「あっ…!」
「げっ…!」
そこに立つ人物を一目見て、京一は何とも言えない声を上げる。
人垣を割るようにして現れたのは、当の本人、緋勇龍麻だった。
「こんなとこに集まって、何してるんだと思ったら…」
そう言いながら龍麻は、アン子から掠め取った写真にじっと見入っている。
「これは…」
何か思い当たったような龍麻の表情に、アン子は機を逃さず突っ込んだ。
「丁度良かったわ、その写真について。取材させてくれるわよね?」
予想外の展開に、ギャラリー達も手に汗を握って身を乗り出している。注目を浴びる中、龍麻の口がゆっくりと開いた。
「これは…お前に聞いた方が早いよな、京一?」
「…………」
名指しされた京一は、何故か居心地悪げにだめり込む。龍麻はアン子に写真を示して尋ねた。
「これ、いつ頃撮ったんだ?もしかして文化祭のちょっと前じゃないか?」
「え、ええ、その頃らしいけど…」
「やっぱり」
何かを確信したらしく、龍麻はお世辞にも穏やかとは言えない目つきで京一を睨んだ。
「ほら、証言も出たぞ。惚けてないできりきり白状しろ」
「…………………」
京一は相変わらずあさっての方を見ている。
置いていかれた形の外野一同を代表してアン子が尋ねた。
「ちょっと…どういうことよ?」
「文化祭で、俺達のクラスがオバケ屋敷をしたの、覚えてるか?」
全く関係のなさそうな話ではあったが、とりあえずアン子は頷いた。
「ええ、勿論よ」
文化祭での3ーCの出し物のお化け屋敷は、その豪華さで文化祭一の話題を浚ったと言ってもいい。
元々学内での有名人が多いクラスということで学内の注目度は高かったのだが、学園祭開幕後はその凝った仕掛けとメイクで一般客の目をも引きつけた。
「俺はあの時、案内役をやったんだけど…」
「知ってるわよ。結構な人気だったじゃないの」
仮装でお化けを演じた面々が有名人だったこともあり、文化祭の写真はよく売れた。
特に、お化け屋敷の前で客引きと称してホストの格好で呼び込みをやった龍麻の人気は高く、アン子の裏家業の方では今も懐を潤わせてもらっているのだ。
しかし、人気と言われても少しも嬉しそうではない龍麻は苦々しい表情で続けた。
「最初は俺、ああいう格好は苦手だから嫌だって断ったんだけど…」
一旦言葉を切って、じろりと京一を睨め付ける。
「ここにいる蓬莱寺君がどうしても、って聞かなくってさぁ」
わざとらしく蓬莱寺、と名字を呼ばれて、京一の肩がぴくりと揺れる。
「どうしてもやりたくないんなら勝負しろ、俺が負けたら諦める…って言われて、勝負したんだよ。カードで。伏せたカードの数の上下を当てるってのを。俺は負けちゃって、結果的にホスト役を引き受けた訳なんだけど…」
龍麻は京一の目の前に写真を突き付けた。
「ここにしっかり写ってるよな?お前がカードを持ってるとこ」
横から覗き込めば、確かに京一の片方の手は何やら紙のようなものを持っている。
「いそいそと普段持ってないトランプなんかを広げはじめた時には、なーんか変だとは思ったんだけど……最初っから仕組んでたんだろ?」
ここまで聞くと、流石にアン子も龍麻の言いたいことを理解した。
「つまり、これはその勝負の時に京一がやった…」
「そう。決定的瞬間ってやつだよ。そうだろ?京一」
「……まぁな」
断じられてようやく、京一はそれを認めた。しかし、その顔には悪びれたところはない。
「仕方ねーだろ?ひーちゃんなんのかんの言って逃げようとしてたじゃねーか」
だから非常手段を取っただけだ、と言う京一に対し、龍麻の眉が急角度を描いて跳ね上がった。
「お前な…やっていいことと悪いことがあるだろ?俺ははっきり断ったのに、しつこく絡んで…そもそも、あのくそ恥ずかしい格好を素直に受け入れろって方が間違ってるだろうが!」
「俺だって着たぞ。一人だけ逃げようってのが悪いんじゃねぇか」
「お前は薄暗いとこで飛び出して脅かすだけだっただろ?俺はあの格好で半日晒し者になったんだぞ!」
真剣に悔しがっている風の龍麻に、醍醐がぼそりと呟く。
