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(かわや)


 



加 藤 良 一

2005年5月20日






 日本を離れて海外へ行くとき、真っ先におぼえなければならないのは、まずは言葉の問題だろう。買い物や食事をする場合でも習慣はちがっても言葉がわかれば、たいていのことは切り抜けられる。しかし、もっと切実で身近でやっかいな問題があることを忘れてはいけない。それは、トイレにまつわることである。とにかく生理現象だけは、本人の意思にかかわらず朝昼晩待ったなしにやってくる。あれだけは、買い物のようにあとまわしにすることも、ほかの人にたのむこともできない。
 ところが、世界にはこの悩ましい問題から開放されている人びとが
24億人もいるという。それは要するにトイレなどという面倒なものがない生活ということなのだが、我われのような一応文化的な生活を営む身にすれば、そこまで後戻りして悩みから開放されるわけにもいかない。


 何年か前、イタリアでのこと、フィレンツェだったと思うが──記憶はいまいち定かではないが、あまり観光客の行かない教会に行ったときのこと。まちがって女性用トイレに入ってしまった。用をすませて出てきたところ、さっきまでは誰もいなかった入口におばさんが怖い顔をして何か言っている。もちろんイタリア語はさっぱりわからない。しかし、瞬時にまちがいに気づいて平身低頭、足早にその場を立ち去りました。このジャポネはルールを知らない怪しい奴だと思われたにちがいない。どうしてまちがったか自分でもよくわからなかった。たぶんイタリア語を読みちがえたにちがいないが、周りには誰もいなかったし、すぐに用がすむからどっちでもかまわないだろうとタカをくくって入ったのがいけなかった。英語が書いてあればまさかまちがえることもなかったのだが、困った日本人である。
 さらに日本では水とトイレはタダに決まっているのに、海外では水は言うにおよばず、トイレが有料のことも多い。有料にもいろいろあって、料金徴収係の見張りおばさんがいる方式や、無人でコイン式のトイレなどがある。コイン式は、夜中でも利用できるから便利なのだが、小銭がないと利用できないという難点がある。まあ、夜中ならトイレじゃなくてもなんとかなるかとは思うが…。


 ところで、男子用の小便器がどういうわけかずいぶん高い位置に取り付けてあるのに出くわした経験のある方はいないだろうか。外国の子どもがいくら足が長いといったって、あれじゃ届くはずがないというほど高いのがある。きっと大人専用にちがいないが、そんなことがあるだろうか。
 これはあくまで知人に聞いた話であることをお断りしておくが、外国のとある空港で、どうみても高すぎる男子用小便器にぶつかったそうだ。周囲を見てもほかに低い便器は見当らないし、我慢もできないので、しかたなく爪先立ちで背伸びして用を足しはじめた。ホッとしたのもつかの間、肩の力は抜けても爪先立ちしていたものだから、なにやらふくらはぎあたりがピクピクと痙攣してきた。このままでは足がつってしまう。やばい、もういいかげんにやめよう。でも、ずっと我慢してきた用足しはそうすぐには終りそうもない。参った…。足はピクピクつる寸前、引くに引けない、ホッするどころではなくなってしまった。
 人ごとながら笑えない笑い話である。そのあとどうなったかといえば、必死の形相ながらとりあえず足はつらずにすんだそうだ。これはあくまで人から聞いたはなしであることをあらためて強調しておきたい。みなさん便器の高さにはご注意を。


 さて、近ごろのトイレはずいぶん改良されてきたものである。洋式トイレが普及して久しいし、昔懐かしいボットン便所など探すほうがたいへんなくらいである。そういえば、昔の列車のトイレは垂れ流しで、便器の下には線路が見えたりしたものだ。鉄橋を渡る時など爽快な気分になったものである。へたに列車に近づけば、轢かれるだけではなく、文字どおり身に降りかかる危険があった。この種の素通し型列車は、地方へ行くといまでもまだ残っているとの情報もある。
 いっぽう、和式トイレもまだまだ健在だが、こちらはいっこうに改良される気配がない。シンプルすぎて手のつけようがないのか、あるいは絶滅の運命にあるから改良するだけ無駄とでもいうのか。足がしびれないようにさえできれば、まだまだ生き残れるものだと思う。誰が座ったかわからないような腰掛式の洋式便座など気持ち悪くてダメだという清潔好きな日本人には、やはり和式が欠かせないらしい。でも、清潔好きな割には、銭湯や温泉のように誰が入ったかわかりゃしない風呂へ平気でつかって喜んでいる人種でもあるから、世の中不思議なものである。


