もう2月末だというのに、当日は妙に寒かった。エアコンなどには縁のない如月の家で暖を取るには、辛うじて持ち込まれている灯油ストーブか、ある意味この家には一番似合いである火鉢しかない。襖を取り払い、広くなった和室ではそれは余り役に立つとは言えないのだが、しかし集まった人間の熱気で、部屋は十分に暖かかった。
 まだ、予定時刻ではないし、来ていない者も居るのだが、台所を借りて料理をする者やら、準備をする者やらで如月家は結構な賑わいだった。
 そんな中、手持ち無沙汰に廊下に腰を下ろす龍麻に、エプロンを外した葵が声を掛けた。
「龍麻、退屈そうね」
 暫く顔を合わせていなかった葵の笑顔に、龍麻も笑い返した。
「手伝わせて貰えないんだ。正直、暇で困ってる」
「だって、今日は龍麻が主賓だもの。誕生日、おめでとう」
「ありがとう。葵も、決まったんだって?」
「ふふっ、ありがとう。けれどこれからだし…ね」
 そう言った葵の顔が、ふと違う色彩を帯びた。
「龍麻?」
「なに?」
「小蒔が、随分と張り切って京一君を連れて行ったわ。あの様子じゃ、今頃荷物持ちに走り回ってるんじゃないかしら」
「あはは、そりゃ気の毒に」
 一見屈託無く笑った龍麻だったが、その瞳に過ぎった微かな光を葵は見逃さなかった。
「龍麻が、『最近京一に良く旧校舎に誘われて寝不足だ』なんて言うから、懲らしめなきゃって大分張り切っていたみたいなのよね」
 言いながらちらりと窺っても、龍麻の表情は変わらない。夜の闇を切り抜いたような瞳には、もう先刻の光は見えなかったし、まともに見たら今でも思わず息を詰めてしまう秀麗な顔にも、動揺の影はない。
 それでも、葵にはわかってしまう。
 頭も良く、この一年ずっと自分たちと一緒にいた龍麻が、小蒔にそんなことを漏らせば彼女がどういう行動に出るのか、想像つかなかった筈もない。
 全て承知の上で、言ったに違いないのに。
「そんなつもり、なかったんだけどな…」
 そんな事を言う龍麻は、あくまで認めるつもりはないらしい。
 こうなってしまえば、もうどんな風に言っても取り付く島がないと思いつつも、葵は漏れる笑いを堪える事が出来なかった。
「ふふふっ…本当に龍麻は、意地っ張りよね」
 楽しげに笑う葵に、龍麻は口を開きかけたが、すぐに肩を竦めて庭に視線を向ける。
「……なんのこと?」
 言いながらも視線を逸らした所からみると、葵に気づかれているのは承知の上らしい。
「少し、同情してしまうわね…」
「誰に?」
 あくまで惚ける龍麻に、葵は苦笑して息を吐いた。
「そうね…龍麻が素直になれないひとに。ほら、来たんじゃないかしら?」
 店先から聞こえてくる賑やかな声に、龍麻は小さく顔を顰めてみせた。
「俺は何時だって素直だけど?」
「さぁ…それはどうかしらね?」
 そう言って笑う葵の表情に、龍麻は参ったと言う風に両手を上げて見せたのだった。





