がる楽人の匂いもするのですが。
系譜からみると神魂尊ー櫛真乳魂命の子の賀茂建角身と天會己多智の2つの流れ、ただ後者はかなり後の神主祝の類でしか見られない。


千葉ちゃん 
能登にはまっているようですね、この連休は県道2号線沿いで食道楽三昧でしょうか。古い形というか興味深い祭りも残っているとか、楽しい・珍しい・美味そう なお話お待ちしてます。


千葉ちゃん さん 2005年 10月 07日 23時 31分 53秒

ご無沙汰しています。5月に続き先月の連休にも能登をまわりました。偶然、須須神社の奥宮のお祭りに行き当たり、夕暮れ近くに山道を登っていったら、途中から道の脇に灯火がともされており、幽玄の世界でした。

七尾市から羽咋市を結ぶ間に神社が密集してます。今回は国道159号側をまわり、次回は県道2号線沿いをまわります。鹿島町の御門主比古神社近くの寿司屋で食べたホンマグロのトロがすばらしく、よい記憶を上書き消去しないように、こちらで寿司を食べるのは控えています。職場の小松市出身者に「町の寿司屋で感動」の旨を伝えたら、「北陸は、実はエンゲル係数が高く、おいしいものを食べるのにお金をかける。町の寿司屋のレベルは総じて高い」との説明をうけました。ということで、神社めぐりを口実に、また能登で食道楽してきます。

かわかつ さん 2005年 10月 03日 01時 21分 03秒

いや、もう少しでそうなるってことで、今は文無しですよ^^

アジスキタカヒコネは葛城に八重事代主を祭った出雲の神だから葛城鴨氏でいいと思います。天の若彦とそっくりだったというのですから、若彦が山背鴨氏なのかなあ?

かーたんさん、おたくのBBSに花を教えてと書き込んでおきました。よろすく!

か-たん さん 2005年 10月 02日 22時 16分 43秒

U。・ェ・。Uノ~コンバンワン♪
なんだか忙しくてしばらく神社には行かれなくなってしまいました。
鴨氏は・・・祖が2系統(アジシキタカヒコネ神とヤタガラスのカモタケツノ命)あるような・・・詳しくは良くわかりません。
葛城鴨氏がアジシキタカヒコネ神系なのかしら?
時間ができたら調べてみます。
かわかつさん、印税生活うらやましいわぁ〜〜〜
tanさんすでにだったり・・・なんて思ったり (^ー^)ノ

かわかつ さん 2005年 09月 28日 14時 14分 26秒
URL:http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda

お久しぶりです。
かーたんも鴨氏にはまっちゃたのかな?
以前は、鴨氏はひとつだと思っていましたが、どうやら熊野、葛城、山背といくつかに別れるみたいです。熊野や山背鴨氏は海人族らしいのですが、葛城鴨氏はいったいなんだったのかよくわかりません。
山背鴨氏は秦氏と婚姻関係にあり、のちに同族となったのでしょうか?
三囲三柱鳥居の方位研究楽しみにしております!

ところで拙著「秦氏が祭る神の国・その謎」はおかげさまで好評を博しておるようなのですが、ここんところ売り上げが落ちております。^^;まだお買い求めでない方は是非お買いあげくださいませ。PRしちゃいました、tanさんごめんなさい。

tan さん 2005年 09月 26日 00時 36分 32秒

富士山は伊勢の裏山とか二見とか年に数回は見られるそうです。房総市原あたりとか湾を越してみるとなぜか近くに見えます。三浦半島からも。そういえば伊勢の裏山からは秋葉山が丁度間に入る、(噴)火とめ、これが駿河に本社のある理由だろう。
そうですね、鳥居は空間を縮める四次元トンネルでもあるのです^^。
大山頂上ですか、祭祀物は聞いてますが。。

