PLEASE PLEASE ME

WITH LOVE ME DO AND 12 OTHER SONGS

THE BEATLES
LONG PLAY
Release Date

MONO PMC1202 1963年3月22日
STEREO PCS3042 1963年4月26日


PLEASE PLEASE ME
UK ORIGINAL VINYL ALBUM SLEEVE


PLEASE PLEASE ME
CD[CP32 5321 1987年2月27日発売]

Side 1
I SAW HER STANDING THERE
アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
2′52″
(McCartney - Lennon)
Dick James Music Co.

MISERY
ミズリー
1′47″
(McCartney - Lennon)
Dick James Music Co.

ANNA (GO TO HIM)
アンナ
2′54″
(Alexander)
Shapiro Bernstein &Co. Ltd.

CHAINS
チェインズ
2′23″
(Goffin - King)
Aldon Music. Charles Bens. BIEM. NCB. Mecolico

BOYS
ボーイズ
2′24″
(Dixon-Farrell)
Ardmore&Beechwood Ltd.

ASK ME WHY
アスク・ミー・ホワイ
2′24″
(McCartney - Lennon)
Dick James Music Co.

PLEASE PLEASE ME
プリーズ・プリーズ・ミー
2′00″
(McCartney - Lennon)
Dick James Music Co.

Side 2
LOVE ME DO
ラヴ・ミー・ドゥ
2′19″
(McCartney - Lennon)
Ardmore&Beechwood Ltd. Dick James Music Co.

P.S. I LOVE YOU
P・S・アイ・ラヴ・ユー
2′02″
(McCartney - Lennon)
Ardmore&Beechwood Ltd. Dick James Music Co.

BABY IT'S YOU
ベイビー・イッツ・ユー
2′35″
(David - Williams - Bacharach)
Ludix Music Ltd.

DO YOU WANT TO KNOW A SECRET
ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット
1′56″
(McCartney - Lennon)
Dick James Music Co.

A TASTE OF HONEY
ア・テイスト・オブ・ハニー (蜜の味)
2′01″
(Scott - Marlow)
Ambassador Music Ltd.

THERE'S A PLACE
ゼアズ・ア・プレイス
1′49″
(McCartney - Lennon)
Dick James Music Co.

TWIST AND SHOUT
ツイスト・アンド・シャウト
2′33″
(Medley - Russell)
Sherwin Music. BIEM. NCB. Mecolico

アルバム解説

 THE BEATLESの記念すべきデビュー・アルバム
 このアルバム収録曲は、それまで録音・発売済だったシングル曲A面 LOVE ME DO, PLEASE PLEASE MEと、そのB面 P.S. I LOVE YOU, ASK ME WHYと、アルバム用に1963年2月11日一日で録音された10曲を併せた計14曲です。1963年2月11日当日の録音時間は585分とされています。

 レコーディング・セッションは、シングルPLEASE PLEASE MEがチャート上の勢いを失わないうちにアルバムを発売したいと考えていたEMIの意向に従い、ツアーの合間を縫っての強行スケジュールで行われました。しかも1963年冬はUnited Kingdomにインフルエンザが猛威を奮っており、録音当日Johnは風邪気味で喉の調子が完全ではありませんでした。これは今でもレコードを聴けばかなり声がハスキーであることで確認できます。とはいえ、本人達の意気込みは相当なものだったことが当時を振り返って語られたエンジニア達の言葉からも分かる−

『THE BEATLESのメンバーは、ピアノの上にのど飴を置き、レコーディングの最中それをなめていた。そのくせピーター・スタイヴサントのタバコを吸っていた。セカンドエンジニアのRichard LanghamとエンジニアのNorman Smith、プロデューサーのGeorge Martinは昼食にパブ・ヒーロ・オブ・アルマにいき、パイとビールを注文した。スタジオに戻ってみると昼食の間もメンバーはミルクを飲みながらリハーサルを続けていた
22時スタジオを閉めなければならない時間でもアルバムを埋めるにはまだ1曲足りなかったので、全員でアビー・ロード・スタジオの簡易食堂にいき、最後の1曲を決めた。“John Lennonはのど飴をいくつか口に放り込みミルクでうがいをして” TWIST AND SHOUTを歌ったのだ。 「彼らがあの曲(TWIST AND SHOUT)を歌うのを聴いていて、思わず飛び跳ねたくなったよ。驚異的な演奏だった」
by Richard Langham

