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天国と地獄、少し懐かしく。(昭和45年の日記から)
 


川 村 修 一
 

     


 驟雨がやってきた。銀座・中央通りから不思議なほどの早さで人影が消えていった。
 パリ風のレストラン、画廊、喫茶店、百貨店・・・・通りの両側にはなやかに軒を連ねるそれぞれの店みせが一瞬のうちに雨宿りの人たちを呑み込んだ。そして、そうした急な繁盛を消 化し切れぬ店内からはじき出された人たちは、仕方なく地下鉄銀座駅構内に流れ込んだようだった。
 雨はおおかたの銀ブラを楽しむ人たちの期待に反してしばらくは降り続きそうに思われた。
 私が妻と連れ立って銀座四丁目の服部時計店の前にさしかかった時、「銀座の時計」(ミュージック・サイレン)は六時を告げた。と思うやいなや、七丁目方面から4、5台の白バイが走ってきて「時計台ビル」の向かいの三愛ビルの前で止まった。気がつかなかったのだが、今日のこの瞬間までいわゆる「歩行者天国」なるものが銀座中央通りに施行されていたのだ。そして、それら4、5台のいかめしい白バイたちは「天国」の時間の終了をどうやら告げていたらしいのだ。その証拠にパトカーの後ろには長大なクルマの流れが続いていたし、うっかり車道に残っていた人たちがあわてて本来の歩道に走りこんだりしていた。こうして大通りは「通常」に復していった。

 「歩行者天国」。だれが言い出したのかはともかく、近年とみに増えてきた交通事故が「交通地獄」ということばを生み出したのに対する呼び名のようであった。
  歩行者天国は、確か四月のある日ニューヨーク五番街で施行されたのがきっかけとなったもので、日曜日の、一定時刻以外は全通りを歩行者に開放するという、クルマ追放運動であった。実は、その第一回の施行日にたまたま私は出くわした。現地ニューヨークでは、その日を確か「Earthday」と呼んでいた。

 その日、あるニューヨーカーに、今日はアースデイだからキャブ(タクシー)は拾えないとの忠告を受けたのだが、私はそのアースデイといった耳慣れない言葉の意味が分からなかった。が、見てみるとセントラルパークから多分32丁目あたりに及ぶ五番街からクルマの姿は消えていた。地球を人々が取り戻す日だったのである。
 東京都の美濃部知事が、日本ではいちはやくそれを評価し見習った。そして、さっそく七月の暑い夏の日、銀座を始め新宿、浅草で日本版アースデーを実施した。
 クルマ締め出しの人気は圧倒的だった。続いて、渋谷・池袋などの繁華街でも毎日曜日、歩行者天国が実施されることになった。人間が失った、いや、クルマによって不本意にも略奪された道路を人間が取り戻す、というより「時間借りする」ことになったのである。
 以後、この「いじらしい祭典」は全国のいくつかの中小都市でも催されることになった。

 続きは、また。(了)