冷たい空気に、華やかなイルミネーションが反射している。
 喜びを持って迎えられるはずのこの季節が、龍麻はあまり好きではなかった。
 更に、この時期になると、どこからともなく聞こえてくるお決まりの歌が、その憂鬱を余計に膨らませる。誰かを思い、けれど叶わない事を歌うその歌は、龍麻には不快の元でしかない。
 片思いの歌など、世の中には掃いて捨てる程あるのに、特にこの歌が嫌いな理由は自分でもわかっている。
 ……認めたくはないけれど。
 クリスマスの度に聞こえてくるその歌に、苛立ちと―――認めたくない、もう一つの感情を覚えるから。
 この時期は家に閉じ籠もりがちになるのが常だった。
 けれど、今年は…




 待ち合わせの場所には、既に京一が来ていた。
 すこし遅れて現れた龍麻に、京一は唇を尖らせて文句を言う。
「おせーぞ、ひーちゃん」
 今日は恐ろしく寒い。冷え込む外で待ちぼうけを食らわせた京一の頬は、少し赤くなっている。
「強引に呼び出した癖に何言ってやがる」
 不機嫌に言い返せば、京一は眉を寄せて唸っていたが、不意に悪戯を思いついた子供のような笑顔になった。
「んじゃ、罰に今日はお前の奢りな!」
「……お前な。遅刻の回数はお前の方が断然多いのに、今日に限ってなんで奢りなんだよ?」
「だって、イブだぜ?こんな日に遅れてくるなんて、ちょっとペナルティものだろ?」
 平然とそんなことを言う京一を、龍麻は少し呆れて眺める。
(5年間も、クリスマスにも正月にも連絡一つ寄越さなかった癖に、よくもまぁ…)
 そんな些細な事で、文句を言う気になるものだ。
 龍麻が何か言ってやろうと口を開こうとしたその時、京一の顔がふと曇った。
「…なんだ、それ?」
 京一の指差す肩に視線を移せば、そこには一枚の、淡いピンクの花びら。
 それは、京一が指を伸ばして摘み上げようとした寸前に、雪のように溶けて消えた。
「どこで、こんなもんつけてきたんだ?」
 いかにも不満そうに唇を尖らせる京一の様子がおかしくて、龍麻は小さく吹き出す。それがまた気に触ったようで、京一は更に眉間の皺を深くした。
「何笑ってんだよ。ってか、笑ってないでとっとと吐け。どこでこんな妖氣を拾って来た?」
 思いの外真剣な京一の声に、龍麻も笑みを消す。
「ちょっと、な。中央公園で花見」
「花見だぁ?」
「ちょっとね。花に呼ばれたのかな?あれは」

 家を出てここへ来る途中に、季節外れの桜に『呼ばれた』。

 龍麻には、何か異形の者を引き寄せる空気のようなものがあるらしい。
 龍脈を巡る闘いが決着した後も、人外の者に出会うのは珍しいことではなかったし、陰氣や憑き物に憑かれた人間に行き会う事も多い。それが、『黄龍の器』であることと関係しているのかどうかは龍麻には解らなかったが、自分ではそれほど気にしたことはなかった。
 少なくとも、自分にはそれらに抗することの出来る『力』がある。『日常』を暮らす人々に良い影響を与えるとは言い難いそれらが自分に引き寄せられることは、それだけ余計な災いが広まるのを防げると言う事だ。世の中のためには結構な事じゃないかと思う。災いを望む訳ではないけれど、何かが出来る事の方が、無力さを実感するよりマシである。
 しかし、そんな龍麻の考えは周囲の人間には至って不評なのだ。
 特に、目の前で不機嫌の塊となりつつある相棒はその筆頭である。
 下手なことを言えば本気で怒り出しそうだった。
「桜が満開で、さ。狂い咲きっての?季節外れの花見で得した気分だったなぁ」
 待ち合わせ場所に向かっている途中に、ふと異質な『氣』を感じて立ち止まり―――そうして気が付けば、そこは中央公園だった。

