E-57

 

クスリ リスク

 

歌居亭好楽寿
Utaitei Chorus

2006年4月4日

 




 
えー、まいどたくさんのお運びありがとうございます。きょうはちょいと怖〜いおはなしにおつきあいをお願い申し上げます。

 今日お運びのお客さまは健康そうですから、ほとんど縁がないと思いますが、まぁ 病院ってとこは、いつ行きましてもほんとによく混んでおります。誰も行きたくて行くわけじゃないんでしょうが、できれば行かずにすませたいものでございますね。三時間待ってたった三分間の診療、そのあとまたクスリで待たされる。


「きょうも朝早くから来たんだけど、ずいぶん待たされるねぇ」

「えぇ、ここはマチ医者でございます」

 まぁ、とにかく病院というところはたいへんなところでございます。からだが丈夫じゃないとおいそれと行けませんね。

 それに致しましてもお医者さんもなかなか楽じゃありません。お客さんの──いや患者さんの命を預かってるんですから、責任は重大です。失敗イコール死亡ってな場合もありますから、緊張の連続でしょう。目が回るほどの忙しさのなかで、みなさんよくやっていらっしゃる。お医者さんはたしかに高額所得者に名前が出てくることは多いようですが、それでほんとうに見合っているかどうか…ね? とくに小児科や産婦人科や外科は仕事がきつい割りに採算がとれませんようで、病院によっちゃぁ廃止するところもあるそうじゃないですか。そんなところの診療科は医学生に人気がなくなって、なり手が減って困ってる。

 ところで、日本人はまたずいぶんとクスリが好きな人種なようですね。お医者さんに行ってクスリを貰わずに手ぶらで帰るのは損だとでも思っているフシがあります。お医者さんのほうでも、そのへんは心得ていまして、当たり障りのないクスリをおみやげに持たせてやる。とにかくクスリさえ貰えば一安心。もっともこれも全部医療保険から出て行くんですがね。
 ところで、あのクスリ、中にはけっこう危ないはなしがありますよ。いや、危ないといいましても違法ドラッグなんかのことじゃありませんよ。なんの変哲もないクスリでも使い方や飲み方をひとつまちがえるってえと、それはたいへんなことになっちまいますな。もっともね、クスリというからには、なにがしかの効き目っていうか作用があるんでしょうから、やっぱり 「なんの変哲もない」 ってなことはないんでしょうけど…。
 常識から考えてみましても 「どうしてそうなるの?」 とか 「まさか!」 とか 「嘘でしょ!」 とかいいたくなるようなことがクスリの世界でもいろいろ見受けられるようです。噺家がネタにしたくなるような事故が絶えません。

 クスリをいつ飲んだらいいか、あれもなかなかむずかしいもんですね。お医者さんからもらったクスリの袋には、たいてい 「食前・食後・食間」 とか書いてあります。「食前」 ってえのは、食事をとる30分くらい前、「
食後」 はその反対に食事が終わってから30分くらいまで、「食間」 は食事と食事のあいだ、食後2時間くらいに飲むことなんですが、きょうのお客さんは頭がよさそうですから、そんなこと言われなくてもわかってらい、と仰るでしょう。ところがどっこい、落語のマクラに使えそうなのがこの 「食間」 ですね。「食間」 を 「食事の間」 ととんだ勘ちがいしてしまうと、ごはんを一口食べては錠剤を一粒ってなことになります。これじゃごはんが不味くってしかたがないでしょうね。
 それと意外とやりそうなのが、飲み忘れたクスリをあとで挽回しようってんでまとめて飲むことですな。クスリを分けて飲むのは、クスリの血中濃度をつねに一定に保つのが目的なんですから、まとめて飲んだって遅いし、そんなことしても百害あって一利もないんです。えっ、血中濃度ってなんだって。いやぁ、学があるもんでつい口をついて出てしまいますな。いいですか、口から飲んだクスリは、胃や腸で吸収されて血液の中に流れ込んでからだ中に届くんですが、その間に排泄されたり、分解されたりして効果がなくなってしまう。そこで血中濃度が下がる頃合いを見計らって、ソレッと次のクスリを飲む。クスリがからだの中でどのように吸収され排出されるか、そのあたりをよく塩梅しまして、クスリごとに胃で溶かすか腸で溶かすか、といろいろ工夫して作ってあるんです。それでクスリの剤形には、目的に応じてあんなにたくさんの種類があるんですね。粉末、顆粒、錠剤、カプセル、液剤、軟膏、スプレーとか、それなりの意味がありますから、飲みにくいからといって錠剤をすりつぶして飲んだり、カプセルの中身を出して飲むような勝手なことをすると効き目がなくなる可能性もあります。
 まあ、そんなわけですから、飲み忘れたクスリをあとから一気に取り戻そうってのは無理なんです。言っちゃなんですが、余ったやつをまとめて病院で下取りしてくれるとありがたいんですがね…。ハイ。

