E-49




音楽と本さえあれば


加 藤 良 一
 

 2005年5月11日


 

4月17日(日)
 一週間ほどつづいていた風邪症状と胸痛が悪化し咳が止まらなくなったため、緊急外来で近くのSK病院(314床)にて受診。「風邪」の診断。抗生剤、解熱剤などの処方を受ける。体温38.4℃、咳き込むと右胸部に激痛あり。夜半37.8℃まで下がるがその他の症状改善せず。


4月18日(月)
 あらためて掛かりつけの新井医院で受診。新井先生は以前男声合唱団コール・グランツ会長を務めていた合唱仲間、現在もいろいろお付合いしており、ホームドクターとして持病の面倒も診てもらっている。胸部X線所見にて右肺に陰影を認め肺炎の可能性強く、その他の疾患も心配のためCTスキャンによる精査を勧められSK病院を紹介される。 なんのことはない回り道をしただけ。SK病院内科のK医師は新井先生の知り合い、電話で症状を伝えてくれる。夜半、体温徐々に37℃前後まで低下、咳及び胸痛は改善せず。


4月19日(火) 入院
 SK病院にて、胸部X線及びCT撮影、血液検査の結果肺化膿症(注1)との診断。白血球増多、炎症の程度を示すCRP(注2)異常値。即時入院、カーテンで仕切られた6人部屋。CD、MD、楽譜、買い貯めてあった本など多数持参。夕方より抗生剤の点滴開始レボフロキサシン(キノロン系抗生物質)+クリンダマイシン(リンコマイシン系抗生物質)、いずれも広い範囲の細菌に効果があるが、肺化膿症に関係するとおぼしき細菌としては、ブドウ球菌属、肺炎球菌、化膿レンサ球菌、クレブシェラ属、緑膿菌などが挙げられる。解熱剤服用するも38℃から下がらず氷枕を使う。脇の下に氷を挟んで冷やすと気持ちがよいことを知る。咳と胸痛は改善せず。

 夜9時消灯。いよいよ本格的に病人気分。左隣りの患者、夜中の12時すぎまで照明をつけガタゴト、右隣りはいつまでもテレビをつけ、音こそ聞こえないが光がカーテン越しに天井にチラチラして寝られず。ようやく静かになったかと思えばつぎは左の患者が巨大なイビキ。堪りかね夜中の2時ごろナースセンター前の面会所へ避難しベンチで横になるが寝られるわけなし。しばらくうとうとしたがあきらめ病室に戻る。朝まで、咳、胸痛、発熱、睡眠不足でまんじりともできず最悪の心境。入院したにもかかわらず別の病気に罹りそう。


4月20日(水) 入院2日目
 朝一番、売店に駆けつけ不本意ながらアイマスクと耳栓を購入。何しに病院へ来たのか。主治医回診時、周囲のルール違反による不眠を訴えたところ、午後、二人しか入っていない別の4人部屋への引越しが実現。そちらは校長をリタイアした老人など寝てばかりいる静かで公共心のある患者。ひと安心。アイマスクと耳栓不要となる。

 薬剤師が服薬指導に来る。ベッド上のテーブルに開いていたモーツアルト『レクイエム』の楽譜に目を留め、自身も浦和第一女子高校時代に合唱をやっていたと話し込む。元埼玉県合唱連盟理事長 ・田尻明規先生が指導されていた時代とのこと。

 1週間前の4月14日(木)受診していた定期健診の結果が届く。要再検査、4月28日に再度受診されたし。内容を問い質すと、胸部CTスキャンの結果「右肺中葉に不均等濃度陰影あり」。既に1週間前から肺に浸潤影があったことが判明。まさにその件で現在入院中の旨伝え了解を得る。もうすこし早く連絡があれば入院することもなかったろうに、やむを得ない。


4月21日(木) 入院3日目
 朝夕の抗生剤点滴は継続。体温39〜37℃をいったりきたり。食欲回復。辻邦生の短編集『睡蓮の午後』を読む。この本は1984年から1990年の短編を集めたもの、全編句読点なしの変わった文体にもかかわらずまったく読みにくさを感じさせない。50枚ほど持参したCDを端からじっくり聴く。これで病気さえなければ天国。


