![]() 『江戸城慶長七年江戸図』 |
この図は、『江戸城慶長七年江戸図』を基に作成しました。
MacintoshとAdobe Illustrator 8.01を使って作成した『江戸城慶長七年江戸図』です。
徳川家康が、慶長9年に江戸城の本格的な普請を行う前の本丸とその周辺の建物の位置を文字で示しています。
尚基図に見えるのは現代の水涯線、等高線です。
1. まず御城地と書かれている場所が当時の城の範囲です。当時西丸はまだ建物は築かれていなかったというのが定説です。
2. 平川の流路は現在の日本橋川の東側から南下していたということがわかっていますが、川幅は不明です。なので実際はもっとずっと水量が少ない可能性があります。
日比谷入江は描き込んでありませんが船の御役所 と荷物揚場の間にあったことは間違いありません。
3. 御仮殿という建物が現在の二重橋付近にあったとされています。その名のとおり城が完成するまでの間の仮の御殿なのですが、完成するまで徳川家康はずっとここに居住していたのかなど詳細はよくわかっていません。
Revised 15/8/2010