Spare Doll
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14

 
 

 丘陵を渡る風が創り出す草の波紋に、青年は眼を細めた。
 夕刻の太陽に照らされ、騎士団領境の森に続く草原は紅い色に染まっていた。ざわりざわりと歌う草は、まるで夕日に染まった海のようにも見える。子供の頃に見た海を思い出し、青年は目を閉じ微笑を浮かべる。
「……よぉ」
 馬の蹄の音で、近づく人影に気がついていた青年はゆっくりと振り向いた。
 瞳に映った相手は、予期した通りの人物で、自然、笑みが零れる。
「…ゲオルグ殿」
「帰るのか」
「えぇ、ゲオルグ殿は?」
 巨躯に似合わぬ軽い身のこなしで馬から降りた男は、手綱を緩め馬を放す。よく調教されているのか、飼い主の手を離れた馬は特に騒ぐでもなく、離れた場所で草を食みはじめた。
「さて、どこへ行こうか…北へ行くのも楽しいかなとは思っているんだが。まぁ、変わらず放浪の旅だ」
「そうですか。……あの、ありがとうございました」
「礼を言われるような事は何もしてないぞ」
「いえ、…いいえ。…ゲオルグ殿がおられなかったら、私は…」
 彼が自分を心配して追ってきてくれたということに気がついたのは、騎士団領内を見て回ると言って、男が一足先に城を出た後だった。
 観用少女の騒ぎが一通り落ち着いた後、行く先も告げずに出てきたシュウの元から、マチルダ騎士団復興進度を報告するようにとの文が届いたことからすると、もしかするとシュウに頼まれたためなのかもしれない。
 いずれにせよ男の助けがなければ、澱のように心の底に溜まっていたどうしようもない感情に、いつか自分は飲み込まれていただろうと思う。それに彼が引き起こした事態が無事に収拾出来ていたかも疑わしい。最悪、カミューと、親友であるマイクロトフは仲違いしたままだったかもしれないのだ。そうなると、二度と彼らの前に顔出しできなくなっていただろう。
 そんなクラウスの心を知ってか知らずか、
「まぁ、達者に暮らせ。軍師(シュウ)にこき使われて過労死しないようにな」
 いつものように軽口のような言葉とともに、ゲオルグは踵を返した。
「あ、あの!最後に一つだけ、お願いがあるんです」
 慌てて男の背を呼び止める。
「なんだ」
 振り向いたゲオルグに、クラウスは言葉を躊躇する。
 だが風が二人の間に大きな波紋を作り通り過ぎた後、クラウスは勇気を振り絞りずっと心に溜めていた願いを口にした。
「……キスをくださいますか。…父上から幼い頃もらっていたような、額のキスを」
 もう二度ともらえないはずだった、子供の頃の大切な儀式をゲオルグに強請ったのはなぜか。クラウスにも分からない。
 男の中に懐かしい父の面影を見たのか、それとも ―――――― 。
 ただ今頼まないと、後悔することだけは分かっていた。
 必死なその表情に、ゲオルグがフッと笑ったのが俯いたクラウスにも感じられた。
「いいだろう」
 近づき、顎をとった力強い手に、クラウスは眼を閉じる。
 だが次の瞬間、男の乾いた唇は思いがけぬ所に触れた。
「…最後の忠告だ。いつまでもお子様気分でいると、いつか痛い目に会うぞ」
 首筋から撫で上げるように引き寄せられ、耳元に落とされた言葉はからかうような笑みを含んでいて。
 呆然と立ち竦むクラウスの頬をかすめるように撫で、男は踵を返す。
 無意識に口元を抑え、耳まで真っ赤になったクラウスが最後に見たのは、紅い夕日を受けたゲオルグの広い背だった。
 
 
 
