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春分の日に因んで ─ バッハ生誕321
 


加 藤 良 一
 

2006年3月8日)



 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ1685年321日に生まれた。今年で生誕 321 年目となる。奇しくも今年の321日は春分の日である。去年の春分の日は3月20日だった。
 春分の日は、国立天文台が天文学計算にもとづいて割り出した<春分日>をもとにして前の年の2月に閣議決定されるので、日にちが固定されたほかの祝日とは意味合いがちがう。これは秋分の日も同じこと。春分日とは、<春分点>と呼ばれる点を太陽が通過する日のことだが、太陽は1年を365.2421904日で回っているために、この点が毎年わずかずつだが移動してしまう。天体は人間の都合がいいようには動いてくれない。
 国立天文台が2月1日付官報に公示した来年の暦をみると、春分の日と秋分の日はそれぞれ3月21日と9月23日となっていた。ちなみにこの公示は<暦要項>というもので、国民の祝日、日曜表、二十四節季および雑節、月の位相や月齢を表した朔弦望、東京の日出入、日食および月食が記載されている。天文学にもとづいて国会で祝日を決定するのは、世界的にもまれなことのようだが、意外と知られていないのではないか。
 
キリスト教における春分の日は、くわしいことはわからないが、復活祭との関係もあって重要な日とみなされているようである。そのような日が大バッハの誕生日であるということはきわめて象徴的である。ちなみにバッハは65歳で没している。ついでに、どうでもいいことだがサッカー界の3月21日生まれには、元全日本代表監督フィリップ・トルシエ(1955)やブラジルのロナウジーニョ (1980) がいる。彼らもそれなりに素晴らしいが大バッハと比較するわけにはいかない。

 さて、バッハである。この巨大な存在を私が身近に感じるようになったのは、大学生になってからであった。モダンジャズが好きな友人の家に仲間が集まったとき、ある男がバッハのレコードを持ち込んできた。その男Kは、某国立大のオケで主席フルートを吹いていたことがあり、のちに私にフルートの手ほどきをしてくれた最初の師匠でもある。このときに聴いたバッハは、私がそれまでクラシック音楽に抱いていたマイナスのイメージを一気に吹き飛ばすものだった。クラシックでもこんなに「スウィング」するものなのか、それまでジャズ一辺倒だった私の目の前に新しい世界が開けた一瞬である。
 そのときからフルートでクラシックを吹いてみたくなった。そうは思ったものの、よく考えたら楽譜が読めないことに思い至った。小学校から高校まで、とにかく音楽の「授業」が嫌いで逃げまくった報いである。文字など読めない子どもがいきなり小学校へ抛りこまれて、さあ教科書を読めと強制されているのとさして変わらない。手も足も出ないなんとも情けない思いだった。大人になってから音楽事始をすれば、まちがいなくこうなるだろうという典型例である。それでも、バッハの楽譜を目の前にし、それを自分でひとつずつ音楽に変換してゆくのはこの上なく楽しいことだった。とてつもなく大きな世界だが、一歩一歩進むしか道はなかった。もちろん近所迷惑は気になるが、かまってはいられなかった。
 そんな私に対して師匠Kはいつも、しょうがねえな、まあいいや教えてやろう、そのかわり授業料は今日の飲み代だ、などと言いながら、音楽のイロハやフルートの吹き方をていねいに教えくれた。Kとは卒業後もつきあいがあり、ときどき練習をみてもらったりしていたが、ほどなくアメリカの研究所へ行ってしまった。師匠を失った素人フルーティストは、やむなく独学でやらざるをえなくなった。そこでNHK教育テレビのフルート教室を見たり、3巻からなるアルテの教則本を買い込んだりして密かに練習を重ねた。さらに音大で使う「音楽通論」なる教科書なども密かに買ってみたが、あまりに煩雑な内容と実践との乖離に閉口して、拾い読みていどのまま本棚に押し込んでしまった。

 そうこうするうち巡り合ったのがバッハの
無伴奏チェロ組曲」である。はじめての給料で買ったレコードはピエール・フルニエの「無伴奏チェロ組曲全集」だったことは、ほかのところにも書いたが、この曲には特別な思い入れがある。
 チェロのどこがいいかというと、なんといってもあの深い落ち着いた音色である。さらにフルートなどの吹奏楽器とちがってくわえタバコ鼻歌まじりでも弾けるところが羨ましいのである。フルートときたら、吹いているときは上半身から顔にかけてほとんど動かすこともできない。ただし、チェロは上達するまでに人によってはノコギリの目立て段階を通過しなければならず、近所迷惑もフルートどころではないかもしれない。
 チェロといえば、以前男声合唱団コール・グランツのピアノ伴奏をお願いしていたピアニスト魚水愛子さんのご主人魚水憲さんはチェロを弾かれるが、未だ聴く機会に恵まれないでいる。しかし、残念なことにさんは、現在病気療養中でチェロを弾くことができない。愛子さんはじめご家族の看護のもとリハビリに励んでおられる。一日も早いご回復をお祈りしたい。

 

<関連資料>
● 
ピエール・フルニエのこと  加藤良一 (2002年3月23日) 【M-5】
● 
4分間の第九  加藤良一 (2005年12月29日) M-68