か-たん さん 2005年 09月 25日 16時 43分 47秒

こんなに壮大な景色が広がるとは・・・w(゜o゜)w オオー!
今でも4階にあたる屋上からお天気が良いと、富士さんやその近辺の山並みが遠くに見えます。
「社殿の向き」やその他の鳥居も重要なポイントなんですね。
神社って調べる事がたくさんあったんですね・・・(^^;;
「遥拝」する対象があって、建てられていると言うことも知りませんでしたー
また暇暇遊びに行ってきます。
大山は登りに行った事があります。階段がほとんどでとても疲れましたが、頂上の景色は最高でした。
何年か前に区の歴所講座を習いに行ったときに、講師の方があの辺りに古墳を発見されたと言っていたのを覚えています。どうなったかしら?

どうもありがとうございました(^ー^)ノ

tan さん 2005年 09月 24日 17時 57分 34秒

鳥居の方向、探索調査ありがとうございました。
三囲神社・三柱鳥居、杜の風景にupしました。
普通の鳥居が例えば南向きだとすると三柱鳥居は全方向!なんでしょうか。
神社の境内にはいくつかの鳥居がありますが、その全てが同方向というのは殆ど無いですね、社殿に一番近いものが方向としては重要でしょうか=社殿の向き。
社殿の向きも結構変わっている社も多いですから、住吉大社もたしか変わっている、しかし変わらない社もありそうでこの辺を調べると多くは何かを遥拝する場所に在り参道鳥居からの景色にに山が入ることが多い。
奈良の八咫烏社は社殿が南向き、参道は90度ほど向きが違うが鳥居内に神山が入る。これなど古く社殿は今の鳥居と同じ向きだったかも。
相模では参道が大山を向いていてメインの鳥居は大山方向ですが、社殿の方向は結構変わってきている、といった社もあります。

か-たん さん 2005年 09月 20日 22時 48分 17秒
URL:http://nene.pepper.jp/

(*・ェ・*)ノ~☆コンバンワ♪
お祓い、私もしていただきました。かわいいですね。
今日は「吉」でしたー
先日の鳥居の角度調べて見たんですけど、やっぱり難しい・・・(^^;;
これからまだまだ修行を積まなくてはです ハイ(^-^")/
説明が難しいので日記に載せておきました。お暇な時に見に来てください。
(と言うほどのものではありませんが〜笑)
秋は神社も紅葉で、ますます楽しそうですねっ

tan さん 2005年 09月 12日 22時 32分 18秒

はまってます、大吉もいいけれど竜宮の乙姫さんもいいですね。お祓いも受けました。
天柱石、土小屋遥拝所からは標高差500m程降りて沢を渡って沢伝いの道を登っていくようです(1/2.5万)。いつの日か、お待ちしてます。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2005年 09月 10日 02時 32分 51秒

此方こそ、何度もお手数を掛けさせ、申し訳有りませんでした。
お蔭様で、予定通り、小さなウィンドウで開いています。一応、成功です。(^_^.)
tanさんのアイデアを頂きまして、「大凶」の時は・・・オット、此れは、運悪く「大凶」を引いた時に確認してください。(笑)

石鎚山の天柱石、その下を通るコースが有るみたい。土小屋遥拝所から、一度、谷に下りて天柱石の下を通るみたいです。
若し行く場合は、土小屋遥拝所の方から行くでしょうから、天柱石コースも考えて見ます。
でも、何時行けるかは、全く予定は有りませんので、暫く時間を下さい。

tan さん 2005年 09月 10日 00時 40分 39秒

大吉で止めるのが、なんとなくいーかんじですね。
今回はKENJIさんに多大にお手数をかけてしまいました、感謝。

方位、楽しみにお待ちしてます。地図上で確認できる200m以上の長さ、例えば参道に直角なコノ道路とか分かると正確になりますね。
大阪四天王寺の鳥居のある参道は丁度明石海峡を向いてます、鳥居越しに海に落ちる夕日でも見たのでしょう。五色塚でも拝んでいたのか。現在はもちろん見えません。
天柱石、自然の妙ですね。烏帽子岩と呼ばれるのが榛名にあってこれは一目瞭然です。


