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     暗 譜 の 科 学
 


加 藤 良 一
 


 

暗譜していたはずの音が出てこない。あれっ、えっ、あぁ…と、もたつくうちに曲はどんどん先へと進んでゆく。生涯最大のあたま真っ白状態に陥ったのは、もうずいぶんむかしのこととなった。いまでこそひとごとのように話せるが、その当時はかなりめげたものだった。それは、娘のピアノとのデュオでフルートを吹いたときのことだが、そのことは勇敢にも拙著『音楽は体力です』の冒頭に白状してある。

合唱を楽しむ人のなかにも、暗譜に苦しむ人はけっこういる。かんたんに覚えられる秘訣のようなものがないだろうかと日夜考えているが、どうも王道はないらしい。むしろ、そんなことを考える暇に練習したほうがよいかもしれないが。

暗譜とはすなわち楽譜の記憶のことだから、脳が記憶をするしくみについて考えてみるのも無駄ではない。

記憶は、その持続時間によって三種類に分けられるという。もっとも時間的に短いのが「感覚記憶」で、目からの情報などのようにイメージとしてそのまま記憶される方式だ。つぎにすこし長いのが「短期記憶」で、数秒から数分間の記憶である。たとえば、暗算や筆算のときに使う繰り上がりなどがこれに当たるが、これが仮にずっと記憶されてしまったら困ったことになる。この種の記憶には、新聞記事を覚えておくような浅い記憶ということで「新聞の記憶」と呼ばれるものがあるが、時間的にはここでいう「短期記憶」よりは少し長そうである。

一番長いのが「長期記憶」で、これは文字どおり長期間持続される記憶。「短期記憶」の中からとくに記憶しておきたいと思ったものがしまわれるものだ。自分の氏名や生年月日などかんたんには忘れないものが「深い記憶」として脳の奥深く収納されている。近ごろの世相として、この「深い記憶」を使うことが減って、ほとんどが何日かすると忘れてしまうような「新聞の記憶」がふえている傾向にあるという。

よく脳味噌のなかに引き出しがあるようにたとえられる。「思い出せない」という状態は、情報の引き出しが開かない状態だ。演奏が終ってステージから降りたらすぐに思い出せるのだから、何かの拍子に鍵がかかってしまったのだろう。ステージを降りてからではなく、やはりステージの上で思い出したいという方のために朗報がある。それは「関連することを考える」ことである。つまり関連づけることで脳細胞のネットワークが活性化し、思い出しやすくなるというしくみらしい。

当たり前のことに聞こえるかもしれないが、あんがい記憶がトンでしまったときは、えてして「そのことを考えていない」ことが多くないだろうか。つねに脳裡に浮かぶ楽譜の先を見つめながら、つぎの歌詞や音やメロディを準備していればまず出だしに戸惑うことはない。トンでしまったときは、曲に集中していないからで、ほかのことに気がいってしまったか、あるいは何も考えていない魔の空白の瞬間があったかである。

また、記憶には時間とは観点がちがう分類もある。ある出来事と関連した「エピソード記憶」、学習して覚える知識などの「意味記憶」、技術としての「手続き記憶」などがある。ワイフから、昔の話を持ち出されて、あのときあなたは何々と言ったなどとやり込められるのは典型的な「エピソード記憶」。テニスをするのに、ボールが自陣のコートに落ちてから、どちらの足を踏み出すべきか考える人などいないのは「手続き記憶」がはたらいているからである。

脳は記憶の出入り、すなわちInputとOutputを繰り返すことでよりたくさんの記憶を収納できるという。これは繰り返しによる学習能力を指すのだろう。「新聞の記憶」のような浅い記憶が日常化し過ぎると、脳は「深い記憶」に対応しなくなるというし、疲労や睡眠不足で体調が不十分なときの記憶も「深い記憶」にはならないという。

30年くらい前のコンピュータは、データを保存したマスターテープのコピーをたくさん作っておいても、1年くらいたつと何本かが使いものにならなくなってしまったので、定期的に壊れた分のコピーを作ってバックアップしたそうである。

人の記憶、暗譜も似たようなものだろう。練習には体調を整えて休まず出席しなければならない。そのためには、二日酔いにならないよう摂生しましょう。

「心は楽しむべし、苦しむべからず。身は労すべし、やすめ過すべからず。」

どうやら貝原益軒の養生訓じみた結論に導かれてしまった。

 2003年7月19日