その1

タイのバスは面白い。

警笛を鳴らし、お客を詰め込んでスピードを出すから、よくひっくり返って危ないと言われるが、全国隈なく縦横に走っているバスは、庶民の強い味方だし、外国人の私には、毎回興味を惹かれるような面白いことに出くわせる飽きない乗り物だ。

鉄道より速く客を運んでくれる遠距離バス。エアコンバスであれば、車体の塗装も派手できれいだし、車内のシートやカーテンや棚も、ちょっと危なっかしいところがあるけれど、ざっと見たところはきれいである。テレビもついている。時々いいところで途切れることがあるとはいえ、(車掌お好みの)映画とかカラオケビデオ、お笑いなどを 見せてくれる。エアコンバスでもランクが少しいいと、距離と時間帯にも寄るが、軽食と冷えた水のボトル(すぐ温まるのは言うまでもないが)を配ってくれたり、カップで氷入り炭酸飲料のサービスがあったりする。暑い日中は冷房をがんがん効かせる、それはいいが、運の悪い席に当たった人は、ポツポツと垂れてくる水を我慢しなければならなくなる。太陽の当たる窓側は、そのままでは冷房なぞ効かずにものすごく暑いから、カーテンを引いて遮光したい、でも、どのバスでも カーテンは布を節約してギリギリしかないから、カーテンの隙間に当たった人は、揺れる車内でなんとかしてそのカーテンの隙間が開かないように工夫しなければならない。前後の人にお構いなく余裕を持たせて引き寄せている人もあれば、どこからか洗濯バサミを出してそれで2枚をぴったりと合わせて留めている人もたまに見かける。実際、ぽたぽたと冷房水を頭に受けながら、カーテンの隙間が大きく開いてしまって直射日光にも攻められている気の毒なおじさんが3−4席前に座っているのを見たことがある。でも、その受難者おじさん、2−3時間後には無駄な抵抗をやめて、ぐっすり寝入っていた。長時間走るバスはオーバーヒート気味、途中から後部のエンジンカバーを開けっ放しで走る。最後部に座った人は、どこの隙間からかその熱風が入り込むらしくサウナ状態になることもある(実は私が経験済み。)

エアコンバスには運転手、助手、車掌の3人あるいはそれ以上がつく。助手は大型荷物をバスの横腹に詰めたり出したり、走り出してからは運転手の横に座って、ドアの開閉と客の呼び込みを担当したり、時には運転手の飲食物を買出しに出向いたりと、雑用が多い。車掌は、たいてい女性であるが、切符をチェックしたり、飲み物サービスをしたり、席の調整をしたりと、ある程度落ち着いてしまえば用事のほとんどない業務である。したがって、バスが出発して1時間もすれば、開いている席に座って眠りこけていたり(ある車掌は、小さな枕を携帯していた)、逆に運転手の横でひっきりなしにお喋りしていたり、客にコーラなど配ったあと、自分は流行のパック入り(甘い)緑茶を飲んでいたり、好き勝手である。ロイエットからバンコクへのバスは、途中コラートで食事休憩があったあとは、3時間以上何も用事がないから、車掌さん、完璧にお昼寝タイムと化していた。運転手は、助手相手におしゃべりなどして、眠気を予防している模様である。途中で調達した果物や菓子など食べて気を紛らわす必要もあるようだ。

あるときなど、運転手一族が乗り込んでるのか、と思えるようなバスがあった。そのバスは結構大型で、運転手席が広く区切られ、最後部も車掌室といった感じに区切られていた。一族(?)の一部は最後部へ。大型の茶色い犬は運転手席部分へ。犬?!そう、そのときは犬も乗ってきたのだ。で、どうなるかと思ったら、なんと、その犬は、運転手席部分の後ろ辺りにある蓋つきベンチの中に入れられてしまった。ベンチには、一族のうち、おばさんと若い男性がすわっていたが、中の犬が目的地で果たしてのびてなかったどうか・・・最終地まで行かなかった私にはわからない。

比較的秩序だったエアコンバスでも事ほど左様に楽しめるが、これが普通バスとなると面白さも千差万別。

車体は、錆びを隠しもせぬ年季の入りよう。窓は開いているが均一とは言い難い。開閉の途中で止まり、か弱い女性の力では何ともしがたいほど固まった窓もあるからだ。カーテンは、全国どのバスでもよく統一がとれていて、丸く縛ってぶら下がっていたり、レールに留めてあったりする。日差しが強くておろしたい人がそれをほどいて下ろすようになっている。けれど、ちょっと考えてみればわかるけれど、エアコンのない普通バス。暑くて窓を開ければ、カーテンは風にはためき暴れん坊のように顔に振りかかる。端を必死に握ってとにかく日差しを遮るよう、自分で調整しなければならない。しかし、そんな車内で、不思議なことに平然と長袖を着ている乗客は必ずいる。毛糸の帽子をかぶったお爺さんだってよく見かける。もっとも、ドアを開け放して走るから、いくら暑くたって、風をまともに受ければ長袖を着たくなるかもしれない。