「一番!紫暮兵庫!歌いますっっ!!」
「ちょっと…紫暮さんまさか、さやかちゃんの歌を…っっ!」
「紫暮サン…やるな!今なら本物のコーラス付きだ!なっ、さやかちゃん」
「ええ、喜んで」
「喜んで…って、ギャラリーにはちょっと厳しい選曲じゃあ…」
「いくぞぉ〜」
「よっしゃ、わいも参加するで!」
「って、劉クン、歌えるの?」
「何言うてんの、わいは上手いんやで〜」
 酒類持ち込み禁止のはずが、何時の間にやら混ざっていたのではないかと思うほど、盛り上がる宴席から少し離れた部屋の隅で、京一は壁に背を預けだらしなく座り込んでいた。
「くっそ…小蒔の奴…」
 手伝えと問答無用で引っ張り出されて荷物を運ばされ、全部終えて部屋に入れば、龍麻の回りにはすっかり人の輪が出来てしまっていて、京一はすっかり蚊帳の外だ。
 おまけに、何を誤解したのか、やれひーちゃんの邪魔をするなだの、少しは気を使えだの、さんざ説教を貰った京一の機嫌は、当然のようによろしくない。
 一応、その辺からかっさらってきたありきたりのグラスに、これまた味気ないウーロン茶を注いで持ってはいるものの、その視線は一ヶ所からどうしても離れてはくれない。
 部屋の中央近くで、楽しげに笑っている相棒。
 今のように、人の輪からぽつりと外れてその中心に居る龍麻を眺めると、彼の位置がよく見える。周囲の人間を鮮やかに惹きつけて離さない存在。今も、紫暮がマイク代わりのペットボトルを握りしめているのを笑いながら見ている龍麻の周りには、笑いの輪が出来上がっている。
 この場の誰もが、多少意味は違えど、龍麻の事を大切に思っている。
 それはよく承知している。
 けれども、京一はもう決めた。
 引くつもりもない。
 だが、こんな風な情景を見ていると、ふと決意が揺らぐのも事実だ。
「―――ちょっと、邪魔できねェよな…。さっきは小蒔にさんざ説教食らったし…」
 そう呟きながらも、どこかその眼差しが不安定に揺れているのを、当然本人は自覚していなかった。

 その京一の様子を窺っていた如月は、笑って傍らの村雨に視線を向けた。
「―――どうやら、勝敗は明らかのようだね」
「おいおい…ったく、情けねぇな。見てるだけ、かよ?」
 そう言いながらも、村雨の表情には余裕がある。自分が負けるとは欠片も思っていないようなその顔に、壬生が苦笑を浮かべた。
「随分自信ありげですね、村雨さん」
「いんや、このままじゃ負けるってかなり焦ってるぜ?よ…っと」
 立ち上がった村雨に、如月が疑問の目を向ける。
「余計な手出しは賭け無効だぞ?」
「まぁ、そう言うなよ。あんまりだからちょっとだけ、な?」
 言いながら、村雨は人の輪に分け入り、龍麻に何やら話しかけている。肩に手をかけ、顔を覗き込んでいる妙に遠慮のない態度に、先日の一件を覚えているのかと如月は呆れ顔になった。
「あの男は…懲りるということを知らないのか?」
「さぁ…何か、考えがあるのかもしれませんね」
 薄く笑う壬生をちらりと見て、如月は苦笑する。
「さて、さて…何を考えているのか…」




