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加 藤 良 一

 

 

 

 幼かったころの記憶、とくに小学校に上がるまでの記憶はあまり残っていない。昔のことだから古い分だけあやふやになって当然にちがいないが、それにしても忘れ方のていどはかなりのものである。
 その当時住んでいた家は、国電(当時はそうよんでいた)の目黒駅と目黒不動尊のちょうど真ん中あたり、目黒川にほど近いところにあった。われわれの家族が住む二階建ての母屋の脇を抜けると、中庭を中心にぐるりと小さな平屋が九軒ほど長屋風につながっていた。そこへいろいろな親類縁者が住んでいた。長男である父は、嫁姑のいざこざや、親類とのあいだに立って何かにつけずいぶん苦労したらしい。人が良くて気楽な性格の父は、つねに長男だからと引っ張り出されたからだ。
 家業の運送業は、いっときは順調だった。運転手を何人も抱えていたときもあった。しかし、そんな時代はそう長続きはしなかった。取り立てて経営の才覚があるわけでもない父にとって傾きかけた屋台骨を建て直すのは、かなりの困難を極めたようだ。けっきょくは事業もやめ家も売り払ってしまった。いまにして思えば、そんな混乱のなかで、父以上に苦労したのは母だったようだ。私は子どもながらにいつも落ち着かない気持ちで、不安な日々を過ごしていたような気がする。

 できることなら嫌なことは思い出したくないものである。ところが、人間とはじつにうまい具合にできているもので、嫌な記憶は自然と忘れてゆくものらしい。思い出さずにいるうちに、しだいに記憶から消されてゆくのだろう。と、思っていたところ、どうやら脳の前頭葉から「忘れろ」という指令が出されているらしい。米国の科学雑誌『SCIENCE』(2004/2/9)に掲載された論文 “Neural Systems Underlying the Suppression of Unwanted Memories”がそれである。タイトルは「忘れたい記憶を閉じ込める隠れた神経系」とでもいうところである。

 もう一世紀もまえに精神分析学者のフロイトは、「嫌な記憶を忘れたい」という心理現象を「抑圧Repressionと名づけたが、実際に脳のなかで何が起きてそうなるかまでは解明できなかった。このフロイトの学説をオレゴン大学の研究グループが実証してみせた。どうやって実証したかに触れるまえに、ワイフから聞いた実際にあった笑いばなしをひとつ。
 あるとき、ワイフのいる調剤薬局へ年寄りの女性患者が処方薬を受けとりにきた。その患者さんは「これからイモアライへ行くんだ」と、わけのわからないことをいった。ワイフは、首をかしげながらもにこやかに受け流した。患者さんは、さらにある大きな病院の名前を出して、そこでイモアライをするといった。患者さんの症状や処方薬から、ようやくそれが MRI のことと判明した。年寄りの患者さんにとっては、医者にいわれた MRI がアルファベットではなくイモアライと聞こえたらしい。というわけで、そのイモアライならぬ MRI が脳内の働きを解明するのに利用された、と話はつながってゆく。

 オレゴンの研究グループが使った技術は、MRI (磁気共鳴画像 Magnetic Resonance Imaging ) の中でも機能的 MRI (fMRI) と呼ばれる装置で、最近の脳科学分野で注目されているものだという。fMRI では、脳の活性が高まるにつれて画像に現れる色調が赤→黄→白と明るくなる。
 似たような技術にCTスキャンがある。CTスキャンは、人体を輪切りにした一平面に対していろいろな角度からエックス線をあて、それをコンピューター処理して画像を作り出すものだが、放射線を使わなくてはならないのが難点である。その点、MRI は放射線を使わないため、造影剤も不要で副作用もなく安全性が高い。
 また、筆者の想像にまちがいなければ、両者の決定的なちがいは、CTスキャンはものの形を見るにすぎないが、MRI は代謝物質の濃度分布や分子の運動状態などの画像が得られるから、新陳代謝や血流が悪くなった段階から観察が可能であり、それだけ早期診断に有効ではないかということである。CTスキャンのように、体内に異常なものがあるかどうかを形で見るという診断法では、あくまで病気が進行した状態にならないと判断できない、つまりそれだけ発見できる時期が遅くなるという欠点がある。
 昔の脳に関する研究は、大脳を損傷した患者から得た情報で、逆に大脳の機能を推定するものだった。たとえば、脳梗塞、脳出血、脳外傷などで大脳の一部を損傷した場合、どのような症状が出るのか、言語障害か記憶障害かあるいは認知障害かといった症状から脳の機能を推定していた。このような間接的な方法ではなく、人がまさに話したり考えたりしているときに、そのことと関連して脳がどのように活動しているか観察することを fMRI が可能にした。

 では、本題の論文に戻ろう。実験は、24人の被験者に一組の言葉を憶えてもらい、その後片方の言葉を示したとき、もういっぽうの言葉を思い出すか、または反対に意識的に考えないようにさせるというものであった。その過程を fMRI で解析すると、意識的に考えないようにしている群では、脳の「前頭葉」の活動が高まり、逆に「海馬」の活動が低下するのが観察された。
 「海馬」とは、記憶の製造工場ともいわれる重要な部分で、形がタツノオトシゴに似ているところから付けられた名前である。「海馬」は、情報の要/不要を判断して他の部位に記憶を蓄える働きを担っている。「海馬」に異常をきたすと、ものの5分くらいしか新しいことを覚えていられなくなるともいわれる。「前頭葉」が活発に働き、「海馬」の機能が低下すれば、記憶が損なわれたり、あるいは記憶が作られない事態となってしまう。

 論文は、「抑圧」によって記憶が完全に消え去るかどうかまでは不明であるとしている。
 ということは、私にとって思い出したくない記憶が、いつなんどきひょっこり顔を出すかわからないとでもいうのだろうか。将来、脳の仕組みをコントロールできるようになって、好きなときに思い出し、心の準備ができていないときには思い出さないようにできたらどんなことになるのだろうか。もっとも、今なら、昔の忘れたい記憶が脳裏に浮かんできても懐かしい思い出として受け止められるような気がするが。

(2004年3月2日)