E-25 

 

   平河町で思ったこと

 


銀亭主人(ぺんぎんていしゅじん)
 




 「平河町」とは最高裁判所の通称だったか、はたまた国立劇場のことか、いやまて、それは隼町だったかなと、あの辺りにはとんと怪しい。地域経済の雑誌から取材仕事がくるので、各都道府県の東京事務所を訪ねることがある。7月の中旬、半日ばかり平河町の都道府県会館にいて各県の東京事務所を回った。
 と、おかしなめぐり合わせに気づいた。都道府県会館とは各県の東京事務所が入っている大きな雑居ビルといえばいいだろうか。店子である各県は中央との連絡や情報収集の前線基地にしているワケだ。店子ゆえそれぞれ大小はあるが、同じような間取りで、「ミニ都道府県」を作っている。

 不思議と感じたのは、その並びである。三重県の隣に島根県が配されている。何故それがと、いぶかる向きもあろうが、島根県は出雲大社、三重県は伊勢神宮がある県。この二大神社のある県が並んでいるのが妙というのだ。
 話は唐突に明治に飛ぶ。明治維新で政権は徳川から新政府へ、その中で大教宣布運動なるものが起きたとか。これは国家宗教として神道を推進しようとしたもの。江戸時代に整備された寺中心の檀家制度が、中央集権の長期徳川政権を支えてきたことに対する神社側の巻き返しと僕はとらえている。神仏混交であったようで、芝増上寺内に大教院なる中心になる祠を設けた。このあたりも徳川コンプレックスの表れか。
 さて、そこに祀る神様で問題が起きたそうな。天皇家直系ということで、伊勢神宮が主体となって、アメノミナカヌシ、カミムスビ、タカミムスビのいわゆる造化の三神(ぞうかのさんじん:古事記にある天地を創った一番最初の神々)と天照大神(アマテラスオオミカミ)を祀ろうとした。ところが、「チョット待ったぁ」と言い出したのが出雲大社大宮司の千家尊福(せんげたかとみ)。
 彼の主張によれば、「造化の三神には異論が無い。しかし、顕界を代表する天照大神を祀るなら、どうして幽界を代表する大国主命(オオクニヌシノミコト)も祀らないのか」である。顕界とは目に見えるこの世的な世界で、幽界は顕界に対する目に見えない世界のこと。
 確かに、見えるものと見えざるもの、とによって世界は構成されているので、この主張は「ごもっとも」と同調する者も多かったそうだ。ところが、どうしたワケか伊勢神宮大宮司の田中頼庸(たなかよりつね:ただしこの人、正式に伊勢神宮から認められた宮司かどうかもアヤシイ)は大反発。神道界を二分する大論争になってしまった。政府要人が仲裁に入っても、収拾はつかず。ついには明治天皇の勅裁を俟たねばならぬほどこじれた問題となってしまったのだ。
 論争は最終的に出雲大社の敗北であった。しかし僕は、このことで神道は宗教として確立するチャンスを失ったと考える。その後「国家神道」や「国体護持」と神道は曲解されて太平洋戦争へ突入してゆく史実は、誰しもが知るところ。やがて、戦後いつの間にか、「神道が国民を戦争へ向かわせた」という、誤解の認識が広まってしまった。神道を「日本の根底に流れる精神世界の重要な存在」ととらえている僕にとっては、とても残念に思えてならない。

 今では、こんな事を気にかける者も少なく、むろんケンカすることもなく、都道府県会館に島根県と三重県は仲良く隣り合っている。