:: 時間軸は「sweet sweet sweet」
  (「同盟軍日記」収録)の少し前です。






深夜の料理人 / 前編
7つの皿





 
 料理人も明日の仕込を終えた深更の厨房は、静けさに包まれている。
 普段ならば明かりも消えている時分だが、今日は柔らかい光が一筋。薄く開いた扉から零れていた。
 中にいるのは一人の青年と、一人の少女。
 長身の青年は静かに食材と向き合い、少女は机に半ばうつ伏せるようにして丸くなっている。
 少女の前には湯気の立つ赤褐色の茶が満ちた乳白色の丸碗。
 青年の横では蓋を落とした小鍋からは甘い香りがゆるりと部屋を満たし、背後ではパチパチと暖炉の薪が音を立てて石釜を熱していた。
 扉を薄く開いてもなお温かいその部屋は、凡そ真冬の夜更けの厳しい冷たさとは無縁の場所だ。だがその穏やかな静寂が三人の酔っ払いによって破られるのは、それから間もなくのことだった。
 
 
 
「しかしアレだね、どうして酒を飲んだ後ってーのはなんでこう・・・がっつり食いたくなるんだろうねぇ」
「やっぱ飲んだら腹が減るからだよぉ〜。あのとっぽい医者の兄ちゃんが前に言ってたよぉ・・・酒の酔いを醒ますために体力使うから、腹が減るんだとさぁ」
「へぇぇ〜、そんなもんかよ」
 ぎゃはははは、と何が可笑しいのかいきなり笑い出す酔っ払い三人組の会話を聞きながら、マイクロトフはそう言われれば、と納得していた。
 確かに飲んだ後には、無性に濃い味のものが食べたくなるものだ。マチルダにいる時は馴染みの酒場を梯子して、それから夜明けまで開いている小料理屋で酔いが醒めるまでうだうだ料理を食べるのが非番の前夜の一つの過ごし方だった。そのような客は多かったのだろう。小料理屋も心得たもので、供するのは酔っ払いが好みそうな品ばかりだった。
 熱々のチーズスープ、甘辛く煮付けた鳥の手羽に、オムレツ風に具材を包み込んだビスキュイの包み焼き。大きな馬鈴薯の包み焼きなど、サワークリームやチーズ、こんがり焼いた塩漬け肉の細切りや小口切りの小葱等を乗せるとたまらなく美味しかった。もっとも一緒に行っていたカミューは、酒の後は料理よりも甘いものに限ると言い張り、店主に強請り倒して甘味を作らせていた。その結果、いつの間にか店にデザートメニューができていたのも懐かしい思い出だ。
 そんなことを思い返しながら鍋の中身の色を確認する。そして、背後のテーブルで酔っ払いに囲まれている少女に、マイクロトフはそっと話し掛けた。
「お茶を入れ換えますか、ニナ殿?」
「・・・・・・・・・いい」
 この厨房の主ハイ・ヨーからここを借り受けてすぐにふらりとやってきた彼女は、それからこの方ずっと同じ体勢で動こうとしない。
 寒いからここにいさせて、という彼女の顔は確かに青く具合が悪そうだった。しかしホウアン医師を呼ぶべきかと悩んでいたのが分かったのだろう。『医者はいいの。ただの乙女の病だから気にしないで』とだけ大儀そうに呟くと、一番暖炉に近い温かい場所を心得ているように、慣れた様子で彼女は椅子に丸くなったのだった。
 とりあえず自前で用意してきていたお茶をいれて上着を掛けてやったものの、それ以上のこともできずに少女を放置していたのだが。しかし具合の悪い時にこの酔っ払いの声は辛いのではなかろうか、と様子を伺えど、意外にも少女の表情は険しいものではない。
 具合の悪い時は、微かな音にも気持ちがささくれ立つ時もあれば、人の気配が気持ちを落ち着かせることもある。今は後者であることにほっとしながら、マイクロトフは小皿をそっと少女の前に置いた。
「えーなにそれ? なにそれ?」
 途端に向かいに座るアニタが興味津々で身を乗り出す。
「林檎の赤葡萄酒と肉桂を利かせた蜂蜜煮です」
「蜂蜜煮? 歯が融けそうな甘そうなもん作ってんだね」
 隣で自堕落に椅子の背に身体を凭せ掛けるロウエンが『どれ、味見』と手を差し出すが、マイクロトフは首を振ることで、それを否んだ。
「エー、なんだよ〜ケチだね、兄ちゃん」
「申し訳ありませんが、全員に味見をしていただくほどの量がないのです。直に料理が出来ますからそれで」
 平鍋を指す彼に、
「で、それっていつできんだよ?」
 とシロウは酔いで赤らんだ顔を、ぬっと突き出す。
「完全に火が通らねばならぬのですが、もう少しだと思います」
「あああああ〜ラーメン食べたいっ! あっさり塩味の出汁がよく利いたヤツ!」
 その返事に、アニタが唐突に叫び出す。
「おいおい、ラーメンってったら、豚骨スープだぜ。こってり背油に分厚いチャーシュー!」
