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ISOに未来はあるか
 


加 藤 良 一
 


 

ヨーロッパ主導型で推進され、世界中のいたるところに、あらゆる形で浸透し続けている国際品質保証規格ISO9001が、いまむずかしい局面に立たされている。そもそもISO9001は、 イギリスの鉄の女性サッチャーさんが、没落の一途をたどる英国にかつての繁栄をと、日米などに対抗するために打ち出した一大政略だったといわれている。
 ヨーロッパにモノを持ち込むには、ISO9001に適合していなければならないという、いわば非関税障壁のようなバリアーを作ったわけである。ISO9001の旧版は、英国規格BSがベースになっていることからも、その狙いが読み取れる。米国規格ANSIは、まったく影響力のない規格のほうに利用されたに過ぎない。
 小国がたくさん集まっているヨーロッパがひとつにまとまれば、日米に対抗しうるパワーを持つことはたしかに可能であろう。ヨーロッパは、いまでは各国間の利害を超えてヨーロッパ連合EUとして大同団結することで、ひとまず当初の狙いを達成した。もちろん未解決の問題は山積しているだろうし、この国がヨーロッパかと訝しく思う国までEUに参加し始めてきたのも将来的には問題のタネになるだろうが、とにかくISO9001という武器でEUの力が高まったことはまちがいない。
 ひるがえって日本のISO9001の現状はどうだろうか。ISO9001登録をした人たちは、ほんとうによい規格だと思って使っているだろうか。そんなことはあるまい。単に海外との取引で要求された、同業者との競争上しかたなく、流行だから乗り遅れまいという消極的な組織が大部分ではないだろうか。冒頭述べたように、もともと、日本にとっては外国製の規格である。まるで黒船襲来のようなものなのだから、受身であってもそれはそれでしかたがないことだ。
 すこし前の日本には、世界に名立たる品質システムがあった。いまでは過去形でいわねばならないのが残念ではあるが、これもすべて政治的外交力の無さに起因している。すなわち国際的レベルのISO9001討議に日本が加わったのは、もう規格の大勢が固まってからのことだったからだ。世界共通の品質保証規格など品質王国日本にとって何の魅力もない、と高をくくっているあいだに取り残されてしまった。現在ではさすがに正式なメンバーとして、それなりの発言権をもつに至ったが、出遅れは否めない。

最近「ISO崩壊」(山田明歩著)という本が出された。これは、まさに形骸化しつつある日本のISOの将来を憂えた警告の書ともいうべきものである。
 もし、これをお読みのあなたがISO9001に関係しているなら、ISOを果たしてどう受け止めているかお聞きしたい。ひょっとして、よく分からないけれど組織全体でやっていることだし、推進事務局がうるさいからとりあえず言われるままに対応している、とか、なかにはお蔭で仕事が増えてしまったなどということはないだろうか。問題は、ISO9001本来の趣旨が、正しく理解されないまま形だけを真似て、本質をないがしろにする日本的なやり方がまかり通っていることである
 ISO9001は、けして高度なことを要求しているのではないし、出来もしないことをやれと言っているわけでもない。そんなことは規格原文を素直に読めばわかることだ。しかし、日本人はやたらにむずかしく読もうとする傾向がある。もっとわかりやすくいえば、西洋と日本の社会的背景や文化風土のちがいを無視して、規格をそのまま翻訳、理解しようとしてしまうからにちがいない。その結果、大して役に立つとも思えないが、これがないと商売ができないからやむなく取り組むなどということになってしまう。

ISO9001は、繰り返しになるが、ヨーロッパ域内との取引の際のパスポートとして用意されたものだから、ヨーロッパと取引しないのに取り組む意味などないはずだ。日本国内だけで仕事をするなら、日本人を納得させられるだけの品質保証システムがあればそれで十分なのである。中途半端な国際規格など無用の長物である。
 極論すれば、国内の消費者や取引先を“説得”できるシステムを持たない場合にかぎって取り組めばよい。つまり自前のシステムでも何でも、しっかりした経営手法を顧客などの第三者に簡単に説明できればよいのだが、何も知らない相手に自前の理論を理解してもらうのは、考えただけでもたいへんな労力がいるにちがいない。それでは、あまりに無駄が多かろうということで、ようやくISO9001の出番となったのである。
 だから、中途半端でも何でも、世界的に普及している規格に沿って自分たちの品質保証のやり方を証明するシステムなのだと割り切ってしまえば、それ以上望むことはないだろう。まさかISO9001を導入するだけで、さして力もない組織が急に優良なものになるなどと錯覚するはずはなかろうが、このあたりをいつも頭のすみに置いておけば、あらぬ方向へ行くことだけは避けられるにちがいない。

 
(2003年4月29日)