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 手打ちめん処 ひいらぎ屋

    〜 ひいらぎ屋 百年たって 蕎麦処 〜

加 藤 良 一    (2006年5月20日)




 山形県の内陸と日本海側とのあいだには、出羽三山と呼ばれる月山、羽黒山、湯殿山がそびえたっている。そこで、同じ山形県とはいえ、内陸と海側とでは言葉、風土 、文化どれをとってもすこしずつ異なっているようだ。このように分断されていた二つの文化圏をつなげたのが山形自動車道である。

山形自動車道を酒田方面に向って、山形中央 ICから20数kmほど走ったところに 西川IC がある。そこからつぎの月山ICへ行くあいだに、寒河江川を堰き止めて作った大きな月山湖がある。(写真右:上空のヘリコプターより撮影/2006年5月6日) ようやく月山のスキー場がオープンする毎年四、五月ごろになると、大量の雪解け水でいつも満たされている。そこから放流される水の量もふだんよりずっと多くなる。ダムから寒河江川を数Km下ると、西川町海味というひっそりした田舎町があり、そこで川は大きく蛇行している。ちょうどその辺りが、私の女房が生まれ育った土地である。ところで、海味という 地名をいきなり読めるだろうか。じつは「かいしゅう」と読む。あんな山の中で「」という字が出てくるのにはなにかいわれがありそうだが、由来については知らない。
 女房が子供のころの西川町には多くの鉱山があって、全国からたくさんの人びとが集まっていたという。実家はその中心地で「(ひいら ぎ)屋百貨店」という文字どおり何でも扱う店を代々商い、女房のおやじさんで三代目となっていた。小さな田舎町にしては、映画館があったり、山形交通の三山(さんざん)電車の海味駅があったりとちょっとした繁華な様相を呈していたという。
 この電車については、いかにも田舎らしい長閑(のどか)な話がある。私の女房は、山形市内の高等学校へ毎日始発電車で通っていた。あるとき、寝坊してしまったが、つぎの電車まではずっと待たねばならない。必死の思いで駅に向って走った。家からさほど遠いわけではないし、駅も電車も見えている。もうだめかと思った瞬間、無情にも電車は汽笛を鳴らして動きだしてしまった。
 思わず「待ってー!」と叫びながら手を振ってみたが、そんなことで待ってくれるはずもない。あきらめかけたそのとき、なんと二両連結の電車がバックし始めたのだ。電車の乗客、それも始発の乗客はほとんどが顔なじみばかり。誰が乗っていないかすぐわかる。いったん出発したものの、向こうから走ってくる女房──もっともそのときは花も恥らう女学生だったとは思うが、乗客みなが固唾を呑んで見守るなか、運転手が気を利かせたのである。そうして、戻ってくれた電車に女学生は息せき切って乗り込み、ようやくのことで遅刻せずにすんだのである。
 おそらくいま、同じことを運転手がやったら規則違反とかなんとかで処罰されるに決まっているが、じつにほのぼのした古き良き時代の話である。そんなローカル電車も、いまはもうバスにその座を奪われ、とっくに廃線となっている。 かろうじて線路があったところが寸断されながら道のような形で残っているにすぎない。

 そんな海味であったが、鉱山に関係していた家庭は、近隣の町や村とくらべるとけっこう教育熱心だった影響で文化的レベルはそれなりに高かったという。柊屋百貨店では学校の教科書や洋服 、さらにはガラスまでも扱っていた。ところが、時代とともに鉱山がつぎつぎ閉山され、客足もしだいに衰えたことで、昭和40年商売に見切りをつけ廃業した。その後、山形市内に引越している。跡地は親戚の人が引き継ぎ、いまでは建て替えられて、平成17年あらたに蕎麦屋となっている。店の名前は「ひいらぎ屋」である。開店して日が浅いこともあろうが、知名度はいまいち弱いかもしれない。

 以前、東京から山形までわざわざ蕎麦を食べに行くという人がいて驚いたことがあったが、「山形そば街道」といわれるほど、山形はいたるところに蕎麦屋があり、それぞれ趣向を凝らしている。

 ひいらぎ屋の若い店主三宅敏正さんは、まずは手打ちに徹している。手打ちは、機械を使わずすべて手作業で作るわけだが、とくに延ばしたり切ったりする工程を人手でやるのだから、けっこう体力勝負である。いまのところお昼時中心にやっている。また、元来は住宅として建てた家だったが、入口部分を多少改造して、もとの部屋をそのまま残すことで、かなりの客数を収容できるようになっている。
 店は、ちょっとわかりにくい場所にあるのが難点といえば難点だ。国道 112号を山形方向から来て、高速道路の西川IC入口のT字路の次の信号を左折したところである。西川ICの手前で左折してもよい。国道に看板が出ている。店に入ると客間が左右にわかれていて、左手が寒河江川や向かいの山が見えて見晴らしがいい。国道からわずかに入り込んでいるので車の騒音も届かず、せせらぎの音があたかも バロック音楽の通奏低音のように鳴っていて、蕎麦を待つあいだもゆったりくつろげる空間である。
 蕎麦好きの方へのお薦めは、やはりつなぎなしの十割蕎麦である。太めに切られた蕎麦は、しっかりした歯ごたえとともに、口いっぱいにひろがる蕎麦の淡い香りがなんともいえない。ちょうど、こごみ──地方によってはこごめとも呼ぶようだが、春の山菜の時期である。とれたての山菜の天ぷらと蕎麦はじつに相性がいいものだった。

ひいらぎ屋 百年たって 蕎麦処


 「ひいらぎ屋 百年たって 蕎麦処」とは、私の義弟が書いたものである。
 百貨店の創業から百年経って、今度は蕎麦屋として屋号がつながってゆく。じっくりと腰を据えて、心を込めた蕎麦打ちに徹することが肝要であろう。近くを通られたときは、ぜひ寄ってみるとよい。ほんものの蕎麦が楽しめること請け合いである。

 





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