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異常気象ヴィンテージワイン

加 藤 良一

2006年5月2日



 2005年は、イタリアワインの当たり年といわれている。この年の夏、ヨーロッパは熱波に見舞われたが、皮肉にも異常な天気が優れたワインを作り出したのである。2005年ものは、質と量とのバランスが取れた1997年に匹敵するほどのヴィンテージになると見られている。ちなみにヴィンテージとはブドウの作柄のことであり、ワインの良し悪しではない。ヴィンテージ自体はワインの格付けと直接結びつきはしないが、やはり良いブドウが実った年のワインの質は良いから、これはこれで大いに参考になるわけである。
 振り返ってみれば日本でも2005年の夏は酷く暑かった。しかし、それにもまして2004年のほうがさらに厳しかったと記憶している。2004年、日本では観測史上はじめて12月に入ってからも真夏日を記録したほどである。このような異常な気象に遭遇すると、環境汚染による「地球温暖化」が進んでいるのではないかと一抹の不安が募ってくる。筆者が子どものころは、東京でも冬になると毎年よく雪が降ったものだったが、いまではそんな景色もほとんど見られなくなってしまったのをみても、かなり環境が変わってきたことはまちがいない。
 もっとも、「地球温暖化」については対策が思うように進まず、科学なのか政治なのかよくわからない状況を呈している。詳細は別の機会に譲るが、
二酸化炭素によってなぜ気温が上がるのか、二酸化炭素が増加するとなぜ豪雨や干ばつが起こるのか、そしてなぜそれが砂漠化まで進行するのかについて専門家の間でも意見が分かれているという。いわく、二酸化炭素の上昇は平均気温の上昇の原因ではなくむしろ結果であり、平均気温の変化は太陽活動(黒点)の変化と最も関係が深く、平均気温が数度上昇しても海水は表面温度がわずかに上昇するだけで、逆に海水がより多く蒸発し北極や南極では雪が降り氷はむしろ増える、したがって、平均気温がかなり上昇しても海面はほとんど上昇しない、むしろ異常気象は減り、また農産物の収穫は増えるだろう、という観測もある。
 一般の人が、気分的心情的なことから「地球温暖化」防止を声高に叫ぶのは問題だと主張する人もいる。その人によれば、
二酸化炭素分子の変革振動や伸縮振動について知っているうえでの議論ならよいが、そうでない場合はただ混乱するだけだという。筆者もこのような議論には門外漢だから加わることはできないが、先進国のあいだで二酸化炭素の排出権を売り買いする姿は、どう考えてもおかしいという素朴な疑問だけは持っている。

 専門的なことはとりあえず置いておくとして、話を本題に戻そう。
 日本のように四季がはっきりしていると、季節ごとの天気の移り変わりに誰しも敏感だ。例年と様子がちょっとでもちがうとすぐに気になりだし、必要以上に「異常気象」ということを口にしたがるが、果たして本当の意味で「異常」なのだろうか。「異常」などという言葉を軽々しく口にしたくないとも思う。たしかに近年の温暖化傾向は著しく、どこかおかしくなっているのではないかという不安は尽きない。いずれにせよ現在の気象状況が異常で過去が──それもせいぜい数十年から百年ていどの情報しかないのに、それを正常だったなどといえるものだろうか。まして四季があることをもって「正常」というわけでもないのではないか。
 「異常気象」とは、気象庁によれば「一般には過去に経験した気候状態から大きく外れた気象を意味し、台風や低気圧に伴う大雨や強風などの数日程度の激しい現象から、干ばつや日照不足など数ヵ月程度の現象が含まれる。また、それぞれの地点で過去30年間に観測されなかったような値を観測した場合」となっている。ただし、限られたデータからの推定なので、どれだけの確率で発生したら「異常」とするかという定義づけはされていない。また、IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)では、「特定地域における気象現象の確率分布からみて稀な現象」「通常10%以下あるいは90%以上の現象をいう。極端な気象現象は、一定期間の気象現象発生数の平均で、その平均自体が極端なこと。」と定義している。
 定義はとりあえずとして「異常気象」に向けるわれわれの関心は、単にデータ上のことではなく、あくまで社会や人々の生活へ及ぼす影響にあるのは当然である。台風、ハリケーン、集中豪雨、豪雪、冷害、旱魃などによる被害をいかに減らすかである。30年に一度しか起きないから「異常気象」ではあるのだが、大きな被害が続けばつい「異常気象」と言いたくなってしまうのもやむをえないところである。
 見方を変えれば、たとえ「異常」の状況は同じでも、時代がちがい地域がちがえば、社会へ及ぼす影響はおのずと異なってくるはずである。現代と百年前とでは、社会のありかたも大きく変わっている。つまり、いくら「異常」であっても、誰も住んでいない砂漠に大規模な集中豪雨が降ったところで大きな問題にはならない。ところが、さほどの規模でなくとも、発生地域が急峻な山間部であったり、アスファルトで固められた都市部であったりすれば大きな災害となる。やはり「異常」の尺度は、人間が住む環境との関係を無視しては成り立たないだろう。現代の気象現象は、地球温暖化の問題も絡んで、かなり複雑な様相を呈している。こんなことから「30年に一度」という定義もそろそろ使えない状況になってきたのではないだろうか。