か-たん さん 2005年 09月 09日 13時 03分 16秒

吉→吉→大吉 で、やめときましたー 笑
おわんのゲ−ムも楽しかったけど、それはHP再開まで待ちます♪

>真正面に鳥居を見て磁石
ありがとうございます♪来週探検に行ってきます。
天柱石と呼ばれるものって、富山や屋久島にもある様子。これって自然に存在してるものなんでしょうか?すごいですね。

tan さん 2005年 09月 09日 00時 00分 25秒

KENJIさん お手数おかけしました。おみくじ 復活です。

試してみました、中吉 →吉 →大吉 で止めました。
なんとなくウレシイ、大吉。
証拠の大吉、暫く貼っておきます^^。(画像加工、やりかた忘れてました)

(1つ削除しました>KENJIさん。)

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2005年 09月 08日 18時 47分 42秒

しゃこちゃんさんの様に、一人でも御神籤を楽しみにして頂ける方が居られる様なので、御神籤を復活させました。
詳しくはメールを送りましたので、お手数ですが如何か宜しく御願い致します。
HP全体の復活は、未だ少し先に成りそうです。
でも、何時かは必ず復活したいです。

tan さん 2005年 09月 05日 23時 00分 50秒

そうですよね、寝そべって覗かないと。。風とか、ちょっと立ちくらみでアウトですわ。
天狗獄直下の行場は、本社発行の本よると、見つけられたという方の案内で著者のお一方が、ぐるりと回りこんで無い足場を捜しながらやっとたどり着く場所とか、さらに偶然石碑を発見されたそうです。

行くとしたら石鎚スカイラインを使って土小屋から稜線を通って、それでも弥山、天狗獄は一苦労ですね、龍の背骨のような稜線ですし。。
戴いた画像で、年齢層みて驚いてました、小中生からご高齢の方まで頂上におられますもの。(顔の鮮明なのはupしてませんが)

鎖、一個毎持ち上げるには現場近くに鈩でも必要でしょうし、、ほんとどうやってあげたのでしょうね。

歩きでは、3方に分かれる地点の河口(三碧峡)が賑わった場所で社寺ともあったみたいです。 加茂川沿いの中世以前のオヤマへの入り口である伊曾乃神社には色々資料もありそうな気がします。伝来の系図など多少お聞きしたのですが、オヤマについては全く思いの外でした。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2005年 09月 05日 22時 35分 18秒

天狗嶽の下は、垂直の崖です。高さは三の鎖場以上有るでしょうから、68m以上は確実です。天狗嶽の山頂から下を覗きますと、目が眩むほどでした。
寝そべって覗きましたよ。寝そべって覗かないと、風に吹かれて落ちそうな感じに成り、怖いですから。(笑)
この下に行ける道は有るのかなぁ?今回は確認しませんでした。
次回行ったら、私は行けないでしょうけど、山小屋の人に聞いてみます。
他の写真も見てみましたが、天柱石らしき物が写ったのは無かったです。
此れも次回の宿題にしておきます。

鎖は他で見ないほど太く、アレだけの量を持ち上げるのは大変だったでしょう。
信者(寄贈者?)の名前が一本一本に掘り込んで有りました。
1〜3の鎖場以外にも、試しの鎖場も有り、4ヶ所分の鎖を如何して持ち上げたのでしょうね。何処も同じ様に太い大きな鎖でした。

天狗嶽頂上の石灯籠は新しい物で、高さは(記憶ですが)50〜60cm位の小さな物でした。
奥社の後ろに有る、神社経営の山小屋が三年前に立て直したそうで、とても綺麗でしたよ。多分、其の時にでも一緒に立てたのじゃないでしょうか。(未確認です)
其れほど、石灯籠も新しい物でした。