担当ではなかったクリス・ニールも絶賛のコメント「Johnは上半身裸になってものすごいヴォーカルを録ったんだ。翌朝Norman Smithと僕は、スタジオのコピールームをまわってみんなにテープを聴かせながら『すごいだろう!』」と言って歩いたよ。」

Sleeve Design

 スリーブ(ジャケット)の写真はAngus McBeanによる撮影です。撮影場所はManchester SquareにあるEMI House(Electric & Musical Industries Limited本社)の入り口にある吹き抜け撮影日時は1963年2月16日もしくは2月20日とされています。スリーブ(ジャケット)制作と印刷はErnest J. Day & Co. Ltd., Londonという会社です。

 ジャケットの写真はレコードのプレスの時期によって、そのカラートーン、トリミングの位置が異なり、さらには写真に修正が加えられているものもあります。そしてレーベルのロゴ、MONO、STEREOという文字の位置と大きさ、Angus McBeanという文字の位置も異なります。 ちなみに右上からJohn Lennon、George Harrison、Paul McCartney、Ringo Starrと写っています。

 John Lennonはこのスリーブ(ジャケット)デザインからGET BACK(未発表。のちに内容を変更しLET IT BEとして発表)のスリーブ(ジャケット)デザインを考案しました。結局それは1973年に発表されたTHE BEATLES 1967〜1970に使用されました。 George Harrisonはこのスリーブ(ジャケット)デザインは気に入らないとコメントしています…。

アルバム収録曲解説

Side 1


I SAW HER STANDING THERE

Recording Date 1963年2月11日
Edit Take 9 and Take 12 (Take 1)

 I SAW HER STANDING THEREはPaulのカウントで始まる初期にして最も完成されたRock'n'roll numberのひとつです。演奏自体はJohnが4拍裏のRhythm Guitarで応える形でスタートします。
 Paulが1962年9月に、自宅(20 Forthlin Road, Allerton【アラートン・フォースリン・ロード20番地】)の居間で、 Johnの協力のもと(Johnが歌詞の一部−当初SHE'D NEVER BEEN A BEAUTY QUEENだった部分をYOU KNOW WHAT I MEANに修正)、書上げた曲です (10代のころ学校をサボって書いたという説もありましたが−本人も学校をサボって書いたとコメントをしていますが−、 ここではMANY YEARS FROM NOWの本人のコメントを採用します。 1962年9月の時点でPaulは20歳になっているため)。当初はSEVENTEENというタイトルで呼ばれ、 それはWorking Title (レコーディング・セッション時の仮タイトル)まで使用されました。 曲の殆どはTake 1から採られていますがカウントはTake 9を使用し編集されています。エンディング部分も編集されています。 ベースラインは、Chuck BerryのI'M TALKING ABOUT YOUをヒントにしていますが、 Paulのベースラインは厳密にいうと一曲を通して全く同じパターンを弾いているのではなく、かなりアドリブが入っています。 GeorgeのGretch Duo Jetを使用したギターソロもTake 1から採られていますが、彼はこれより後のテイクでもライブでも一度もこのメロディのギターソロを弾いていません。 リバーブ(残響音)が強めにかかっています。 リバーブは、2トラック、ライブ一発取りという制約上に加え、他の楽器にリバーブが掛かっていないので、 リアルタイムでエンジニアが掛けているものと思われます。Ringoはバスドラを踏む回数が非常に少ないプレイしています。 ハンド・クラップはオーバー・ダビングです。