「へーこちとら、ラーメンは味噌って相場が決まってたけどね。あれ、バターを入れたら美味いんだよ」
 何故人は酔っ払うとラーメンが食べたくなるものなのか。
 求める味の差異はあれど、求める品は皆同じ。
 揃って期待に満ちた眼で見詰められるのだが、しかし肝心の材料もなければレシピも分からない。
「まことに申し訳ないのですが、ラーメンは無理です」
「どうしても?!」
 三白眼にずいと身を乗り出され迫られるが、ない袖は振れないのである。
「お気持ちは分かりますが、いかんせん麺もスープもないもので」
「えええ〜そこをなんとかさぁ!」
「・・・・・・うるさい」
 ぼそりと落とされた少女の小声に気がついたマイクロトフは、
「無理なものは無理です。代りの料理ができますから、それで満足してください」
 と話を打ち切った。
 いきなり厨房に乱入してきて、何か食わせろ作れと騒ぎ立てた酔っ払いに圧され、腹を満たす何某かを作る羽目となってしまったのは完全になりゆきだった。
 しかしそれもハイ・ヨー殿から場所を借りてしまった以上代理を務めるのは当然と考え、大人しく料理を作り、酔っ払いの我侭に付き合っている辺りマイクロトフもよくよく素直な男である。
 とはいえ己の目的も忘れたわけでもない彼は、料理と平行して自分の調理の下ごしらえも進めて行く。
 小鍋を火から下ろすと蓋をしている平鍋の音を確認し、それから手早く橙の実を二つに割ると果汁を絞った。碗に溜まるほどの果汁を採っているうちに、平鍋の焼き音も静まり良い頃合になる。
 火から下ろし中身を皿に移すと、少し考えて卵を鍋に割りいれる。目玉の状態で軽く焼き、まだとろりと黄身が柔らかいうちに湯気が立つ皿の上に乗せると、うだうだと城内の噂話に興じている三人の酔っ払いの前に置いた。
「お待たせしました」
「んんんー? なんだいコレ?」
 見慣れぬ形の料理に、ロウエンはしげしげと顔を寄せて見入る。
「薄く千切りした馬鈴薯を焼き固めたものです。塩胡椒がしっかり利いていますので、上に乗っている目玉焼きで味を調整してください。腸詰肉は粒辛子と酢漬け玉菜でどうぞ」
 ただ切って焼くだけのそれは、件の小料理屋でも良く食べていた一品だ。とりあえずの料理を出したマイクロトフは、平鍋を洗い、牛乳を取り出し計り始める。
 凡その材料準備が整い、あとは混ぜて成型を、と焼き型を手に算段し始めたマイクロトフの背に掛かけられたのは、素っ頓狂な大声だ。
「マイクロトフ、アタシと結婚しないかい? いや、結婚しよう、ぜひとも!」
「はぁ・・・?」
 訳がわからず振り返れば、唐突なプロポーズを迫ったアニタはフォークを咥え、眼を輝かせている。その横でざくざくと馬鈴薯を突き刺しているロウエンは、
「いや、美味いわ、コレ〜。何、どうやって作るのさ?」
 と飲み仲間の発言を気にもせず、感心した声で作り方を尋ねた。妙な迫力のアニタに気圧されながらも、とりあえずマイクロトフは答えられる質問に答えることで、突きつけられた求婚から回避を図る。
「いえ、ですから馬鈴薯を千切りして焼き固めただけなのですが・・・」
「ええ〜、兄ちゃん天才だな! オレと一緒に店だそうぜ!」
 なんなのだ、彼女達は?
 揃っての理解不能な発言にマイクロトフは内心首を傾げるが、酔っ払いとは往々に突拍子もつかない戯言を言い出すものだと一人納得し、「はぁ」と生返事を返すに留めた。
「ああん、こう、疲れて帰ってきたらこんな料理作ってくれてるような旦那が欲しいー!」
「あ、シロウ! アンタ一人で喰ってんじゃねぇ!」
「何言ってんすか、黄身の大部分とったの姐さんじゃねえッスか!」
 料理を巡り角を突き合わす悪友達の隣で、上身を捩じらせて世の一部の独身女性達の叫びを代弁する者約一名。
 先ほどまでの穏やかな静寂はどこへやら。
 微妙に寄せられたニナの眉間の皺を気にしながら、マイクロトフはどうしたものかと悩む。
 そんな空間に響いたのは、躊躇いがちに戸口から顔を覗かせたツァイの声だった。
「おや、皆さんお集まりで」
「こんばんは、ツァイ殿」
 酔っ払いたちも陽気に掛ける言葉に返事を返しながら「今日はハイ・ヨーさんは?」と尋ねる男に、台所を借り受けていることを話せば、ツァイはがくりと肩を落とす。
「そうだったんですか・・・」
「ツァイ殿はいかがされたのですか?」
「いえ、シュウ軍師からご依頼の火炎槍の生産数を上げる為に、改良をしてましたら夕食を食べ損ねましてね。恥ずかしながら良くあることでして、そんな時はハイ・ヨー殿のご好意に甘えて何かしら作って頂いていたんですが。そうですか・・・」