本社から歩いて行くのは大変そう。(笑)
信者の方々も沢山居ましたが、我々登山者よりはペースが遅いので、時間を掛けて誰でも行けるのを前提にしているのでしょ。
でも、大変ですよ。ロープウェーで一気に登るか、スカイラインで土小屋遥拝殿の方から登りたいです。(笑)

一つ気が付いたのは、ハイカーの年齢層が幅広いのです。
大抵の山は、私前後の年齢層の人が多いのですが、若い女性だけのグループから、お婆ちゃん(何故かお爺ちゃんは殆ど居なかった。)と孫のグループ。親子三代のグループ等、家族連れや学生等、多彩でした。
こんな現象は、加賀白山の登った時以来です。ドチラも信仰の山なので、関係が有るのかなぁ???なんて、家内とも話していたのです。
それにしても、明らかに60代以上、多分70歳代のお婆ちゃんが元気に歩いている人が多かったです。特に最後の方は、そんなに楽な山じゃないですよ。元気さが羨ましかったです。

tan さん 2005年 09月 05日 21時 43分 55秒

KENJIさん
毎々お手数おかけします。写真取込しました。天狗獄すごいですね、この直下に行場があるんですね、崖の窪みに石碑が発見されたということです。
1の鎖はメガネ形で環が大きいのですね、しかし60m以上の鉄の塊、だれが上げたのでしょうか、現場で多少の加工をしたのでしょうか。先の天柱石には鉄の梯子がかかっているといいますが。そういえば信州上田の北の阿舎山にも柱石があるとか、ここも修験道場です。
しかし天狗獄の先端に立ち、の瞬間足元の岩ごとマッサカサマてな。。足が竦みます^^:
ほんとに鎖が無くて、ハーケンも当然、少ない木々もさらに無くの時代に。。わらじは登山から発達完成したのかも知れないですね。
本社から歩きで36王子を尋ねると片道で2泊3日かかるようです、案内人付で。。1週間ほどかけて行をしながら周ってみたいですね。(そんな体力ないですが)

強靭な肉体と岩石・地勢、草木など鉱脈を見つける為の知識、これが行者なんですね。
金を見つける為に山奥へ、だと亡者がうようよになるから神様と修行、かな。今も結構入山料とる所もありますが、昔も富士をはじめ多くのオヤマは関銭が必要だった、が今と違い登山中の行方不明者は責任以て関守(山守とか)が捜したらしい。

王子社、先に本社に参詣したとき、なかなか来れないだろうから他では手に入らないだろう本を調達しまた。四国の本命は金比羅さん近くと伊曾乃神社が本命だったのですが、松山手前の綱敷から石鎚あたりまで旧道沿いノベタで探索してます、由緒が不明でupして無い社がそのままになってます^^;


KENJI さん 2005年 09月 03日 22時 27分 29秒

そうそう、天狗岩の写真、一緒に入れた積りでしたが、どうも忘れたみたいです。
で、マタマタ、かーたんさんのBBSをお借りして貼り付けて置きます。
かーたんさん、ごめんなさい。(^_^.)

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2005年 09月 03日 22時 15分 32秒

今晩は。(^O^)/
石鎚山の鎖場は確かに他に無い高低差です。ですが、鎖は此れも他では見た事無い程大きな物で、繋ぎ目の大きな輪に足が入るので、注意さえすれば、意外と安全に登れます。「100〜150人ぶら下がっても切れない。」と、山小屋の人が言っていました。
どうしても登れない人のために、「回り道」も有ります。下りは其方を降りましたが、かなり厳しい、急な道です。

弥山から天狗岩に行く道は、踏み後を行けば、其れほど危険は無いですが、滑落の危険が無い訳じゃないです。普通の山以上に、注意と気を使ったのは確かです。

今回、此方で事前に勉強しておけば良かったと思っているのが、各王子社です。
登山コースですから何ヶ所か、王子社は有りましたが写真には写さなかったのです。奥社特派員(?)は、マダマダ見習いですか。(笑)

