E-31


 
    思いは叶う
 


加 藤 良 一
 

 

 

何気なく見ているテレビ番組が、思いもかけぬほど時間と労力をかけて作られていることをあらためて知った。
 番組1本を作るのに、取材した資料が段ボール箱で35から50箱も積み上がる。テーマの関係者インタヴューから始まり、撮影、資料集め、分析、そしてまた再調査とたいへんな手間がかかり、ほぼ3ヶ月半から5ヶ月近くも制作に費やされている。その番組とは、NHKの「プロジェクトX─挑戦者たち」である。番組をプロデュースしているのが、チーフプロデューサー・今井彰氏である。
 今井氏が横浜国立大学の同窓会で行った特別講演『日本人が成し遂げてきたこと』を掲載した同窓会誌を同大学OBの方からいただいた。その記事は『日本人が成し遂げてきたこと』と題がついていて、今井氏の講演をテープから起したものである。番組制作の苦労話しや意義について熱く語っている。

 この番組のどこに共感をおぼえるかというと、目線が庶民の高さにあることだろうか。「日本という国の戦後を考えます時に、昭和20年8月15日に科学も技術も文化も全て根絶やしになるような状況の中から、今の日本が立ち上がってきたということを考えますと、これは決して国家的あるいは政治的なスーパーリーダーが現れて率いた国では全くないという事だと思います。それこそ、数千数万のプロジェクトが生れ、そこで懸命に生きた多くの日本人、それこそ一言で言ってしまえばもうこれは中小企業と、そこで生きるサラリーマンの物語につきると思っております。」
 今井氏自身、「決して順調なサラリーマン生活を送ってきたわけではありませんでそれこそダメサラリーマンと言われた時期がずいぶん長くて、会社を辞めようかなと思ってずいぶん悩んだ時期もございますし、やる番組、やる番組うまくいかず苦しんでいた頃がありまして、(中略)… 転々としていますときに、有線から中島みゆきさんの『ホームにて』という歌が流れてきたんですね。どういう歌かといいますと、“ふるさとに向かう最終に乗れる人はいそぎなさいと、やさしいやさしい声の駅長が街中に叫ぶ”という歌だったんですが、それですごく気持ちが癒されたんですね。」
 以来中島みゆきのファンになってしまったという。そんなことから「プロジェクトX─挑戦者たち」の制作にあたって、どうしても中島みゆきに主題歌を歌って欲しくて企画書を何度も何度も送り続けた。その熱意が伝わったのか、中島みゆきは、ほかの仕事をキャンセルしてオープニング曲『地上の星』とエンディング曲『ヘッドライト・テールライト』を書き下ろした。

 

地上の星

風の中のすばる/みんな何処へ行った/見送られることもなく
草原のペガサス/街角のヴィーナス
みんな何処へ行った/見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない/人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から教えてよ地上の星を
つばめよ地上の星は今何処にあるのだろう

 

草原のペガサスも街角のヴィーナスもみんなふつうの人たちである。そのふつうの庶民がじつはこの日本という国を支えてきたのだ。いまは時代も変り庶民は疲弊し始めているが、きっと地上に散らばる星たちがまたもや立ち上がってくるのではないかそんな予感がする歌である。
 番組作りにはさらにもうひとつ重要な問題がある。番組の背後に流れるナレーション、それこそ何気なく聞いているが、じつはかなり大切な役割を演じている。「… やっぱり声がすごく大事だと思ったんですね。それはなんといいますか、もっとうまく読める人はもっとたくさんいると思います。それから冷静に読める方もいると思います。… ダビングルームで田口さんの声を聞いた時に、皆さんがふりむいてですね、この声だと。非常にりんとして美しくてそれからいやらしくなくて耳に届くという、それこそ何十年に一人の声に出会えた。」
 ナレーターの田口トモロヲとの出会いを「たぶんこの番組を守るために下さったんじゃないかというぐらいに、本当に運命的なものを田口さんにはいただきました。」と語っている。

 中島みゆきと田口トモロヲの起用が決まったものの、今井氏は番組作りのなかで他の民放ではみられないNHKならではの難問に直面してしまった。つまり、企業名や商品名をどうするかだった。たとえば、庶民がやっと自家用車を持てるようになった“スバル360”を単に小型軽自動車だのてんとう虫だのというだけでは、あの時代を象徴するインパクトが伝わるはずなどない。今井氏はそんな思いから、企業名や商品名の公表にこだわった。その結果、堂々と企業名と商品名を押し出した共感の持てる番組ができ上がった。おそらく過去にそんな例はないだろうし、今後もないかもしれないほど異例である。
 いわゆる見識ある方々から「なぜ一企業の名前を公共放送に乗せるのか」と苦情が出ることを危惧していたが、いまのところそれはまったくの杞憂にすぎなかったようだ。

 また、テレビの影響力がいかに大きいか、それに群がりたがる人種の出現など、どろどろしたエピソードもいくつか紹介されていた。
 オリンパスが開発した胃カメラの番組のときであった。実際に胃カメラを作り上げた医師と技術者の二人は、自分の家族にもほとんどそんなことを話さないくらいそのことを出世に使わなかった。大半の日本人がそうであるように、仕事のことをあまり語らずに生きているのだが、なかにはやはり功名心がある人がいるもので、なぜ俺のところに挨拶に来ないんだとクレームがついた。その人とは日本内視鏡学会や癌学会のボスになったような連中のことだという。この種の話は挙げればきりがないほどたくさんあるらしい。

 「プロジェクトX─挑戦者たち」はいまや2500万人以上の人たちが見ているという。うれしいというか、驚いたのは、以外にもこの番組を若い人たちが見ていることである。手紙やメールで、番組に出てくる人たちを指して“カッコいい”というそうだ。
 「東京タワーの現場監督だったり、液晶開発に取り組む営業マンだったり、食品開発に汗を流す研究員だったり、そういったサラリーマンたちがカッコいいという手紙やメールなんです。それでそんな美男子は一人もいないんですね。顔はすごくいい顔しているのが多いんです。」

 

 ヘッドライト・テールライト

語り継ぐ人もなく/吹きすさぶ風の中へ
紛れ散らばる星の名は/忘れられても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

 

この番組に登場したことがある、南極の越冬隊長を務めた西村誉三郎氏(注)は「出る杭は打つな。手を添えて伸ばしてやれ。」と言い続けたそうだ。「日本人はやはり資質と発想に満ちた民族なんだ、その時にそれを閉ざしたり、押し込めたりした時に日本という国はだめになるぞということを、昭和20年代、30年代に彼は言い続けたわけですね。」

(注:西村誉三郎ではなく西堀栄三郎氏のまちがいではないかと思う。講演者の校正を受けていないため、固有名詞などに未確認の箇所があると断っているからたぶんそうであろう。)


 今井氏はつぎのようなメッセージで講演を締めくくった。
「思いは叶う。努力する人間を運命は裏切らない。どんな逆境の中でも道は必ず切り開ける。思いは叶う。」


(2002年12月15日)