 ところで、はなしは変わりますが、昔から 「クスリくそうばい」 と申しまして、クスリは儲かるものの代表選手になっておりますが、あれはどうも江戸時代のおはなしのようでございます。あの頃は、野っ原に生えている草木を引っこ抜いてきてクスリにしていましたから、なにせ元手がいらない。それを病人に高く売りつけるんですから、文字通り<九層倍>に儲かった。
 ところが今はそうはいきません。そこら辺の草を抜いてきたってそりゃかまわないんですが、どうしてその草が病気に効くのか、怖い副作用はないのか、毒性はどうしたと全部科学的に証明しなければお上の許可がおりません。ですからたいへんな時間とお金がかかります。まぁ儲かるといってもせいぜい<三層倍>くらいなもんじゃないでしょうか。

 そういえば、これは薬局でヤクザ師、いやちがった薬剤師をやっているうちの女房から聞いたはなしなんですがね。調剤薬局に中年の女性が慌てて飛び込んで来たっていうんです。

「あのう、すみません…。うちのおばあちゃんが坐薬を飲んじゃったんですが大丈夫でしょうか?」

「ハァ?! 坐薬を…?」

「そうなんです。おばあちゃん、クスリ入れた?って聞いたら、もう飲んだよっていうんですもん、びっくりしちゃって」

「それでどうしました?」

「このクスリは口から飲むんじゃないのよ、お尻に入れるのっていったんですけどね、ちゃんと正座して飲んだんだけどね、ちょっと大きくて飲みにくかった、とかなんとかいっちゃってケロッとしてるんです」

「ありゃまぁ…!、そうですか、とくに具合が悪くないならもうすこし様子をみてもらえませんか?」

 しかし、あんなピストル玉みたいなやつをよくも飲み込んだものですね。もっともクスリが解熱剤ていどのものだったんで、とりあえずへんな症状は出なかったそうで、ようございました。世の中広いもんですな、ほんとに何が起きるか──いや何をしですかわかったもんじゃありません。あのおばあちゃんは、とりあえずプラスチックの包装から取り出して飲んでいたからまだしも運がよかったですね。あのプラスチックはPTP包装っていうんですがね、あれを包装したまんま飲み込んでいたら、そりゃあたいへんなことになっていましたよ。

PTP包装っちゅうのは、裏にアルミシートが貼られたプラスチックの薄いシートに錠剤やカプセルなどが1コづつ入れられている例のパックのことですが、子どものお菓子にも似たようなパッケージがよくあります。ですからあの包装から中味を取り出すぐらいのことは子どもでも知っているのに、まさかと思われるかもしれませんが、あのPTPシートごと飲んで喉につかえさせる人がいるってゆうから驚くじゃありませんか。あの尖った角があるプラスチックのシートを飲み込んだらどうなると思います? たいていは食道あたりにギギギと引っかかるらしいですが、なかには胃や腸まで行ってそこに居座っちまうこともあるんです。うまくいけば内視鏡で見ながら取り出すこともできますが、最悪の場合は、お腹を切って取り出すといいますから怖いです。

PTPシートをまちがって飲むのはやはりご老人に多いようで、ほとんど無意識のうちにやってしまうらしいですな。ですから患者さんご自身がシートを飲み込んだことに気づいていないケースも多いようです。こうなるってえと、いくら異常を訴えられても原因を突き止めるのがやっかいになるんですね。PTPシートはふつうはX線じゃ写りにくいんで、発見しにくいといいます。

 PTPシートごと飲み込んでしまったのに、それに気づかないおじいさんがお医者さんに何度か掛かったんですが、いくら検査してもおかしいところは見つからない、それでも患者さんはしつこく異常をお医者さんに訴える。

「先生、どうもあいかわらずお腹が痛いんですが…、良いクスリはありませんかね?」

「思い当たるふしは別段ないんでしょう? 検査の結果からみてもとくにおかしいところはありませんしね。気にしすぎじゃありませんか?」

「でも、いまでもまだ痛いんです」

「そうですか、おかしいですね。じゃぁ、もうすこし様子をみてみましょうか」

「いや、そんなのん気なこといわないで、なんとか治してくださいよ」

「困りましたね。そんなこといったって、何もおかしいところはないんですから…」

「おかしいとこがないっていいますけど、先生、痛いんだからおかしいじゃありませんか?」

 こんな押し問答をくり返しているうちに、しまいにゃ 「あなたの病気は神経症です」 ととんだ濡れ衣を着せられてしまいました。
 患者さん、カンカンに怒って帰ろうとしましたが、イテテテッ、急に便意を催してまいりました。お腹を押さえてあわててトイレへ駆け込みますってえと、なんとPTPシートが肛門から排泄されてきたじゃありませんか。
 
 それを聞いたお医者さん

 「そりゃー、ウンがよかった



 


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