MISERY

Recording Date 1963年2月11日
Take 16

 MISERYは1963年1月26日Stoke-on-TrentのKing's Hallに出演中だったJohnとPaulが楽屋で書き始めた曲です。
 本来は1963年2月から始まったツアーのメインアクトだったヘレン・シャピロ(当時16歳)にプレゼントするために書かれた曲でした。当時THE BEATLESは彼女の前座を務めていました。ヘレン・シャピロがナッシュビルでレコーディングの予定があることを知ったJohnとPaulはそのセッションの候補曲として仕上げました。この曲のデモテープはEMIコロンビア・レーベルのノリー・パラマーに渡されましたが、彼は歌詞があまりも悲観的だという理由で却下してしまいます。ヘレン・シャピロは2月2日のツアー初日にYorkshire【ヨークシャー州】ブラッドフォードのコンサートで、初めて曲の提供があった事を聞かされますが、それは既にノリー・パラマーがボツで話をまとめた後のことでした。
 その後同じくツアーに同行していたケニー・リンチという黒人歌手に取り上げられことになります。そして彼はTHE BEATLES以外で初めてLennon - McCartneyソングをレコーディングした歌手として記録されることになります。
 MISERYは最終的にはTHE BEATLES自身のデビュー・アルバムにも収録されることになります。全編にわたりJohnとPaul 2人がヴォーカルを取っていて、ほとんどユニゾンで歌い、強調するところのみをコーラスにしてメリハリをつけています。歌詞の内容に反して曲自体はブルースのコード進行は採っていないためブルージーな感じはあまりしません。Johnは「John(僕)の歌みたいに感じるだろうけれど(Paulと)一緒に(曲を)書いた」と述べています。ピアノは2月20日にGeorge Martinによってダビングされています。

ANNA (GO TO HIM)

Recording Date 1963年2月11日
Take 3

 オリジナルはJohnのお気に入りの黒人歌手である Arthur Alexander【アーサー・アレキサンダー(アレグザンダー)(1940年5月10日−1993年6月9日)】によって書かれたR & Bナンバーです。 彼の3枚目のシングルで1962年9月17日にドット・レーベル(米Dot 16387)から発売され、アメリカのチャートで68位まで上昇した曲です。イギリスではLondon 45-HLD 9641のカタログ番号で発売されました。
 THE BEATLESはピアノのリフをギターに置き換え、ギター中心のアンサンブルにしています。JohnはDarling you'll be free(ダーリン、君はもう自由だ)という歌詞をI will set you free(僕が君を自由にさせてやる)と変更して歌っています。

CHAINS

Recording Date 1963年2月11日
Take 1

 オリジナルは黒人コーラス・グループのThe Cookies【クッキーズ】です。オリジナル・ヴァージョンは1962年10月2日に発売され、アメリカのチャートで17位まで上昇しました。
 THE BEATLESはオリジナルにはないハーモニカを加えたアレンジにしています。

BOYS

Recording Date 1963年2月11日
Take 1

 オリジナルは黒人コーラスグループのTHE SHIRELLES【シュレルズ】です。オリジナル・ヴァージョンは1960年11月7日に発売され、アメリカのチャートで1位を獲得したWILL YOU LOVE ME TOMORROWのB面に収録されました。
 もともとはオリジナルドラマーだったPete Bestの持ち歌でした。

ASK ME WHY

Recording Date 1962年11月26日
Take 6

 John Lennonがメインで作曲したLennon - McCartneyオリジナル曲で、1962年頃書かれたと思われます。John Lennon独特のコード進行を持つ曲で、レナード・バーンスタインが絶賛したことがあります。1962年6月6日 1st Recording Sessionに持ち寄られたLennon - McCartneyオリジナル曲4曲の中の1曲。デビュー前から演奏されたことのあるナンバーです。1962年6月11日収録、同月15日放送のBBCラジオ番組「ティーンエイジャーズ・ターン」で演奏、Lennon - McCartneyオリジナルで初オンエアされた曲です。 イントロはSmokey RobinsonのWHAT'S SO GOOD ABOUT GOOD BYEにインスパイアーされているという説があります。

PLEASE PLEASE ME

Recording Date 1962年11月26日
Edit Take 16, 17 & 18
Release Date 11.JAN.1963 45-R4983