 ひらひらと舞い落ちる花びら。

 満開の桜。

 そして、その下に群がる亡者たち。

 何度か、経験したことのある光景だった。
 いつもと違うのは、そこに自分以外の人間が居たこと。
 群をなす亡者に襲われている女の子と、それを助けようとしている少年という、予想外の存在が居たのだ。

 その時の、威勢の良い少年を思いだして龍麻はふと頬を緩めた。
「そこでさ、ちょっと威勢の良い奴に会ったよ。俺と―――使う技が似てた気がする」
 しかし、緩んだ龍麻の表情にも、京一は乗ってはこなかった。厳しい表情のままで龍麻の腕を掴む。
「なんで、呼ばなかったんだよ?」
 低く響く声に少し眉を寄せて、龍麻はなんでもないことのように答える。
「別に、すぐ終わったからな。居たのは桜の妖氣に引きずられた亡者だけだったし、その、元気の良い奴も手伝ってくれたし。妙に気になったから、案外縁のある奴かも―――」
 龍麻の言葉を、京一の押し殺した風な声が遮る。
「前にも言ったよな?そんな時は俺を呼べって。何処にいても行くからって」
 責めるような声に反発を覚えるが、何とか平静を装って龍麻は言葉を返した。
「何処にいてもって、何処に行ってもわかる訳じゃないだろう?俺だって、何処に引っ張り込まれるかなんて予想が出来る訳じゃないんだし…」
「そんなこと言ってんじゃねェよ!」
 声を荒げた京一に、龍麻も反発を隠すのを止めた。
「どーしよーもないだろが。気が付いたらもう、中央公園だったんだからな」
「だから、呼べ、つってんだろーが」
「呼ぶ暇もなく終わった」
「声を出す間もなく、なんてこたねーだろーがっ!」
 妙に拘る態度に、遂に龍麻は切れた。
「…って、お前なぁ!俺は、保護者の必要なガキじゃない!自分の面倒くらい自分で見れるっ!」
 怒鳴りつけた龍麻に更に怒ると思いきや、京一が見せたのは何とも言えない表情だった。
「…京一?」
 怒りも忘れて思わず呼びかけてしまった程、その顔は複雑な色に染まっていて。
 そのままふらりと揺れた頭がそのまま近づいてきて、ずしりと肩に重みがかかる。
「ちょ…京一?」
 道の端とはいえ、一応ここは天下の公道で、クリスマス前という時期もあって、多くの人間が行き来している。ちらちらと視線を投げてくる通行人も居て、慌てた龍麻は京一を押し返そうと肩に手を掛ける。
 しかし、
「龍麻……」
 囁きの切なさに、龍麻の動きも止まる。
「お前、ずりィ……ンな言われ方したらもう、なんも言えねェじゃねーか…」
 京一の言葉に、今度は龍麻が顔を歪める。
(狡いのは、どっちだよ…)
 5年間、本当に連絡の一つも寄越さなかった。そのくせ、帰国すると、以前と変わらない顔で会いに来て、当然のように龍麻の部屋に転がり込んできて。
 あまりにも当然という顔をしているからむかついて、
「俺が他の人間と暮らしてるとか、思わなかったのかよ?」
と、尋ねたら、
「ここに居なかったら、そう思ったかもな」
 という答えが返ってきた。
 気にならないわけじゃないらしい。けれど、飄々とした京一の答えは、自信に溢れているように思えて。
(なんでこんな勝手な馬鹿、許してんだか…)
 京一はいつでも、自分のペースで動いているし、自分の望みを隠そうとしない。


