江戸城


『江戸城寛永度絵図』

『江戸城寛永度絵図』

明暦の大火前後の江戸城本丸図

 この図は、『御本丸寛永度絵図』『寛永度絵図大奥』を基に作成しました。しかしこの両図はタイトルと描かれている内容が異なり、(天守の前に御殿が建ち並んでいること、本丸と大奥の間の仕切り壁が直線ではなくクランク状に曲がっていることなどから)そこに描かれている図は年代が下る万治期初期の様子を記したものと言われています。

概要

 MacintoshとAdobe Illustratorを使って作成した『江戸城寛永度絵図 Rev.6』です。

 江戸城の本丸とその周辺を可能な限り詳細に描き込みました。

制作してみて気がついた点

1. 実際に『国土地理院1万分の1日本橋』のデータと重ね合わせると、江戸時代の図法自体にかなりのゆがみが発生していることがわかりました。特に濠の形と、櫓の向き−つまり『乾二重櫓』『五十三間二重櫓』『梅林二重櫓』、および『汐見二重櫓』から『台所前三重櫓』とその周辺の土塁位置が現在の地形と若干異なります。早い段階で焼失した『遠侍東三重櫓』はおおよその位置で落とし込んでいます。

2. さらに本丸図と大奥図は同時期にペアで描かれたものなのですが、なぜかこれも正確には重なりません。ゆえに大奥との接合部も若干ずれが発生しています。

3. 江戸時代〜明治時代にかけての資料を基に建物の位置を確定していますが、その際、
消失した濠、石垣はもちろんのこと、
本丸玄関周辺
新門周辺、
北の丸
吹上
は非常に著しく地形が変化していたことに気が付きました。
場所によっては盛り土、もしくは整地が行われています。

 オリジナルをご覧になった方はお分かりでしょうが、この『御本丸寛永度絵図』と『寛永度絵図大奥』はゆうに1mを超える相当大きなものです。スキャニングの際にも時代を経た紙ということで伸縮によるずれも発生しているので、ゆがみが発生してしまいます。出来うる限り方眼を元に補正しましたが、南北方向と東西方向に若干ゆがみが発生してしまうことはご了承ください。

 城好き、特に江戸城好きにはたまらない作品に仕上がりましたよ(^^)。
いずれにしてもこれだけの正確さかつ情報量をWebで公開している人はそうはいない…かな?

追記

 さて、大奥といえば平成20年にNHKで放送された大河ドラマ『篤姫』で、主人公の篤姫(天璋院)が当初住んでいた『新御殿』はどこでしょうか?
実はこの図の中にはありません。
江戸城の御本丸は寛永期本丸御殿の配置を基本としていますが、火災に遭い焼失するたびに多少レイアウトが変更になっているのです(特に大奥において顕著)。よって幕末期はこの図より大奥の建物が増えています。篤姫は大奥北側『金名水』と書かれている前(図で言うと下)付近に住んでいました。

更新記録

 前回より大手門まで範囲を拡大しました。現存する岩岐などより正確に追加しました。
現在引き続き二之丸から三之丸にかけて制作中です。

 前回より範囲は縮小しましたが、より拡大し細部まで確認できるようにしました。名称をさらに追加しました。特に消失した建物の資料を基に薄い赤色で追加してあります。現存する建物もより詳細に記載。これらをアタリにどの櫓はこのあたりに存在してのだろうと考察するのも一興ですよ。

現在引き続き二之丸から三之丸にかけて制作中です。氷春友「必要な地図がないのなら作ってしまおうシリーズ・第2弾」でした。このシリーズはさらに続きますよ。

 ついに二之丸、西之丸を追加しました。こうやってみると予想以上に西之丸の規模が小さいことがわかります。おっと伏見櫓と和気清麻呂の文字が切れてしまった。西丸裏門の文字がうまく載っていないのもご愛嬌ってことで。次回修正します。う〜ん、どんどん巨大化していくJPEG(苦笑)。

 ついに紅葉山(初代〜六代までの将軍霊廟建物群)を追加しました。それに合わせて西之丸の配置と道灌濠の形状も微調整しました。
 予想以上に紅葉山の規模が大きいです。東照宮は紅葉山の現在の最高点に存在していたわけではなく、その東南側のやや平坦な部分に建てられていました。これらの建物は明治政府によって撤去され、現存していません。

 吹上の建物も追加しました。
 吹上も立ち入りが制限されているため比較検証が非常に難しい場所です。もしかしたら地形が大幅に変更されている可能性があります。理由の一つとして明治初期の地形図と現在の等高線が著しく異なる場所があるためです。吹上の植生に関しては明治初期の地図を基に記入してあります。

 現代の道路を重ねて表示しました。園内のフェンスも表現してあります。

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Revised 9/2/2020

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