漏れる溜息を隠そうともせずに、京一はぶらぶらと街を歩いていた。
 今日は日曜日。
 結局昨日一日龍麻からの音沙汰はなく、それが余計に京一を複雑な気分に追いやっている。
(闘いが終わっちまったら、ひーちゃんには俺なんかどーでもいいのかもなぁ…)
 勿論、京一とて本気でそんなことを考えている訳ではない。しかし、先日来のどうにも落ち込んだ気分が、思考をマイナス方向へ持っていっているのは確かなようだった。
 今日も、家でごろごろしていたのを鬱陶しいと叩き出されたのだ。
 おまけに、京一を叩き出す際には母親はしっかりと、〈龍麻君によろしくね〉などという余計なコメントを付け加えて寄越す始末。
 普段から、そう言われても仕方ないほど龍麻の家に入り浸っていた自覚はあるが、今日はそれを言われると痛かった。
 訳知り顔の母親にうるせェよと怒鳴り返して家を出て、そのまま京一は新宿の街を歩いている。
(旧校舎…行ったのか?)
 あの勢いでは、それこそ壬生や如月辺りを誘って行ったのかも知れない。
 そう考えると余計落ち込みそうで、京一は髪に突っ込んだ手をくしゃくしゃと掻き回した。
「あー、くそっ!」
 何かすっきりしたいところだが、旧校舎は問題外だし、ナンパをする気分にも到底なれない。どこかで喧嘩でもしていれば首を突っ込んで憂さ晴らしをするのになどという不穏な考えを抱きつつ、京一はぶらぶらと足の向くままに歩き回っていた。
 そこへ、タイミングよくポケットに突っ込んだ携帯が着信を告げた。
 取りだしてみると、表示された名前は〈龍麻〉。
 途端に嬉しいような困惑したような、なんとも複雑な感情が沸き起こる。電話そのものは嬉しいが、これが旧校舎へ出てこいコールだったら目も当てられない。
 しかし、出ない訳にもいかなくて、携帯を耳に当てると、一日ぶりに聞く声が響いた。
『京一?』
「ああ、どーしたんだよ、ひーちゃん」
『今、何処に居るんだ?』
 その声に、京一は嫌な予感がして眉を寄せた。
「…新宿だけど」
『誰かと出かけてんのか?』
 嫌な予感が更に強くなる。
「いや、別にそういう訳じゃ…」
 そう言うと、電話の向こうで龍麻が息を吐いた気配が伝わってきた。
『そっか。なら、ちょっといいか?』
 これは本格的に警戒した方が良いのかと、京一は携帯を握り直した。
「何だよ?」
『俺、今如月の店に居るんだけど…うわっっ!』
 言いかけた龍麻が、いきなり驚いたような声を上げた。
 直後、高いところから落としたかのような激しい音が響いて、京一は思わず耳から携帯を離す。
「ってぇ…って、ひーちゃん!?」
 慌てて耳に当て直した携帯からは、何か争うような物音と、途切れ途切れに龍麻の声が聞こえる。
『ちょ…まっ…こま…』
「ひーちゃんっ!何かあったのかよ、ひーちゃんっ!」
 いくら怒鳴っても、携帯からは返事が返ってこない。
「ひーちゃ…龍麻っっ!!」
 京一の怒声に反応するように、ぶつりと音を立てて電話は切れた。
 慌ててかけ直すが、返ってきたのは感情の籠もらない機械的な通知だけで、まともに通じない。
「くそ…っ!」
 舌打ちして、今度は如月の店の番号をコールする。しかし、呼び出し音はするものの、電話には誰も出ない。
「どーなってんだっっ?!」
 あの鬼神のように強い龍麻が、易々と誰かに襲われるとは考えられない。しかも、場所は如月の店だ。如月が自分の家の庭先で龍麻に危害が加えるなどという馬鹿を許すはずがない。
 しかし、いくら頭で否定しても、何かあったのではないかという疑惑は、じわりと広がって京一を浸食した。
 そう、無敵の強さを誇る龍麻といえど傷ついたり怪我をしたりしない訳ではないのだ。
 不意を打たれれば傷つくし、血が流れれば命にだって関わるのだ。