それにしても、「役小角」は凄い。現代でしたら世界的な登山家で名上げたでしょう。エベレストの山頂に祠が出来たかも・・・。(爆笑)
現在の様な道具も無く、勿論、鎖も無い石鎚山を、如何して登ったのか?
日本中の彼方此方の山にも伝承が残っているのですから、登山家として、超一流を超えていますよ。

tan さん 2005年 09月 03日 20時 43分 57秒

鳥居の方角は少し離れて真正面に鳥居を見て磁石を使います、参道と直角であるとか少し角度がずれているかとか、境内(瑞籬近く)と一の鳥居からの参道は角度が違うことが多いので写真に撮っておいて、後で詳細地図で確認したりします。
磁石を忘れた時は、太陽が出ていれば、腕時計を利用して方位を見ます。後で地図上で確認します。

創建は明確なのは珍しいくらいですね、神社に伝わる縁起も近世以降は月日まで記載が結構ありますが。。式内社はソレ以降は確実かもしれませんがソレ以前はなかなか断定は難しいですね。

石鎚弥山すごいですね滑落する人は居ないのかな、など思います。
古くは石鎚よりも東の瓶ヶ森・子持・笹ヶ峰が流行っていたようです。中世以降石鎚が優位に立ったみたい。長寛勘文以降なんでしょう。
石鎚の36王子は第2王子を伊曾乃神社に充てる論もあります。加茂川沿いでもありこちらの道が古くは主要だったかも。



ねねまま さん 2005年 08月 29日 17時 23分 07秒

こんにちは(^ー^)ノ
どうもいろいろ考えていたら、混乱に陥りました(^^;)
三国神社、こんど密かに?方角確かめてまいりますが、磁石の使い方がよくわからないかも・・・。隣に立って測ればいいのかしら?

寒田さんは関東地方のあちこちに、美少年(花朗)としてご活躍だったのでしょうか?今でも美少年はご健在でいらっしゃいますか?(^ー^* )フフ♪
宝塚の新撰組をちょっと思い出します。

創建は、しっかり神社の創建が決まってるところと、歴史がかなり遡るところは、いつとはわからない難しい問題なんですね。お祀りする方がそこにいて神社の成立がある。 ハイ(^-^")/

石鎚神社奥社、楽しく拝見いたしました♪
役小角って聖徳太子のちょっとまえの時代の方なんですね。(って今頃)
弥山の形がすごい!ここにいたら仙人に成れそうな気がします。

tan さん 2005年 08月 25日 19時 53分 22秒

おお 、しゃこちゃんさん お元気そうでなにより!

KENJIさん
いつもいい写真ありがとうございます。弥山の画像にはびっくり、岩の塔ですね。おかげさまで久々に修験、役小角など石鎚に立った気分で遊んでました。
「土小屋遥拝殿」は新しいのですね、土小屋からは平地が多そうでKNJIさんには物足らないかも^^。天狗獄下、御塔沢にある天柱石、この石塔を身近に見てみたいものです。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2005年 08月 24日 22時 52分 42秒

今晩は。(^O^)/
早速、石鎚神社奥社のUPをして頂き、有難うございます。
流石、詳しい解説。おかげで写真も生きてきます。残るは「土小屋遥拝所」だけですね。気に入った山なので、今度行く時が有れば、「土小屋遥拝所」の方から行ってきます。但し、予定は未定で何時に成るかはお約束できませんが・・・。

しゃこちゃんさん、おみくじは私のHPにリンクしているのですが、私は今、事情が有り、HPをお休みしています。
何とか今年中には再開したいと思っています。其れまで、もう少し我慢して下さい。
tanさん、しゃこちゃんの様な方の為にも、何とか再開の方向で頑張ってみます。もう少し時間を下さい。

