最近、「創発」という言葉を目にする機会が多くなった。もともとは生物学や物理学あるいは社会学などで使われているようだが、これまであまり聞いたことがない言葉である。
 あらためて調べてみると「創発」とは英語の“emergence”(
出現、発生、脱出の意)に当たるとのことであったが、日本語としては新語だそうである。その意味は「局所的な相互作用をもつ、もしくは自律的な要素が多数集まることによって、その総和とは質的に異なる高度で複雑な秩序やシステムが生じる現象のこと」言い換えれば「部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れること」ということである。
 つまりは、1+1が2になるというような「量的」変化だけでなく、プラスアルファの「質的」変化があることらしい。そうではあっても、水が凍って氷になるようなことを指すわけではない。液体の水が固体の氷になるのは、水分子が結晶化することで、このような物質構造の変化は構造相転移といって昔から知られていたことであり、もちろんそれを創発などとはいわないことは周知のとおりである。どうやら、創発とは、自然現象に対するものではなく、もっと社会性の強いものを指すようである。

 このような目で周りを見ると、創発はいろいろな場面で使われている。
 人工生命や人工知能の分野では、システムにおいて、下位レベルが機能することで上位のレベルには備わっていなかった機能があらたに発現することや、あるいは個の行動によって、全体の秩序が規定されることなど、重要な概念となっている。また、組織論においては、組織をマネジメントする立場から、組織を構成する個人の間で創発現象を誘発できるよう環境を整えることが重要とされ、一般に個人が単独で存在するのではなく適切にコミュニケーションを行うことによって、個々の能力を組み合わせ、創造的な成果を生み出すことができると考えられている。

 と、ここまできて、ふと、いつも「合唱」をやっていて感じるあることについて、ひょっとしたらこれも一種の創発ではないのかということに思いが至った。

 「合唱」は、いうまでもないが、複数の人が複数の声部に分かれてそれぞれのパートを歌うことである。各パート一人しかいないものは「重唱」と呼んで「合唱」とは区別している。たとえば、男声のカルテットは四重奏、女声のトリオなら三重奏となる。つまり合唱とは“一つの音”を複数の人が歌うことなのである。
 ところが、多くの人が集まって“一つの音”を作り出すのは、じつは極めてむずかしいことであって、そう簡単に実現できるものではない。
演奏者はそれぞれ声の質もちがえば、力量や経験も千差万別である。また、演奏者の楽曲に対する解釈ひとつとっても、それは音楽に対する教養にもとづいているから、レベルもさまざまで全体の方向性を一つに揃えるのはけっこうむずかしい。優れた合唱団とそうでない合唱団の差は、まさにこの“一つの音”に向けて各パートがどこまで一つにまとまれるかに掛かっている。
 ここでいう“一つの音”は、いくつかの条件がぴたりと揃わないと実現しない。まずは、音程が一つにまとまり、つぎに発声や表現が揃っていなければならないだろう。そのためには、まずヴィブラートをつけずに真っ直ぐに声を伸ばす必要がある。ヴィブラートがつくとそれぞれの声が干渉しあって、音程が定まらないからだ。ただし、全員が同じ高さと同じ振幅で統率のとれたヴィブラートをかけるならば、もちろん何の問題もない。ただ、相当の技術が必要なことはいうまでもないが。

 さて、音程とは、二つの音の高さの隔たりの程度のことをいい、単位は「度」で示される。五線譜上で同じ位置(線あるいは間)にある音同士を1度と呼び、この場合の音の隔たりはゼロである。当たり前。つまり同じ音のこと。線および間が一つずつ隔たるに連れて順に2度、3度、4度のように呼ぶ。また8度ちがうことをオクターブという。蛇足だが、オクターブは、ラテン語で8を意味するオクトに由来する。8本足の蛸のことをオクトパスというがこれも同じ仲間。
 また、ある音の絶対的な高さそのものを音程と呼ぶこともあるが、この場合は、半音よりもっと狭いわずかな音の高さのちがいを指している。「あの歌手、なんだか音程が怪しいんじゃない?!」というときの音程とはこのことにちがいない。

