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     ユダヤの世界観 タルムード的人間
 


G・バキスタ
 





 ユダヤ人は、優秀な人種であると言われるかと思うと、逆に、人の弱みにつけ込んで荒稼ぎする、ずる賢い人間のようにも見られることがある。いずれにしても、他の民族とどこかすこし違ってみえるらしい。
 M・トケイヤーというユダヤ人が書いた「ユダヤ人の発想」という本は、ユダヤと ユダヤ人を紹介した面白い本だ。英語で書かれたものを日本人が和訳した。トケイヤ ーは学者ではないから、理論的考証がきっちりできているかどうかもわからない。で も、どうしてユダヤ人は優秀なのかということを、一生懸命書いているのが伝わって くる本だ。

 ユダヤ人が苗字を持つようになったのは、今から二百年くらい前。それ以前は、誰 の息子の何某と呼んでいた。日本でも同じような時代があったと聞く。たとえば、イ ザヤ・ベン・ダサンという名前は、ダサンの息子イザヤ。イスラエル初代首相ディビ ッド・ベン・グリオンは、グリオンの息子ディビッドである。また、地名や職業名か らも苗字がつけられている。トケイヤーはもちろん“時計屋”ではなく、ハンガリー のトーケイ地方出身者のこと。

 ユダヤ人の英知の源泉は、「タルムード」だ。ユダヤ人は、つね日ごろ勉強する が、これは聖典タルムードと大いに関係している。タルムードは巨大な本だ。ヘブラ イ語で書かれ、二○巻、一万二千頁にも及ぶ。この本を向上心のあるユダヤ人は、一 日一回は必ず開く。毎日休まず少しづつ読まなければ、とうてい読み切れない。タル ムードは、紀元前五百年から紀元五百年までの千年間にわたる口伝を、二千人以上の ラビが編纂したものである。
 そもそもユダヤ人とはどういう人種か。もっとも“人種”という言葉自体すでに適 さないのだが…。それは、日本人のように黄色人種だとか、大和民族だのという、生 物学的に均質な民族の一群を指すわけじゃないからだ。エンサイクロペディア・ブリ タニカに、「自然人類学上の物象は、かつて単一のユダヤ人なる人種が存在したこと のないことを示している。世界各地のユダヤ人集団の人体測定の結果は、集団相互間 で、身長、体重、毛髪、皮膚、瞳の色など重要な身体的特徴が、著しく異なっている ことを明らかにした。」とある。
 要するにユダヤ人は、人種的には混血民族。ちなみにユダヤ人は伝統的に父系家族 なので、ユダヤ人男性と非ユダヤ人女性のあいだに生まれた子供は、ユダヤ人として 認知されてきた。

 ヘブライ語は、右から左へ読む。タルムードをみると、一枚の紙の中に関連した項 目を配置し、さらに関連するものをさっと検索できるようになっている。紙の真ん中 に本分が位置し、その周囲に本文に対するラビの注釈や、律法との関係、有名なラビ のコメント、さらに聖書との関連、警句、索引等々が配置されている。あたかも新聞 の一面の大見出しが中心におかれ、その周囲を関連する記事が埋めるような体裁にな っている。このレイアウトと索引機能を簡潔にまとめた形は素晴らしい。これがいま から1500年も昔に書かれたとは凄いことである。まちがいなく人類の大切な遺産 である。
 タルムードは、今でも十分に使える機能性を有している。今でも、情報を簡潔に整 理する場合に、よく一枚の紙に図式化してまとめようとすることがあるが、ユダヤ人 はまさにその能力に長けていた。タルムードの最後の頁は白紙になっているが、これ はさらに次ぎなる人々が頁を継ぎ足せ、新たな解釈を探せという意志の現れである。
 では「ユダヤ人の発想」に紹介されているタルムードをちょっとだけ紐解くとしよ う。タルムードには次のような言葉がある。「人間は、自分の行動に全責任を持って いる。たとえ眠っている間でも全責任を持たねばならない」つまり、個人に全責任が 返ってくるというのだ。だからユダヤ人は「私」を確立し、「理想」に向かってつね に自分を鍛え上げる。

