コール・グランツのセカンドテナー津田哲行氏が、
女声合唱団ヴォーチェ・ビアンカと男声合唱団コール・グランツの
ジョイントコンサートで演奏した曲に触発され、思いつくままに書かれました。

 M-26 

 

    雑感 ジョイント・コンサートに寄せて

 


津田哲行

 



 

<ふるさとの四季>混声合唱のための唱歌メドレー(源田俊一郎編曲)

「春の小川」
 
田植え時になると、大堰から用水に水がひかれ、“芳草青々、水は田に満つ”の風情が出現する。最も好きな季節のひとつだ。
 花は厳寒の日から咲き始める。霜の降りたあぜ道に咲く星のひとみ“オオイヌノフグリ”から、赤紫色の“ホトケノザ”、まもなく“ヒメオドリコソウ”に。オオイヌノフグリのふぐり(?)を見せる頃になると“タチイヌノフグリ”が隆盛となる。田に水が入るころから“ジシバリ”の黄色い可憐な花が春の小川に映える。“ムラサキサギゴケ”も笑っている。“ヘビイチゴ”が咲き始め、“スズメノテッポウ”が子供の遊び道具となり、初夏へ。

 

「夏は来ぬ」
 
うの花のにおう垣根に・・・うの花のにおいは?
             うの花はほとんどにおわない。
             ここの「におう」とは、古語で、あでやかな色が美しく映える、
             生き生きした美しさがあふれるといった意味。あくまでも、視野に
             感じる匂い。
 

---用例---
  あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る  (額田王)
 と
  紫草(ムラサキ)の にほえる妹を 憎くあらば 人妻故に 我れ恋めやも

 
(紫草(ムラサキ)のように美しいあなたが好きでなかったら、人妻と知りながら、私はどうしてあなたに心ひかれたりしようか)・・・この“むらさきのにほえる”は濃いむらさきに染めたグラデーションの様をさすか? 用法の例としてはちょっとずれているかも。
 たまたま、そばやのカレンダーに目がいった。今月(4月)のは、美智子様と庭でお立ちになっておられる昭和天皇のお写真であった。和歌が一首。
 

  夕されば たにうつぎの花は もも色のにほひにみてり 春ふけむとす

 
そういえば2002年の歌会始めの勅題は“春”であった。
 あ、額田王で思い出したこと

 豊橋から戻ってきてから間もなくなので、1995〜6年頃だと思う。USAのスペースシャトルの打ち上げが、何かのトラブルで延期になったとのニュースがあった。次の打ち上げは、月の満ち欠けを待って何週間かあとになるという。その時脳裏をよぎったのが、額田王の

  熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出な

 
の一首であった。太古から船出は、月を見、潮の満ちてくるのを待って、引き潮に乗じてするものなのだ。科学が発達した今日、“月を待つ”意味と、引力をうまく利用し少しでも省エネルギー(?)で実行しようとするところに、自分で妙に納得してしまった。
 NASAもやるジャン!

 

「われは海の子」
 
さわぐいそべの松原に・・・いそべの松原は自生か、植林か?
             その昔、藻塩を作るための燃料として植えられた。
             製塩業の業態が変わり、木材燃料を使わなくなり松林が残った。
             近年は、手入れ、切って植える新陳代謝がなくなり枯れることが多くなっている。

                                      

<筑後川>混声合唱組曲(團伊玖麿作曲)

「銀の魚」〜「河口」
 
紅の櫨(はぜ)の葉、楠の木陰、白い工場の群れよ
 秋、櫨の葉が紅葉する、楠は緑、コンクリートの工場は白い壁、小高い丘からの眺めか?
 ヘリコプターからの俯瞰か?