 ワイフから聞いた昔話、ようやく洋式トイレが出はじめた30年以上前のこと、トイレから出てきたおばあさんが「あのトイレはおっかない!」と青い顔をしていたという。よくよく聞いてみると、おかしな形の便器でどうやったらいいものかわからず、悩んだあげくに、便座の上に登って和式の要領でまたがって用を足したらしい。落っこちそうで怖かったというオチであった。そりゃ、あんなとこに登ったんじゃあフラフラするに決まっている。かわいそうに出るものも出なかったことだろう。

 日本人はなんでも徹底的に追求しないとすまない人種である。だから、トイレといえども飽くなき改良を進めていて、止まるところを知らない。便座の暖房やシャワーはすでに当り前だし、温風でお尻を乾燥したり、脱臭機がついていたり、しまいには排泄物の分析で健康管理までしてくれる便器もある。ここまでくると、どうみてもやりすぎである。だから、海外から取材に来た報道陣が仰天してカメラに収めて行くこともあるくらいだ。
 やりすぎの極めつけは、女性専用の「流水音」の出現ではなかろうか。商品名として「音姫」とかいうものもある。「音を秘め」ると引っかけているのだろう。日本には恥の文化というものがあって、たとえ女性どうしであっても、他人に自分の排泄作業は知られたくない、ましてや異性に対しては、という感覚が根強く残っている。だからといって、排泄音をかき消すために水をジャージャー流したのでは、いくらなんでも水がもったいない。そこで、ここはひとつ水を流す代わりにそっくりの音を出してやろうという発想だが、よくよく考えるとため息が出るほど無駄なことである。
 しかし、「流水音」のルーツは、意外なことに江戸時代あたりに遡るとの話もある。
 上流階級の奥方様が外出した先で厠を拝借するとき、欠かせない道具が土瓶と土で作ったこぶし大の団子だったそうな。土瓶は中に水を入れて「小」とともにこぼし、土団子は「大」のときに続けて落っことしたという。そんなに音が似ているものなのか。厠に入ったんだから用を足すに決まっているのに、それでも音だけはなんとしても聞かれたくない。用足しの済んだ奥方様はきっと、わたくしはけして何もしておりませぬ、という涼しい顔をして厠から出てきたにちがいない。そのうち土団子に代わる「落下音」を考えだす業者が現れるにちがいない。とにかく日本人は熱心だから…。
 外国の公衆トイレだったら、誰でもまったく恥じらうことなく用を足すようだし、「音姫」なる装置が存在すること自体、彼らの目にはきっとアンビリバボーに写るだろう。生理現象が恥ずかしいという感覚など持つほうがおかしい、お前は人間じゃないのかといわれそうである。


 洋式トイレによじ登ったおばあさんとは逆に、西洋人が和式トイレにペッタリと座り込んでしまうことがあるのかな、などといらぬ心配をしたりするが、構造的にみてそれはやりにくいだろう。ところが、世界は広いもので、日本人の常識だけでは理解できないことがほんとうに起きてしまうのが、これまたトイレの現実でもある。
 あるとき、あるところで、ガイジンさんが入ったあとのトイレへ入った人が、へんなところに排泄物が落ちているのを見つけた。なんと和式トイレの前方、つまり金隠しの前にそれは落ちていた。どんな状況でそうなるのか。 しゃがまずに腰掛けることしか知らないガイジンさんだとしたら、ひょっとして後ろ向きに座ったのか。なんとなく想像はつくものの、そのガイジンさんも例のトイレよじ登りおばあさんに匹敵するほどたいへんな思いをしたものである。

 外国の方は、ぜひ和式トイレの使い方を勉強してから来日することをお勧めする。もちろん海外へ行く日本人だっておなじことだ。






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