「先生、ちょっといいか?」
 覗き込んできた村雨に、龍麻は無言で視線を向ける。
「んな顔すんなって。こないだのことは悪かったと思ってる。反省してるからよ」
 悪びれない村雨の物言いに、一拍置いて龍麻は吹き出した。
「それが、反省してる顔か?」
「へへっ、まぁその辺はそれなりに、な…」
 言いながらちゃっかり龍麻の横に座り込んだ村雨は、その肩に腕を回して覗き込む。
「…反省してる態度じゃない気がするけど?」
 肩に回された手を払おうとする龍麻に、殊更顔を寄せて村雨は囁く。
「してるさ。だから『協力』してやろうって言ってるんだ」
 一瞬、目を細めた龍麻が物騒な笑みを浮かべる。
「それは、今度は直接拳を食らいたいって言う事か?」
 そう言いながらも、龍麻が払う手を止めたことに、村雨はにやりと笑う。
「冗談。本気で悪かったって思ってるぜ?」
「村雨の冗談は時々質が悪い」
「へへっ、まぁそう言うなって。人生スリルがなきゃ楽しめねぇからな」
「スリル、ねぇ…」
「ま、さすがにこないだは悪ふざけが過ぎたけどな」
 周囲に聞こえのいい会話ではないので、当然、会話は顔を近づけてのものになる。部屋の片隅にちらりと視線を投げて、村雨は更に龍麻の耳元に口を寄せた。
「―――先生に『触って』いいのは『アイツ』だけなんだよな?」
 その瞬間、ぴくりと反応した肩に、村雨は耳に口を寄せたままの体勢で笑った。
 本当に、いつもの冷静さはどこへやら、である。しかし、龍麻のそんな反応は、村雨にとって不快なものではなかった。
「だから、詫び代わりにほら」
 手を引かれて立たされて、龍麻が慌てた声を上げる。
「ちょ…村雨!」
 いきなり立ち上がった二人に、周囲がざわめくが、
「悪ィな、ちょっと借りてくぜ?」
 その一言に、ざわめきはすぐに消える。
「村雨くん、ちゃんと返してね〜」
 舞子の声を背に、村雨は龍麻の手を引いて部屋の片隅に足を向ける。
 先刻から感じていた視線は、既に殺気に近いものにまで変化していたが、村雨は平然と龍麻の手を掴んだままでその横に座り込んだ。
「よぉ、蓬莱寺。こんな隅で、随分不景気なツラしてんじゃねぇか?具合でも悪いか?」
「……別に」
 答えるその声が、不機嫌をそのまま音にしたような声音に、村雨は正直に笑いを漏らした。
「なに不機嫌になってるんだが…寂しいお前の為に、見舞いの品を持ってきてやったぜ?」
「村雨、俺は物か?いい加減放してくれ」
「余計なお世話だ!ってか、ひーちゃんを放せ!」
 ほぼ同時に返ってきた反応に、村雨は楽しげに笑った。冷静そうに見える龍麻が、冷静に徹し切れてないのがわかるのが、おかしい。
 普段はなかなか隙を見せないこの麗人が、唯一それを晒す相手。向けられた当の本人がそれに気づいてない辺りがどうしようもなく滑稽でならない。
 人生ギャンブルがモットーの村雨には、願ってもない『玩具』である。
 そして、それを抜きにしても、村雨は結構この男が気に入っていた。如月や壬生には否定してみせたが、龍麻が何故この男に拘るのか、その理由もわかる気がするのだ。
 不機嫌な顔を曝している今でも、この男から感じる眩い『光』。
 それは、龍麻とはまた違う意味で、人を惹きつけてやまない類のものだ。村雨にしてみれば、からかって玩具にするのにはうってつけの人間である。
 今も睨んでくるその視線が、どうにもおかしくて仕方がない。その視線を受け止めて、村雨はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。



「おいおい、マジで眉間に皺が寄ってるぞ?どうしたよ?」
 しゃあしゃあと言う村雨に、京一はぎりりと唇を噛んだ。龍麻に言われてその手は解放したものの、今も村雨は妙に龍麻に引っ付いている。それが、どうにも我慢ならない。
 先刻から村雨が意味ありげに龍麻の顔を覗き込んでなにやら話してるのが、気になって仕方なかったのだ。しかも今は、それを見越したかのようににやにやと人の悪い笑みを浮かべている。京一は寸前で舌打ちを堪えて、龍麻に視線を向けた。
 今日はまだ喋ってすらいないのだ。とりあえず、ここは誕生日おめでとうから言わなければならないだろう。
 しかし、京一が口を開く前に、村雨が妙に楽しげにこちらを覗いてきた。
「おぅ、そう言えば蓬莱寺、お前は卒業したらどうするんだ?」
「へ…?」
 いきなり聞かれて、京一は一瞬言葉に詰まる。
 自分の進路ははっきり決めているのだが、それを一番最初に話したい相手は村雨ではない。自然、漏れる言葉は曖昧なものになる。
「何って…別に…」
「なんだぁ?お前も決まってないクチかよ?ったく、真神の連中は呑気だな」
「お前も、って…」
 どういう意味だと聞き返そうとして、京一は固まった。村雨が意味ありげに向けている視線の先に気づいたのだ。
 そして、その後続いた言葉は、文字通り京一にとって爆弾めいたものだった。
「先生よ、それで―――進学止めて、どうするつもりなんだい?」
「――――――っっ!」
 思わず龍麻の顔を注視した京一だったが、龍麻は平然と村雨に言葉を返している。
「別に、まだ決めてる訳じゃないよ。それもありかなって思ってるだけで…」
「あっさり合格しちまってからそんな事言い出すのが、余裕だねぇ。受験が趣味だとは思えねェが…」
「選択肢を狭めるの、嫌なんだ。大学よりも面白いなって思う事があったらそっちの方がいいよ」
 耳元を流れていく言葉を、京一は呆然と聞いていた。
 龍麻が志望校に合格した事は聞いていた。そして京一は、それを覆させるような望みを持つ、自分の想いを伝えなければならない。自分の望みからすれば、龍麻が進学を止めたのは好都合だ。

