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ジェントルマンは一日にしてならず
 

 

加 藤 良 一

 

 


 ある方から面白い本だからと薦められて貸していただいたのが、『自由と規律』であった。そこには手紙が添えられていた。「今から50年も前に書かれ、かつその30年前位のイギリスのパブリック・スクールでの体験談ですから、事情はすっかり変っているかもしれませんが、今読んでも共感するところがあります。」
 著者の池田潔という人は1903年に生まれ、1990年に亡くなっている。中学を終えずにイギリスへ渡り、リース・スクールに3年、ケムブリッジ大学に5年、その後ドイツのハイデルベルグ大学で3年間を過ごした。帰国後は教壇に立ち、英文学、英語学を専攻した。
 『自由と規律』は、1949年出版だからたしかに内容は古い。しかし、今年の4月で第86刷が出版されているという驚異的な本でもある。 1度にどれくらい印刷するのかわからないが、とにかく86回も増刷したというロングセラーである。
 ケンブリッジとオックスフォード両大学は、英国紳士と結びついて世界的に有名だが、その前過程にあたるパブリック・スクールの存在はあまり知られていない。このパブリック・スクールこそ、イギリス人の人格形成に重要なかかわりをもっているという。

 パブリック・スクールと聞けば、当然公立の学校と思うが、そうではなく、私立であってかつ全校寄宿制度の中等学校のことである。卒業後はただちに大学に進学するので、日本でいえば中学校と高等学校を合わせたようなもの。私立なのになぜパブリックと呼ぶのかといえば、昔の呼び名がたまたまそのまま残っただけだという。なんとも奇妙な話しである。イギリス人は、もっときっちりしているのかと思っていただけに、これではいくらなんでも拍子抜けしてしまう。なぜこんなことが起きたのか。どうやら、スコットランド・ヤードがロンドン警視庁であったり、クライスツ・ホスピタルが学校であったりするのと同じ根っこだという。
 パブリック・スクールは、宗教改革の余波で僧院が一般の教育のために開放された創立当時にあっては、パブリックの名が実態を表していた。しかし、発展とともに学校の性質が変ってしまった後世に至ってもなおその名称を改めなかった。伝統を重んじる(?)国民性と、無精というか鈍感というか、中身が変わっても名前を変えずにほっておいたから、名称と実態が乖離してしまったものらしい。
 この本の主旨は、ひとえにイギリスの伝統ある教育制度や国民性を紹介することにあるのではなく「自由の精神が厳格な規律の中で見事に育まれてゆく教育システム」を体験を通して描くことにある。以下は、「今から50年も前に書かれ、かつその 30年前位のイギリスのパブリック・スクールでの体験談」であることを忘れずに読んでほしい。

 ケンブリッジとオックスフォード両大学が「紳士道の修行」であれば、パブリック・スクールはその前過程としての「スパルタ式教育」である。イーヴリン・ウォーの小説『衰頽と落魄』(すいたいとらくはく)を引用し、つぎのような主人公の台詞で「スパルタ式教育」を説明している。

「而もその上、いいかね、俺はパブリック・スクール卒業生なんだぜ。こいつが大変なことなんだ。イギリスの社会には、パブリック・スクール卒業生は、決して餓鬼道には陥さないという有難い掟があるんだ。どの道、人生が地獄の苦熱としか思えないあの年頃に、四年か五年、パブリック・スクールで地獄の経験を済ましておけば、あとはこの社会制度のお蔭で、どうにかやってゆけるというわけさ」

教育手段としての寄宿制度は「共同生活により、教師と学生、または学生相互の間の緊密な接触によって常に人格陶冶の機会が生れること、この間におのずから責任、規律の確固たる観念の養成されること、また、このような境遇と年齢にある青少年に対して、『他人の釜の飯を食う』という俗句によって表現される、一切の自制耐乏の訓練が与えられること」を主眼としているが、反面「全体の利益のため個人の利益が犠牲に供せられる」ことも多々ある。
 その端的な例として、「個々の私を捨てて全体の共同目的の貫徹に奉仕する精神を涵養する」ために重要視されるスポーツがあげられる。スポーツを得意とする者にとっては、パブリック・スクールはじつに居心地のよい場所となるいっぽうで、その他の団体活動ではない分野に興味をもつ者にとっては、はなはだ不幸な状況にあった。通学とちがい、寄宿生活では四六時中全体と歩調を合わせねばならないからだ。
 とにかく、こうして規律を叩き込まれて育った若者たちには、それなりに安穏な将来が約束されているのである。卒業後はつねに善良な市民として働き、「機会があれば母校のブレザーを着ることを忘れない。居室の炉棚には数葉の色褪せた運動ティームの写真」が貼られている。かたや、特殊な才能を持ちながらこれを発揮し伸ばす機会を失われ、「しかも衆愚と妥協することを潔しとしない気概をもったものにとっては、これほど惨めな生活は考えられない。イギリスの知名人の伝記によく学校生活の不幸な経験が語られているのは、彼らのもつ強烈な個性がその学校の雰囲気に相容れられなかった事実が原因となっている」ケースが多く、とくに芸術家にそのような傾向が多くみられるという。前述のイーヴリン・ウォーもそのひとりである。
 いずれにしてもパブリック・スクールは、支配階級の子弟を教育するところという見方は、おおむね当たっているらしい。この階級に属さない一般家庭の子弟は、官公立のエレメンタリー・スクールもしくはグラマー・スクールに行く。パブリック・スクール出身者は、政界、学界、教職、僧職、文芸家、軍、官界などに偏っていて、日本のように「大学高等専門学校出身者」が社会のあらゆる分野に進出しているのとは対照的な状況だという。
 おそらくパブリック・スクール出身者は、社会に出ても「規律」によって仲間関係を維持し、個々と全体の利益を調節していることであろう。現代にあってもこのような状況が変わらないかどうかはわからないが、イギリスと日本の社会構造のちがいを感じるところである。

 

(2002年11月24日)