Angelic Lover 3
予期していた低気圧の訪れは、次の朝早くも早く、今日こそは出仕しようかどうしようかと悩んでいたときだった。 まだ朝日も山の端から顔をのぞかせるか否か、世界は薄暗く、いつもなら朝錬に出る時間に鳴り響いたノックの音に訝しく思いながら扉を開けると、予期していた顔触れが揃っていたのである。 「朝も早くから申し訳ありませんね」 微塵も謝意の感じられない笑顔で告げる副官。 「少し早すぎるかと思いましたが、青騎士団長殿でしたらもう起きておられると思いまして」 平然とした文官長は、にこりとも表情を動かさず淡々と言葉を紡ぐ。 「なにぶん、今日の予定が動かせずこんな時間しか動けなかったのですよ。ご容赦願いたい」 そしてこちらは少々困った様子の赤騎士団長である。 いやな予感のするメンバーだが、玄関先にいつまでも立たせておく訳にもいかず、客間に通す。 客間の扉を閉める時に覗った階上はまだ静かで、客用寝室に眠る二人は早朝の来客に目覚めた様子はなかった。 「それで、こんな朝早くから何のご用件でしょうか」 お茶でもと立ち上がった所を押し留められ、座った所でしかし口火を切るものはいない。 仕方がなく聞きたくない、という気持ちを押さえ眼の前に座る赤騎士団長に話しかける。 しかしそれに答えたのは、話し掛けられた赤騎士団長ではなく、両脇に座る二人だった。 「用、そう、用でしたな」 「もちろん用はありますとも、こんな朝早くにお邪魔するだけの立派な用ですよ。ご安心下さい」 にっこり笑う副官の笑顔が一番安心できないのだ、と突っ込みを入れたくなるが賢明にも理性が勝る。 だが次の言葉は理性もその限界を超える威力があった。 「団長の隠し子の件ですが…」 そう続けられた言葉に、啜っていた茶を騎士にあるまじき不作法で吹き出してしまった。 「す、すみません」 「いや、大丈夫ですかな?」 目の前に座る赤騎士団長に慌てて謝ると、なにやら同情の込もった笑みでハンカチを差し出され、その慈悲の瞳に思わず儚くなってしまいたくなる。だがそんなことも許されよう訳もなく。 「宜しいですか、団長殿」 こちらは情け容赦皆無の、少々温度の下がった視線で微笑まれ、慌てて副官に頷いた。 「団長の隠し子の一件が騎士団でも噂になっておりまして、その件に関しての釈明を早急に伺いたく、このような早朝にお邪魔する運びになった次第でございます」 昨日しどろもどろの返答で、部下から逃げ出してきて以来、予期していた通りの質問である。もっとも少々直裁的すぎる問いかけではあったが。 「それは…俺のプライベートではないのか」 こちらも予定していた通りの返答を返すと、 「えぇ、もちろんプライベートに属する問いかけですね」 これっぽっちもそうは思っていない風情で副官は微笑を浮かべ頷いた。 その横から文官長が口をはさむ。 「しかしながら、貴方様の立場は青騎士団の長。白騎士団の長がいまだ空位の現在、このマチルダ騎士団を担う双璧の一翼なのです。長の言動一つでこの騎士団全体が左右されることは、自明の論です。長たるものは私生活でも常に皆に注目されていることは含みおいてくださらなければ困ります」 至極尤も。反論の余地も無い。 ばさりとそう斬って捨てたその言葉に、ずしりと部屋の空気がおもくなった。 言うべき言葉が見つからず、口を開きかけては閉じ、思わずつきそうになった溜息を噛み殺す。 そんな様子に場をとりなす為か、それまで沈黙を守っていた赤騎士団長が口を開いた。 「まぁまぁそうは言っても十代の経験浅い若人とは違い、もう三十も届こうかという大人としては、人には説明しし難い事情もおありだと察して差し上げるべきではないでしょうかな」 先の赤騎士団団長の出奔後、自動的に繰り上げで団長となった温厚なこの武人は、この面子の中で一番位としては立場が高い。 「いいでしょう、この際昨日団長殿が肩車していたお嬢さんがどこのどなたで、どんな関係かは不問に処すことにします」 その赤騎士団長の言葉に免じたのか、追及の手を緩めた副官に、内心安堵の嘆息をついた。 「…ありがたい」 だが、いえいえと笑う笑顔は底知れぬ恐ろしさが潜んでいて。 「その代わりいくつかの質問には答えてもらいます」 「答えられる質問なら構わないぞ」 気おされたように頷く姿に宜しいとばかり微笑んだ副官と文官長が、搦め手の方向で目的を達そうとしていたことに気がつく余裕は未だ無かった。 「ではまず、昨日抱いていたお嬢さんは適齢期ですか?」 諮問官もかくやの、その鋭い眼差しにたじたじとなりながら答える。 「いや、…まだ子供だぞ」 「ではそのお嬢さんのお母上は結婚しておられますか?」 文官長の問いに首を傾げる。 「いや…しかしできないだろう」 死んだ人は婚姻などできようはずもない。 受け答えに満足したのか否か計り知れない笑みを浮かべた二人は、顔を見合わせ頷く。 「では私達の要求は一つです。さっさと恋人を見つけるか結婚なさってください」 「なんだそれは?!」 突拍子のない言葉に鸚鵡がえすも、軽く黙殺される。 「あぁ、なんでしたら恋人をすっ飛ばして結婚だけでも構いません、適当な人材はこちらで見繕いますので」 双方向から言い募られた内容が内容なだけに、顔が引き攣るのが止められない。 「さよう、ここロックアックスで何人の乙女達が貴方様がお相手を定めるまではと、婚期を延ばしているとお思いですか。この度の騒動でまた一波乱起こっているのですぞ。さっさと相手を見つけて結婚でも婚約でもしてくださるのが、独り身の部下達に対する貴方様の務めです」 「それに…万が一我らが騎士団の青騎士団長にして筆頭騎士がロリコンだという噂が巷に流布などしたら、それこそ騎士団再建において一番の問題になりますからね」 まかり間違って新政府の宰相殿の耳にでも入ったらどんなにいびられる事か…。そうわざとらしいまでの沈痛な表情で俯く副官だが、巧妙な演技を見抜けない赤騎士団長は諭すような自愛に満ちた視線を向ける。 あまりにもあんまりな状況に追い込まれたことを悟った今、恥も外聞もかなぐり捨てて、このまま長椅子に倒れこみたい気持ちをなけなしの理性で押し留めるのが精一杯だった。
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