 セカンド・シングルとして1963年1月11日発売されたアルバムのタイトル・チューンです。当時のUKチャートで1位、公式チャートでも2位まで上り詰めTHE BEATLESのその後の成功を確実にした曲として有名。John Lennonがメインで作曲したLennon - McCartneyオリジナル曲です。JohnはRoy OrbisonONLY THE LONLEYという曲のイメージを念頭に、 Menlove Avenue 251番地のMendipsの自宅で、この曲を書きました。 PLEASEという言葉を重ねるというアイデアはBing CrosbyPLEASEという曲の歌詞Please lend a little ear to my pleasからインスパイアーされています。 ちなみに2番目のPLEASEは動詞で"喜ばす"という意味です。
 1962年9月11日にレコーディングが開始された当初は、“とてもスローで、ヴォーカルはブルージーで、Roy Orbisonみたいなナンバー”だったとGeorge Martinは回想しています。さらにこの時点でも3番の歌詞がなかったため非常に短い曲でした。その後George Martinのアイデアにより曲のテンポを上げ、3番に1番の歌詞を繰り返すというアレンジがなされました。1962年11月26日に再度レコーディングされ、このときのテイクがセカンド・シングルに採用されました。MonoとStereoで3番の歌詞と歌いまわしが異なります(ステレオ・テイクで3番の歌詞を間違って歌っているということです)。
 つまりこのヴォーカル・テイクは、複数のテイクからベストを抽出・編集したものをもとにモノラル・ベスト・テイクが作成され、その後さらにステレオ・テイクも"別に"作成されているということです。上記のとおりステレオ・テイクの3番の歌詞が間違って歌われていることはかなり以前から指摘されていましたが、1番の2行目から−I KNOW〜をWHY KNOWと歌いそうになっている−と思われるのですがいかがでしょうか?もしそうだとするとステレオ・テイクは歌詞の間違いが多く、音程のみを重視して作成されたとしか思えない。ちょっとぞんざいですね。
『THE BEATLES ALL SONGS GUIDE TO 213 OFFICIAL RECORDING ザ・ビートルズ全曲バイブル 公式録音前213曲完全ガイド』で指摘されているステレオ・バージョンの0′31″、0′32″は確認できますが、コンピューターが拾い出したというノイズはほとんど確認できません。ライブではメロディ(歌いまわし)を若干変えて歌っているようです。


Side 2


LOVE ME DO

Recording Date 1962年9月11日
Remake Take 18

LOVE ME DO SINGLE VERSION(Recording Date 1962年9月4日)のRemake版。

John Lennon: Hohner Chromatic Harmonica, Acoustic Guitar (or Rickenbacker 325?)
Paul McCartney: Hofner Bass
George Harrison: Acoustic Guitar Hofner Acoustic Guitar ヘフナーアコースティックギター スタジオ備品 (or Gibson - J 160 E Acoustic Guitar?)
Ringo Starr: Drums (SINGLE VERSION 1962年9月4日)
Pete Best: Drums (ANTHOLOGY 1 VERSION 1962年6月6日)
Andy White: Drums (ALBUM VERSION 1962年9月11日)

 Recording Date
  1962年6月6日 1st Recording Session ANTHOLOGY 1 VERSION
  1962年9月4日 2nd Recording Session SINGLE VERSION
  1962年9月11日 3rd Recording Session ALBUM VERSION

Release Date 1962年10月5日 45-R4949

 THE BEATLESの記念すべきデビュー曲。
 Paul McCartneyが16歳の頃に作曲しJohn Lennonがミドル・エイトを手伝いました。
 この曲に関してJohn Lennonは「LOVE ME DOはRock'n'rollだよ。かなりファンキーな。ポイントはハーモニカ」[THE BEATLES ANTHOLOGY]とコメントしています。僕は最高にカッコいい曲だ!!!と思っています。

 イントロのJohn LennonのChromatic Harmonica【クロマティック・ハーモニカ】が最高です(もしくはMouth Organと言うべきでしょうか。John LennonはBlues Harpではないと言っています。John Lennon本人はこれらを細かく定義し、言葉を使い分けているみたいです。Paul McCartneyもインタビューで使用したのはクロマティック・ハーモニカだと言っています)。
 イントロのJohn LennonのChromatic Harmonica【クロマティック・ハーモニカ】は本当に個性的なソロだといえます。そのメロディ・ラインはメインの歌のメロディと同じくらいの存在感と重要性を持っています。敬愛する黒人音楽BluesからRhythm and Blues…辺りの影響を受けて、黒く、そして尚且つケルト色(アイルランド民俗音楽・スコットランド民俗音楽)を感じさせてくれます(この点についてはANTHOLOGY 1に収録された1962年6月6日 1st Recording Session Takeを聴いてもらえばわかってもらえると思います)。John Lennonのキャリアの中でもこのハーモニカほどに存在感を持ったソロというのはそう多くはありません。
 Pete Bestは、ハーモニカは1962年4月10日に亡くなったJohn Lennon の親友のStuart Sutcliffeに捧げてつけたとコメントしています。