 ユダヤ人は、世界は未完成であり、つねに進歩・発展するものだと考えている。言 い換えれば人間は失敗するものだ、との前提に立っている。ここが“失敗を恐れる民 族”と異なるところだ。だからこそ、紀元前から数知れない迫害にもめげずに、多く の成功者を生み出してきた資質がここにある。
 失敗を恐れ、成功することだけを考える人間は、消しゴムのついていない鉛筆で設 計図を描くようなものだと、トケイヤーはいう。消しゴムのついた鉛筆で描くほう が、よりきれいな設計図が描けるはず。つまり失敗を最初から勘定に入れておくの だ。それでも鉛筆より先に消しゴムが無くなるようじゃ困る。また消しゴムがたくさ ん欲しいというようでもだめ。ようは鉛筆を使うときに消すことを前提とすることが 大切なのだ。ユダヤ人は失敗を恐れない。

 ユダヤ人はジョークが好き。キリスト教徒や日本人などに多い生真面目さは嫌い だ。生真面目な人間の頭は硬直しているし、想像力を欠いている。ヘブライ語でジョ ークのことを「ホフマ」という。ホフマは、ほかに知恵や英知のことも意味すること からみても、笑いやジョークをいかに大切にしているかがわかっていただけようか。
 ユダヤ人にとって安息日は欠かせない。ユダヤ人は、休む民族であり、働くことよ り休むことのほうが地位が高い。日本人から見ると怠け者にしか見えないだろう。し かし、その休みたるや日本人の観念とはまったく違っている。サバスといわれる安息 日は、一週間に一日あり、これは完全に休まねばならない。休日holidayは、聖なる 日holly day。この日は、一日自分の時間を持たねばならない。仕事は、何もしては いけない。とにかく自分自身を見つめ、自分と対話する。これが「私」を確立する秘 密。休日の休み方が、日本人とはまるで違っている。その昔、日本では仕事一途のモ ーレツ社員がもてはやされたが、いまは少し変わってきた。仕事以外にも能力を持つ 幅広い人材が求められている。つまりタルムードの教えによれば、「自分だけの時間 を持つ」個性と、独創性をそなえた「開発型人間」を育てることが出きる。

 ユダヤ人のセックス観は、他の世界とはまた違っている。ユダヤ人は“性”を必要 悪とはみない。タルムードには、性衝動は自然なもので、無理にねじ曲げてはならな いと書いてある。タルムードの性に関する戒めの細かいことは省くが、ずいぶんと詳 細かつ具体的な内容だ。たぶん、全体として自然な内容だから日本人にも共感して貰 えると思う。
 では、もっとも“タルムード的な人間”としてどんな人物像が浮かんでくるだろう か。いわく、

“よく学べ” ただし受け身であってはいけない。
“よく質問せよ” 他人に対してだけでなく自分自身にも。
“権威を認めるな” 進歩は既成の権威を否定するところから始まる。
“自己を世界の中心に置け” 他人を軽んずることではない。
“幅広い知識を持て”
“失敗を恐れるな” 失敗は挫折ではない、その裏側に成功がある、それだけ成功 に近づいたと思え。
“現実的であれ” 自然に生きろ、可能性と限界を知り無理をしてはならない。
“楽観的であれ” 明日は進歩を書き込む白紙、ゆとりを持って白い紙に書き込も う。
“豊かなユーモアを持て” 笑いは意外性によってもたらされる。
“対立を恐れるな” 進歩は対立から生まれる。
“創造的な休日を送れ” 人間の真価は休日の送り方で決まる。
“家族を大切にせよ” 家は自分を育てる城である、自分の家を大切にせよ。

 現代日本人の多くの方に共感してもらえると思うが、いかがだろう。