4月22日(金) 入院4日目
 抗生剤変更、レボフロキサシン→メロペネム(カルバペネム系抗生物質)、クリンダマイシンはそのまま。体温37℃前後、かなり楽。音楽評論家吉田秀和のエッセイ集『もう一つの時間』を読んでいるところへK医師が来て音楽談義。K医師は学生時代チェロを弾いていたが米国留学以降やめてしまった由。父上が吉田秀和の全集を持っているのでよく読むとのこと。新井先生には電話で病状や治療方針など説明してあるとの話。



4月
23日(土) 入院5日目
 
抗生剤点滴継続。体温36℃台に落ち着く。辻邦生の過去の作品の断章(さわり)からなるアンソロジー(抜粋集)『愛、生きる喜び』を読む。売店で新潮ムック、養老孟司の『養老先生と遊ぶ』を見つけ購入。養老孟司のいろいろな側面を知る。1日8時間はCDを聴く。


4月24日(日) 入院6日目
 抗生剤点滴継続。体温平熱、睡眠食欲充分。夜9時に寝て朝4時ごろ起床、病院内散歩。ワイフが買ってくれたグレン・グールドのバッハ『ゴルドベルク変奏曲』をウォークマンで聴きながら、まだ明けやらぬ広い院内を歩き回る。このゴルドベルクは1981年の録音で、前から持っている1955年録音と較べるとテンポがかなり遅い。スローテンポの病院生活、冒頭のアリアが病身にしみる。

 午後、Nさん、新井先生、男声合唱プロジェクトYARO会の関根さんの見舞いを受ける。新井先生には病状と治療内容を報告、メロペネムが効いたのではないかとの診立て。Nさんより本2冊、関根さんより男声合唱曲のCD、MDなど7枚を借りる。


4月25日(月) 入院7日目
 朝の散歩、グールドのゴルドベルク。病窓から見える明け方のほの暗い景色、遠くを走る国道四号線に点々と灯る街路灯、その下を行き交う車のライトの流れ、いつか見たパリ郊外の風景に酷似。コンクリート、鉄、アスファルトで作ればどこも似たようなものになるのは道理か。玉村豊男『文明人の生活作法』斜め 読み。昨日関根さんより借りたCDとMD7枚すべて聴き終わる。



4月26日(火) 入院8日目
 胸部X線撮影、血液検査。肺の陰影はかなり消失したが完全ではない。CRP4.8mg/dlまで低下。正常域に入るまで抗生剤点滴継続の方針。平熱、血圧平常、咳は完全に止まる。Nさんから借りたロバート・L・パーク『わたしたちはなぜ科学にだまされるのか』を読む。この本はインチキ科学、ブードゥー・サイエンスが疫病のごとく蔓延することに警鐘を鳴らしている。


4月27日(水) 入院9日目
 朝の散歩時、ふくらはぎが硬くなっているのに気づきテニスでやるストレッチメニューでほぐす。規則正しいアルコール抜きの食事、読書と音楽三昧。この生活を維持できれば病気には罹らないと確信。早ければ5月2日に退院のめど立つ。


4月28日(木) 入院10日目
 薬剤師より、肺化膿症とは関係なく以前から使っている喘息の吸入薬の吸い方の指導を受ける。とくに問題ないはずと思っていたがすこしやり方が違っており参考になった。Nさんから借りたR・P・ファインマン『困ります、ファインマンさん』を拾い読みする。ファインマンは「世界最高の頭脳」の一人として知られる物理学者、教科書『ファインマン物理学』は世界中で高い評価を受けている。


4月29日(金) 入院11日目(みどりの日)
 東京から来た姉と妹の見舞いを受けているところへ、テニス帰りの連中4人がラケットを背負って押しかけて来る。姉と妹を紹介。いやぁいい天気だからテニスは最高だねと病人をうらやましがらせる。病院には不似合いな賑やかな見舞い。