 ―――柳生に斬られたあの時のように。
 あの、悪夢のような出来事からは一月しか経っていない。

 血の海に頽れる龍麻の姿が脳裏に蘇って、京一は冷えていく指先に力を籠める。
「ち…っ!」
 携帯をポケットに押し込むと、京一は走り出した。こうなるともう、龍麻の姿を自分の目で確認しなければもう安心できなかった。




 如月の店に着くまでの間、京一は何度か龍麻の携帯と如月の店の電話を呼び出してみたが、どちらにも反応はなかった。よく出入りしているらしい雨紋やもしかしてと思った壬生の番号も呼んでみたが、どれも判で押したかのように繋がらない。
「くそ…っ」
 息を切らせて辿り着いた如月骨董品店は、少なくとも外から見た感じでは荒事があったようには見えない。しかし、店の中には確かに人の気配があった。
 荒い息もそのままで、京一は扉に手を掛ける。
 迷っていれば、嫌な想像が大きくなるようで何も考えられなかった。

「龍麻っっ!」

 一気に引き開けた引き戸の向こうに居たのは、京一が予想もしていなかった人物だった。
「あれ?京一もう来たの?早すぎっ!」
 戸口に立つ京一を見て、声を上げたのは小蒔。
「小蒔…?なんでお前が…」
 小蒔だけではない。そこには霧島とさやかの姿もあった。
「あ、京一先輩!早かったですね!」
「こんにちは、蓬莱寺さん」
「お、京一ハン、早かったな〜」
 何故か劉まで顔を出す。その背後には、呼び出しても出なかった雨紋の姿もあった。
「ま、京一にしちゃ上出来じゃないの?」
「…って、何が…」
 さっぱり訳が解らずに呆然とする京一に、奥から声が掛けられた。
「ホント、早かったな、京一」
 そこに立っていたのは、さっきまで京一が気も狂わんばかりに心配していた当の本人だった。
「龍麻っ、お前、無事で…」
 京一の言葉に、雨紋がおかしそうに笑い声を上げた。
「ははっ、やっぱ京一は単純だよなぁ」
 それに同調するかのように小蒔も笑顔で頷いた。
「まあけど、それで飛んできたんだからいいよ。上出来!」
「ちょっと待てよ、何がどうなってんだ?」
 混乱する京一に、龍麻が歩み寄ってきた。
「雨紋が勝手に電話切った時にはちょっと悪趣味かなとも思ったけど、こないだ、お前もあんま人の話聞かずに電話切ったからおあいこだと思って」
「…って、それって…」
「ああすれば、お前は飛んでくると思って、さ」
 その言葉に、やっと京一は事態を理解した。
「けど流石相棒。早かったよな」
 そう言って、龍麻は奇麗に笑んだ。
 傍らの小蒔や雨紋が、目を見張ってその表情に見入る。しかしそれも、すっと視線を下げてしまった京一には届かなかった。