「龍麻の奴…本当に嫌だったんだな。なかなか好評だったと思うんだが…」
その呟きは野次馬のほぼ全員が一致するところだったらしく、何人かはしっかり頷いている。
「んー、まぁ、殆どアイドル扱いの騒ぎだったからね。嫌になるのも仕方ないかもしれないけど…」
常に多くの人の目に晒され、にこやかに笑っているのは苦痛だったのだろう。
「龍麻君は間違いなく人を惹きつける種類の人間だけど、それと人目が気にならないっていうのはまた別のものだしね」
衆目の集まる所でのパフォーマンスは龍麻には辛かったのだろう。また、それを表に出せない負けず嫌いなところがあることは、アン子もよく知っている。
「確かに。龍麻は一度引き受けたらどんなことでも生真面目にやろうとするところがあるしなぁ」
生真面目の代名詞のような醍醐がそんなことを言うので、アン子はぷっと吹き出した。
「それ、醍醐君だけには龍麻君も言われたくないと思うけどね?」
「ははっ、そうかもな」
一瞬空気の和んだ外野だったが、その間にも主役二人の間の空気はどんどん緊張感を孕んでいた。
「どっちにしても、済んじまった事だろ?ひーちゃんはあの時、見破れなかったじゃねーか。いかさまってのは見破れなきゃいかさまじゃねぇんだぜ?」
「やった当人がそういうことを言うか?」
「いいじゃねぇか、オバケ屋敷は成功したんだし、結果オーライだろ」
開き直ったかのような京一の言葉に、龍麻の目がすっと細くなる。
「ふーん……」
その瞬間、周囲の空気が確実に冷たくなったのを、その場にいた全員が感じた。
「そうだな、それもそうか」
龍麻は苛立ったような表情を消し、寧ろ穏やかとも言える顔で笑った。
だが、しかし。
髪の毛一筋も笑っていないその目が、異様な緊張感を辺りに振りまいていた。
「確かに、もう済んだことだしな。気にする方がおかしいよな」
一気に下がった空気を気にしたのか、京一もさすがに頬を引きつらせる。
「……ひーちゃん?」
世にも恐ろしい空気を振りまきながら、にっこりと笑った龍麻は、ついと後方に視線を向けた。
その視線に応えるように、
「これはなんの騒ぎだ?」
いつのまにか人垣の一歩後ろに立っていた犬神は、煙草を銜えながら不機嫌そうにじろりと周囲を一瞥する。
龍麻とはまた違う意味での迫力に、何人かがごくりと息をのんだ。
しかし、その犬神の視線が最後に止まった龍麻だけは、迫力に怖じることもなくにこやかに答えた。
「なんでもないです。ちょっとした意見の相違で話し合ってただけですから」
「……また騒動を起こしてるんじゃないのか?」
胡散臭そうな犬神に対し、龍麻はあくまでも笑顔を崩さない。
「まただなんて、人聞きが悪い。俺たちが騒動なんて起こしたことありましたか?」
途端、
「……ぶっ、ごほっ」
おかしな咳をして動揺を押し隠す醍醐に、アン子は小さく肩を竦めて同意を示した。
本人の意図するものではないにせよ、龍麻の周囲には常に騒動の種が転がっていると言っても過言ではないことは、アン子もよく知っている。
それを犬神相手にさらりと否定して見せた龍麻は、何気ない風に話題を変えた。
「ところで、犬神先生。先ほどお話のあった件ですが、やっぱりお受けしようと思います」
「ほう?」
不機嫌そのものだった犬神は、それを聞くと面白そうに片方の眉を上げた。
「自主性を尊重するじゃなかったのか?」
「そう思ってたんですけど…苦難を乗り越えるのを見守るっていうのも、正しい友情かなと思いまして」
「なかなかに麗しい友情だな」
皮肉っぽく呟いた犬神は、京一を見てにやりと笑った。
「喜べ蓬莱寺。緋勇が面倒を見てくれるそうだぞ?」
「……なんの話だよ」
警戒心も顕わな京一に、犬神は一枚の紙を突きつけた。
「なんだよ、これ?」
「補習通知だ。お前の成績を放置するのは教師としての良心が痛むからな」
「なんだ、補習か」
顔を顰めながらも京一がそんなに驚いた風ではないのは、補習呼び出しが珍しくないからなのだろう。
京一は犬神とそりが合わないことを公言して憚らない。当然、受け持ち教科の成績の方も想像がつく。