 残念そうに告げるツアイの視線が、ちらりと三人の真中にある皿に流れたのを見て、これは仕方がない、とマイクロトフは内心苦笑する。
「同じ物は無理ですが有合せでよろしければ自分がお作りしますが」
「え、いいんですか! それは助かります」
 腹を擦りながら情けない表情で笑う仲間が、寝食を忘れるほど同盟軍の為に働いていることを知れば、放ってはおけない。
 とにかく早くできる料理を、と考えたマイクロトフは、玉葱を極々薄く切り始めた。
 酔っ払い達が、殆ど食べつくした料理をツァイに分け与え、素面も交えて先ほどよりはよほど和やかに会話が進むうちに炒めるだけの料理も完成に近づく。
 最後の仕上げに、と調味料を混ぜ合わせていれば、現れたのは次なる客だった。
「こんばんは、お邪魔します・・・っ!」
 のんびりとした声で入ってこようとした客人は、一斉に向けられた六人の視線に驚いたように立ち竦んだ。
「トニーじゃん、どうしたよ?」
「やだねぇ、とって喰やしないよ〜」
 無意識にか一歩身を引く青年に、女達が声を掛ければ、自身の動きに気がついた彼は、すみません、と額の汗を拭う癖を見せる。
「えぇと、お願いしてた種なんですが・・・」
「準備してあります。どうぞお持ち下さい」
 マイクロトフが差し出す紙包みに、トニーは嬉しそうに礼を言い、何度も頭を下げた。
「ねぇ、それなに?」
 興味津々に見守るアニタに、
「林檎の種です」
 とマイクロトフが応えると、
「新しく品種改良された実の種だから、とっておいてもらえるようにようお願いしてたんです」
 と農夫の青年は言葉を添える。
「ところで皆さんはここでなにをされているんですか?」
 深夜の厨房に集う面々に、それは至極当然の疑問だろう。
「何って・・・飯作ってもらって食べてんだよ」
「私も同じくです」
 なぁ、と周囲に同意を求め頷く酔っ払いたちの横で、ツァイも苦笑して付け加える。
 一人顔を伏せたまま動かないニナに心配そうな視線を向けるが、排他的な雰囲気を察したのか、「それは楽しそうですね」と、気の良い青年は相槌を打つに留める。
「もうね、マイクロトフの料理が美味いのなんのって! アンタも一緒に食べてくかい?」
 実にタイミング良く供された新しい料理の皿を指差し、アニタが大らかに誘いを掛けるが、心揺れる風情でそれを見遣った青年は、首を振った。
「いえ、僕は明日は朝早い予定なんですよ。残念ですけどこれで。マイクロトフさん、種をありがとうございました」
 丁寧に頭を下げてトニーが出て行くと、ロウエンが思い出したという声で尋ねた。
「そういえば今年は林檎を全く見なかったけど、こりゃどこで手に入れてきたんだい?」
「そういや、全く見ねぇなぁ。いつもだったらやッすく手に入るのによ」
「今年はこちらの地方では林檎は不作年らしく、これはシュウ殿がツテで入手してくださったものなのです」
「えええー! あのケチ軍師が? どれだけふっかけられたんだい?」
 薄く延ばした生地に、その貴重な林檎の薄切りをたっぷりと並べていきながら答えたマイクロトフの言葉に、アニタが大仰に驚いてみせる。
「なに、あの兄ちゃん、そんなにケチなのかい?」
 と身を乗り出すロウエンは、まだこの同盟軍に参入して二ヶ月余りという新顔だ。
 ようやく要職に就く仲間の顔を覚えた程度の彼女は、定冠詞のように軍師の名前の前に必ずといって良いほどつけられている形容詞を知らないようだ。
「そりゃもう、ケチもケチ。どケチもいいとこだよ。大体部隊への配給額からして低いんだよね。そりゃうちは確かに貧乏所帯だけど・・・」
 嬉々としていかに軍師が吝嗇かを吹き込み始めるアニタの言葉の大部分は事実だ。
 確かに台所事情が良くない同盟軍の事情を鑑みて、軍師は無駄な支出を極端に嫌う。
 だが、些かのんびりしすぎている寄せ集め部隊の陣頭をとるには、彼くらいの厳しさがなければ軍が軍として立ち行かないに違いない。
 それにケチとは称されるものの、シュウが私財を投じてこの軍の軍資金を賄っていることは余り知られていない事実だった。
 これで才能に人当たりの良さが追いついていれば、またシュウの評判も違ったものとなっていたに違いないが、現実としては彼への評価は辛口である。
 どこまでも貧乏籤を引いている感のある軍師の援護にまわるべく、口を開きかけたマイクロトフの言葉を制したのは、戸口から響いた男の声だった。
 
 
 


 
 
 


:: 後編




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