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加 藤 良 一   200597




 いまやインターネットに代表される情報通信技術(IT)の発展には、目を見張るものがある。身の回りを見ても、パソコンや携帯電話を持たない人を探すほうが難しいくらいである。IT技術の便利さは使ってみないことにはわからないだろうが、情報収集に関しては計り知れないほどの力を発揮する。生活や仕事の上でも何かと便利なものである。しかし、いっぽうでIT技術にはマイナス面があることもたしかである。ネット上でのトラブルや携帯電話が絡んだ犯罪などが多発している。この問題は、原子力がつねに平和利用されるとは限らないのと根が同じである。

情報リテラシーが経済格差を生む
 1999年、米国商務省は、「デジタル・ディバイド digital divide という造語を発表した。デジタル・ディバイドとは、とくにインターネットなどのIT技術の恩恵を受けられる人とそうでない人の間に生じる「経済格差」のことを意味している。なぜ米国商務省が取り上げるほどデジタル・ディバイドが問題なのかといえば、それが、個人間や集団間の格差を広げることになり、ひいては国際間の格差へとつながってゆくからである。
 IT技術の利用に困難を抱える人を「情報弱者 information shortfall と呼び、つぎにあげるような人たちがいる。

1〕インフラとしての情報通信環境が整っていない地域に住んでいてパソコンやインターネットなどを利用できない人
2〕パソコンなどを購入できない低所得者
3〕パソコンなどの操作が困難な高齢者や障害者

 また、これらの要因のほかにも、情報解析能力などのいわば情報リテラシーがあるかどうか、さらにはIT技術に取り組む動機も大きな要因とされている。

冒頭に「周囲を見回してみても、パソコンや携帯電話を持たない人を探すほうが難しいくらいである」と書いたが、私の周りにデジタル・ディバイド対象者がいないわけではない。たまたま〔1〕や〔2〕のカテゴリーに属する人はいないが、〔3〕のカテゴリーに入る人たちがいる。中でも高齢者については、これまでIT技術に接する機会が少なかったはずで、それがゆえにやむを得ず阻害される状況に陥ったと思われるケースがほとんどだ。そのいっぽうで、かなりの高齢にも係わらずIT技術に通じ、そのメリットを享受している人も少なからずいる。
 知らぬが仏、という格言があたるかどうかわからないけれど、この拙文を読めない方、つまりこのホームページにアクセスできない方、あるいはIT技術に興味を示さない方──すなわち情報弱者は、現代という時代がこのような状況にあることすら気がつかないのである。
 デジタル・ディバイドの問題はたんに個人の問題にとどまらず、いずれは国際間の格差となって表面化するとの見方がある。すなわち先進国がIT技術を駆使してますます発展を遂げるいっぽうで、発展途上国は資金難や人材不足、インフラの未整備などでIT技術を活用できずに経済格差が一層拡大することが懸念されている。
 デジタル・ディバイドを解消することは、とりもなおさずIT技術を広く普及させることである。IT技術の普及によって、民主化が推進され、労働生産性が向上し、国際相互理解が推進されることが期待されている。

「紙」は文化のバロメーター
 別の角度からIT技術を考えてみよう。伝統的な情報の媒体は「」である。IT技術が進んだ現代でも「紙」を無視することは当然のことながらできない。「紙」の消費量は文化のバロメーターともいわれるほど、その国の文化・経済レベルを示す重要な指標になっている。
 ユネスコの統計によると、現在日本における一人当りの年間「紙」使用量は100sを超えているという。この数字は「情報媒体」以外の包装紙やトイレットペーパーなどを除外した印刷・筆記用の「紙」の使用量である。100sは、A4用紙換算で2万枚以上になる。これに対して、カンボジアでは新聞とその他合わせても年間たったの70g、A4換算で15枚にしかならない。ラオス、北朝鮮もほぼ同様とのことだが、日本とこれらの国とでは、「紙」の消費量が千倍以上も差があるというのは実にショッキングなことである。

パソコン操作は周囲に気楽に聞ける人がいるかどうかで決まる
 前述の〔3〕のカテゴリーに入る高齢者でも、パソコンは駄目だが本などの印刷物はたくさん読むという人はもちろんいる。これらの人が「紙」の消費量アップに貢献しているのはまちがいない。しかし、自ら書店や図書館に足を運ばねばならないうえに、そこで得られる情報量はインターネットには比べようもないほど限られていることもまたいっぽうで確かである。
 携帯電話を使いたくてもためらっている年寄りに、「なんだ、簡単じゃないか!」と言わせるコマーシャルがあるが、あれこそ情報弱者に向けた製品である。まだ使える機能は限定されているのだろうが、いずれメールのやりとりやインターネットへの接続も簡単にできるようになるにちがいない。メールのやりとりをするには、まずキー入力をしなければならず、それはパソコンの操作をすることと基本的に同じであるから、そう一朝一夕にとはいかないだろうが、そんなことは入力方法の改良で何とでもなるはずである。

 日本アイ・ビー・エムでは、2001年に“高齢者向け”パソコンを発売した。高齢者や障害者向けに、画面の文字を拡大したり、マウス操作を簡単にすることで、パソコンやインターネットに馴染みやすいように工夫されている。このような取り組みは海外では盛んのようだが、日本ではまだこれからである。高齢化社会への移行を前に50歳以上のユーザー層を本格的に掘り起こす狙いもあるようだ。
 情報弱者の中には、IT技術のメリットを知らずに、ただ頑なにIT技術を拒否する人がいるようだが、やはりどのようなメリットがどの程度の費用や労力で享受できるかを教えてあげる必要もあるだろう。メリットを知った上で拒否するのであれば、それ以上他人がとやかく言うことはない。
 私の年代になると、高齢者とお付合いする機会が次第に増えてきたが、インターネットやメールを利用できない人とのあいだには、情報の共有化ができずにギャップが発生することがしばしばある。
 たとえば、ある知人が病気になったとき、メールが通じる主だった数人で相談してお見舞いに行ったことがあったが、後日そのことを知ったメールができない人から、自分も行きたかったのにと言われたことがあった。それに対しては、とりあえず急ぎだったのでメールが通じる人だけに連絡したのだと詫びたが、電話というものは夜中にかけるのは憚られるし、いちいち個別に連絡するのも気が重いものだ。そうなるとついメールを多用してしまい、メールができない人とはさらに情報を共有できなくなるという、まさに悪循環に陥り、情報弱者は次第に孤立してしまう。

 たとえば卑近な例をあげれば、合唱コンクールの結果はどうだったのだろうかとか、何々の合唱団のコンサートが気づかないうちに終わってしまっただとか、あるいは図書館へ行ったが目当ての資料がなかっただとか、インターネット利用者ならたやすく知りうることでも、情報弱者にとっては簡単にキャッチできないのである。これらの例は、たしかに些細なことかも知れない。しかし、デジタル・ディバイドとは、このような些細なことが積み上げられて次第に大きなものとなってゆくのではないだろうか。

 

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