しかし、いつものことかと気を抜く京一に犬神は心なしか楽しげに続けた。
「喜ぶんだな。毎回最後まで落ち着けないお前の為に、今回は緋勇が協力してくれるそうだ」
それに合わせて、龍麻もにこやかに頷く。
「任せて下さい。最後まできちんと面倒見ますから」
「ちょ、ちょっと待て!なんでそうなる!」
「犬神先生に相談されたんだよ、お前がどうしても最後まで補習受けないのはどうにかならないかって。最初は俺もお前の自主性の問題だと思ってたんだけど、そうじゃないよな。親友だからこそ、こういう時は力にならないと」
さわやかに言い切った龍麻に、犬神も頷いた。
「いい心がけだな、緋勇。お前がついていれば、蓬莱寺もそうそう逃げ出さないだろう」
「ひーちゃん!てめぇ、当てつけのつもりか?」
悲鳴じみた絶叫に、龍麻が返したのは一見邪気のない、実に完璧な笑顔だった。
「とんでもない。お前の壊滅的な生物の成績を心から心配しているだけだ」
にこりと、反論を許さない笑顔で言い切られ、京一はがっくりと肩を落とした。
「……ひーちゃん。ちなみに最後まで…の最後ってのはどこまでって意味だ?」
「そうだな………やっぱり平均点以上?」
それを聞いた京一は何とも言えない悲鳴を上げて即座に回れ右をする。しかし、龍麻の手が京一の首根っこを掴む方が一瞬早かった。
「じゃあ、早速今日からな。犬神先生、お願いできますか?」
「いいだろう」
身を翻した犬神の後を、ほとんど死人のような顔つきの京一を引きずる龍麻が続く。
予想外の展開に呆然としていたアン子は、はっと我に返った。
「ちょっと…!龍麻君、写真返してよ。それに取材は?」
ここで逃げられたら、スクープはお蔵入りである。
「確かに、この写真にはカードっぽいものが写ってるけど、それはこの写真に写ってることの完全な証明にはならないわよ!」
仮に龍麻の主張が真実だとしても、それでもこの写真が傍目に怪しく見える事実には変わりはない。
この写真が『キスをしているところではない』という証明が出来ない限り、十分にスクープ写真としては使えるのだ。
その点を責めて、『取材をしたが曖昧に誤魔化された』ということにすれば、このネタはまだ充分スクープとして使える。
意気込むアン子を振り返ると、
「じゃあ、醍醐」
龍麻は手にしたままだった写真を醍醐に差し出した。
「これ、ここ。醍醐の制服じゃないか?」
言われて、醍醐が写真を覗き込む。
「ああ、そういえば…あの時は俺もいたな」
「そうそう、横で雑誌読んでただろ?」
龍麻はぴしりと写真を叩いて、
「つまり、これで証明完了。醍醐が隣に写ってて、それでも怪しい写真って言えるか?」
「うっ……」
アン子は返す言葉がなく黙り込む。
確かに、堅物で有名な醍醐の傍らで堂々とキスを交わす度胸のある人間というのは居ないだろう。
同じ写真に醍醐が写っているというその一点で、疑惑は解消されたも同然だった。
「でも…!はっきり醍醐君が写ってる訳じゃないわ。それにその写真、預かりものなんだから持って行かれちゃ困るのよ」
諦めきれずに食い下がるアン子に、龍麻は不意に語調を変えた。
「ところで、アン子。俺の写真が他校の生徒に流れてるって噂を聞いたんだけど、心当たりはないか?」
「……………!」
「噂では、真神の中に元締めがいて、手広く商売してるってことなんだけど…そんな話、聞いたことはある?」
「そ、それは…」
詰まるアン子に、龍麻はにこりと笑って止めを刺す。
「そんな怖いやつに、万が一、こんな誤解を生みそうな写真が渡ったら怖いだろ?だから、これはもらってくよ。写真を撮ったって子には後で俺から話しておくから」
「……わかったわ」
こう来ればもう引き下がるしかない。
うっかり追求して、逆に今までの『収益』について尋ねられたら洒落にならないことになる。
本当はまだ色々と追求したかったのだが、これ以上は無理のようである。引きずられていく京一の情けない姿を写真におさめたことで、一応の収穫はあったと割り切るしかないようだった。