 冒頭で「観測史上はじめて」の真夏日と書いたが、観測ができるようになったのはごく最近のことである。したがって、温度計や湿度計などの計測器がなかった大むかしの気候など今となっては知るよしもなく、古文書に残された記述などから推測するしかないが、その古文書すら、せいぜい暑とか寒いとか書いているに過ぎないだろう。いまから大むかしの温度や湿度を知ることはできない。加えて「異常気象」は「30年に一度」とはいえ、あくまで気象観測が始まってからのことでしかない。それ以前のことは誰にもわからない。そうはいうものの「異常気象」が果たして環境汚染が深刻化してきた現代だけに起きる特別な問題なのかという疑問もある。そのむかし「異常気象」というものはなかったのだろうか。

 過去の気象を知る手がかりがないかというと、世の中には面白いところに目をつける人がいるもので、ワイン醸造に使うブドウの収穫時期がその年の気温と密接な関係にあることに着目して、600年もさかのぼって気温を推測する研究に成功したのである。
 その研究は、フランス国立科学研究センターなどの研究チームが行ったもので、2004年の英科学誌NATURE(ネイチャー)に “Grape ripening as a past climate indicator”(過去の気象の指標となるブドウの熟成)として報告された。フランス北東部ブルゴーニュ地方(論文は英語だからBurgundyバーガンディーと書かれている)では、1370年から教会などに収穫開始日の記録が残されている。とくにピノノワール種Pinot Noirの記録が連続して残されていたため、それを分析したものである。ピノノワール種といえば、ワイン好きなら誰しも垂涎の的である「ロマネコンティ」に使われるブドウである。ブドウが摘み取られる時期は、一般に平均気温が高ければ早く、低ければそれだけ遅くなる。したがって、いつ収穫したかで、その年の春から夏にかけての気温が推定できるという仕組みである。なかなか目の付け所がいい。1370年のフランスは、王位継承をめぐる百年戦争の真っ只中で、日本では金閣寺を建立した足利義満が三代将軍として栄華を誇っていた時代である。
 論文によれば、1960〜1989年の平均気温を基準にして各年代の気温を調べると、1380年代と1420年代は全体に暖かい期間で、その後1430年代後半から1450年代の終わりまでが涼しい期間だった。1520年代は暖かく、1630年〜1680年はとくに暑くなり20世紀後半と同程度まで上昇したが、1750年〜1970年代までは涼しくなっていた。全調査期間を通じて、フランスでもっとも高い気温を記録したのは2003年で、基準気温(1960〜1989年)と比較すると+5.86℃だった。意外にも2番目に高かったのは1523年の+4.10℃である。この結果からわかるように16〜17世紀も現代と同じように暑かったのである。

 気温とワインの関係で最近ちょっと気になる情報に出会った。地球温暖化の影響でワイン産地の世界地図が将来塗り替えられるかもしれないというのである。今後50年間で地球の気温が平均2度上昇すると、フランスのボルドーやイタリア・トスカーナ地方のキャンティなどにとって代わって、イギリス南部やドイツ北部がワインの有力産地になるらしい。実際にある品評会で、フランス・シャンパーニュ産のシャンパンをおさえてイギリスのスパークリングワインが金賞を獲るなどの“異変”が起きている。短期的にみれば熱波でワインの当たり年になったとしても、長期的には、ワインの最適地がドイツ北部やイギリス南部に“北上”する可能性があり、フランスやイタリアはのんびりしていられない。
 1950〜99年の50年間で平均気温が1.26℃上昇し、2000〜49年の50年間では2.04℃上昇し、フランス・ボルドー地方やシャンパーニュ地方、イタリア・トスカーナ地方のブドウは糖分含有量が高くなり、酸味が減ったりアルコール度数が増加するなど味に影響が出るとの別の観測もある。この傾向は日本でも散見され、国産ワインコンクールで欧州系品種赤の部門で、金賞をとった7銘柄中の6銘柄に長野県産のブドウが使われていた。標高の高い長野県がワイン王国山梨県を凌駕しはじめたのである。と、いうことは、地球の気候帯が全体に“北上”し、日本が亜熱帯的になってきたことを意味するのであろうか。

 こうなると、ワインのラベルと中身が一致しない状況が発生し、伝統があるからという理由でラベルを鵜呑みにできないことになるのだろうか。最後の頼りは自らの味覚と臭覚となるかもしれない。われわれの頭のなかのワイン地図も塗り替えないとだめになる日が近いと覚悟しよう。

 

 


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