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栗橋の住人MM
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(2004年10月21日) |
ある集まりが東京の秋田料理屋で開かれ、美味しい郷土料理と、熱燗(※)の地酒を堪能して、宴もたけなわとなった時、話題が 「夫婦とは」、「家族とは」 にフォーカスが当たりました。しばし、出席者の体験談等で議論が盛り上がるなか、ある人が、エッセイをふたつ紹介してくれました。(※編者註:これは今年の春に書かれたものです)
歳のせいか、胸に迫るものを感じましたので、皆様にもご紹介したいと思います。毎週、楽しくテニスを続けられるのも、家族の協力があっての賜物ですから。
【 1 】
人生の道連れ
大原健士郎 (浜松医科大学名誉教授)
妻が亡くなってから 「人生は旅」 だと強く考えるようになった。妻は健康な生活を続けていたし、私は不摂生の限りを尽くしていたので当然、私が先に死ぬと思っていた。妻もそう思っていたらしく 「男やもめは、むさくるしいから最後まで面倒をみてあげるわ」 と言っていた。ところが五十歳になるかならないかの若さで先に逝ってしまったのである。
悲嘆もさることながら、私は生活のことが何もできずに四苦八苦した。貯金がどうなっているのか、茶器をどこにしまっているのかさえ分からない。しばらくは洋服ダンスや食器棚を開けても妻のにおいが残っていた。香りはするのに一体、どこに行ってしまったのかと明けても暮れても泣いていた。人前で涙は見せられないので我慢していたが、一人になると疲れがどっと出た。
人生は不思議なものである。昨日まで赤の他人だったものが、ふとしたことから知り合い、結婚して子どもができる。夫婦はいつの間にか親兄弟よりも強く結ばれてくる。しかしいずれはどちらかが先に死に、片方が残される。考えてみれば人生はむなしい。
よく言われることだが、私は「人生は旅」だと考えてみた。人間は皆、旅人である。行き交う人も皆、旅人である。目的地が同じで気が合う人と一緒に旅をする。気に入った場所であれば長逗留(ながとうりゅう)することもあるし、気に入らない場所ならちょっと腰掛けてお茶を飲み、そそくさと立ち去ってしまう。いくら仲の良い旅人同士であっても、いずれは別れるときが来る。悲しいが仕方がない。しかしまた新しい出会いも期待できる。
子どもや孫よりも先に自分が死ぬとは限らない。ある読者から手紙をもらったことがある。夫をがんで亡くし、悲嘆に暮れていたが、一年たってようやく立ち直った。一人息子がいた。息子と二人で助け合って生きようと励まし合っていたが、その息子が飛行機事故で急死した。初老を迎えたこの女性は一人で生きねばならなくなった。
私の考えでは息子も孫も良い旅の道連れである。いつ、どのような形で別離がやってくるかは分からない。しかし、良い人生というものは良い思い出の蓄積である。そう思って人生を努力し、楽しむべきではないかと思う。
【 2 】
幼いころの 「母との想い出」 という、財産を残してあげたい…
4人の幼いお子さんの母親だったAさん。がんが脊髄に転移したために下半身の自由が全く奪われ、入院生活を送る日々が続いていました。そんなある日、さらに胸を締めつけられる出来事が…。ご主人に手をひかれ、お見舞いにきた一番上の娘さんが、病床のAさんを見るなり、ス−ッとご主人の後ろに身を寄せたのです。
すばやく目をとめたAさんに、母親の直感が。
「もうこの子の中では母親の存在さえ薄れてきている。いま死んだら、この子の記憶のなかに私はいない。私との幼いころの想い出が、すっぽりとなくなってしまう。それではあまりにも哀しすぎる。元気になって、いっしょの時間をもっともっと増やしてあげたい。そのためには、放射線治療だけでなく、良くなる可能性があるなら、何にでもチャレンジしなければ…。」
それからは、がんとの壮絶な闘いが始まりました。
やがて、苦しい闘病生活の傍ら、春・夏・秋・冬と、休みのたびに、娘さんの大好きなテーマパークを訪れるAさんの姿がありました。ご家族に車椅子を押してもらいながら。いま、ご主人が振り返ってくれます。「そのとき妻を支えていたのは、娘への切実な思いでした。」