「はい、これカミューさん約束のもの。おふねは手に入らなかったからまた今度にしてね」 ふと思い出したように少年が差し出したものに、赤騎士団長は嬉そうに顔を緩めた。 「ありがとうございます、シュエさま」 「その人形はどうするものなのですかな?」 同じテーブルで杯を傾けていたキバ将軍は、カミューの手のひらに乗る黄色い物体をしげしげと見つめてそう尋ねた。 「これはお風呂に入れるのですよ。最近長風呂場に凝っていましていろいろ集めているんです。シュエ様からこの間これを見せて頂きましてね、手に入ればくださるように頼んでいたんですよ」 にっこり笑った綺麗な顔と、可愛らしい黄色いひよこがなんともそぐわない。 お風呂にひよこを浮かべる彼の姿を想像しようとして、キバ将軍の思考は停止する。 図にし難い情景を描こうと努力する将軍の横で、そんな努力など意にも解さぬ大男が声を上げた。 「そういえばこないだカードで俺の晩酌セット取りやがったな。取り返してやらんことには気がすまん!かかってきやがれ!」 雪辱を晴らさんとばかり、どこからとなくカードを取りだし眼の前に叩き付けたビクトールに、カミューはあっさりとその強引な申し出を拒絶した。 「冗談でしょう、あれはもうしっかり有効利用させて頂いているんです。あれのおかげで長風呂の時間を有意義に用いることができているのですから、今更返せと言われても承服致しかねますね」 「それ使わなくても別の有意義な時間の用い方すればいいじゃないねぇかよ。マイクロトフだったら喜んで協力してくれるんじゃねぇのか?」 わざと野卑た表情を浮かべ、そう揶揄したビクトールの頭を星辰剣の柄が直撃する。 『低俗な輩だ』と呟いた夜の紋章の化身に、後頭部を押さえたビクトールが、 「この野郎…!」 と食って掛かろうとする。その首筋に手刀を入れ、巨躯を床に埋めてみせたフリックは、 「すまないなカミュー、酔っ払いの大熊の言うことなんか聞き流してくれ」 そう頭を下げた。 最近になってやっとこさ青年騎士団長たちの仲に気がついたというこの青年は、当初同じ協力攻撃の残り二人が恋仲と言うことに驚きを隠せないようだった。しかし一度認めてしまえばあとの理解はある。理解どころか相棒がことあるごとにそれをネタにからかおうとすると、実力を持って阻止してくれる。実に有り難い存在だった。 「まぁ脳の足りない動物の言うことだ、真面目にとることもあるまい」 持ち主が聞いたら怒髪を突いていきり立ちそうなことを呟いた剣にも苦笑する。 こちらは好意を持っているカミューのためというよりは、単に持ち主に対する日頃の鬱憤を晴らしたかっただけのようにも思われるのだが。 なんにせよ伸びた熊を端に転がすフリックと星辰剣に礼を言った。 「晩酌か…僕も一セット持ってるのは持ってるんですけど、酒のむとナナミがうるさいんですよね。下手に飲ますとナナミ悪酔いしちゃうからナナミの前では使えないんです」 黙ってにこにこ笑いながらその様子を眺めていた主ののんびりとした言が、元の話題に話を戻した。 「わしもな、最近息子が煩くてなかなか落ち着いて酒も呑めん。晩酌など夢また夢ですな」 こちらも別段表情を変えることなく、話にのったキバ将軍が溜息をつく。 「キバ将軍はどんな酒がお好きですか?」 「そうだな…地酒で言えば雪華酒などよく好んで飲んでいたな。南方の酒では銘睡なども捨て難い」 「私も雪華酒はよく飲んでますよ、喉を滑っていくときのあのきゅっとした喉ごしがたまりませんね」 冷やして飲むと美味しいんですよね、そう同意すると、彼は厳つい顔の相好を崩した。 「おぉ、さすがカミュー殿お目が高いな、冷やして飲むの酒では男海や香瑠なぞもいけるのだが」 「あれは少々辛口ですよね、私はそれよりは餐玉の方が…」 やれあそこの酒は重いだの、あの酒は飲み良いだのしばらく方々の銘酒に話の華がさく。