E-20

    

  
天 の 川 少 年

 


島 崎 弘 幸    

 
 


 夏になると、少年は毎年のように、祖母と自宅の裏山に竹を切りにいった。七夕の短冊を飾る竹だった。もんぺ姿の祖母は、手に鎌(かま)を持ち、首には虫よけに古いタオルを巻いていた。縞蚊(しまか)が二人のまわりをうるさく飛びかった。祖母は用心深く、竹の回りの草を鎌で刈った。「この辺りはハミ(まむし)がおるき、気をつけんといかん」といった。
 祖母がてごろな竹を二本切りたおすと、二人はそれを一本ずつ担いで、草に覆われた山道を降りていった。少年は嬉しそうに「蛇も〜ハミも〜あっち行け、天とうさまのお通りじゃ〜」 と歌うようにいった。草に覆われた山道を歩く時、少年はいつもこの唄を歌いながら、手にした長い棒で足下の草むらを軽くたたいて通った。ハミに足を噛まれないように、それは自然に身に付いたしぐさだった。ものごころの付いた頃から、少年はいつもこの唄を歌いながら、この道を祖母と歩いていたのだから。
 黒くコールタールを塗った板塀のそばで、祖母は水に湿したわら(藁)で縄を編んだ。庭先には小さな築山があって、松
の枝が池に映ってゆれていた。少年と祖母は、池のそばに短冊で飾った竹ざおを二本たてた。七夕の竹は、松よりも高く空に向かってのびていた。二本の竹ざおに、祖母の編んだ縄を張ってお供え物を飾った。編み目に、なす(茄子)、いんげん、駄菓子、そして里芋の葉にくるんだおふま(米)やお神酒を二つずつ差し入れた。一つは彦星に、もう一つは織姫のために。
 竹にはたくさんの短冊が飾られていた。少年の夢や、願いごとを書きいれた色とりどりの短 冊。夕凪(ゆうなぎ)を過ぎるころ、裏山から涼しい風が降りて来て、開け放した母屋の座敷から縁側をかけ抜け、見上げる空に、少年の夢と竹の葉をゆらせた。

◇          ◇


 父はろ舟の舳先(へさき)に立って、白い投網(とあみ)を左の肘にかけ、黙ったまま、右手で舟の進む方向を指していた。陽が落ちてあたりがすっかり暗くなった海で、母は静かにろ(櫓)をこぎ、父の思う先に舟を進めた。カーバイドのガス灯が母の顔をぼんやり照らしは じめていた。舟がグラッと左右にゆれるとき、父はひねった身体を力一杯まわして網を海に投げた。一瞬、闇の中に白い投網の花が開いて、ザブ〜ンと音をたてて水面(みずも)に消 えた。ピチャ、パシャと数匹のぼら(鰡)が暗い水面に跳ねた。少年は毛布に身を包んだまま、 飛び跳ね、あわてて逃げて行くぼらの白い腹を目で追った。父はゆっくり網を手繰(たぐ)りよせ、船べりを擦るようにして引き上げた。「わ〜。入っちゅう、入っちゅう」と少年は小さな手を打って喜んだ。父も満足そうに微笑んでいた。
 仕事を終えた父は、ときどき少年や母を連れて、夕暮れどきの浦戸湾に網打ちに出かけた。投網用に仕立てた父のろ舟は、釣り舟よりもひと回り大きく、舳先に立って網を投げることができた。母がろ(櫓)をこぎ、少年はふな底にたまるアカ(水)をくみ出した。「夜の海には海坊主がいる」と父はいった。一人で夜釣りに行くと、海坊主があらわれて「柄杓をよこせ。柄杓をよこせ」という。釣り人がうっかり柄杓をわたすと、海坊主はその柄杓で海の水をどんどん舟にくみこんで釣り人の舟を沈めてしまう。父はなんどかその話をした。「そんなときはな、柄杓の底を抜いてわたすんだ。海坊主が一生懸命に水をくんでも、柄杓の底を抜いてあれば、舟には水が溜まらないから・・・。」 少年は海坊主に出会ったことはなかったが、出てきたら、きっと柄杓の底を抜いてわたそうと思っていた。
 夜がふけると、少年は毛布に包まっ て、ゆれる舟の中でまどろんだ。見上げる空には星が一面に輝いていた。一つ一つが息づくようにゆれて。流れ星も見えた。流れ星はとつぜん現れて、音もなく流れて消えた。仰向けに寝て、ゆれる舟に身をまかせながら流れ星を数えた。少年は一度だけ、夜空をかけ抜ける、 大きな、それは大きな流れ星を見たことがあった。西の空から東の空に向かって、その流れ星は飛び続けた。願いごとは、二つも、三つもかなえられそうな大きな流れ星だった。
  本当に夜空をかけ抜けたのか、まどろむ少年の心に映ったのか・・・。舟の舳先に立って網を打つ父や、カーバイドの灯りの中で微笑む母の
姿とともに少年の心に残った。


◇          ◇


 五十歳を過ぎた頃、男は新疆(しんきょう自治区、中国)へ旅をした。新疆の中心地はウルムチで、天山山脈のふもと、シルクロードの出発地ともいうべき都市である。日本への留学経験をもつ新疆医科大学の友人が、近隣の観光地に男を案内してくれた。海抜2000米の高地にある美しい湖、天池(てんち)では、カザフ民族のテントで食べきれないほどの民族料理でもてなされた。南山牧場では、蒸した子羊(丸ごと一匹)が男の前に置かれた。とまどいながらも、友人の家族らとともに異国での酒宴を楽しんだ。孫悟空(西遊記)の一場面に登場する火の山(火炎山)や、トルファン(吐魯番)にも案内をされた。トルファンはウルムチから車で5時間ほどかかる砂漠の中にあった。史跡を訪れ、名産のぶどうやワインを楽しむうちに、予定は大幅に遅れてしまった。帰りは深夜になったが、男の心はむしろ期待で秘かに弾んでいた。トルファンの周辺は広大な砂漠地帯、街を少し離れるとあたりに明りはほとんどなかった。
 男は砂漠の中に車を止めてもらった。暗い路肩に降り立つと、そこには期待したとおり、いや期待をはるかにこえるみごとな星空があった。遠くの地平線は男の目の高さよりも低い。 そこから頭上まで、そして反対側の低い地平線まで。空いっぱいに星は輝いていた。天の川がこんなに近く、こんなにも濃く見えるのかと思った。星空を見上げたまま、男はゆっくり身体を回した。星に包まれていた。地平線から地平線まで、
見渡すかぎりの空で星は微笑みかけていた。一つ一つの星が大きく息づき「ツインクル、ツインクル・・・」と歌うかのように。すっ かり忘れていた息づく星の輝き。それは男が祖母や父母と見たあの懐かしい星だった。

 

エピローグ
  七夕のお供えのなす(茄子)で、イボが治ると祖母に教わった。なすの切り口でイボをこすり、土に埋めると、なすが腐る頃にイボが取れるといわれ、子供の頃、何度かためしてみた。本当にイボは1ヶ月ほどできれいに治った。この春、男は頭皮に異変を感じ、女房に見せると、歯切れ良く「皮膚癌だ」といった。男の心のケアもしないままに。あわてて大学病院を訪ねると、医者はつまらなさそうに「イボだ」といった。治療を終えると「もう来なくて良い」という。こんなに大きなイボが一回の治療で治るものかと思っていたら、イボは1ヶ月ほどできれいに取れた。大学病院も七夕のなすと同じだと思った。

 

 

2003年5月22日



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