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    ノーベル賞の役割は終ったか

加 藤 良 一


 

2002年はいつになく「科学」が脚光を浴びた年となった。
 世界最高の栄誉といわれるノーベル賞を、それも二人揃って受賞するというビッグサプライズがあったからだ。とくに化学賞を受賞した島津製作所研究員の田中耕一氏が、作業服で記者会見に現れたときの驚きは記憶に新しい。ドクターももっていないような一研究者がどうやってそれほどのすごい研究をしていたのか、島津製作所という会社はどんな会社なのか、ノーベル賞選考委員はどこで田中氏を見出したのか。
 大いに興味がわくいっぽうで、連日のマスコミ報道は、まったく「科学」とは関係ないところで盛り上がっていて、たんなるお祭り騒ぎをやっているだけなのはいかにも知的レベルが問われる。
 わが国では、とくに子供たちの科学離れを憂慮する声が以前からある。今回日本人が二人揃ってノーベル賞を受賞したことで、その科学離れが少しは止まらないかと期待しているが、ことはそう簡単ではなさそうである。科学離れは、なにも子供にかぎったことではないからである。
 それでは、日本中の誰もが騒ぐノーベル賞とはいったい何のか。ここは頭を涼しくして考えてみたい。ノーベル賞は、ダイナマイトを発明したノーベルの遺言にもとづいて1901年に創設された賞で、物理学、化学、生理学・医学の自然科学の3分野に平和、文学、さらに経済学が加えられて今に至っている。
 世界最高の賞とはいえ、分野がちがえばどんなに優れた研究結果を残しても対象にならないのは当然である。だから、世界的に大きな影響を及ぼすような研究をしたハッブル(膨張する宇宙の法則を発見)やノイマン(コンピューターの基礎を作った)たちは残念ながら対象にならなかった。しかし近ごろでは、対象領域がわずかながら拡大されているともいわれている。そのノーベル賞に対し、ノーベル賞の役割は終った、害が広がらないうちにいったん終止符を打つべきであると村上陽一郎氏(国際基督教大学大学院教授、科学史、科学哲学、科学技術社会学専攻)は主張する。

DNA(デオキシリボ核酸)の二重らせん構造を解明して1962年に生理学・医学賞を受賞したワトソン、クリック、ウィルキンスが現れた頃から、研究=科学のあり方が変わり始めたのではないかと、村上氏はる。ワトソンは自身の研究をノーベル賞獲得レースと位置づけ、あらゆる手段を講じてそれを達成した新しいタイプの科学者である。そのことをのちに「二重らせん」という著書に赤裸々につづった。
 また、DNAの分子構造を研究したウィルキンスの業績は疑問視されてもいる。実験モデルの組み立てに用いられたエックス線回折写真は、同僚の女性研究者によるものだったからだ。しかし女性研究者は1958年に37歳で死亡してしまった。さらに、構造解明に先立ってDNAの化学的特徴をつかんだシャルガフという研究者も、「第4番目の受賞者」として選から漏れたという。同じ分野では受賞者が3人に限られているからである。

(余談になるが、「二重らせん」については懺悔しなければならないことがある。この本は学生時代に原著 Double Helix を買い求めて読んだ。しかしそれは、海賊版といわれる違法コピー本であった。本物は貧乏学生には相当の高値であることはまちがいないが、学生以外の研究者も違法を承知で買っていたし、業者もけっこう堂々と売りにきたものである。いまから思えばずいぶんすさまじい時代であった。

さて、ワトソンとクリックが現れる以前の科学者にとっての褒章とは、研究成果を仲間から評価されることであり、それに伴う適当なポストなどの確保であった。ポストは生活の糧と研究の場を与えるもので、それでよしとしていたところがある。それが研究者だった。しかし、ノーベル賞は時代の変遷とともに、単なる「名誉」に「富と名声」が付与されるようになり、そのあたりからノーベル賞が変質しはじめたとみられている。きわめて高い権威が備わった結果、受賞者はあたかも万能の天才とか、すべての事柄に対して高い見識と能力を持つかのように見られるようにもなってしまった。
 かくして「富と名声」を求めて研究はいつしか競争になり、研究の「結果」に対して与えられるはずの賞が「目的」となってしまった。そのような背景を踏まえて、村上氏は「その結果、受賞者の受ける付随利益は、莫大なものになり、そうしたことが、研究者が野心的であればあるほど、研究そのものを目的とするよりは、研究を通じてノーベル賞を獲ることを目的とするような行動形態を採るように促す結果ともなっている。個人的な見解を付け加えることを許して戴ければ、私はノーベル賞はもはやその役割を終ったと考えており、害がこれ以上肥大化する前に、少なくとも一旦終止符を打つべきであると信じている。」と述べている。
 さいわいなことに今回の田中氏の受賞は、まったくそのような生臭いところからは遠く離れている。だからこそ、一般に好感をもって受け入れられているのだろう。

 

2002年12月28日