 けれど、何故それを、村雨が知っているのか。

 ―――自分は、知らなかったのに。

 焦燥の渦巻く京一の心に、更に追い打ちがかけられる。
「おっ、言うねぇ…けどまだ、未定なんだろう?どうだ、俺に人生預けてみねェか?」
「人生預けるって、何か凄い台詞だな?村雨は卒業したらどうするんだ?」
「俺は本気だぜ?俺は只でさえ幸運の女神に愛されちゃあいるが、それにアンタが加わったら向かうところ敵なしだからな」
「村雨の運試しに付き合う、か…」
 そう言うと、一瞬考える表情になった龍麻は、ふ、と口の端を緩めた。
「それはそれで、面白いかもしれないな」
 それを聞いた瞬間、京一の身体は勝手に動いていた。
「京一?ちょ、ちょっと…」
 龍麻の手を無言で掴むと、そのまま立ち上がる。
「ちょっと、何して…」
 それに気づいた者が声を上げるが、それを全て一瞥で黙らせて京一は部屋を出た。
「京一、ちょっと…」
「いーから、来い。龍麻」
 言いたい事は山ほどあったのだが、未だまともに龍麻の顔を見る事が出来ずに、掴んだ手をぎゅっと握りしめる。
 そして、ひたすら前を向いて足早に歩く京一は、手を引かれながら龍麻が密やかに笑った事に気づけなかった。






 帰りの電車の中でも、駅の人混みの中でも、握りしめた手を放す事は出来なかった。如月の店を出て、最寄りの駅までの道で、一度だけ龍麻が放せと言ったが、何も言わずに力を籠めると、後は何も言わなかった。
 龍麻の家までは、酷く長いようで―――短いようで。気づけばマンションの扉の前に立っていた。
「鍵、開けるから…」
 そう言われてやっと、京一は掴んだ手を放した。少し汗ばんだ手は、離れた温もりを追いかけようと無意識に動く。
「………っ」
 それを何とか押しとどめて、京一は温もりの残る手を握りこむ。しかし、それでも触れていたいという衝動は殺せなかった。
「ほら、とにかく入れって…」
 中へと促す龍麻の身体を捕まえて、一緒に部屋の中へ引っ張り込む。靴を脱ぐのももどかしくて、玄関の壁と自分の身体の間に龍麻を閉じこめた。
「…帰るなり、これか?」
 溜息混じりに見上げてくる龍麻の表情には、怒りというより呆れと揶揄が入り交じっている。しかし、それを冷静に受け止められる程、今の京一には余裕がなかった。
「進学、止めるのか?」
 単刀直入に尋ねた京一に、龍麻は苦笑を隠さなかった。
「まだ、決めてないよ。けど…別に受かったからってそこに行かなきゃならない訳じゃないだろう?」
 苦笑いと共に、小首を傾げながらそう言われて、京一は顔を歪めた。
「止めて…どうするんだよ?」
 何とか捻りだした言葉に、龍麻はふっと口の端を緩めた。
「それを聞くのか?―――お前が」
 夜色の瞳に射すくめられて、京一は言葉を失った。
 いつも、京一を捕まえて離さない瞳だ。
 思えば出会った時には既にもう、この眼差しに捕らえられていたのかもしれない。まともに見れば、何時だって京一はこの瞳には勝てない。
 けれど、今日ばかりは引く訳にはいかなかった。
 まっすぐに視線を返して、京一は言葉を紡いだ。
「村雨の野郎に、人生を賭けたりすんなよ」
 その言葉に、龍麻の瞳が面白そうに輝く。
「結構、面白いと思うけど?」
「やめとけ…ってか、嫌だ。行くな」
 子供のような物言いに、龍麻はくすりと笑った。
「どうして、お前がそんなこと言うんだよ。俺の人生なんだぞ?」
 言葉とは裏腹にどこか柔らかく、楽しげな響きの声に、京一は眉を眇めた。

