嫌な夢を見た。 鋏を探そうとして台所を探し回っていると、どの棚を開けてもなぜかぬいぐるみが詰まっており、あきらめて水を飲もうと蛇口をひねると 小麦粉が出てきてくしゃみをした。すると棚からぬいぐるみが全部落ちてきて、なぜか鉛のように重いそれに押しつぶされてじたばたもがく。もう駄目かと思ったところで、自分の呻き声で眼が覚めたのだっ た。 眼が覚めてもその圧迫感は続いていて、重い目蓋を無理やり半開きにすると目の前に火村の顔があった。 普段は見とれてしまうほどアリスのお気に入りな秀麗なその顔も、自分を押しつぶし快眠を邪魔し た男のものと思うと腹が立つ。 だいたい誰のせいでこんなに眠いと思っとるんや。 むかむかしながらも躯を押さえ込むようにしてしっかりと抱きこめている腕から抜けようと、布団の奥へと潜って行く。 いつもよりやけに強く感じる抱きしめる腕の力や、かかる躯の重さに違和感を覚えるが、あったかい布団の中で急速におとずれた睡魔 に、アリスの思考は急激にフェイドアウトしていった。 数時間後。 閉じられたカーテンを抜けて差し込む強い日差しに火村は眼をさました。 平日の一般人ならとっくに起き出しているどころか、そろそろ昼ご飯という時間である。 しかし今日は日曜日。 例え大学助教授の火村が、こんな時間まで大阪在住の恋人のベッドで朝寝を決め込んでいても誰にもとがめられる筋合いは無い。昨夜の就寝時間からすると八時間睡眠するにはもう少し寝ていてもよいのだが、今日はなんとなく二度寝の気分では なかった。 「んー」 腕をまっすぐ伸ばし大きく伸びをする。背筋が伸びるのを感じて妙にさっぱりした気分だった。 頭もすこぶるクリアだ。これは昨夜の酒の量からすると考えられない。二日酔いにはめったにならない火村だが、昨夜の酒量はかなりのものだったのだ。 ふと横を見ると隣で寝てるはずのアリスが見えない。 昨夜はかなり無理をさせてしまったのでまだ寝ていると思ったのだが。 「めずらしいな」 してる最中でもいい気持ちになったらうとうと寝かけるような寝汚いやつなのに、今日はどういう風の吹き回しだか。 まぁいい。起きてるのなら好都合だ。今日は予定通り梅田まで秋冬物を買いに行って、そのまま外食してもいい。もしアリスに急ぎの仕事がなければ、京都まで一緒につれていって次の日一緒に大学に行くのはどうだろう。 そんなことを考えながら洗面所に向かう。 「おい、アリス…」 いるだろうと思ってかけた声が無人の洗面所に響く。 トイレにもいない。もちろん音のしない風呂場にもアリスの姿はなかった。 くるまでに通ってきたリビングやキッチンにもいなかったということは、考えられるのは一つ。 まだベットの中だ。 人の習性はそう変わるものではない。きっと一昨日出したばかりと いう羽毛布団のせいで分からなかったのだろう。 「やれやれ」 一体梅田に出るまでに何時間かかるだろうか。 一つため息をつきながら火村はシェイビングクリームを取り出した。 ◇◆◇ 「おい,アリス。そろそろ起きてもいいんじゃねぇか」 カーテンを開けながら火村はベッドに声をかけた。カーテンを開けたとたんそれまで薄暗かった部屋が十月のまぶしい光でいっぱいになる。 しかしベットの中からは、ん〜、だの、うう〜、だの返事ともつかぬ呻き声が小さい声で聞こえるだけだ。 自分は身支度どころか、朝ご飯の支度までしてしまったというのにこいつは…。 いくら昨夜が遅かったからといっても、もう起きていい頃だろう。自分で起きれないのなら実力行使あるのみ。 「起きろアリス!」 「なにすんねん、火村!さむいやんか!」 羽毛布団を一気に剥ぎ取られ、くしゅんとくしゃみをしたアリスが恨めしげな声を出す。 「おれはまだねむいんや!だいたいだれのせいでねむいとおもっとるんや、ぜぇーんぶ火村のせいやんか!」 「……アリス?」 信じられないという感の声で尋ねる火村に、なんやねん、と不機嫌な声そのままで目をこすりながらアリスが返す。 「……アリスなんだな?」 「なにゆっとるんや、じぶん?はよふとんかえし」 ベットサイドにつっ立ってる男から奪い返そうと手を伸ばすが、その布団が取り落とされているのに気づく。 「どないしたんや、火村?」 呆然とした態の火村の表情に、アリスは怪訝そうな声を出した。 「……どうしたっていうのはこっちの台詞だぜ。どういうことだ、一体?」 うめくような声を出す火村に、いまいち眠気の覚めやらぬ頭をアリスは一生懸命働かせ、状況を判断する。 どうやら火村は自分の姿をみて驚いているようだが…。 思い当たることといえば、自分が何も着てないということくらいだ。しかしそれは火村が泊まりに来た時の日常茶飯時、とまではいかないがそれなりによくあることでいまさら驚くようなことだろうか。 そう考えているうちに寒さを感じ、自分の躯を抱きしめようとした。が、 やけに小さく見える自分の手に違和感を覚える。 ふと気がつくと手だけではなく座り込んだ足も見慣れたものではない。それどころかベッ トを初めとする部屋の大きさ、物の距離がいつもとは違うのだ。 「…な…んやの…?」 呆然としてつぶやくアリスを、火村は無言のまま抱き上げると部屋の隅にある等身大の姿見の前に立つ。 映るそのままを映し出すその鏡は、今日も今日とてその機能を放 棄しなかった。 鏡の中に映るのは、四月にアリスがプレゼントしたニコルのシャツと黒のスラックス姿の疲れた顔をした火村と、何も着てない四歳くらいの幼児。落ちないようにしっかりシャツを握り締めてるその子のキャメル色の瞳は、驚いたように見開かれ瞬き一つしない。 小さな躯を覆うように腰あたりまで茶色めいた髪が伸びている。 「……火村、おれにはおまえがこどもをだいてるようにみえるんやけど?」 恐る恐る尋ねるてくるアリスに、 「ついでに言うとその子供の性別は女で、しかも有栖川有栖って名前なんだぜ」 そう火村は深くため息をついた。 |