 Lead VocalはPaul McCartneyで、下側にChorusを付けているのがJohn Lennonです。もちろんVocalもHarmonyも最高です。
 最初はJohn LennonがBreakした後のソロのVocalを担当していましたが、Recording当日Harmonicaのアレンジを急遽変更し、Paul McCartneyがそのパートを歌うことになりました。Paul McCartneyは、本来自分が歌うべきところではないパートを突然歌うことになり非常に緊張したというエピソードを語っています。Single Takeでも緊張のあまり少し声が震えているのがわかるけど、それも初々しくってよいと思っています。

  Guitarについてですが、John Lennonが、この時期のRhythm SectionをRecordingしている時に"不参加らしい"のです。George Harrisonが、うまくパターン化されてまとめられているGuitarを聴かせてくれます。

 まあ一番の難点はAlbum TakeがRingo StarrのDrumsじゃないってことでしょうか。Ringo Starr本人ですらどちらのTakeを自分で叩いたのか記憶が定かではないのか、THE BEATLES ANTHOLOGYの中で自分が叩いたTakeを勘違いしているようですが…。

 なぜこの曲が記念すべきTHE BEATLESのデビュー曲に選ばれたのか?
 僕の意見としては以下の通りです。
  まず自分たちだけで挑戦した初めての曲であること。
  John Lennonが最初に手にした楽器で愛着のあったハーモニカでイントロを飾れること

  さらにハーモニカでソロをとれる事(本来は歌でもソロがとれた)。
  そのハーモニカは親友のStuart Sutcliffeに捧げられていること
  Paul McCartneyのオリジナルでありJohn Lennonも手伝っていること
  敬愛する黒人音楽のスタイルを踏襲していること
  歌詞に普遍性があること
  ブルース風で重たいリズムが当時としては斬新であったこと

 LOVE ME DOのハーモニカのイントロはいつ付けられたのかという疑問が残ります。 先述の通り、Pete Bestは、ハーモニカは1962年4月10日に亡くなったJohn Lennonの親友のStuart Sutcliffeに捧げてつけたとコメントしています。Peteの発言を基にすると、John Lennonがその死亡の事実を知った1962年4月11日以降ということになります。 Paul McCartneyの回想で「『誰かハーモニカを吹けないか?その方が上手くい思うんだが。他にブルース風のアイデアはあるかい? John?』」とGeorge Martinに言われてJohn LennonがChromatic Harmonica【クロマティック・ハーモニカ】を吹いたんだ−とあります。つまりこの発言からはセッションの途中までハーモニカが入ってなかったようにもとれます。ANTHOLOGY 1 VERSIONによりこのGeorge Martinの発言は当然ハーモニカのイントロが入っている1962年6月6日時点のものだと分かります。つまりLOVE ME DOのハーモニカのイントロが付けられたのは、1962年4月11日から1962年6月6日の間であるということになります。 しかし、George Martinはハーモニカを気に入ってデビュー曲にLOVE ME DOを選んだとも言っており、そうすると上記の発言と矛盾するようにも思えます。 デルバート・マクリントン直伝のハーモニカです

「Paulがあの曲を書き始めた頃はまだ15歳くらいだった時で僕たちは数年かけて曲を完成させた。自分たちだけで挑戦した初めての曲だ。僕たちは他の人たちが書いた素晴らしいナンバーを演奏していて、それから自作曲を採り入れ始めた。レイ・チャールズやリトル・リチャードの曲をやっていた人間がオリジナルに挑戦するのは何かと気苦労の多いことだった。LOVE ME DOをいきなり歌い始めるなんて、簡単じゃなかったさ。自作曲は少し湿っぽい、と僕たちみんなが感じていた。」
by John Lennon
[THE BEATLES Off The Record ザ・ビートルズ 失われたインタビュー集 非公式の真実]