しっかり翌日の補習宣告と課題まで残して、京一の特別補習は終わった。夕暮れの朱に染まる道を家路につく京一の顔は、当然のごとく不機嫌の塊のようだった。
「ったく、えらい目にあった…」
ぶつぶつと零しながら歩く京一をちらりと見て、龍麻はふんと鼻を鳴らした。
「自業自得だろ。人を騙した罰だ」
「………なんだよ、まだ怒ってんのか?」
「あったりまえだろ?俺は本っ当に嫌だったんだからな」
きっぱりと言い切る龍麻に、京一は少しだけ複雑そうな表情を過ぎらせる。
「んだよ、お前に真っ当な言い分があるんなら聞いてやるぞ?」
「いや…俺も実はちょっと嫌だった…かも」
思いがけない言葉に、龍麻の目が丸くなる。
「はぁ?お前が仕組んでおいてなんだよそれ」
「最初はさ、ちょっと変わったカッコのひーちゃんもイイなって思ったけどよ。まさか、あそこまで人がたかってくるとは思わなかったんだ。あの時のお前、絶対愛想振りまきすぎだ」
龍麻は呆気に取られてまじまじと京一を見た。しかし、京一はあくまで真剣そのものだ。
「よくよく考えたら、後でこっそりひーちゃんの部屋ででも着せてみりゃよかったんだよな。失敗した」
京一は、一人納得して頷いている。
色々と言いたいことはあったものの、結局どれもまともに言えずに龍麻は違うことを言った。
「………俺は何事も、一度引き受けたら完璧にやりたい性質なんだよ」
それを聞いて思いだしたのか、京一の顔が再び歪んだ。
「ひーちゃん、補習って、マジで最後までやる気かよ?」
「当然だろ。犬神先生にも約束したしな」
途端、京一の肩ががっくりと下がる。
「…ったく、怒るのは仕方ないにしても、もうちょっと別な方法なかったのかよ?」
「馬鹿だな、あの場でああやってアン子を誤魔化さなかったら、今頃どうなってたことか!アン子に半端な誤魔化しは通じないだろうが。写真見せられた時は口から心臓が飛び出すかと思ったんだぞ?」
そう、『やましいこと』が無ければ、あんな写真は取るに足らないものなのだが、生憎龍麻には立派な弱味があった。
目の前で拗ねている男は龍麻にとって相棒兼恋人なのだ。
アン子が見せたような写真があっても、おかしくはないのである。
「そんなに驚いた風には見えなかったけどな?」
「必死で隠したんだよ。まぁ、よく考えれば教室でキスなんかする訳ないんだけど」
何せ、龍麻達の回りは色々と騒がしい。特にアン子当たりに『相棒兼恋人』等という肩書きがばれてしまえば、いいように餌食にされることは殆ど確定事項だ。
しかし、京一はまた違う意見があったらしい。
「…俺は、してもいいんだけど?」
そう呟く京一の顔は、夕暮れの朱と影に彩られてはっきりとは見えない。けれど、間違いなくそこにある『恋人』としての想いに、龍麻は頬を緩ませる。
しかし、それを表には出さずに、
「馬鹿言え、アン子にスクープされたら、今度こそ逃げられないぞ?俺は晒し者になるのはゴメンだ」
きっぱり言い切ると、京一も渋々頷いた。
「まぁ、その気持ちはわかるけどよ…」
「良い機会じゃないか。付き合ってやるから補習地獄から抜け出してみろよ」
「ちぇっ」
顔を顰める京一に、龍麻はさりげなく手を伸ばして、京一の掌に己のそれを重ねた。
「拗ねるなよ。補習疲れは慰めてやるから」
もし、手を繋いでいるところをアン子にでも見られてしまえば、ついさっき誤魔化したことが、今度は誤魔化しきれなくなる。それでも、きちんと伝えておきたいものもある。
晒し者になるのは嫌でも、こうして触れたいと想うのは龍麻の望みでもあるのだと。
流石にキスは出来なかったが、握った指に力を込めると、京一は嬉しそうに笑った。
「…教室でキスとか?」
「スクープの心配のないとこで」
「んじゃ、ひーちゃんの部屋?」
その問いに、龍麻は悪戯っぽく笑って答えた。
「お前がきちんと条件をクリア出来るんなら、キスでもなんでもしてやるよ」
その後、京一が見事に平均点をクリアしたことはそれこそ前代未聞の椿事だったのだが、それが真神新聞にスクープされることはなかったのだった。
|
|
 |
 |
|