 龍麻が色々な人間を惹きつけるのは知っている。けど、その中での『一番』は、絶対に譲りたくない。

「嫌なものは嫌なんだよ。俺は……」
「…………」
 言葉を切った京一に、龍麻は黙ってその先を促す。
「俺は、お前が好きだから。他の奴なんかにかっ浚われるのは嫌だ」
 それを聞いても、龍麻は表情を変えなかった。ただ、一瞬目を伏せて―――そしてふっと口元を緩めて、笑ってみせる。その表情に、京一は完全に視線を奪われた。
 鮮やかで、『艶』を感じさせる表情。出来れば、誰にも見せたくない類の笑み。
「龍麻…」
「今日は、何の日か覚えてるか?」
 不意にそう尋ねられて、京一は首を傾げた。そして、思い出す。
「今日は…誕生日、だな。お前の」
「お前の誕生日もろくに祝えなかったのに、俺の誕生日までぱぁだ。まったく…集まってくれたみんなに後で何て言うつもりだよ?」
「あ………」
 後先考えずに出てきてしまったものの、後の始末に思い至って、京一の顔から血の気が引く。
「ったく、馬鹿なんだから…」
 くすくすと笑ってそう言いながら、龍麻は、背を預けていた壁からついと身を起こして、京一に身を寄せる。
「………っ」
「お陰で、俺もみんなに謝る羽目になったじゃないか」
「龍、麻…」
「どうしてくれる?」
 笑う龍麻の表情に誘われるように、京一はその身体を引き寄せた。
「ちゃんと、セキニン取るから…」
「取るから…?」
「こないだの続き、してもいいか?」
 龍麻は、少し笑ってその背を抱きしめた。
「馬鹿。そんなの…一々聞くもんじゃないよ」

☆☆☆

 抱き込んでくる腕の温もりに、安堵の息が漏れる。無意識のそれを気づかれたのではないかと一瞬焦るが、些かきつすぎるほどの力で強く自分を掻き抱く相手には、そんな余裕は見えなかった。
 そのことに安堵して―――そんな自分に気づいて自然と苦笑めいた笑みが零れる。
 こんな時にまで意地が捨てきれないのが何とも滑稽で。
 自分でも度が過ぎているとは思うのだが、どうしてもこの相棒相手には意地を張ってしまうのだ。
 まっすぐで暖かくて、眩しいほどに鮮やかで。
 いつも馬鹿ばかりやってるかと思えば、いざという時にはこちらがどきりとするほど骨っぽいところを見せてみたり。
 その、揺るぎない強さに、この一年何度助けられた事か。