「『誰かハーモニカを吹けないか?その方が上手くい思うんだが。他にブルース風のアイデアはあるかい? John?』」とGeorge Martinに言われてJohn LennonがChromatic Harmonica【クロマティック・ハーモニカ】を吹いたんだ。ソニー・ボーイ・ウィリアムソンのようなブルース・ハープじゃなくてザ・グーン・ショウのマックス・ゲルドレイみたいなハーモニカだけどね。
僕も持ってはいたけど、Johnの方が上手かったから。Johnは“オー、キャンプタウン・レーシズ…”っていうのも吹いてたよ。いつかムショに入ることになったら、ハーモニカを吹くんだって言って。

 ハーモニカ・ソロが歌の始まりと重なるから、あの最初の“LOVE ME DO”が突然、僕に振られたんだ。ほら、一旦すべてが止まってしまうところ。それまでのセッションではJohnが歌っていたから、いきなり僕はどう歌えばいいか分からなくて。とにかく初めてだったんだ。『君がこのラインを歌って、Johnのハーモニカとクロスオーヴァーする。じゃあ、やってみよう』とGeorge Martinに言われて、“PLEASE”ってハーモニーの後に、“…LOVE ME DO”。今聴いても、僕の声が緊張してるのが分かるよ!第二スタジオから上の部屋の窓を見げたら、George Martinが『すごくいいよ』と言ってくれたのを覚えてる。

 ところが、Liverpoolでザ・ビッグ・スリーっていうバンドのベース・プレイヤー、ジョニー・グスタフスンに会ったら、『あの“LOVE ME DO”の部分はJohnが歌った方がずっといい』って言うんだよ。そう言われてもねえ。 だから、『いや、だから、あの曲はブルースだからさ』なんて言ってね。少なくとも、“ハウ・ドウ・ユー・ドウ・イット”よりはブルージーな曲だったってことだよともかく、これで僕らはスタートした。ソングライターとしての僕らのキャリアもスタートした。『よーし、いい曲を作らないと』と思ったね」。
by Paul McCartney
[MANY YEARS FROM NOW]

「何ヶ月もかけて何度も同じ曲を手直しした。JUST FUN、IN SPITE OF ALL DANGER これ(ら)は僕が仕上げた曲で、Johnは殆ど手直しをしなかった。 僕が書いた曲でLIKE DREAMERS DOというひどい曲があったけど、あれは後にアップルジャックスが歌ったっけ。
(John Lennonが持ってきた)ONE AFTER 909も良くなってきて
それから"LOVE ME DO"が出来た。やっとレコーディングが出来る運びになってそれまでの作曲活動が最高点に達した形であれが出来たんだ。これは完全なる共作だ。最初のアイデアを出したのは僕だったかもしれないけれど他の部分はフィフティフィフティ。あれはそうだったと思う。二人とも特にオリジナルのアイデアもないままに一緒に作ったレノンマッカートニー作品だよ」。
by Paul McCartney
[MANY YEARS FROM NOW]

P.S. I LOVE YOU

Recording Date 1962年9月11日
Take 10

 デビュー曲シングルのA面の候補になったこともありましたが同名の曲がすでに存在していたためB面の扱いとなりました。Johnは「Paulの曲。彼はThe Shirelles【シュレルズ】のSOLDIER BOYのような曲を書こうとしていた。僕らがハンブルクを行き来している頃に書いた曲」と述べています。

BABY IT'S YOU

Recording Date 1963年2月11日
Take 5

 オリジナルはThe Shirelles【シュレルズ】で、1961年12月に発売され、アメリカのチャートで8位まで上昇した曲です。この曲もGeorge Martinによってピアノとチェレスタがそれぞれ2月20日にダビングされましたが、結局ピアノのテイクは採用されませんでした。

DO YOU WANT TO KNOW A SECRET

Recording Date 1963年2月11日
Take 8

 John Lennonが幼少の頃、母親Julia Lennonに歌ってもらっていたウォルト・ディズニーのアニメ白雪姫の『I'M WISHING』という曲の『Want to know a secret? Promise not to tell. You are standing by a wishing well』という部分の歌詞を基に作った曲です。George Harrisonがリード・ヴォーカルを担当した初めて公式曲となりました。JohnはGeorgeにプレゼントすることを念頭に作曲したのではなく、Cynthiaとの新婚生活に触発されて曲を完成させたとコメントしています。Georgeはどう歌っていいのか分からなかったとコメントしています。