しゃこちゃん さん 2005年 08月 24日 10時 29分 02秒

おみくじができなくて残念です

tan さん 2005年 08月 24日 00時 44分 06秒

かーたんさん
花郎というような民俗みたいなのは確認するのは難しいですね、仏像とか墓誌のように物理的に残らないから、また変化もしますし。ま、花郎は組織の保持拡大の為の組織の中のエリート集団、宗教的集団は求心性が強く使い易いといったところ。この集団、或は求心性の源はどれほど遡ることが出来るのか、が確認できない。母子信仰が求心力を高めるモトではないかと。。

神社の創建ってなに?、神が降臨する場所が固定された時、或は建物ヤシロが出来た時(これは神の常駐か)。 「建樹神籬」というのは場所は固定されているかもしれないが、これは聖地(イワクラ)などと呼べても神社とは呼べないような気がする。神がいつ降りてきてもいいように、お世話する常駐者かヤシロがあり場所が固定された時が神社の創建、といった感じでいるのですが。。
「建樹神籬」は今で言うと地鎮祭に竹棒とか縄、紙垂で囲みます、こんな感じです。

KENJIさんから画像dataが土曜に着き今日やっとupしたところです。画像と説明、手持ちの『石鎚山』とか見ながらアチコチ資料上を飛んでばかり、きっかけと素材を戴きいろいろ推理を楽しんでました^^。


かわかつさん
三囲神社、行ったことがないのですわ、ですから方位の確認ができない。たしかに京都の木嶋は古墳など引っかかりますね、鳥居手前から遥拝すると残りの柱は目印か依代か。。
豊後から偉丈夫ではなくて那珂から美少年ですか、海に近いに関わらず息栖あたりは真水の泉が涌く場所がいくつかあったようですね、地名も残ります。
寒田神社には台風で折れた境内の神木でつくった椀があります、日本武尊が残したと言う弥生時代かも、とされる木椀を模して。


かわかつ さん 2005年 08月 20日 02時 48分 28秒

お久しぶりです^^
旅から帰って初盆、応募作品の仕上げといろいろあって、ようやくレスできます。

かーたんさん。三井の三囲神社みめぐりじんじゃの画像ありがとうございました。三柱鳥居は三つの方向に聖地があることを示してると大和岩雄さんが言ってます。さてどうなのか。

花郎が話題ですね。
今度行ってきた鹿島の息栖神社には、なんと寒田郎人さむたのいらつこという美少年の恋愛譚があります。寒田の池の北にある那珂から美少年がやってきて銚子の海上郡うなかみぐんの安是嬢子あぜのおとめと悲恋に落ちる物語。
神奈川県足柄上郡の松田には寒田神社がちゃんとありました。その隣に大友郷もあり、波田野もあり。しかも隣の市は秦野市はだのしと濁る。
大友初代は頼朝の寵童だったといわれもあり。こりゃあ、花郎でしょう。
どうやら私の家系はどうやら代々男前の美少年だったみたいですぞ〜 ^^;

か-たん さん 2005年 08月 18日 18時 14分 34秒

花郎・・・言われて気付きこちらもいろいろHP検索して見ました。最初「おかまの軍隊???」と思えるようなところもありましたが(^。^;)
でもなんだかやっぱりとても難しい・・・
日本では卑弥呼となったものが、半島では花郎という形になって栄えたんですね。で、八幡信仰の過程でまた日本に取り込まれ・・・
嫉妬は恐いということもわかりました。笑

坐摩神社の創建、「建樹神籬」した場所とすると・・・って、言っても?ですね。
私には難しすぎました(^。^;)
でもとても勉強になりました。
いろいろありがとうございましたー

tan さん 2005年 08月 15日 23時 35分 24秒

KENJIさん
おつかれさま! 天気が良くてよかったですね。68mの垂直鎖場ですか、ご無事で帰還なによりです。
早速行ってきました、かーたんさんのhp、お盆は特に登山する人も多いのでしょうか。