 「ふるさとの四季」にある「紅葉」の、“松を彩るかえでや蔦は・・・”では人工のものは出てこない。松は緑だ。
 「筑後川」では人間の生き生きとした生活の場、町、工場が出てくる。家庭排水、工場排水を自然浄化する川、浄化能力以上に流す人間。川は有明海に注ぐ。
 後に公害の源と言われた工場群にあこがれて就職し、高度成長期を過ごしたわれわれの世代。

 筑後川は、筑紫次郎とよばれた暴れ川。四国三郎(吉野川)、坂東太郎(利根川)と並んで日本三大暴れ川のひとつだ。その坂東太郎の中流にある合唱団が、いま合唱組曲「筑後川」を歌う。


 花王鰍ノ入社して三十有余年、一編の詩を作る。

滴 發 山 中 集 下 方
 

欲 川 遍 沃 到 西 洋
 

技 創 弘 術 連 如 鎖
 

更 究     

 

− 読み −
 滴(したたり)は 山中を発し下方に集む
 川は 遍(あまね)く沃し、西の洋(うみ)に到らんと欲し
 技は創り、術を弘め、連なること鎖の如く
 更に究む  美、清潔、健康

方、洋、康の韻を踏む七言絶句

− 釈 −
 高野の山深く発した一滴の水が、それぞれの谷より下流に集まりやがて川となる。
 その川、紀ノ川は和歌山の平野を万遍なく潤し肥沃な土地を作り続け、紀伊水道(西方の海)に流れ込んでいる。そのように花王の研究技術開発を顧みれば、前述の一滴の水のように他の水を集める求心力(凝集力)をもって、幹部は社員に対しては強いリーダーシップと平等な愛をもって、川上から川下へのバーティカルインテグレーションを実践した。
 また技術をもって花王の海外進出の大きな流れを作った。そして、これにとどまらず、技術連鎖という相乗効果を念頭に、花王は更に社のモットーである、清潔・美・健康について研き究めようと歩き続けている。

 (西洋とは通常では欧州の事を言うが、古い中国では、南アジアの島々の事を指した時代もある。正確にはマラッカ海峡から西を西洋、東を南洋と言うらしい。ここでは紀伊水道と海外を掛け、西の洋(うみ)と読ませる。)今回、出張でマレーシア(ペナン)に行き、ここはマラッカ海峡の西、西洋なのだという思いが、以前作った上述の詩と共に強烈な印象として残った。

 有明海といえば、宮本武蔵が晩年を過ごしたところ。
 NHKで宮本武蔵を放映している。今年は大河ドラマを見ないときめている。でも、いろいろとニュースが入る。会社のOBから“詩吟の会に入っているので何か作ってほしい。
 本年に見合ったものを”・・・、で、恥を顧みず、

 

戯れに作る宮本武蔵       津田 西山

櫓は削りて刀と為す、海上の船(ロはケズりてカタナとなす、カイジョウのフネ)
             または(ロはケズり、カタナとなす、ウミのウエのフネ)
 片(木切れ)は彫りて仏と成す、草堂の前(キギレはホりてホトケとナす、ソウドウのマエ)
             または(キギレはホり、ホトケとナす、ソウドウのマエ)
 二天一流独り道を行き(ニテンイチリュウ、ヒトりミチをユき)
 五輪の書を著す六十年(ゴリンのショをアラワす、ロクジュウネン)

 

戯作宮本武蔵       津田 西山

      

      

二 天 一 流   

      

 

(解釈)戯れに作ってみた。宮本武蔵。
 小さいころから、何の本で読んだか覚えていないが、巌流島の戦いが印象的である。小生の故郷は、福井県今立町。ここには、佐々木小次郎の過去帳が残っている寺がある。最近は像もたっているようだ。
 小次郎との決闘の前。島に向かう舟の上で、武蔵は舟の櫓を削り木刀とし、小次郎の物干し竿のツバメ返しを敗る。(櫓を削った刀で戦ったとは、小生の記憶であるが)その櫓を削る作業と、後年よく行った仏像を彫る姿を重ねてみた。どんな気持ちで櫓を削ったのだろう。どんな気持ちで仏像を彫ったのだろう。小次郎を思ってか、梅軒を思い出してか、戦った六十数人の剣客を弔ってか?古ぼけたわらぶきの家、またはお堂の前で黙々と仏を彫る武蔵。
 後に、二天一流の流派を興し、独り自分の信ずる道を歩み、五輪の書を著した六十年であった。