相当の酒豪だったキバは、カミューを同好の士と認めたのか不意に声を潜めた。 「ところで空焼酒の方は飲んでみたことがおありかな?空をも焼くほど強い酒という意味があるそうだが、流石に名前に負けぬくらい強くてな、これが。だが、舌に乗せた時のピリッとくる感触がたまらんのだ」 「いえ、寡聞にしてその酒は初めて聞きますね。酒にお詳しいキバ殿の御勧めとあらば、是非呑んでみたいものですが、手に入れるのは難しいんでしょうね」 「直接蔵元に注文しても、手に入るのは年に多くて二、三樽。生産量が少ないらしく普通の酒の流通には乗らないらしいですぞ」 のんびりと若い傭兵の相手をしている酒場の女主に尋ねると、酒には詳しい彼女も首を傾げた。 「空焼酒かい、噂には聞いたことあるけど手に入れるのは難しいだろうね」 「やはりそうですか…酒に関しては玄人筋のキバ殿のご推薦だけに、流石普通の酒とは入手方も一味も二味も違う。一度で良いから飲んでみたかったのですが、いや残念ですね…」 しみじみと呟くカミューに、 「実はな、ワシの部屋に秘蔵しておるのだ。後で一本届けようぞ」 武人は悪戯っぽく片目を瞑って見せる。思いがけぬその提案にカミューは目を丸くした。 「いいのですか、そんな大事な御酒を頂いたりして?」 「構わん構わん、見つかって息子に処分されるよりは、大事に飲んでくれるカミュー殿に差し上げた方がましだろうで」 「ありがとうございます。本当に嬉しいですよ」 ぱっと顔を輝かせたカミューに、キバは顔を綻ばせて手を振る。 「いやいや礼には及ばん。ワシもクラウスがあれほど煩く言わなんだなら…いや、言うのは聞き流せばよいのだが泣かれるのには困るのだ」 ぼやくように最後は独白するキバに、カミューは柔らかく言葉をかけた。 「それだけクラウス殿がキバ殿のことを大事に思っておられるのですよ」 「そうだとよいのだが…」 にこやかに相手の話に相槌を打ち、耳を傾けるカミューに将軍は上機嫌で息子自慢を始める。 その姿をにこにこ眺めていたシュエは感心したように呟いた。 「さすがカミューさん、貰い上手だね」 「確かにあいつはいろんなやつから色んなもの貰っているよな」 こちらも意気投合した酒豪同士の話に口を出さず、大人しく見守っていたフリックが頷く。 「こないだはアンネリーやニナからお風呂の浴剤もらってたし、酒場ではモンドからお酒奢って貰ってたよ」 指折り数えるシュエの言葉を引き継いで、 「ヒルダから鉢植えに、ユズから羊毛の敷布、メグから…おいおい数える手が足りなくなるぞ。すごいなカミューは」 とフリックは驚嘆の声を上げた。いつの間にか傍に来て、シュエの前につまみの細い薯揚げを置いたレオナも、そういえば…と口を開いた。 「ここでも自分の金で飲んだことは殆どないよ、たいてい奢って貰っているねぇ」 大したもんだよ、と苦笑する女主の横で、思わず顔を見合わせた二人は、その視線を件の赤騎士団長に移す。 ほろ酔いの上気した顔で息子の自慢話を続けるキバに、いかにも楽しそうに相の手を入れながら聞くカミューは、惜しげなく華の顔と称えられる美しい笑顔を振りまいている。 「でもまぁ…あんなに嬉そうな顔してくれたら贈り手冥利につきるよね」 つられて笑顔を浮かべ、思わずという風に言葉を漏らしたシュエに、フリックも頬を緩め頷いた。 赤騎士団長カミュー、ただで物を手に入れる(貢がれる)達人。 人は彼を貰い物のエキスパートと呼ぶ。 噂を聞いた軍師が赤騎士団を物資調達部隊に任じようと本気で悩んだというが、真偽のほどは不明である。 とりあえず数週間後に赤騎士団長の風呂コレクションに「おふね」が増え、青騎士団長の眉をしかめさせたということだけが事実であった。 |