4月30日(土) 入院12日目 退院
 午前中採血、CRP0.8mg/dlと許容範囲。主治医は不在だが退院許可となった。昼ごろ迎えに来たワイフとタクシーで帰宅。図書館から借りていた本に他の利用者から予約が入ったので早く返せとの催促あり、午後3時ごろ図書館へ行く。そこへ自宅からメールが入り、コール・グランツの石黒、田村、田淵のご三方が見舞いに来たとの知らせ。病院へ見舞いに行くももぬけの空、自宅へ行っても病人がいない、どうなっているんだとのこと。ワイフ慌てる。石黒さんには昨日メールで退院する可能性が大きい旨伝えてあったのだが。恐縮。

 



(注1)
 肺化膿症とは、いわゆる肺炎がすこし進んでしまったものを指す。病原菌による肺組織の化膿性疾患の総称で、発症原因はいろいろあるが、飲み込んだ物が誤って気管に入り込む誤嚥性のものや、上気道や腹部手術の後の感染などがある。一般的な症状は、高熱、咳、痰、胸痛で、痰は悪臭を伴うことがあり、気管支の破壊変形が進むと空洞が生じるという。診断には、胸部X腺検査、血液検査、喀痰細菌検査などが用いられ、治療はおもに抗生剤の化学療法によるが、進んでしまった場合は肺を切除することもあるけっこう怖い病気。私の場合、高熱、咳、胸痛はあったが痰はあまり出ず、原因も心当たりなし。
 肺炎で治まるか肺化膿症となるかは起炎菌の種類によって変わる。肺化膿症を起こしやすい菌は各種嫌菌性菌、黄色ブドウ球菌、肺炎桿菌、大腸菌、緑膿菌など。嫌気性菌によるものは誤嚥で口腔内の常在菌を吸引して発症する例が多い。しかし一般に起炎菌の同定(菌種を確定すること)は困難な場合が多く、治療にあたってはまず広い範囲の菌に効く抗生剤を投与し、ついで様子をみながら抗生剤を変更するなどの処置がとられる。
 私の場合はとくに起炎菌の検査は行われず、レボフロキサシンとクリンダマイシンの2剤の点滴で治療が開始された。このように推定で投与する当面の薬剤選択をファーストチョイスという。この2剤でそれなりに改善がみられたが、4日目にさらにレボフロキサシンをメロペネムに変えて点滴を続け、8日目のX線所見で明らかに右肺の陰影減少が認められた。



(注2)
 C反応性タンパク(CRP:C-reactive protein)は、正常な人にはほとんど見られない物質である。各種の細菌感染症、膠原病、心筋梗塞などの炎症性疾患や組織崩壊性疾患の急性期に肝臓で作られ、血中に速やかに流出してくる。このようにさまざまな疾患で生じる物質だから、疾患特異性は低く、これだけですぐに診断できるというものではない。しかし、検査の簡便さや感度の良さなどから見て臨床的な有用性はきわめて高く、疾患の有無、重傷度、治療効果の判定のバロメーターとして広く用いられている。
 じつは私が以前関係していた仕事のなかに、このCRP測定用試薬があった。それは、免疫比濁法(抗原抗体反応で生じた凝集物を光学的に検出する方法)と呼ばれるもので、自動測定機器で検査する。マウスモノクローナル抗体を用いて、低濃度から高濃度まで広範囲にわたって正確に測定でき、低濃度域の再現性が良好というのが謳い文句である。さきほどCRPは正常な人には見られないと言ったが、完全に0ということではなく、いわゆる正常値は0.3mg/dl以下とされている。私の退院時の値は0.8mg/dlであった。

 余談だが、最近CRPと脳卒中との関連が話題となっている。脳卒中の多くは動脈硬化と関係が深く、その動脈硬化の発生・進行と炎症マーカーとしてのCRPに相関がみられるというレヴュー「炎症、とくに高感度CRPと脳卒中」が2月の『医学のあゆみ』に載っていた。「高感度」というように通常の感度よりもう一桁高い測定値でないとこの場合役に立たない。脳卒中の予知因子としての位置づけだけでなく、CRP自体の動脈硬化促進作用の可能性が示唆されるなど、新たな役割が出てきたようだ。これまでCRPなど大したマーカーではないと高をくくっていたが、高感度にすることであらたな用途が生まれてきた。

 とにかく、今回の肺化膿症では、退院できるかどうかの鍵をCRPに握られてしまうなど無視できない存在であることを痛感した。



 


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