 一緒に居れば暖かい。
 とてもとても、大切な存在。

 けれど、困った事にそれを素直に言い表すのにはどうしても照れが先に立ってしまって、言えない。
 それなのに、その瞳や、普段の行動を見ていれば、その想いなどはっきりとわかるのに――――――言わないのだこの馬鹿は。
 お陰でどれだけやきもきさせられたことか。
 おまけに、この時期になって、似合わない遠慮などして言いたい事を溜め込んで。
 そもそも、自分から将来の事を口にしておきながら、今頃になって逃げ腰になるとは反則もいいところだ。
 誕生日を祝ってやろうとすれば、勝手に誤解して―――まぁ、これに関しては自分にも反省点はあるのだが―――飛び出していってしまうし、流石に放り出せはしなくて追いかけていけば、その場で恐ろしく待たされる羽目になるし。

 ―――キスまでしておきながら、その後は有耶無耶になったし。

 あれっきり顔も見せなくなった相手に業を煮やして、いい加減、実力行使してやろうかと思ったりもしたのだが―――やっと、手に入れた。
 最後の一押しに協力してくれた勝負師に言われた一言は、認めたくはないが当たっている。
〈―――先生に『触って』いいのは『アイツ』だけなんだよな?〉

 ああ、その通りだよ、村雨。
 正直、ちょっと癪だけど、俺が欲しいものは―――ずっと欲しかったのは、これ、だから。

「なに、考えてる?」
 気づけば、熱に潤んだ目が覗き込んでいた。
「なに、考えてるんだよ」
 言葉と共に、少し乱暴にシャツのボタンを乱されて息が詰まる。侵入した手は、遠慮無く肌を辿って熱を煽ってくれる。

 この強引さを、もう少し早く発揮してくれれば、時間も手間も省けたのに。

 その言葉は流石に口に出さず、ゆっくりと笑って囁きを返す。
「なに考えてるって…」
「………っ」
 掛かる息に驚いたのか、身を竦ませるその耳に口を寄せれば、恐らく赤くなっているであろう顔は隠せるから。
「この状況で、考えられる事なんて、一つしかないと思うけど…?」
 身体の強張る気配と共に、強い力で抱き込まれて足が浮き、思わず回した腕に力を籠める。
「ちょ…こら…っ」
 背中に固い床の感触を感じて抗議しようとして…それをあっさり諦める。我慢できないのは、何もこの馬鹿だけじゃないのだ。
 絶対に、そんなことは言わないけれど。
「龍麻…」

 囁かれる名前に、震える身体を誤魔化すように、龍麻は強く京一の背中を抱きしめた。




☆☆☆


 微かに呼ぶ声が聞こえた気がして、京一は龍麻の顔を覗き込んだ。
「ひーちゃん?」
 しかし、くたりと横たわる龍麻には、目覚めの気配は見られない。
「気のせいか…」
 龍麻の頬にかかる髪を指で弄びながら、京一は苦笑いを浮かべた。
「ちょっと…こりゃ、起きたら黄龍は覚悟しておくべきかもしんねェな…」
 目の前の肌に溺れて、やりすぎた自覚はある。最初は離れる僅かの時間が耐えられずに床の上で抱いたし、それでは足りずにベットに場所を移して抱き合った。
 ひたすら求めて、求められて―――
 うっかり触れていると、何度も熱を交わしあった記憶が蘇りそうで、京一は少し慌てて指に絡む髪を払った。
 けれど、この温もりを手放すなんてことは考えられなくて、京一は眠る龍麻にそっと腕を回した。
 そしてそのまま、うとうとと微睡み始めた京一は、ふと、サイドテーブルの上の時計に視線を向けた。
 示している時刻は、午後11時54分。
「…っと、やっべぇ…」
 慌てて起き上がると、温もりを名残惜しく思いつつベットから抜け出す。脱ぎ散らかした服の中からジャケットを拾い上げ、そのポケットの包みを引っ張り出した京一は、それを手にベットに戻る。
「ひーちゃん…龍麻?」
 そっとそう呼びかけてみるが、返ってくる反応はない。しかし、傍らに身を横たえると無意識に温もりを求めてか、擦り寄ってくる龍麻に頬が緩んだ。
 その、滑らかな頬をそっと撫でてみる。そして、未だ告げてなかった一言を、そっとその耳に落とす。
「ひーちゃん…誕生日、おめでとう」
 そう告げて、京一は持参した包みを開いた。
 現れたのは、銀色の小さな時計。
 龍麻は邪魔になるからと腕時計はしない。だから、時計は長めの銀鎖のついた懐中時計だった。蓋には、月と太陽のシンプルな意匠が施されている。
 たまたま歩いていて見かけて、妙に気に入った品だ。

