荒さん in 秋田
 三股町でのコンサート翌日1012日から3日間、東北は秋田での日本国際理解研究学会に出ました。例会を海外で行うなど活動はわりとグローバルで、会の名称だけは「おせなみ」な組織にあって、私は「名ばかり役員」として約20年間在籍していますが、その年次総会への参加でした。

 今回は東北6県に在住される台湾出身の実業家(華僑)の方々を交えて200名ほどで懇親会を開催。来年2月に台湾で催されるイベント(歌や郷土芸能など)に、フルトンへの参加要請がありましたが、「冗談もほどほどに!!」と軽く聞き流しておきました。


荒さん in中国
 宮崎市の日中友好協会の会員として会費だけは「おせらしゅう」納めていますが、人民大会堂でのアジア・ヨーロッパ会議(ASEM)開催で超厳戒態勢の中、1019日から24日までの6日間、市の中国友好交流市民訪問団の一員として、葫芦島市・北京市などを訪れ庶民レベルで交流しました。
 四川大地震をはじめ、ギョウザ・大気汚染・チベットでの人権抑圧・オリンピックの厚化粧・富裕層とどん底の農工民・それに加えて食料品への農薬混入などなど、ここのところどちらかといえば複雑な材料ばかりですが、政治形態は異なっても悠久の歴史を誇る日中関係にあって、その一瞬でもお互いの心を開き交流できたことは幸いでした。
 北京オリンピック開催を機に華やかに発展する表面だけでなく、市井の人々の生活など格差のある裏の部分を垣間見たのも収穫でした。コースは福岡〜大連〜北京〜葫芦島の往復。
 葫芦島市主催の歓迎夕食会で、私は中国語で自己紹介のあと童謡「七つの子」(♪〜カラスの勝手でしょう〜♪)を歌いました。(???これもカタコトの中国語で???) 北京では「万里の長城」の急坂に人生の辛苦を実感し、私が希望したオプショナルでは念願かなってフルトンならぬフートン(胡同)を歩きました。7月に2度観た映画「胡同の理髪師」を思い浮かべながら…。

 自分で言うのも変ですが「好事魔多し」とか。68歳の今、あと何年、今生とのおつきあいができるかわかりませんが、人様とのささやかな交流を温めながらこの曲がりくねった道を、歩一歩、人生の荷車を引いていきます。



 荒さんこと荒川滋さんは、宮崎県のフルトン男声合唱団に所属する方で、男声合唱プロジェクトYARO会が主催した「多田武彦合唱講習会」に参加されて以来のお付き合いです。いまでは荒さんが東京へ出て来られたときなどに一献傾ける仲です。
 このエッセイというか見聞録には、荒さんの旺盛な好奇心と健康なからだに支えられて──まあ、病院とは縁が切れないこともあるでしょうが、そこは一病息災と割り切って、人生を楽しんでおられる姿が目に浮かぶようで元気付けられます。

 この見聞録は10月にフルトンメールに書かれたものですが、ご好意により転載させて頂きました。
                               加藤良一


【※参考】
 三股町(みまたちょう)は、宮崎県の中央部に位置する町で北諸県郡に属しています。「おせなみ」は自嘲気味の色合いを含んだ大人並み・一人前並み、「おせらしゅう」は大人並みみたいに・大人ぶって・一人前みたいにという宮崎方言だそうです。
『荒さんのぶらりある記』第一話は、「心のオアシスを求めて‥」(M-72)です。合わせてご覧下さい。




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万里の長城へ登る

荒 川 滋
  フルトン男声合唱団 ベース

       (2008116日)

E-72

『荒さんのぶらりある記 - その弐』