かーたんさん
花郎、
ウチのhp検索してみましたが花郎の内容についてはほとんど書かれてないですね^^;
で、web界を検索してみたら、なんと結構でてきてます。源花、花郎、
とりあえずint-上に見当たらない情報を少し、
−−−三国史記・新羅$・24代、真興王、(540-576)
 諱を彡麦宗(さんばく、深麦夫とも)といい、7才で即位、法興王の弟の葛文王立宗の子。王母は夫人金氏で法起の娘、王妃は朴氏恩道夫人、王の太后(王母)が政治を代って行った。−−−この後、下記三国遺事と同内容の記述がある、
−−−三国遺事・$ 弥勒仙花 未尸郎(ミリー) 真慈師
新羅24代真興王、の姓は金氏、(540)即位、神仙(1)を崇尚し、人の家の少女のうち、美しいものを選び、原花(2)に任じた、その目的は衆徒を集め、人物を選抜し、孝悌忠信の徳目にのっとって教育する所にあったが、これはまた国を治める大要でもあった、
 南毛娘と貞娘の2人の原花を選出すると、集ってきた徒が3,400にもなった、
{女交}(俊)貞娘は南毛娘に嫉妬し酒宴を設け、酔うまで飲ませ、ひそかに北川(慶州北の川)い連れて行き石で殴り地中に埋めて殺した、南毛の徒らは、行方が分らないので悲しみ泣き、解散してしまった、その陰謀を知っている者が歌を作り街の子供達に歌わせ、南毛の徒らが聞き、南毛の死体を北川から探し出し、それから貞娘を殺してしまった、そこで大王が命令をくだし、原花を廃止した。
その後数年たち、王は再び、国勢盛んにするに、風月道(花郎道)が必要、命令を下し、良家の男子で徳行あるものを選び、花娘(郎)と改称した
最初、薛(ソル)原郎を奉じ国仙(花郎)にした、これが花郎国仙のはじまりである、碑を溟州に建てた、、結果、五常・六芸・三師・六正が広く王の時代に行われるようになった、、。−−−

花郎と言うのは国家主導の貴族・親衛隊(特殊部隊か)で6c末にはできて三国統一には重要な役割を果たした。のち蒙古が九州に来た元弘の役で元軍の船に細工をしたかもという高麗の三別抄も花郎の流れが入っているのではとも。
ある時期、九州から山口は実に女性がTopである小国家が実に多い、これは半島南部にかけて古くから母系重視というか母子神聖潭のような女=子供を神聖視する民俗が強かったのだろうと思います。卑弥呼が国々を統率できたのもこの母子神聖が下地であったから。花郎はそれを(国家)体制に組み込んだ、さらに半島では天神信仰と道教をいれ国仙などの名になる。
宇佐で大神氏系が女装してでも巫を勤める以前は辛島氏の女巫8c初めの大隈へも辛島女巫を推し立て進軍している。これが後の薩摩の稚児につながるらしい。
<閑話休題、途中止談、次へ>

坐摩神社の創建
難しいおはなしです^^; 今の石町に行宮(旧跡)があります、神功が腰掛けたという岩が丁寧に祀られています。記紀には載りませんが社伝などでは、神功が三韓征伐を終え着いた時に神武の故事に則り「建樹神籬」した。で暫くこの地には社は建てられなかったと思います。
この地は淀川大和川を併せた河口近くで浪速の地名はここからと想像するほど。湊の神は住吉近くだが渡しの(荒ぶる)神はこの旧跡近くだったのかも。
坐摩神社には摂社が11もあるのですが田蓑、久保津、遐難風、の3社が気になるところ。
で何か固定的というか鎮座としては、神功皇后10年に今の石町あたり、この流れが今の田蓑社ではないかと。
今大阪市中央にある、坐摩と生国魂はもと仁徳16難波宮中にあったという話もあるので5神(井3と竈神2)はこの宮からではないかと。仁徳宮の中断、難波の各迎賓館なども中絶の時には中に坐す神々は坐摩や生国魂に納められたのではないかと。。

