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2004年を締めくくるコンサート

 


加 藤 良 一
 



 コンサートレヴューというものは、本来は聴衆として感じたことを書くものであろうが、今回は演奏者の側からみたレヴューである。レヴューであるからには、極力客観的に書くよう心掛けたいが、はたしてどうなることか。

 年末の定番といえばベートーヴェンの第九交響曲 「合唱付」 である。埼玉県にこの 「第九」 を専門に長いあいだ歌っている合唱団がある。その名を埼玉第九合唱団といい、筆者は今年からこの団に加わった。埼玉第九は、ベートーヴェンの 「第九」 を演奏することを目的にして1973年に結成され、以後、年末には 「第九」 を演奏し、夏にはそのほかの曲を定期的に演奏している。「第九」 はすでに30回以上歌いつづけているが、この記録は、同一の合唱団における 「第九」 の演奏としては全国でもめずらしいという。

 ふつう 「第九」 を一からやるとしたらすくなくも半年以上かけなければ無理だろう。ところが埼玉第九では、「第九」 の練習をはじめるのが10月頃だから、いかにベテランが揃っているかが想像できよう。さらに、本番前の指揮者合わせやオケ合わせもすんなり終ってしまうほど余裕がある。いっぽうで、毎年すこしづつ団員の入れ替わりもあるため、新人のレベルアップには力を入れている。今年は総勢で180人にのぼる規模となっている。合唱の練習とは別メニューでドイツ語の発音練習を課し、定期練習も6割以上の出席率がなければベテランといえどもステージに出ることができないなど、組織的にも技術的にも統率が取れていて、なおかつ演奏に対するポリシーも厳しいのが特徴である。
 この団にはユニークな発声練習のやり方がある。まず、背中を丸め両手を肩の高さで前に出し、胸郭をリラックスさせた状態で、腹斜筋を持ち上げるというか凹ませるようにして空気を押し出す。このときに、手を頭のうしろの首の付け根に持ってゆき、発声にあわせて、そこから脳天を通過して前方の高い方角へ引っ張るように手を移動させる。そうすることで、背中から首のうしろ側を通って遥か遠くへ息を飛ばす感じがつかめる。
 腹斜筋を使うときは、臍が上を向くイメージである。腹斜筋は、腰のあたりから肋骨にまでつながっている長い筋肉で、腹部の表面にある外腹斜筋とその奥にある内腹斜筋とがあるそうだ。埼玉第九の強みは、この発声法で全員がトレーニングされているので、音楽表現を統一しやすい点にあるのではないだろうか。この発声を全員が揃ってやっているところは、すくなからず異様な感じがしないでもないが、それも慣れてしまえばなんということはない。要するに何を目的にしてやっているかさえ理解すればよいので、理屈がわからずにやっているうちは効果が期待できないものだ。それにしても、あまり他人に見られたくない姿ではあるが。

 今年(12月19日)はソニックシティホールの主催事業となったため、団員がノルマとしてチケットをさばく必要などなく、むしろソニックシティからの割当がすくなかった分だけ団員用が不足するような状況となったほどである。2500人収容のホールが完売なった。

 小泉和裕さんは、1982年にも埼玉第九 「第九」 指揮しており、そのときのオケは日本フィルハーモニー交響楽団だった。今回、マエストロ小泉は、主席客演指揮者を勤める東京都交響楽団を率いての 「第九」 となった。ソリストは、緑川マリ(Soprano)、小川明子(Alto)、吉田浩之(Tenor)、長谷川顕(Bass)というそうそうたるもの。詳しくは埼玉第九ホームページをご覧願いたい。

 「第九」 の演奏では、合唱団の入場をいつにするか、これがなかなか悩ましい問題である。ステージの大きさと合唱団の規模などによって制約があるが、もっともよいのは曲の最初から入場していることである。ただし、その場合は1楽章から3楽章までずっと立っているわけにもいかないから、合唱団用の椅子を置けるだけの広さがなければならない。

本番前のゲネプロ/合唱団のテノールの前がトローンボーン

 今回はマエストロの希望で、第1楽章からステージに乗ることになった。180人をステージ上に座らせるのはたいへんなことである。狭いけれどとりあえずコーラス用のベンチが用意された。さすがにソリストだけは第3楽章の前、第2楽章が終ったところで入場した。こうすることで無用な中断がなくなり、指揮者とオーケストラの集中を邪魔するものが除かれる。合唱団にしても最初から演奏に参加していることで、曲の流れに乗り、指揮者やオーケストラとともに気持ちを盛り上げ、そして終楽章の出番に入ってゆくことができる。
 今回のコンサートは途中の休憩なしで二つのプログラムを一気に通した。はじめにベートーヴェンの序曲「献堂式」をオーケストラが演奏し、指揮者が下がったあと暗転せずにすぐ合唱団が入場した。180人の入場となるとかなり時間がかかったが、自然とこの時間が 「第九」 への期待をいやが上にも高める序章にもなっていたはずである。合唱団が全員着席し、オケのチューニングもすみ、いよいよマエストロが登場してきた。会場全体が息を飲む一瞬である。
 ところが、ここからが合唱団にとっては問題なのだ。午後3時開演、緊張もしているし、ステージの上ではへんに身動きもできない。照明が当たってけっこう暖かい、そして昼食を食べてまだ間がない、人によっては昼寝の時間かもしれない。とくれば条件が揃いすぎている。そう、睡魔とのたたかいだ。オーケストラの演奏が子守唄になってしまってはたいへんなことになる、と事務局では大まじめに心配していた。しかし、マエストロの指揮を見つめ、それに応ずる楽団員の演奏を聴いているとほとんど眠気など感じる間がなかった。
 そして、佳境の第4楽章、バスの長谷川顕さんの独唱に合わせて合唱団も起立して演奏に入った。長谷川顕さんは日本人にしては背が高く立派な体格をされているので、そのうしろに立つアルトの女性は指揮が見ずらいのではないかと気になったが、心配するほどのこともなかったらしい。
 この日、東京都交響楽団はコンサートマスターが二人揃って出演していた。こんなことは異例のことだそうだ。マエストロも打上げの席で、気持ちの良い満足できる演奏ができたと感想を述べていたが、この言葉は素直に受けとめさせていただこう。

 指揮というものは、そのときどきですこしづつちがうものである。たとえば、男声合唱団コール・グランツの指揮者笠井利昭さん(埼玉県合唱連盟事務局長)の口癖は、本番ではどう振るかわかりませんから、ちゃんと指揮についてきてください、である。演奏は生きているので、そのつど閃いたり、あるいは気持ちが高揚していつもとちがう演奏になることがある。
 マエストロ小泉は、第4楽章の最後の部分を猛烈なスピードで振った。ゲネプロ(本番前の総練習)のときよりずっと速かったが、合唱もしっかりついて行った。「第九」 のフィナーレは、天上の高みへと駆け上がる勢いがほしいところだから、遅いよりは速いほうがよい。そして、アンコールはやらずにコンサートを閉じた。あれだけの大曲のあとに演奏すべき曲はないからである。

(2004年12月26日)