 話を本筋の合唱創発のほうに向けないと、どんどん遠ざかってしまいそうなのでここらで軌道修正しよう。
 合唱創発というからには、単なる合唱ではなくもう一段高いレベルへ達することがなければならない。みんなで声を合わせてきれいにハモればハイOKではない。その程度ならどこの合唱団でもやっていることであろう。ではもう一段の高みとはなんであろうか。それは、「倍音」が鳴らせることではないかと思うが如何であろうか。倍音が含まれることで、より豊かな響きを創り出すことができるのである。と、大上段に振りかぶってはみたものの、倍音が鳴ること自体は合唱の延長線上のことであって、必ずしも「創発」現象というほどではないかもしれず、ややコジツケ的な感じが残るのが悔しいところではあるが…。
 しかし、ものはついでと言うから、倍音についてもうすこしみてみよう。下の図は、Wikipediaより引用した倍音列である。“8va”はオクターブ上を表し、9以降の音は五線の上の第3線から始まることを示している。倍音とは、一本の弦を1/2、1/3、1/5などの長さにして鳴らしたときに出る音のこと。たとえば、ド(ハ音:図の1)の1/2はオクターブ上のド(図の2)、1/3ならばソ(図の3)、さらに1/5はミ(図の5)となる。それぞれ振動数は2倍、3倍、5倍となっている。

   
 
 
 金管楽器あるいは木管楽器のうちオーボエなどのダブルリード楽器は多くの倍音を含み、クラリネットやサキソホンなどのシングルリード楽器は奇数次の倍音は多いが、偶数次の倍音は少ないそうだ。フルートやリコーダーなどのエアリード楽器は倍音をほとんど含んでいない。倍音が少ないということは、単一の音で構成されていることであり、「音が澄んでいる」とも表現される。別の見方をすれば、味わいがないとか、単純な音というのだろうか。また、ピアノにも倍音は多く含まれている。

 倍音は人によって聴こえない場合がある。それは耳のよしあしということだけではなく、さらに音楽性などともあまり関係がないと言われている。倍音を聴くには、ちょっとしたコツのようなものがあって、漫然と聞いていては聴こえないかもしれない。たとえば、3Dアート作品を見る場合、はじめは何度やってもうまく見えないのに、あるときフッと見えるようになるときがあるが、まさにそんな感覚であろうか。倍音も一度コツをおぼえてしまえば、あとは比較的容易に聴くことができるようでもあるが、とても判りにくいことは確かである。というのは、倍音は元の音よりはるかに小さな音量でしかないからである。あるいは、カクテルパーティー効果といわれるものがある。パーティーのような騒々しい会場の音を録音してもざわめきだけしか聞こえてこないはずだ。しかし、そんな中でも実際にその場に立ってじっと注意を傾けてみれば、すこし離れた場所の人の(聞き逃したくない)会話も聴こえるものである。会場にいて耳に直接届く音も録音された音も、音としてさほど大きなちがいはないはずである。にもかかわらず、気になる話は聴くことができるのである。倍音を聴く感覚もこれらのような様々な音の中から目指す音を聴き分けるということなのであろう。


 倍音を聴き取りにくい場合、ピアノを使って倍音が鳴っている証拠を確認することができる。ただ、これはあくまで倍音が鳴っていることを間接的にみているだけで、倍音そのものを聴いているわけではない点に注意しなければならない。
 ドの音を例にとると、ドには第3倍音のソが含まれている。それには、ソの弦の振動を抑えているダンパーを外して自由に振動できる状態にしておき、ついでドの鍵盤を強く叩くとソの弦が共鳴して鳴り出す。しかし、じっと耳を澄ましていなければ聴こえないくらいのかそけき音量である。
(ピアノのメカニズムについては、石原楽器工房のホームページを参考にしてもらいたい。)
 このようにして倍音のイメージがつかめたら、つぎにそのイメージを思い浮かべながら実際のドの音だけから目的の倍音を聴き取るようにする。
 
 合唱創発といいながら倍音の話に終始しているが、倍音がよく鳴る合唱団は一目置かれる存在なのだから大事なことであろう。いささかも無視することはできない。たとえば、発声練習でハーモニーの確認をするために和音を奏でるカデンツァ(あるいはカデンツ)がある。一例をあげるとつぎのように「ド・ミ・ソ」→「ド・ファ・ラ」→「ド・ミ・ソ」→「ソ・シ・レ」→「ド・ミ・ソ」の和音進行があるが、これはアンサンブルの基本にもなる大切な練習でもある。この和音が一発でぴたりとはまり、音楽的な表現で歌える合唱団は力量があるとみてよい。

トップテナー

ファ

セカンドテナー

バリトン

ベース

ファ


 倍音列の図をみるとよく理解できると思うが、下の声部から順に音を出すとき、低音部のドとソがきちんと揃って鳴っていれば、トップテナーが出すべき高いミはドの倍音だからすでにどこかで鳴っているのである。トップテナーはそのどこかで鳴っているはずの倍音のミを聴いて自分はそこへポンと乗ればよいのである。

 男声合唱の魅力は、深くて柔らかいハーモニーの素晴らしさに尽きる。われわれ男声合唱団は、ふだんの練習でカデンツァを歌うことの喜びを噛締めるとともに、合唱の難しさを日々あらためて認識させられている。



合唱創発

加 藤 良 一  (2008年8月15日)

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