林太郎さん 関連は厚木でも見つからず いまのところ です。

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2005年 08月 15日 19時 16分 46秒

今晩は。(^O^)/
石鎚山、行って来ました。天候も何とか恵まれまして、雨にも会わずに済みましたよ。
久し振りの山でしたので、今日は足の筋肉痛です。(笑)
一の鎖場、二の鎖場、三の鎖場と、難所は有りましたが、私は楽しんでいました。
三の鎖は標高差68mで、登った感じは垂直に感じるほどでした。

取り敢えずの写真は、かーたんさんのTOPページのBBSに貼り付けておきます。(簡単に貼れるので其方にします。)
其の他の写真などは、CDに焼いて送りますので、詳しくは其方をご覧下さい。

それにしても、年々、体力が落ちるのを感じています。

か-たん さん 2005年 08月 13日 14時 58分 24秒

こんにちは(^-^*)/
過去ログで「花朗」を探しながら何気なくあちこち読んでるうちに、いろんなことに関心が向いてどこかに迷い込みそうでした(-_-;)
座摩神社って創建はどのくらいになるんでしょう?
神功さんが出てくるので、その辺りなのかしら?朱智神社なども関係してくるようなこないような・・・もっと調べないとわかりませんね。
がんばろうーっと!
秦王国って遣隋使が見た国とありますが、隋の時代の人が秦の人って思うと言うことは、そういう出で立ちや顔立ち?の人々がそこにいたから思ったということですよね?秦の人の特徴って何かあるのですね。

林太郎さんは、あまりにも普通のお名前で印象深かったので覚えていただけで(-_-;)
良く知りません・・・(-_-;)
林さんも調べると奥が深いのですね・・・(ノ゜凵K)ノびっくり!!
蘇我氏が、ほんとは天皇だったとしたら・・・
よくわかりませんが、厚木の図書館がんばってくださーい(^ー^)ノ

KENJIさん、奥宮楽しみにしています。

tan さん 2005年 08月 13日 01時 32分 59秒

KENJIさん
石鎚ですか、懐かしい!奥社は登れないがせめて車でと分け入ったのですが、路に迷い敢無く退きかえし結局里宮(本社)だけでした。奥社お待ちしてます。
KENJIさんなら36王子も制覇ですね。制覇のあとは土佐廻り、それとも大三島?
では、お気をつけていってらっしゃい。


かーたんさん
林大郎がでてくるとは、さすが!一瞬、誰?状態でした。林と武内が気になり神社のupしていなかったのですが見切り発車でした^^。
・武内宿祢で林というと、入鹿の母親は林臣の女で林大郎ということは林の氏上でもあったのだろうか、とはいえ波多八代宿祢の傍系の林臣ですが(朝臣になってます)相模に土地があったとすると入鹿の時代かそれ以前か以降か、が確認できていない。
・あと百済の木貴公を祖とする、これが多い林連・林史など。
百済関連で面白いのが、百済国の直支王が祖という林連ですが「周王が祖」と言っている。この周王と林というと中国福建あたりで媽祖にも関係つけられている唐代からの名族林氏、これが殷代の比干の後裔で「周の武王から林姓を賜った」という伝説があるんです。
武内宿祢と縁は無いが、・大友氏に林宿祢。
・神社の相模川対岸になりますが、上野彰義隊の後の箱根戦争の中心人物である殿様林忠崇。この林さんは信濃の名族小笠原氏で松本に林という名の城も持っていた。
とまあ調べもこのあたりで止まったままで、幸い?暫く遠出ができそうも無いので厚木の図書館でもと思っているところ、。


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