「その当時、マンハッタンで安いアパートを見つけるのは不可能に近かったから、ぼくは ブルックリンに移るほかなかった。時は一九四七年。その夏たのしかったことの一つは天気がよかったことだと今でもあざやかに覚えている。」
長篇小説『ソフィーの選択』(新潮社)は、こんな書きだしで始まっている。 この小説は、ぼくが初めてユダヤとナチスの問題に興味をもつきっかけになった、ウィリアム・スタイロンの作品である。小説家辻邦生のエッセイでこの本の存在を知った。
第二次大戦のさなか、ナチスがユダヤ人に対して何をしたか、いまさら説明するまでもなかろう。この小説は、主人公のポーランド人女性ソフィーが、ユダヤ人であるが故に甘んじなければならなかった不条理が克明に書かれた壮大なドラマである。
ソフィーの「選択」とは何だったのか、ソフィーはいったい何を「選択」しなければな らなかったのか。ひとつはっきりしないことは、果たしてソフィー自身がそれを「選択」したという明瞭な自覚があったかどうかである。ソフィーの「選択」がもたらしたものはそれからの彼女の一生涯を貫いて背負い続けねばならなくなった重い十字架であり、消す
ことのできない禍根であった。
それはアウシュビッツに向けて移送されて行く途中での出来事だった。列車には、ユダヤ人、ナチスに反対する抵抗組織のメンバー、あるいは一般のポーランド人などが乗り合わせていた。彼らが押し込まれた列車は、ふつうユダヤ人を移送するのに使われる有蓋貨車や家畜運搬車ではなく、古い国際列車用の寝台車だった。これは、異例といっていいほどの待遇ではあるが、そのかわりにすべての窓はがっしりと板で目隠しされていた。
列車内には、立錐の余地もなく押し込まれた人間の人いきれ、むかつくような熱気、誰かが嘔吐したらしく、ひどい臭気が満ちていた。これなら貨車のほうがましだ、あそこなら手足ぐらいは伸ばせるからな、と誰かがもらした。
ソフィーは娘エヴァと息子ヤンを片時も離さないようにしていた。エヴァは皮のケース入りのフルートと「ミシ」と名づけた子グマのぬいぐるみをしっかり手に握っていた。「ミシ」は赤ん坊のころからずっとだいじにしていた宝もので、いまはもう片目と片耳がとれてなくなっていた。
外は土砂降りの雨だった。チーズのような嘔吐の悪臭、何より空気が足りない。幼いエヴァが空腹で泣きだしたが、ソフィーにはどうすることもできない。兄のヤンがなんとかなだめていた。
恐怖で気が狂ってしまった老婆がいる。十六歳ぐらいの女子修道会学校の生徒二人が、すすり泣いては聖母マリアへの祈りをつぶやいていた。別の通路には、心臓発作で死んだ老婆が、両手で十字架を握りしめて横たわっていた。老婆の白い顔は、ひしめいて踏み付けてゆく人々の靴で汚れていた。
ソフィーはそのときのことをあとになって思い返そうとしても、自分自身も意識を失っていたのではないかと思うほど記憶が蘇らなかった。そのつぎに記憶している情景は、日光のまばゆい外に二人の子供とともに出て、親衛隊軍医と対面している場面であった。
すこし長くなるが、その部分を引用しよう。ちなみに、ポラ公とは、ポーランド人の蔑称である。
「おまえはポラ公女だな」と軍医は言った。「おまえもまた女共産主義者か?」ソフィー は片腕でエヴァの肩をだき、もう一方の腕をヤンの腰にまわして何も言わない。軍医はゲップをしていっそう鋭い声で重ねて言った。
「おまえがポラ公なのはわかっている。だがおまえもあのきたない共産主義者どもの一人なのか?」それから酔いにもうろうとして次の者に向かい、ソフィーのことはほとんど忘れてしまったように思われた。
どうしてわからないふりをしなかったのか? 「ドイツ語、話せません」それでその瞬間を逃れられたことだろう。選別を受ける者がひしめいていたし、もしソフィーがドイツ語で答えなかったら、三人とも通されたかもしれない。しかし、恐怖という冷厳な事実があり、その恐怖が愚かな行動を彼女にとらせた。
(中略)
またむこうには――死ぬほうへ選別されたマウニキアのユダヤ人たちが先ほどまで詰め込まれていた貨車の屋根のすぐ先にビルケナウがあり、その奥知れぬとびらの中に軍医は自分の望む者を選んで入れることができる。こう考えるとソフィーは非常な恐怖に襲われて、黙っておれずに口を開いた。「あたしはポーランド人です! クラクフ生れです!」(イヒ・ビン・ポルニッシュ! イン・クラコフ・ゲボーレン)それから無力感にかられてしゃべった。「ユダヤ人じゃありません。子どもたちも――ユダヤ人じゃないんです」
