<戦没者慰霊碑>
タイ北部は、日本のインパール作戦に従軍した兵隊さんたちが多勢眠っている地でもあります。
チェンマイ在住の友人の案内で、隣県ランプーン方面のちょっとわかりにくい地にある戦病没者追悼碑を参拝してきました。
それは、ある学校の敷地内にありました。
バーン・カート・ウィタヤコム中高校
学校の敷地内の奥の方へ行くと、案内板がありました。
「戦病没者」とあるように、熱帯で栄養不足と過労で病気にかかって亡くなった方も
多勢いらしたのですね。
この日もとりわけ暑い日ざしを受けていましたから、
どんなに苛酷な行軍だっただろうと思いを馳せ、胸が痛みます。
この学校の敷地内に追悼の日が建てられたいきさつが
下記に書かれていました。
鐘を突いて追悼します。
追悼の碑
此の地に |
チェンマイ市内、城壁に囲まれた旧市街の中(土曜ナイトマーケットの開かれる辺り)に
銀色のお寺が2箇所あります。そのうちの1つ、街角にこんな牛が祭られているお寺にも
日本人戦没者慰霊碑があります。
お寺の名前は、ワット・ムーンサーン
銀色の本堂の反対側にある建物
正面のメートラニ(水の女神)像の裏側に隠れるように
小さな戦没碑がありました。
西日に照らされて、ここも熱帯の暑さ厳しく、
慰霊されている方々の辛さ、苛酷さを、またも思わずにはいられませんでした。
一方、タイ南部、マレー半島の細長い部分の東海岸は
1941年12月8日に日本軍が(タイの承認を得る前に上陸して)戦闘のあった地です。
タイのピブン首相がすぐに停戦命令を出したので、殆どの上陸地点では半日ほどの短い戦闘だったそうですが、
それでも日本兵、タイ兵がたくさん命を落としました。
中でも、プラチュアップキリカンでは、無線機の故障で停戦の連絡が遅れ、戦闘は36時間続いたそうです。
タイでは数年前に、「少年義勇兵」という映画が作られ、当時の史実を描いて
戦争の愚かさを伝えています。
プラチュアップキリカンという県の県庁所在地は、その東海岸にあり
静かな湾がいくつもある、私の好きな県です。
プラチュアップ湾
その地にある空軍の基地内には、アオ・マナオ(マナオ湾・・マナオはタイのライムで、まん丸の球状)という
美しい浜があり、一般の人々も自由に出入りすることが出来ます。
空軍基地ですから、滑走路がありますが、道路が滑走路を横切っていて
なんと踏切があり、飛行機が離着陸する際には、踏切がおりるようになっているようです。
この先に、戦没者慰霊碑のある場所がありました。
慰霊碑には亡くなったタイ兵士の名前が刻まれています。
それから、浮き彫りの石碑もありました。その説明は:
資料館がありましたが、写真が数枚展示されているだけで、映写室もありますが、
見るべきものはあまりありませんでした
↓
昔の飛行機が並んでいます。
静かで美しい海がそこにあります。
兎にも角にも、戦争は決して起こしてはならぬという気持ちを強めるのでした。
ところで、この軍のゲートはこんなふうです。
そして、こんな看板もあり、「いらっしゃい」と言っています。
平和なマナオ湾
2009年8月20日