 五年前、卒業式の帰りに『お前はここに残れ』と言われた時も。

 春先にひょっこりと帰ってきて、部屋の入り口で座り込んだまま寝ていて、帰宅した龍麻を驚かせた時も。

 そのまま上がり込んだ部屋で、何も言わずに腕を伸ばしてきた時にも。


 確かに、選んだのは龍麻自身だ。この街に残ることも、何も聞かずに京一を部屋に上げたのも―――伸ばされた腕に引き寄せられるままに、その背に腕を回したことも。


 龍麻に取って、他人に振り回されるなんて事は屈辱以外の何物でもないけれど―――それを許してしまうのは、自分の方が、より京一に強く捕らわれている証拠なのかも知れない。
 ―――そんなこと、絶対に本人には言えないけれど。

 今も、怒っているのは自分の方の筈なのに、あんな声一つでもう、さっきの怒りはどこかに消えかけている。
 やっぱり理不尽で納得出来なくて不公平で……けど理屈ではもうどうしようもないくらい、肩に頭を預けて―――おそらくは拗ねている、この存在が、大事だった。
(無茶苦茶腹が立つけど…)



 首筋に触れる柔らかい赤茶の髪に、そっと手を伸ばしてみる。
「狡いのはどっちだよ…お前、我が儘すぎなんだよ」
 何も答えない京一の髪を指に絡めながら、龍麻は小さく溜息を吐いた。
「大体、今日もなんでわざわざ外で会う必要があるんだ?別に家でのんびりしててもいいじゃないか。どうせ明日は休みなんだし」
 機嫌を損ねることを承知で言えば、
「……嫌だったのかよ?」
 返ってきた声は、案の定拗ねたようなものだった。
「嫌って訳じゃないけど…」
 京一が、肩に額をつけたまま、上目遣いで龍麻を見上げた。
「じゃあ、なんで?」
「寒いだろ?」
「今日だけが寒い訳じゃないだろ。なんで、今日は嫌なんだよ?」
 言いにくいと思っているのが表情に出たのか、身を起こした京一が本格的に追求してくる。
「…あんま、好きじゃないんだよ」
「出歩くのがか?」
「違う、この季節。外は眩しすぎてうざい」
 龍麻の答えに、京一は首を捻った。
「…クリスマス、嫌いだったのか?前はそんなこと言ってなかったよな?」
 京一の言葉に、龍麻の表情が僅かに強張った。
「前は前だろ」
 短く言い捨てるが、京一の強い視線の前に、言葉が続かなかった。何気なさを装うとして、逆に不自然に強張った顔を、強く意識してしまう。
 京一と出会って今年で6年目になるが、その間、一緒に過ごしたクリスマスは一度だけだ。
 柳生との闘いの直前、何かに急かされるように過ごしたあの時だけ。

 あれから、龍麻はクリスマスが嫌いになった。

「ここにいても仕方ないだろ?」
行こう。
 そう言って歩き出した龍麻の後を、僅かに遅れて京一が着いてくる。不自然に歪んだ龍麻の表情に気が付いた筈なのに、京一は何も言わない。
 信号待ちで立ち止まれば、街角の巨大なTV画面から覚えのあるメロディが流れてきて、余計に沈んだ気持ちに輪を掛けてくれる。
「…嫌いだ、この曲」
 龍麻の呟きを聞きとがめたのか、遅れていた京一がすっと横に並んだ。
「この曲って…ああ、この時期になるとよく聞くよな。でも、なんで?」
(なんで…なんて、聞くなよ)
 幸せな時間を体験してしまえば、それが楽しければ楽しい程それが失われた時の痛みは大きい。

 きっと君は来ない
 ひとりきりのクリスマス・イブ

 その響きが妙に耳に付くのが嫌だ。
 それを聞くのが、はじめて他人の温もりを覚えた日であれば尚更。
「…嫌いなんだよ」
 そう繰り返せば、言葉の代わりに手が温もりに包まれる。
「…っ、京一!」
「黙ってりゃわかんねーよ。回り見えてねー奴ばっかだろ?」
 そう言って笑われれば、振り払うのも面倒になって。
 本当は、その温もりに少し心地よさを感じてるなんて、絶対に言わないけど。
「俺は、これの方が好きだな」
 不意に、京一がそう言ってTV画面を示した。
 いつの間にか、曲が変わっている。
 龍麻も聞いたことのある曲だった。
 ノスタルジックな響きが、少し懐かしさを誘うラブ・ソング。