A TASTE OF HONEY

Recording Date 1963年2月11日
Take 7

 オリジナルは同名タイトルのミュージカルの主題歌としてボビー・スコット&コンボにより1960年に書かれた曲です。1962年6月4日ヴィクター・フェルドマン・カルテットによるインストルメンタル・ヴァージョンがリリース。
 THE BEATLES(Paul)はレニー・ウェルチが1962年9月17日にリリースしたヴォーカルを加えたヴァージョンを参考にしていると思われます。この曲のレコーディングでヴォーカルに初めてダブルトラックが採用されました。John Lennonはこの手の甘いスタンダードナンバーを嫌っており、よく曲紹介で“A WASTE OF MONEY”と茶化していたといいます。実際オリジナルは相当甘い曲で、ここまでロッカ・バラードに仕立てたのはJohnとGeorgeの功績が大きいと思われます。

THERE'S A PLACE

Recording Date 1963年2月11日
Take 13

 Paulの家 20 Forthlin Road, Allerton【アラートン・フォースリン・ロード20番地】で書かれた曲。
この曲に関してJohn Lennonは「THERE'S A PLACEは黒っぽいモータウンの線をねらった曲だ」と1980年にコメントを残しています。
メインのメロディはJohnですが、高いパートを歌っているPaulのほうが主旋律のように聴こえます。
歌詞はその後のJohn Lennonの世界を彷彿とさせる内省的な内容となっていますが、おおもとのアイデアは、Paulが所有していたレナード・バーンスタインのアルバム『WEST SIDE STORY』に収録されていたSOMEWHEREという曲の中のTHERE'S A PLACE FOR USというフレーズにインスパイアーされています。

「僕らの曲のその“場所”っていうのは、頭の中にあるんだよ。抱き合ってキスする階段裏の場所ってことじゃなくてね。僕らはもっと知的なレヴェルのことを書いているんだ。二人でヴォーカルとって、僕が高音でハモってJohnが下のハーモニー、というかメロディを歌っている。どっちが主旋律かなんて決めないで歌うのが良かったんだ。楽譜を作るなんてつまらない作業をするまでは、そんなこと決める必要はなかったからね。」
by Paul McCartney
[MANY YEARS FROM NOW]

TWIST AND SHOUT

Recording Date 1963年2月11日
Take 1

 オリジナルはトップ・ノーツというバンドがフィル・スペクターのプロデュースで1961年に発表。のちにバート・バーンズがメドレー=ラッセルの変名で改作し、1962年5月7日にアイズレー・ブラザーズがカバー・リリースした曲。
1963年2月11日レコーディングセッション最後に録音された曲。急遽最後の1曲をこの曲にすることが決まったといいます。John Lennonが最後の力を振り絞って歌った素晴らしいレコーディング−John Lennonは長時間のセッションそして風邪気味で喉が限界に来ていたにもかかわらず、レコーディングに際し、上半身裸になり最高のパフォーマンスを行ってくれました。

「1枚目のアルバムは12時間ぶっ通しのセッションでレコーディングした。レコーディング・スタジオに足を踏み入れたのは生まれて初めてだった。レコーディングは12時間で片付けられた。会社は余分な金を使いたくなかったんだよ。一番最後にTWIST AND SHOUTをやる頃には僕はもうヘトヘトになっていた。それでずっと後悔していた。もっとうまく歌えるのにと思ってね。でも今はもう気にしていない。ひどい状態に置かれた一人の男がベストを尽くしいるってのが聴き取れるからね。
 あのレコードでは、出来る限り僕らのライブに近いものを再現しようと努めた。ハンブルクやリヴァプールの客を前にして演奏していたときのサウンドに近づくようにね。クラブの客が足を踏み鳴らして一緒にビートを刻むような、ライブのあの雰囲気まではつかめないけれど、お利口なビートルズになる前のサウンドには、このアルバムが一番近いんじゃないかな。」
by John Lennon

[IMAGINE(写真集)]