 
 夕日が射し込むロックアックス城内。
 鈍い橙色に染まった赤騎士団室では部屋の主が溜息をついていた。
「なぁ、マイクロトフ…」
「どうした」
「私はそろそろ仕事をしたいのだが…」
 繰り返し溜息を吐くカミューの視線の先、眼と鼻の距離に満悦至極な男の顔がある。
「心配しなくてもやれることはもうほぼ片がついたんだろう?」
 カミューの膝枕で、長椅子に寝そべっているマイクロトフは珍しくも、悪戯めいた表情を浮かべる。それが男に対して先日自分が吐いた言葉の反復だと気がついたカミューは、大きく溜息をついた。
「お前という奴は…」
「違ったか?」
 面白そうにそう尋ねるマイクロトフに、カミューは否定せず素直に頷いた。
「違わないが、できるだけ早くマチルダを発ったほうが良いんだろう」
「確かに」
 暗に少女のことを仄めかすと、マイクロトフは神妙な顔になって同意する。
 グラスランドへ行く前に、二人は少女を連れ、観用少女の店に行くことにしていた。
 あの日アレフリィードの膝で眠りに就いた観用少女は、翌朝になっても目覚めることは無かった。
 急に与えた人間用の食事が行けなかったのか。
 そう互いに自分を責めたマイクロトフとクラウスとは違い、カミューには少女の眠りは、自分で選んだ眠りのように思えたのだ。
 カミューは別にあの観用少女が嫌いだったのではない。
 少女を気に入らなかったのは、単にマイクロトフへの好意を隠そうともせず、そしてそれを受け入れてもらえていた存在だったからだろう。
 マイクロトフが特別に思っている、彼に好意を抱いている存在への敵愾心。
 それが二人の間で互いに抱いていた感情に違いない。
 まどろんでいるように静かな表情で眠る少女の頬を、夜半過ぎに起きだしたマイクロトフが独り撫でていたのをカミューは知っている。
 確かにマイクロトフは少女に対して、特別な感情を抱いていたのだ。
 しかしそれは少女の望んだ物とは違う物だっのだろう。
 それを悟った少女は独り眠りつづけることを選んだのだ。
 少女の望んだマイクロトフの愛とはどんな物なのか、今となっては推し量ることしかできない。
 だがそれは自分が男に望んでいた物と同じで形を変えたものだったのではないか、そうカミューには思えたのだ
「……なぁ、カミュー?…寝てるのか?」
 独り物思いに沈んでいたカミューは、伺うような声に我に返った。
「お前どこを触っているんだ!」
 悲鳴のような叫び声をあげたカミューは、胸元を押さえ進入してきた不埒な指を叩き落す。
「なんだ寝ていなかったのか」
「お前という奴は…っ!」
 悪びれた様子も無く笑う男は、練習と称してことある毎にちょっかいを出してくる。禁欲的で硬派との誉高い、堅物の親友の姿はどこへ消えたのか。思うだに遠い眼をしたくなるあまりの変貌だが、真っ直ぐな眼で少年のように笑う男の姿も好ましく思うのは事実だった。
「いい加減に自分の部屋に戻れ」
 立ちあがり実力行使でマイクロトフの頭をクッションに投げ出す。
「酷いな、カミュー」
 だが、そんな胸の裡を悟られるのも、癪に障る気がして。
 照れ隠しもあり誰に対してもかってないほど乱暴に振舞うカミューを、おおらかな笑みでマイクロトフは許容する。
「なぁ、カミュー」
 不意にかけられた真面目な声に、振り向くと驚くほど真摯な眼に会った。
「いつか観用少女にも、グラスランドを見せてやろう」
「…そうだな」
 眠る少女をもと眠っていた場所に戻してはどうかという声も、部下達の中からは上がっていた。
 でもその提案を否定したのはカミューだった。
 いつか、眠る少女を箱の中に戻すのもいいだろう。だがその前に、少女にグラスランドを見せてやりたかったのだ。きっと限られた世界しか眼にしていなかったであろう少女に、地平の先に沈む太陽を、静かに降る淡雪を、そして草原を渡る風を感じさせてやりたかった。どこまでも自分に似ていた少女に、それが自分のしてやれる精一杯のことのように思えたからだ。
 少女とマイクロトフと三人で行くグラスランドはどんな表情を見せるだろうか。
 広い草原を渡る風に想いを馳せ、カミューはそっと眼を閉じた。
 



     end.



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