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日本人を困らせるチップの不合理

 


加 藤 良 一


 

 外国へ行って何が煩わしいかといえば、もちろん言葉であるが、言葉のつぎあたりにくるのがチップの悩みではなかろうか。チップでもっとも困るのは、どんなときにいくらわたすべきかその基準がどうもはっきりしないことである。チップで生活している人がいるんだとまでいわれてしまうと、わたさずに去ろうものなら追いかけられそうな気がしてどうも落ち着かない。
 そうかと思うと、サービスが悪かったらわたさなくてもいい、それがチップのほんとうの意味なんだ、といささか教科書的な論調もある。大昔はたしかにそうだったかもしれないが、いまどきそんな話しが通用するとは思えない。ようは、ほんとうに必要なものだったら、最初から料金に上乗せしたらよかろう。われわれ日本人にはよく理解できない。ここがまさに文化と歴史のちがいなのであって、チップ制度は、よい悪いの問題と片付けるわけにはゆかないのかもしれない。

 日本にもチップに似た習慣が、いまでも一部にあることはある。それは、高級料亭や旅館の仲居さんなどにわたす「心づけ」である。心づけが決定的にチップとちがうところは、サービスを受ける前にわたすことだ。特殊な場合をのぞいて、まちがっても旅館を出るときにわたすことはないだろう。
 もちろん、外国にも先にわたす「パワーチップ」というものがある。映画の一場面を想像していただこう。
 場所はニューヨークのとある高級レストラン。いわくありげな二人連れが入ってきたとしよう。あいにく店内は、週末の長い夜を楽しむ客で混雑している。連れの男は、誰にも邪魔されない静かな席はないかと、案内係に聞くが、あいにく塞がっておりますとにべもない返事。そこで男は、案内係にひとことふたこと何かをささやき、小さく畳んだ何枚かの紙幣をさりげなくそっと握らせる。このさりげなさがポイントなのだ。サイフからバサバサと札を取り出すような無粋なやり方では効果が半減してしまう。
 紙幣を握らされた案内係は、何食わぬ顔でそれをズボンのポケットに押し込み、笑みを浮かべながら「こちらにどうぞ」と、あたかも最初から席を用意してあったかのように案内した。通された席は店の隅っこではないのに、ほかの客とはある程度距離がとれる場所で、落ち着いた店内の雰囲気も伝わってくる上等の席だった。席についた二人は、お互いの目を見つめあい、どちらからともなくテーブルの上に置いた手を握りあった。それから…
 と、こんな話しをいくら続けていてもきりがない。で、何の話しだったかというと、そうパワーチップであった。レストランで男がカッコよく案内係に握らせたあれ、あれはたんなるチップなどというものではなく、完璧に賄賂である。チップはあとでわたすのが原則である。だから日本の心づけにしたって、明らかに賄賂である。わたす側の心理も賄賂と同じ効果を期待してのことだ。そうでなければ、少なくもサービスを受ける前にわたすことはないはずである。下心が見えみえである。

 世界中でチップがもっとも制度化されているのは、どうやらアメリカらしい。何でも制度化しないと気がすまない国だ。ヨーロッパなどでは、けっこうあいまいで、アメリカほど決まりごとのようにはなっていないらしい。アメリカのような合理主義の国──ほんとうだろうか、近頃そうは思えなくなってきたが、とにかく、チップはサービスに対する感謝の気持ちを表すものだ、などと悠長なことはいってられない。チップ(Tip)の語源は、隠語だったのではないかと辞典にも書いてあるが、まさに同感である。どうも胡散臭くてかなわない。
 さて、チップが給料の一部となっている職業があることはご存知だろう。ホテルのドアマン、ポーター、ウェィター、タクシー運転手などの給料は、チップを見越して安く設定されているのである。彼らに対しては、チップは給料でもあるから、払うことが大前提であって、当然の権利として主張されるものなのである。職種によっては、チップが生活費の一部になっているのが現実である。
 ニューオーリンズのホテルで、まさにチップで生活費を稼いでいる人がいることを体験した。市内中心部の古式ゆかしいホテルに泊まったときのこと。さして広くない玄関ロビーにお揃いの制服に身を包んだポーターが数人いた。いた、というよりたむろしていた。
 カウンターで精算をすませ、荷物をもって玄関に向かおうとしたとき、ポーターが荷物を載せるカートを押して近づいてきて、荷物を玄関先の車まで運ばせろとしつこくいってきた。玄関? そんなものは目と鼻の先である。ものの20メートルもないし、こちらのトランクにはちゃんとキャスターがついていて、移動するのにちっとも問題なんかない。
 そんなことより、荷物を運ばせろというポーターのほうがぼくよりずっと年取っている。こんなおじさんに荷物運びを頼むなんてやなこった。けっきょく断ったが、年寄りポーターは、「このキャスターがオイラの命を奪うんだ」とぼやいていた。
 チップの是非を議論する必要はおおいにあろうが、先ず現実的対処としてはこれを認めてかかる以外になかろう。たとえば、日本にも歩合給と固定給がある。どちらがいいか悪いか、簡単には決められないことが多い。その歴史的背景や経済の原理をうんぬんする前に、それはそれとして受け入れ、当面の対応を考えねばならないような気がする。
 ぼく自身は、チップ反対派である。その理由はなんといっても、面倒だからであり、そのつぎが本来の趣旨からして、制度化するようなものではないと思うからである。チップの不合理さは、誰もが感じているにもかかわらず、現実にチップをあてにして生活している人がいるという理由で、やむなく容認しているに過ぎないのではなかろうか。そのいい証拠が、アメリカで出回っているチップ早見表の存在である。1ドルから50ドルまでのそれぞれの金額に15%のチップを上乗せしたらいくらになるかを書いたであるが、これでは何のことはない、まるで料金表と同じことである。
 わが意を得たりと思ったのは、ドイツ人もチップがいま一つピンと来ない人種だということである。ドイツ人の中には、現在のチップのあいまいさにいらつく人もいると聞く。ドイツではすべての消費財に対して、通常14%の付加価値税(EUに統合されてからどうなったかはわからないが)がかかるようになっているが、レストランなどの飲食店ではさらにサービス料が組み込まれていたりする。つまりチップにあたるサービス料は、すでに料金に自動的に加算されているので、アメリカにくらべるとチップを出さなくてはならないケースがかなり少ないという

 外国でもノーチップの世の中が近いうちにくると主張している人もいるし、大手のホテルチェーンもノーチップ制を導入し、なかなかの好評を得ているという。この傾向は時代の流れというか、社会構造の変化も大きく影響していることの現れでもあろう。
 それでも完全ノーチップの時代は、そう簡単には実現されそうもない。いましばらくは、さて、いくら出すかと悩まざるをえないだろう。

 

 


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