「…じゃあ、別に何かあったって訳じゃないんだな」
 袱紗を握り直し、俯いたままで確認するかのように尋ねた京一に龍麻はあっさりと頷く。
「ああ、携帯は電源落としてただけだから」
「そっか」
 京一はそのまま視線を上げることなく、くるりと背中を向ける。
「京一?」
「帰るわ。邪魔したな」
「って、ちょっと…」
 小蒔が慌てて声を掛けるが、その背中は完全に声を掛けられる事を拒んでいて。
 ぴしゃりと。
 閉じられた扉の音がやけに大きく響いて、賑やかだった店内に沈黙が落ちた。
「…ちょっと、やりすぎちゃったかな?」
 強張った空気を解すかのように、龍麻は苦笑めいた笑みを浮かべてその場に居た面々を見回した。
「折角集まって貰ったのにな。仕方ないから京一抜きでやろっか」
 微笑む龍麻に小蒔が戸惑いの表情を向ける。
「けど、ひーちゃん…」
「折角準備したのに無駄にするのも勿体ないだろ?」
「けど…」
「京一にはちゃんと、謝っておくから」
 その言葉と笑顔に、やっとその場の緊張が解けた。
「仕方ねーな。じゃ、ぱーっと派手にいきますか!」
「そだね。折角色々用意したんだから、無駄にするのも勿体ないよね」
「せやな。地鶏まんもエエ感じで出来たしな〜」
「けど、京一先輩が…」
 師匠が気になるのか、和んできた空気の中で一人複雑な顔をする霧島に、小蒔が指を振る。
「いーんだよっ、あんな馬鹿は忘れて、霧島クンもさやかちゃんと楽しまなきゃ!」
「さ、桜井さんッ!」
「べ、別にそんな…」
 顔を真っ赤にするさやかを見て、霧島も赤面して視線を宙に泳がせ始める。
 そんな様子を窺いながら、気配を消して引き戸に手を掛けた龍麻に、奥から密やかに声が掛けられた。
「うふふ〜ひーちゃん、どこ行くの〜?」
「ミサ」
 奥座敷から顔を出した裏密は、何とも言えぬ笑みを浮かべていつも抱えている人形を翳して見せた。
「望みの場所を〜占ってあげようか〜」
 裏密の言葉に一瞬躊躇した龍麻も、じきに肩を竦めて首を振った。
「いや、いい。わかってるからな」
 龍麻の答えに、裏密は奇妙に嬉しそうな笑い声を上げる。
「うふふ〜ならいいけど〜」
 その裏密の後ろから現れた如月は、小さな巾着を龍麻に手渡した。
「それを持っていくといい。君には必要ないだろうが」
 受け取って中を改めた龍麻は、苦笑いを浮かべてそれをポケットにしまい込んだ。
「ああ、ありがとう。悪いな」
「礼を言われるような事じゃないよ。―――気をつけて」
 如月の言葉に、龍麻は軽く目を見開いてうっすらと笑う。
「それ、誰に言ってるんだ?」
これには如月も、苦笑いするしかなかった。