普通バスの一番の楽しみは、バスターミナルや主要なバス停に止まったときに、ドヤドヤと乗り込んでくる物売りだ。焼き鶏を串刺しでもち米とセットで売ったり、果物を食べやすいように切って袋に入ったのや、ゆでた鶉卵や南京豆や串刺し卵(不思議なことに黄身と白身が混ざり合って塩味の、実においしいカイピンという名のゆで卵、3個一串)を売ったり、ルークチンという鶏や魚などの揚げミートボールタレつきを袋に入れて売りに来たり、飲み物各種をぶら下げて来たり、中にはどういうわけか歯ブラシを売りに来たり・・と、とにかくこのうちの一つくらいは誰が買わずにおられようか。運転手だって食べながら飲みながら運転しているというのに。

さて、普通バスの場合は、エアコンバスよりもっと家庭的である。あ、家庭的、というのは文字通り、運転手一家が仕切っている、という意味である。ま、そうでない場合もあるだろうが、よくあるパターンは、父が運転手、息子や娘が車掌。夫が運転手、妻が車掌。この間乗った、隣県行き1時間区間の普通バスは、始め、ワンマンカーであった。出発して町外れに来たところで乗客もそろったことだし、運転手は路肩にバスを寄せてやおら運転席から立ち上がり、切符を切り始めた。ワンマンカーか、タイで珍しいな、と思った。それから少し走ると、あるバス停で止まったが、運転手は降りていって1−2分戻らない。やがて小さな女の子を抱っこして戻ってきて、自分の横の席に座らせた。ははーーん、次は奥さんだろう、と察しをつけたら案の定、ポリ袋をいくつか提げた女性が乗り込んできた。胸に斜に大きなポシェットをかけている。車掌バッグである。「ええ、皆様、大変お待たせいたしました」などの口上は一切なし。お母さんと一緒に座りたいよーーーとせがむ幼子を抱き寄せて、荷物の中からお菓子と哺乳瓶を出してあてがい、時々乗り込む乗客の切符を切る、強きたくましい母親車掌。夫の運転手と内輪話も交わす余裕。タイではこういう風景は日常茶飯、乗客だって何も不思議に思わないのだ。とにかく、目的地に運んでくれさえすればよいのだ。

田舎だからではない。バンコク都心も真っ只中を走る普通バスだって事情は同様。あるとき、バンコクの東北バスターミナルを起点としてワールドトレードセンターからサヤームを抜けてホアランポン鉄道駅まで行くバスに乗ったときのこと。妻・車掌がもち米と焼き鳥をもって乗りこんで準備完了、出発。まだ客の少ない最初の5分間で、夫・運転手の遅い昼食タイムである。まだ新婚かと思われる若い運転手と車掌。運転座席やギヤやその周辺には、青いレース網飾りが施されて、なかなかマイホーム仕立てである。さて、市街に入って客の乗降も激しくなり、腹ごしらえを終えた夫・運転手は業務に専念。妻・車掌も切符切りに忙しい。と見ると、切符を切りながら、別の仕事もしているではないか。夫・運転手のそばに吊るした袋には青いレース糸。そこから引っ張って何やら青いレース網がかなり出来上がってきている。結構フリルも入れて網目も単純とは言い難いほどなのに、切符きり業務の合間のほんの短い時間も惜しんでレース網。これには私も、あきれるを通り越し、思いっきり感心してしまった。けれど、そのあと合点がいった。都心に入った途端、世界一の渋滞。渋滞に巻き込まれているうちに、30分1時間経ち、サラリーマンの帰宅時刻でさらなる渋滞。もうバスは前方の信号が何度赤から緑に変わろうが、動けない。覚悟 して乗っている乗客、うんざりしながらも毎度のことで鍛えられている。その無駄としかいえぬ時間を最も有効活用しているのが、妻・車掌なのであった。青いレース網グッズは毎日毎日できあがって、あのマイホームバスの車内を飾っていることであろう。あっぱれ!

ところで、マイホーム仕立て、という言葉を使ったが、実際、普通バスは運転手の所有か賃貸であることが多いらしい。だから、音楽の好きな運転手のバスだとスピーカーの大きいのが取り付けられていて、開け放した窓から気持ちよく入ってくる自然の風と賑やかな音楽を楽しめたりする。さらにテレビを取り付けて、普通バスなのにカラオケ映像を楽しめたりするバスもある。お守りの仏像や偉いお坊様の写真や呪文を前面に貼っているバスがほとんどだが、好きな文句や宣伝や写真を貼って、造花で飾りつけたバスも多い。
(←タイ南部で)

床板にちっちゃな穴が開いていて走る道路が見えてしまったり、窓を閉めてもスコールの雨粒が滲み込んでくるバスもあるが、4−5月の暑季以外なら、自然の風が気持ちよい普通バスは、面白くて飽きない。

6/6/'04

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