 いつまでも手を、繋いでいられるような気がした…

 そのフレーズに、重ねられた手の力が少し強くなる。
「失恋の歌よりもさ、こっちの方がいい」
 そう言う京一に、龍麻は小さく鼻を鳴らした。
「これも、失恋の歌だろが」
 昔の、幸せだった頃を思い出す歌。
 ある意味、さっきのものより更に古傷をいたぶってくれる歌である。
 龍麻の思いを読んだのか、京一が低く笑う気配がした。
「これは違うって。幸せな昔を、更に幸せな今から思い出す歌なんだよ」
 ほら、な?
 そう言って、握りしめた手を軽く持ち上げられて。
 龍麻は、胸が詰まる思いがした。
「ばっかじゃねーの?」
「バカって…ひでーな、ひーちゃん」
「バカはバカ。今のどの辺が幸せなんだよ?」
「ええ?ひーちゃんは幸せじゃねーのかよ?」
 頬を膨らませる京一に、わざと冷たく言い放つ。
「不幸に決まってんだろ?こんな寒い中、外に引っ張り出されてうろうろしてるんだからな」
「そんなに言わなくてもいーだろ?こんな日くらい、ちょっと恋人気分味わってもいーじゃねーか」
「誰が恋人だって?」
「ああ?ちょっと待て、そこを否定する気か!」
「お前は相棒だろ?」
「相棒兼恋人!そこは譲らねェからなっ!」
「勝手に決めるな」
「酷ぇ…愛はねーのかよ…」
「んなもん、ある訳ないだろが」
「俺はこんなに愛してるのにっ!」
「おま…恥ずかしい事を大声で言うなっっ!」
「恥ずかしがるこたねーだろ。事実だし」
「信じらんねぇ…」
「信じろよ」
 不意に真剣な声で言われ、視線を合わせれば、酷く真面目な顔をした京一が居た。
「俺はこうやって、ここに居るだろ?それは信じろよ。…どこにも行かねェから、よ」
(本当に、なんて勝手な…)
 どこにも行かないなんて、信じられる筈もない。
 この5年間、龍麻が味わった思いなんて、きっと京一には永遠に解らないのだろう。

 けれど。

 絶対に口には出したくないものを、何もかも解ったような態度を取るこの身勝手な相棒には、きっと一生…

 君が居なくなることを、はじめて怖いと思った…

 流れる歌を胸の中で繰り返しながら、重なった京一の手を強く握りしめた。



 京一の言葉を無条件で信じるなんて、恐らく龍麻にはもう出来ない。
 声を聞くことすら叶わなかった日々は、どんなに否定しても、この先ずっと龍麻を苛むだろう。
 寂しかった、なんて、口が裂けても絶対言わないけど。
 今、この手が必要なのは、これ以上否定出来ないから。

 だから、言葉よりももっと解りやすい証が欲しい。

「帰ろう」

 敢えて視線を外さずにそう言えば、京一が微かに笑った。

「俺としては、もうちょっと恋人気分を味わいたいんだけどな?」
「別に、外じゃなくても恋人気分とやらは味わえるだろ?」
 瞳に、はっきりと挑発の色彩を乗せて見つめれば、京一の笑みも深くなる。
「味あわせてくれんの?」
「さあな、お前次第」
 共に居なかった時間を埋めるものなんてない。クリスマスになるとどうしても覚える痛みを消すには、上から新しいものを重ねるしかないから。
 ふいと視線を逸らして、けれど手は離さずに、歩き出す。
 もう一度、強く手を握れば、京一が笑ったのが、触れた掌から伝わってきた。