韻は船、前、年の 一先

仄起こりの七言絶句

 

一句(起句):
 「櫓を削り」の方が言いやすいが二句目の平仄の関係で「櫓は削り」または「櫓は削りて」とした。「為す」は「作す」でも可。「海上の船」は、船は当然水の上ですが、海上の船の上で削っていたというくらいの意味である。
 

二句(承句):
 これも平仄の関係で「木を彫り」を「片は彫り」とし「片」を「キギレ(木々れ)」と読ませた。「成仏」はジョウブツとは読まず、仏と成すと読ませる。
 一句と二句の連を対句にしたつもりですが、まだまだ未熟でうまくいかない。
 

三句(転句):
 武蔵の興した流派と彼の信条をもらった。
 

四句(結句):
 六十一歳でなくなった武蔵だが、六十歳で五輪の書を著しライフワークとなった、とした。

 

興にのって

偶成 五輪書 (グウセイ ゴリンノショ)      津田 西山

地は万物を生じ草木豊かに(チはバンブツをショウじソウモクユタかに)
 水は遍く窪を潤し、一路通ず(ミズはアマネくクボミをウルオし、イチロツウず)
 火は勢いて風を起こす、兵法の道(ヒはイキオいてカゼをオこす、ヘイホウのミチ)
 空を念じれば、敵は己の心中に在り(クウをネンじれば、テキはオノレのシンチュウにアり)

 

        偶成 五輪書                津田 西山
 

地 生 万 物 草 木 豊

水 遍 潤 窪 一 路 通

火 勢 起 風 兵 法 道

念 空 敵 在 己 心 中

 

五輪書の「地、水、火、風、空」の文字をあしらって、自分なりに、五輪書はこんな考えで記したのではないかと考えて作詩をした。
 大地は全ての物を生じさせ、全ての事を基礎として営み、地上には植物を豊かに育ませている。このように地の巻には、剣法の基礎についてしるし、次の段階の体力、栄養源となっている。

 水は、高きより低きに流れる。原野の少しの窪みにもすべてに行き渡り、一本の路が通っている様に、すべての事象に気を配ることにより(一本の路が見えるように)剣法の道が見えてくる。
 敵と対するには、火のように勢い良く燃え上がり、その上昇気流により風が起こる様に、機を逃さず、風の如く動くべし。これが剣法の道。
 振り返って、祈れば、反省すれば、本当の敵は自分の心の中にある事を悟る。
 正道を、邪念を払って進むべし。

 
 

オペラ<カルメン>より

「行進曲と合唱」
 
みろよピカドール、立派な鋭いエモノにその身を固めてりっぱな、するどいえものの“エモノ”は、歌詞からすると「獲物」ではないと思うが。
 調べてみたら「獲物」でも「衣物」でもなく「得物」が正解。「衣物」という単語はなく「衣紋」の勘違い。調べてよかった。 「得物」:最も得意とする武器
 これでナットク!

ある日、“ゲネプロ”といわれたので、衣装その他を全部持って会場に行った。
 普通の服装で練習?だった。
 そこで“ゲネプロ”ってなあに?
 独語“General Probe”(ゲネラル プローベ) の略。Generalは、英語のGeneralとじ。Probenは、試演、試しにやってみるご存知「通し稽古」のこと。

 フーン? ソーデスカ。

 最近、練習時に“アーエーイーオーウ”ではなく、“イーエーアーオーウ”とやっているが、アエイオウは何の順番?
 たぶん、独語のアルファベット“アーベーツェーデーエーエフゲーの順番でしょう。

 “ A B C D E F G H I J K L M N O P Q L S T U V W X Y Z ”の順にならぶでしょ?

日またまたゲネプロ?
 あいにく出られません。
 連休が過ぎて、通勤電車からの「見沼たんぼ」の眺めは・・・
 田植えが終わって、たぶん・・・


 「水 満ちて 三日みぬ間の 早苗かな

 朝日に輝き、夕日に映える。
 早苗がゆれる、すばらしき五月。
 姿勢を正して、心を正して歌おう。
 高らかに!


(2003年5月16日)