さらに付け加える。「子どもたちは人種的に純潔です。ドイツ語が話せます」最後に宣言する。「あたしはキリスト教徒です。信心深いカトリック教徒です」
親衛隊医官はふたたび振り向いた。眉が吊り上がり、酔ってうるんだ視線の目でニコリともせずにソフィーを見すえる。いま彼はすぐ近くに顔を寄せているので、アルコールがはっきりとにおう。大麦かライ麦のくさったようなにおいだ。ソフィーは彼の目を見返すほど気が強くなかった。するとそのとき、自分はまちがったことを言った、おそらく致命的にまちがったと気がついた。
(中略)
「キリストは<幼な子らをそのままわたしのところへ来させよ>とは言わなかったかね
?」規則的にからだをピクピクさせる酔っぱらい特有の動作で、彼はソフィーのほうへ向きなおった。
ソフィーは舌を呆然とこわばらせたまま、恐怖に息をつまらせてなんとか答えようとした。だがそのとき軍医が言った。「子どものうち一人は残してよろしい」
「えっ?」(ビッテ?)
「子どものうち一人は残してよろしい」と軍医は繰り返した。「もう一人は行かなきゃならん。どちらを残す?」
「選ぶんですか、あたしが?」
「おまえはポラ公だ、ユダ公じゃない。だから特権を与えてやる。選択の特権をな」
ソフィーの思考過程がしぼみ、停止した。それから、脚がへなへなと崩れるのを感じた。
「選べません! あたし、選べません!」ソフィーは泣き叫びはじめた。ああ、自分のあの悲鳴をなんとよく覚えていることか! 苦しむ天使も地獄の修羅場の上でこれほどの金切り声をあげて泣き叫びはしなかっただろう。「あたしには選べません!」(イヒ・カン
・ニヒト・ヴェーレン!)ソフィーは泣き叫んだ。
軍医は望ましくない騒ぎをひき起こしたと気がついた。「黙れ!」と命令する。「さあ、サッサと選べ。選択しろ、チキショウめ、しないんなら二人ともあっちへやるぞ。急ぐんだ!」
ソフィーにはこうしたことが何一つ信じられなかった。
(中略)
「あたしに選ばせないで」ソフィーは自分が小声で嘆願する声を聞く。「あたしには選べません」
母親として、二人の子供のどちらか一人を選ぶことなどできるわけがない。ソフィーはまさに極限の選択を迫られたのだ。発狂寸前の混濁する精神状態にあったとはいえ、たしかに選択したのは、まぎれもなく母親であるソフィー自身であった。子供を守るべき母親が、あろうことかその子供を死の道へと追いやってしまったのである。息子と娘のどちらを取るか、文字どおり悲惨な「究極の選択」であった。
ここでは、ソフィーが二人の子供のどちらを選んで差し出したかは触れないでおく。興味をお持ちになった方は、ぜひこの本を手にとられるとよい。
何とか生き残ってしまったソフィーは、終戦後、単身アメリカに渡った。この物語はそのあたりから始まっている。ぼくは、この小説を読んでからというもの、自分自身の無知さ加減を反省し、不明を恥じた。あれだけ残忍なユダヤ人狩りを強行したヒットラーとナチスについて、ほとんどまともな知識がなかったのである。
それからというもの、ナチスとホロコースト(ユダヤ人の大虐殺)に関する書物を手当たりしだいに読みあさった。さらにたまたまテレビで連続放映された関連映像をつぶさに観て、すこしでも正確な全体像をつかむことに努めた。そうして、ユダヤ人が「600万人」虐殺されたという「数字の意味」についても、あらためて考えることになった。
ぼくは、あくまで政治的にニュートラルな立場で、この600万人という数字にこだわっている。というのは、この数字の信ぴょう性に異議を唱える人もいるからである。しかしこの問題にこれ以上深入りすることはできない。それは戦争補償の問題ともからんでおりとても微妙なものだからである。
「600万人」という数字に対してどのような発言をするか。それを肯定するか否定するかで、その人の立場が明瞭になるかもしれないような、きわめて象徴的な「数字」なのであ
る。
このあたりの話しは、まったく政治的な要素を抜きにしては語れない側面がある。
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