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北欧の男声合唱を聴く

スバンホルム・シンガーズ


 



加 藤 良 一
 

 

 

 黒いスーツに身を包んだ長身の若者集団と、同じく黒を基調にしたワンピース姿の若い女性指揮者が、全曲ア・カペラで演奏するといえば、どこか地味なコンサートのように思われるかもしれないが、実際には若さが溢れた明るい雰囲気に包まれ たステージだった。

 「シェナンドーはよかったですね。思わず涙が出ちゃいましたよ。」
 「そうだね。客席に降りてきて歌うのも面白い演出だったし、じつにいい声していて、表現も柔軟だったしね。」
 「たしかに北欧の男声合唱らしいというか、とにかく柔らかくて澄んだ声で、それにぜんぜんガナらないし…。あんなふうに歌いたいもんだね。」
 「ステージへ出てくるとき、前列と後列がそれぞれ左右から分かれてきたけど、あれけっこうカッコいいね。」
 「今度のステージで真似させてもらおうかな。」
 「うちはいつも一列なんでだめですかね。」
 「いやそんなことないでしょ。真ん中から半分に分けて出てくればいいんじゃない。」

 北欧の合唱団とは、スバンホルム・シンガーズのことである。 ステージマナーや演出にもどこか洗練されたものを感じさせるが、かといって変に取り澄ましているわけでもない。逆に日本人にはないフランクさがある。では、当日のプログラムからこの合唱団 はどんな団かみてみよう。
 1997年の「アペルドルン国際男声合唱団コンクール」で「カントーレス カテドラレス」という名のア・カペラ男声合唱団がグランプリと聴衆賞を受賞した。これがきっかけとなって98年から本格的な演奏活動を開始したのが、今回聴いたスバンホルム・シンガーズである。

 スバンホルム・シンガーズは、その後、98年「オスカルスハムン国際合唱コンクール」、「スウェーデン合唱コンクール」優勝、99年「宝塚国際室内合唱コンクール」グランプリ、同年世界的指揮者エリク・エリクソンとコンサートを開催、02年ポーランドの「ホーラ・カンターヴィ2002」第1位、ポーランド・ラジオ特別賞などを受賞している。メンバーは、スウェーデン・ルンド大学出身者中心に20歳から27歳の若者たちである。来日は今回で3回目となる。
 指揮者ソフィア・ソーダベルグ・エーベルハルトは、ルンド大学でオルガン、ピアノ、声楽、指揮を学び、さらにストックホルム王立音楽大学でバロック・チェロを学んだ。音楽学校教師、オペラハウス指揮助手を経て、01年よりスバンホルム・シンガーズの指揮者に就任した 。
 今回の来日公演は、1ヶ月にわたって全国北から南まで23回もの演奏をするという過密スケジュールとなっている。若いからできることかもしれないが、ちょっとやりすぎの感じも否めない。そのうちの第5回目にあたる茨城公演(6/29 結城市民文化センター アクロス大ホール)を聴いた。

 プログラムは二部に分かれており、前半がヨーロッパや北欧の曲、後半に世界のポピュラー曲を並べるというバラエティある選曲。日本語が達者なメンバーの一人(セカンドテナー)が曲の紹介をしながらステージを進めた。
 オンステージは23人で、パートの並びは、左からセカンドテナー6人、トップテナー5人、バス6人、バリトン6人とみたが、いくぶん変則的に並んでもいたようだ。 音取りは指揮者が音叉を使ってコメカミで音を取り、それをハミングにして伝える方法をとっていた。楽器はいっさい使わない。また、指揮者も何曲か歌う場面があった。