 時計を送ろうと思ったのは、それが丁度気持ちを代弁する事になると思ったからだ。
 今まで、別に生きてきた時間と一緒にいた時間。
 比べれば別々に生きてきた時間の方が長いのは当たり前だ。
 勿論、単純に過ごした長さだけで比較は出来ないが、京一はもっと龍麻と一緒にいたいと思っている。この先一緒に、時を刻んで欲しいから。それを代弁するものとして、時計は丁度良いと思ったのだ。
 龍麻の手を取って、銀鎖を絡めるようにして時計を握らせる。
「ちゃんと、黄龍食らっても、今度は言うから…」
 改めて中国へ一緒に行こうと。
 京一は改めて龍麻を抱え直すと、その温もりに満足して目を閉じた。








「あンの、馬鹿〜!!」
 ふるふると怒りに震える小蒔を前に、葵は苦笑を隠さずに親友を諫めた。
「小蒔、何もそんなに怒らなくても…」
「これが怒らないでいられる!?今日はひーちゃんの誕生日なんだよ?主賓が居なくてどうすんのさ!」
 小蒔の怒りに、何故か如月と壬生が大きく反応する。
「その通りだ、桜井さん!蓬莱寺の行為は目に余る!!」
「同感です。もう少し状況を考えて欲しいものですね」
 その反応の大きさに、小蒔は一瞬たじろいだが、じきに力強く頷きを返した。
「あ、う、うん、そうだよね!あれだけ言ったのに、あの馬鹿は〜!!」
「ったく、まったくだよ。ちょっと出て…って感じじゃないしね」
「まだ帰ってこないもんな…どこまで行ったんだ?」
「まさか、どっかに出ていってしまったんじゃ…」
「蓬莱寺が、あそこまで勝手だとは思わなかった」
「まったく。これはちょっと、ペナルティものだぞ?」
 何やら不穏に盛り上がり始めた一同を、一人外れて見てる村雨に、葵が声を掛けた。
「村雨くんは、混じらないの?」
 葵の顔に浮かぶ表情に、村雨もまた同種の笑みを返す。
「俺にはちょっと、混じれねぇな。先生の片棒担いじまったし。そういう姐さんは?」
「ちょっと…流石に京一君が気の毒だもの」
 悪戯めいた笑みに、村雨もまた声を上げて笑った。
「ははははっ、まぁな。それに、姐さんみたいな歯止め役もねぇとな。…尤も、あの盛り上がりじゃ、精々止めを刺すのを止めるくらいにしかならねぇ気もするけど、な」
 村雨の言葉に、葵も同意する。
「ええ、あの勢いだと、もう止められないし」
「まったくだ。まぁ、蓬莱寺も損な役回りを引き受けたもんだ」
 しかし、村雨のその言葉には、葵は苦笑めいた笑みで否定を返す。
「あら、そうでもないと思うけど?」
 美里の言葉に、村雨はちょっと眉を上げた。
「あいつら、かなり血が上ってるぞ?全員でフクロは、俺でも気の毒だと思うけどな」
 わざわざ、煽るような手段を取って行動を起こさせた勝負師の言葉に、葵はにっこりと笑って言い切った。
「代わりに龍麻が手にはいるのなら、安いものじゃあないかしら?」
 その言葉には、流石の村雨も肩を竦めて降参の意を示したのだった。