2009年1月11日
(日)
13時より
家の光会館
(飯田橋)
今年も、恒例の
宮澤研究室新年会
を開催しました。今回は
網代倭夫
さんが初めて参加されました。また、前回参加された
城戸靖子
さんはドタキャンでした。幹事は丸茂健治さんと上田正隆さんにお願いしました。
今回の会場、家の光会館はまだ宮澤雄二先生がご存命の頃によく新年会を開いた懐かしい場所ですが、そのときとはちょっと違い、隣りのビル(経営は同じとのこと)の一階の料理屋です。当日は朝から晴天で風もなく、冬の静かな日差しが会場へと誘ってくれる気持ちのよい天気でした。
メインメニューとして、警視庁OBの
渡辺盛夫
さんに『
知られざる日本の火薬史
』と題して、紀元前に中国で火薬が発見されてから日本にどのように伝来されたのかなど、専門家の立場から解説していただきました。
渡辺
さんは現在東京交通安全協会にお勤めですが、火薬・花火アドバイザーとしてもご活躍中です。機会があれば花火の楽しい話も聞かせてもらいたいものです。
火薬とくれば鉄砲です。意外なことに
島崎弘幸
さんが、四国の高校を卒業したあと地元の鉄砲工場に勤めたことがあるという話が飛び出し、思わぬ展開に一同耳を傾けました。あとで気付いたことですが、この逸話はこのホームページの<
なんやかや
>欄(E-37)「
釣り人
」に以前書いていただきました。詳しくはぜひそちらをお読み下さい。
その後、全員の近況報告へと移りました。
中でも異色の存在だった初参加の
網代倭夫
さんは「
色のエネルギー
」に関する研究を独自に進めておられ、研究レポートは相当の量になっているようです。惜しむらくはそれをまだ公にしておらず、ぜひ評価をして欲しいと申し出られました。もっとも、このような分野は宮澤研究室同窓生とはあまり縁がないので、すぐに反応は出ませんでした。
網代
さんにとってはこれがライフワークともなっており、ノーベル賞を取ると意気込んでいます。情報交換を望まれる方は連絡してみてください。
(〒359-0041 所沢市中新井1-917-1 電話04-2943-0158 Eメールajiros@rivo.mediatti.net)
ぜひ研究成果が実ることをお祈りいたしております。
昨年、横浜私立大学大学院医学研究科の客員教授(臨床試験学)になられた
渡辺敏夫
さんからは、平成21年3月4日に同大学で開催される国際学術ワークショップ『
生物製剤の開発と新しい治療法のためのバイオマーカー
』に関する情報がもたらされました。これは横浜市立大学と米国食品医薬品庁(FDA)が共同で開催するもの。
バイオマーカー
とは、尿や血清などに含まれる生体由来の物質で、特定の疾患に罹患・進行しやすいかどうかなど、予防・診断・治療上の指標(マーカー)になりうるものを指します。詳しくは大学のホームページをご覧ください。
(
http://www.yokohama-cu.ac.jp/amedrc/fdaworkshop.html
)
旧交を温めあううちに宴もお開きとなりました。二次会までは多少時間があったので、宮澤研究室の跡地見学と折角だから神楽坂界隈を覗いてみようということになりました。宮澤研のあった2号館はもう使われておらず、閑散とした状態でした。
2号館から神楽坂を渡って反対側に細い路地が連なる下町情緒豊かな一角があります。理窓会館もそんな風情のはずれに建っています。粋な黒塀の料亭を冷やかしながら─といっても入口までですが、二次会までの腹ごなしに町内をぐるりと回って理科大裏のアグネスホテルのバーへ。
アグネスホテルのバーは何年か前の新年会でも使ったことがありますが、カクテルなどがそれなりに揃っているちゃんとしたバーです。
「
理科大が葛飾へ
」と題する記事が08年10月の毎日新聞に掲載されました。それによれば、神楽坂から葛飾区新宿というJR金町駅近くの工場跡地に移転するそうです。ご存知のように神楽坂校舎はどうにも手狭ですから、百数十メートルの高層ビルに立て替えたかったようですが、新宿区の高さ制限のために断念しました。下の写真は飯田橋駅方向から見た1号館です。まるでビジネス街の雰囲気ですね。もう限界かも知れません。
出席者
:19名
研究室スタッフ 野崎 武 恩田真紀子
昭和44年卒 尾形義秀 小島 実
昭和46年卒 関根規由 網代倭夫
昭和47年卒 島崎弘幸 渡辺敏夫 加藤良一
昭和49年卒 上田正隆 小宮山寛機
昭和50年卒 小原一男
昭和51年卒 丸茂健治 山本裕士 松本明世
昭和52年卒 小俣義明
昭和53年卒 関 昌明
昭和54年卒 城戸靖子 (ドタキャン)
昭和59年卒 安藤彰信
研究室ゲスト 渡辺盛夫
(加藤良一 記)