 エストニアのトルミス作曲『大波の魔術』は、94年に起こったフェリー沈没事故の犠牲者を追悼した曲で、テキストはラテン語で叙事詩『カレワラ』からとられているという。口笛のヒューヒューいう音が 、強風が荒れ狂いマストを激しく揺する場面を想起させるように効果的に使われていた。
 北欧の曲といえば、多くの日本人がきっと思い起こすにちがいない曲がある。それはなんといってもシベリウスの『フィンランディア讃歌』で はなかろうか。この曲は、 以前筆者も歌ったことがあるが、あのときはフィンランド大使館からフィンランド語の読みを振った楽譜をいただいて歌った。日本人からの問い合わせが多いらしく、日本人向けに用意されていた。
 ところが、この曲をスバンホルム・シンガーズは楽譜をもって歌った。スウェーデンとフィンランドがいくらお隣同士であっても、言葉がちがうのだから当然かもしれないと思いたかったが、しかし、ほかの外国語の曲を けっこう暗譜で歌ってもいたのだから、ここはむしろ『フィンランディア讃歌』自体が彼らにとってお馴染みではなかったと推測するほうが 正解のような気がした。つまり、フィンランドでは第二の国歌ともいわれるほどの曲であっても、スウェーデン人にはほとんど縁がないか、あるいはさして興味がわかない曲にちがいない。

 昨年の日韓共催ワールドカップに北欧から出てきたのは、スウェーデンとデンマークであった。フィンランドは予選でイングランドに敗退して出場権を獲得できなかった。北欧は全体的にサッカーのレベルが高く、つねにしのぎを削っている。日本と韓国のような関係ではない けれども、どこかお互いに負けられないという意識が強いにちがいない。

 さて、冒頭に書いた会話の主に涙を流させた『シェナンドー』Shenandoah は、ホール両側の壁を前から後ろまでいっぱいに使って団員が並び、客席に向かって包み込むように歌う演出で、指揮者だけがステージに残って指揮をした。
 筆者の座席は、もっとも音響的に最良の席を確保してあったので、この曲のときはあたかも天上から降り注ぐような声が聴こえてきて、思わず天上を眺めてしまったほどである。 その席は、ホールをよく知る合唱仲間にゲットしてもらったものである。

 日本の曲も忘れずに用意されていて、聴衆を楽しませてくれた。『見上げてごらん夜の星を』、『荒城の月』、『赤とんぼ』と、どれをとっても日本語としておかしくない発音なのには感心した。彼らには、どこの国の言葉も苦にならないのだろうか。今回歌われた曲だけでも、フランス語、ドイツ語、ラテン語、日本語、英語、フィンランド語、ロシア語、エストニア語 、ほかにもあっただろうが、筆者にはわからなかった。じつに国際色豊かである。そしてとうぜん母語スウェーデン語も。
 

 北欧を代表する男声合唱といえば、まずオルフェイ・ドレンガーが真っ先にあげられるのだろうか。オルフェイ・ドレンガー大好き男・菅野 哲男さんにお聞きしたところ、彼はスバンホルム・シンガーズをご存じなかった。比較的新しい合唱団だからやむをえないと思う。
 オルフェイ・ドレンガーは世界最高とまで称賛される合唱団で、とにかく歴史が古い。創立がなんと1853年だというから、もう150年にもなる。残念ながら筆者はまだ演奏を聴いたことがない。そんな団とスバンホルム・シンガーズを較べても仕方なかろうが、前に述べたように世界的指揮者エリク・エリクソン(元オルフェイ・ドレンガーの常任指揮者だった)とコンサートを開いたというから、それなりの評価や見方をされているのではないだろうか。機会があったら一度お聴きになることをお薦めしたい。

 

(最初のステージの後半、バス系の一人が体調を崩した様子で、貧血でも起こしたのではないかと思うくらい苦しそうであった。二部ではさすがに出て来なかったが、その後どうなったのだろうか。まだ、ツアーの先は長い。いくら若いとはいえ、あまり無理をすると演奏そのものにも影響しかねない。過密日程で演奏がおろそかになるようなことがないことを祈りたい。)


 

(2003年7月2日)