E-59
J医大病院喫煙室の面々






新島としゆき



男声合唱団メンネルA.../鴻巣グリークラブ
 

  (2006年5月4日)




 十数年前の秋、血尿の続いていた私に膀胱上皮癌の診断名がついた。
 がんと分り落ち込んでいた私は、万一のことを思い身辺整理を始めた。書類やアルバムの整理をしている私に妻は「そんな事しないで!」と嫌がった。そして手術を受けるためにJ医大病院4階西病棟に入院した。
 その頃は1日30本のマイルドセブンを吸っていたから、入院後すぐに一階守衛室前にあった院内唯一の喫煙室に行った。そこは入院中のタバコ吸いグループの溜まり場と後で知ったが、既に5、6人の先客がいた。パジャマ姿で一服したら、その中の赤ら顔のひげ爺が私に向かって「オメエはなんだ」と聞いてきた。病名を云えとの意味かと気づき「膀胱がん」と応えた。
 「なんだ膀胱か、手術が終わったらすぐに退院だ」と私を馬鹿にするように云い「俺は肝がんだ」と胸を張った。
 雑談のあと喫煙室のメンバーを「こいつは胃がん、大したことはない」等と云い次々と「脳腫瘍」「糖尿病」「前立腺がん」と姓名ではなく病名で紹介した。
 どうやらその場所では世間的に重病と思われる患者の方がエライらしかった。私は喫煙室の隅で新米らしく、しおらしくタバコを吸うことにした。講談本で読んだような、昔の牢屋では軽犯罪犯より、人殺しなど重い犯罪者の方がエライ、貫禄があるという雰囲気に似ていると思った。喫煙室を仕切っているひげ爺は、さしずめ牢名主だ。

 その後もこの部屋にいるといろいろな人物に出会う事になった。
 酸素ボンベを転がしながらやってきて鼻から酸素を吸ったり、はずしてタバコを吹かしたりしている頭の禿げた小太りがいた。タバコの銘柄はピース。
 「失礼ですが何の病気ですか?」「肺がん」(私は絶句、間があって)「先生はタバコを辞めろとは云わないのですか」「吸っていいなどと云うわけがない、見つかったらどやされる」と平然としている。
 輸血用の血液の入った袋をぶら下げて喫煙室にくる豪傑もいた。そのどんぐり目の背高のっぽが来ると一瞬皆黙った。本人も黙って吸って黙って出て行った。
 見舞いに来た妻に院内の出来事を話すと、妻は腹を抱えて笑った。私も一緒になって笑ったら術後の傷がズキンと痛んだ。
 病室が同じのタバコ仲間は「ミネさん」と人に呼ばれている肝がんを患っているひとだった。誘い合ってタバコを吸いに行くうちに仲間の中で一番親しい間柄になった。年齢は40代後半かと思われる男前のミネさんは、飲食業の店のマスターらしかった。店では人気者のようで客らしい仲間が連れ立って見舞いに来ていた。趣味は狩猟で猟の話を聞かせてくれた。ある日曜日「秩父に猟に行ってくる、テッポウ打つのもこれが最後かもしれないな」と云った。

 満面笑みを浮かべた牢名主が喫煙室に入ってくるなり云った。
 「退院だ!退院だ!あさって退院だ、先生が家に帰っていいって云ったんだ」
 退院の意味は分らなかったがみんなで拍手した。
 「家に帰ったら上トロの寿司を食って、血の滴るようなステーキにかぶりつくんだ。いいだろう、うらやましいか、ざまあみろ!」そんな憎まれ口をみんな笑いながら聞いた。
 元気とは相対的なものらしい。ここで屈託のない重症患者に接しているうちに私なんかまだましな方で健康なんだ、と思うようになり気分も明るくなった。旬日して私も退院した。

 その後再発、入院、手術を5回くり返した。タバコ吸いは卒業したし、病院の喫煙室も無くなった。J医大病院には何度も行っているのに、あの時のメンバーには二度と会っていない。牢名主もミネさんもみんなどうしているのだろうか。病院の外来待合室でふとそう思う。 







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