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La  Traviata
 


加 藤 良 一
 



 

 これまでヴェルディのオペラは観たことがなかったが、ようやく今年9月に『椿姫』を観る機会がやってきた。チェコ国立プルゼーニョ歌劇場 The J.K.TYL Theater in Pilsen の日本引越し公演である。よいか悪いかは別にして、字幕スーパー付きである。

 『椿姫』は、オペラの代名詞のようにもいわれるだけに、オペラに縁がない人にとっても、どこかで聴いたことがあるようなおなじみの曲がたくさん盛り込まれている。コンサートちらしのコピー曰く、「まさにオペラの代名詞。世界中で最も知られたヴェルディの純愛オペラ」、「ピルゼンビールで有名な歴史と伝統に彩られた都プルゼーニョが、世界に誇る歌劇場。円熟したソリスト陣、弦の国がもたらす美しい音楽に裏付けられた、最高傑作オペラ」
 このオペラは『ラ・トラヴィアータ La Traviata 』が正しい題名で「道を誤った女」とか「道を踏み外した女」という意味だそうだ。だから、『椿姫』という題名はおかしいともいわれている。しかし、おかしいといったところで、映画の題名がどのように邦訳されるかをみれば明らかなように、いくらなんでも「道を踏み外した女」では興行的にうまくないのは当然だ。ここは、原作の小説『椿姫』(小アレクサンドル・デュマ Alexandre Dumas fils 著)から、タイトルを借用した。ヴェルディさんには悪いが、結果的に『椿姫』はよいネーミングだったといわざるをえない。

 初演は1853年、ヴェネツィアのフェニーチェ座で行われたが、大失敗だったと手紙にヴェルディは書き残している。主人公椿姫ヴィオレッタ役のファンニー・サルヴィーニ=ドナテッリが肺結核で死ぬ役にもかかわらず、たっぷりと太っていてとても死にそうに見えないとか、いろいろとかしましい話があるらしい。
 そんな疑問に対して『ヴェルディのオペラ』(永竹由幸著)では、そんなことではなく、オペラ歌手が体格がいいのは当たり前でそんなことに文句をいうファンはいない、むしろ「イタリアは、オペラを観る前に台本を読む人が多い。リブレットが開幕前に売られ、それを人々は読む。多分その時点で、この物語がピンとこなかったのと、音楽が新しすぎたし、「純粋な愛」の音楽だけで構成されていたため、市民は戸惑い、こんな純粋な愛などありえないという拒否反応だったにちがいないと解説している。

 舞台の設定は、1850年頃のパリである。1850年といえば、エッフェル塔が建てられたパリ万博のちょっと前である。まさに古い時代から新しい時代への転換期に差し掛かっていたわけで、混沌とした時代背景だっただろうか。ヴィオレッタはいわゆる高級娼婦であるが、東洋でみられた娼婦とはかなり事情が異なっていることを理解しないと、このオペラはわかりにくそうだ。
 大まかなあらすじはつぎのとおり。
 パリ社交界で人気のあるヴィオレッタは、娼婦ゆえに享楽的な生活をおくっていた。ある夜会でアルフレードという地方地主のぼんぼんが、こともあろうにそのヴィオレッタに想いを寄せ、ついに求婚におよんだ。すでに肺を患っていたヴィオレッタは、迷いに迷ったあげく、パトロンと別れてアルフレードと新所帯をもつことを決心した。しかし、財産もないアルフレードを支えるためにヴィオレッタは身の回りのものをつぎつぎと切り売りする生活を余儀なくされた。
 そこへアルフレードの父ジョルジョがやってきて、妹の結婚話に差し障るから別れろと言い出した。ヴィオレッタは悩んだ末、元のパトロンのところへ帰ると嘘をつきながらアルフレードの元を去って行った。ヴィオレッタのことを忘れられないアルフレードは、ある夜会にヴィオレッタを探しに出かけ、そこでヴィオレッタのパトロンと賭けをして大金をせしめた。ヴィオレッタの心中を察しないアルフレードは、その金をヴィオレッタに叩きつけた。そこへ父ジョルジョがあらわれアルフレードを叱責するが、そうこうするうちにヴィオレッタの病はさらに悪化し、死の床へとつくことになってしまった。
 アルフレードが父をともなってヴィオレッタの元へやってきたときには、すでに瀕死の状態であった。アルフレードからあらためて求婚をうけながらヴィオレッタは、恋しい人の足元に崩れ落ち るようにして息絶えた。

 『椿姫』のポイントは高級娼婦とは何かということにあると思うが、世界最古の職業ともいわれる娼婦の歴史は、古代ギリシャまで遡る必要がある。ヘタイラと呼ばれた遊女たちは、ふつうの娼婦とははじめから区別されて、高等教育を授けられた。そして、いずれは裕福な男の妾となるように育てられていた。それが“高級”と呼ばれるゆえんである。
 日本の花魁(おいらん)と似かよったところがあるようだが、ちょっとちがうのは花魁はあくまでその世界のなかだけに生活していたのにくらべて、高級娼婦は公的な場所にも同伴され、その美貌や才知が社交界で競争されたことだろうか。いずれも現代では消滅してしまっただけにこれ以上は確認しようがない。
 「道を踏み外した女」とは、高級とはいえ娼婦に身をやつしたことをいうのか、あるいは娼婦の身で堅気に戻ろうとしたことを指すのか、とにかく『椿姫』は、娼婦の純愛が背景になった三幕のメロドラマ Melodramma in tre atti なのである。

(2003年8月15日)