 TWIST AND SHOUTこの曲の美しき叫び…
圧倒的なヴォーカルはロック史上最高の名演と謳われます。John Lennon本人は「ただ叫んでいるだけ」と非常に謙虚なコメントを残しています。に多く語り尽くされているので今回はその演奏について。長い間僕はこの曲の演奏も他のアルバム収録曲と同様メンバー4人で行われているものと考えていました。ただアルバム・セッション最後の収録曲であるこの曲を録音する際"Johnは上半身裸で渾身のヴォーカルを聴かせてくれた"と言うエンジニアの人たちのコメントが残されています。と言うことは、Johnはリズム・ギターを弾かずに歌に専念したのでしょうか? この曲は3つの楽器だけでここまでの迫力を醸し出しているのでしょうか?まさかJohnは上半身裸でギターを抱えて歌ったのでしょうか?
答えはレコードにある…Stereo Versionにてリズム・ギターが聴こえるか確認してみると…。Stereo Versionは見事にヴォーカルとバンド演奏が左右に振り分けられているのでヴォーカル側を集中して聴いてみることにします。もしリズム・ギターを弾いているのなら歌を録音しているトラックに回り込んで聴こえるはずです。結果は見事に聴こえませんが、Johnは上半身裸でギターを抱えて歌ったようです。ライブでは2フレットから5フレットをセーハーしてD→G→Aを弾いているのですが。Aの3声コーラスが重なるところでストロークしている音が聴こえますが、これはGeorgeが低音弦と織り交ぜて弾いているだけのような気がしますが確証はありません…。"2人とも全く同じリフ"を"2本のギター"を弾いているという意見もあります。Georgeが弾いているギターについてもGretch Duo Jet(エレキ)ではないような気もしてきました…。イントロの音がGibson - J 160Eをアンプに通している音のようにも聴こえます。あと間奏の弦のテンションの感じもGibson - J 160Eっぽいです。3人の演奏でしかもGibson - J 160Eをアンプに通している音であそこまで迫力が出せるものなのか…謎は深まるばかりです。

Album Recording Session

Album Recording Session 11.2.1963
アルバム・レコーディング・セッション1963年2月11日
Producer: George Martin
Engineer: Norman Smith
Second Engineer: Richard Langham
EMI (Abbey Road) Studios Room 2

10:00〜13:00

THERE'S A PLACE Take 1〜 Take 10

I SAW HER STANDING THERE (Working Title SEVENTEEN) Take 1 〜 Take 9

14:30〜18:00

A TASTE OF HONEY  Take 1 〜 Take 5

DO YOU WANT TO KNOW A SECRET Take 1 〜 Take 8

A TASTE OF HONEY Take 6 〜 Take 7

THERE'S A PLACE Take 11〜 Take 13

I SAW HER STANDING THERE (Working Title SEVENTEEN)  Take 10 〜 Take 12

MISERY Take 1 〜 Take 11

19:30〜22:45

HOLD ME TIGHT Take 1 〜 Take 13

ANNA (GO TO HIM) Take 1 〜 Take 3

BOYS Take 1

CHAINS Take 1 〜 Take 4

BABY IT'S YOU Take 1 〜 Take 5

TWIST AND SHOUT Take 1 〜 Take 2

レコーディングが完了するとメンバー全員でプレイバックを聴こうとエンジニアに要求しました。

PLEASE PLEASE ME 関連マップ

PLEASE PLEASE MEレコーディングに関連した場所を示したマップ。主にロンドン北部を中心にレコーディング、撮影を行っている。

PLEASE PLEASE ME Yellow Parlophone

PLEASE PLEASE ME CD

PLEASE PLEASE MEと僕

 さて、僕とTHE BEATLESとの出会い、つまり初めて買ったTHE BEATLESのレコードはこのアルバムPLEASE PLEASE MEでした。
 それはPLEASE PLEASE MEを聴くために中学生だった僕が買った最初のレコードでもありました。というわけでPLEASE PLEASE MEには特別な想い入れがありますね。
辛口なコメントを残すJohn Lennonが自身のデビューアルバムに贈る最大級の賛辞…「ハンブルクが最高だった。」それに一番近い音を再現し記録していると言われたらもう何も言うことはない、です。
 ダイヤモンドの原石のような輝きを持ちながら、繊細なガラス細工のよう…。たった1つの音を欠いてもこのサウンドは再現できないといったような繊細さ。イギリスのロックとはこういうものだと僕に教えてくれたアルバム。後追いファンである僕が唯一神に感謝したこと、それがこのアルバムを当時のイギリス人と同じようにデビューアルバムとして認識できたことです。
 数えたことはないですがCDを含めて一番持っているアルバムじゃないかな?

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Revised 11/2/2020

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