あの夏に歌った歌
新島としゆき


 加藤良一さんの専門は理科系であろうと思うのだが、彼は該博な知識と豊富な経験から知的好奇心を刺激する質の高いそして幅の広いジャンルのエッセ−を私達に提供してくれる。


 今回読んだ作品は「言悖而出者 亦悖而入」である。この難解な言葉の出典は四書の中の「大学」であるという。大変面白いのだがこの場での紹介は避ける。
 一般の読書人の何人が「大学」を読んでいるのだろうか、少なくとも私は読んだことがない。しかしこの言葉の中の「悖」という字が私の遠い記憶を呼び起こした。

「至誠に悖(もと)るなかりしか」 叔父が私に突きつけた書の一行目である。

 1960年6月、後に60年安保闘争と言われた闘争のデモ隊の中に私はいた。
 国会議事堂を取り囲むデモ隊の人数は30万を越え、シュプレヒコールとジグザグ行進を続けた。合間には「インターナショナル」や「民族独立行動隊」など多くの反戦歌、革命歌を歌った。


        インターナショナル

      起てうえたる者よ 今ぞ日は近し
      さめよ我がはらから 暁は来ぬ

      暴虐の鎖たつ日 旗は血に燃えて
      海をへだてつ我等 かいな結び行く
        いざ戦わんいざ ふるい起ていざ
        ああインターナショナル 我等がもの
        いざ戦わんいざ ふるい起ていざ
        ああインターナショナル 我等がもの



 この日の激しいデモ行進は夜になっても衰えず、雨の中警視庁機動隊との鬩ぎ合いが続いた。
 その中で女子学生が倒れたとの情報が流れた。
 東京大学法学部4年生であった樺美智子さんが亡くなったのだ。 

 学校にも行かず、危険なデモに参加している私に両親は心を痛めていた。東京下谷の親戚に寄宿していた私は叔父、叔母の監視と説得の対象になっていた。
 ある日叔父は自分で墨書した半紙を示した。
 

      一、
 至誠に悖るなかりしか
      一、 言行に恥ずるなかりしか
      一、 気力に欠くるなかりしか
      一、 努力に憾みなかりしか
      一、 不精に亘るなかりしか


 この五行の教訓の意味を説明し、叔父は私に言った。「親に心配をかけるな、自分の行動を静かに反省しなさい、そしてその上で自分の信ずる道を行くというのであればそうすればいい」
(この五行の教訓は今回調べたら、海軍兵学校の生徒が就寝前にとなえる「五省」と知った。軍人としてでなく人間としての生き方のチェックポイントを示したものと思う)

 樺さんが亡くなって数日後、私達は国鉄田町駅の貨物線の引込み線にデモ隊として座り込んでいた。そこへガリ版刷りの楽譜が回ってきた。ある大学の合唱団員であった女子学生二人が譜読みし歌唱指導をした。やがて皆で歌いだした。樺美智子さんの死を忘れずさらに団結して行こうという、作られたばかりの「忘れまい6・15(ろくいちご)」である。


          忘れまい6・15

     忘れまい6・15 若者の血の上に雨が降る
     一つの手はくだかれた 全ての手を結ぶため
     忘れまい ぬぐわれぬ血 われらすべての夜明けまで
     手に手を渡せ さらにさらに固く


 安保闘争の終焉とともに私は講義と化学実験の学園に戻った。
 今年2008年6月15日は、樺美智子さんが亡くなって48年、つまり49回忌になるのだ、と気がついた。
 「悖る」という言葉、私の68年間の人生の中で、出合ったのは今回が2度目である。

                             (2008年6月12日)






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