 担がれたと気が付いた時、真っ先に浮かんだのは、それに対する怒りでも何事も無かったことに対する喜びでもなく、奇妙なほどの安堵だった。
 何かが、すとんと胸に落ちたような―――納得したとでもいうような感覚。

 やっぱり、お前にとって俺は―――

 それから先は考えずに、如月の店を出た。

 そう、考えても仕方のないことだ。
 例え龍麻が京一の事をどう思っていようと、京一にとって龍麻は一番大切な相棒で、失いたくない存在で。
 現に今も、担がれた怒りよりも確実に、龍麻が無事だったことの安堵の方がずっと大きく胸を占めている。
 冷えた手先の感覚は、未だ戻らないままだ。

 けれど、いくら届かない想いを自覚していても、それによってもたらされる痛みが消える訳ではない。抱え込んだ痛みはやっぱり京一を苛むし、それに勝つ方法が、今の京一にはわからなかった。
 だから、京一はここにいる。
 龍麻と来るはずだった、この、旧校舎に。


「陽炎・細雪ッ!」
「キシャァァァァァアッッ!」
 悲鳴を上げて倒れ伏す異形は、もう何体目になるのか。自分がどの辺りに居るのかも、正直感覚がない。別に下を目指していた訳でも無かったから、下りた階も適当だったのだ。
 目前の敵を、倒す。
 それだけを考えて技を繰り出すことの繰り返しが、随分続いたような気はしていた。
 返り血は、服だけではなく頬や髪にも飛んでいたし、木刀を振るう腕はもっと酷い事になっている。
 ただ、疲れたという感覚は無かった。奇妙に冷えた頭の芯が、まだ自分はやれると冷静に分析している。
 このまま、ここで。
 何ものにも負けることのない強さを手に入れることができたなら。
 けれど、それは多分叶わない願いだ。
 実際、今も胸には先程の龍麻の姿がある。いくら闇雲に異形を屠ったとしても、逃れられないものもある。
 苦笑いして京一は木刀を握り直した。
「あーあ…」
 いくら闇雲に闘ったところで、結局、行き着くところが同じでしかないのなら。
「仕方ねェよ、なぁ…」
 どんなに足掻いても、逃れられないのなら立ち向かうしかない。それに、その方がずっと、京一の性に合っている。
「告って夜空の星にでもなるか…っと」
 告げれば黄龍を食らった上に、二度と相棒とは呼んで貰えなくなるかもしれない。
 しかし、それでも。
 ここから先に進むには、それは避けては通れない。

 その時だった。

「誰が、夜空の星になるって?」

 響いたのは、この場には居ないはずの人の声。
 振り向いたそこに見つけた姿を、最初は、彼の人を思うが故の幻覚かとも思った。
 しかし、それは幻覚ではあり得ない存在感で京一の前に立つ。
「ひーちゃん…」
 呟いた名前に、龍麻がくすりと笑う。血臭と邪気の漂うこの場所でも、それは鮮やかに京一の目を奪った。
「お前、どこから潜ったんだ?居なかったから上に戻ったら、その間に下に行ってるから、探すのに苦労したぞ?」
「…なんで、ここに?」
「お前を探しに来たんだよ。何にも聞かずに帰るから」
「………」
 龍麻の真意が読めずに黙り込んだ京一は、予想もしていなかった言葉に固まった。

「誕生日、おめでとう」

「…へ?」
「今日。誕生日だろう?」
 そう言われて、はじめて思い出す。
 1月24日。
 確かに、自分の誕生日だった。
「みんなプレゼントを用意してくれてたのに、お前問答無用で帰っちゃったからなぁ」
 龍麻はゆっくりと口の端を引き上げて、笑んだ。
「こんなに、汚れるまで夢中になってるし」
 龍麻の手は、拳を武器として使用する者の定めとして、決して綺麗な手ではない。節もあればタコもある。しかし、その白く長い指が自分に向かってすっと伸ばされた時、京一はそれが何よりも綺麗に見えた。
「顔まで飛ばしてるんだもんなぁ…」
 その手が、京一の頬に飛んだ異形の血をゆっくりと拭き取っていく。
 その感覚に堪えきれずに、京一はその手を掴んだ。
 龍麻は、その些か乱暴な仕草にも怒ることは無く。
「どうしたんだよ、京一?」
 そう言って、更に首を傾げて尋ねてくる。
「俺は」
 言葉に詰まる京一をからかうかのように、龍麻は笑みを深くする。片手を京一に奪われても嫣然と笑むその様子は蠱惑的ですらあった。
「そういや…プレゼントの希望を聞いてなかったよな?」
「ひーちゃ…」
「何が、欲しい?」

 上目遣いで、そう尋ねられて。
 京一は求められるままに望みを口にした。

「お前が、欲しい」
「俺?」
「そう。龍麻が欲しい」
 そう言って、黄龍覚悟で腕を腰に回して引き寄せても、龍麻は抵抗しなかった。それどころか、自分から身を寄せてきて、京一の首に腕を回す。
 その仕草に、京一の動きが固まる。
「ひー、ちゃん?」
 跳ね上がった鼓動を押し隠すように呼びかければ、至近距離でその秀麗な顔がにこりと笑んだ。
「考えなくも、ないけど?」
「…え?」
 返ってきた思いも寄らぬ答えに、京一の顔に一気に血が上る。
「考えなくも、ないってどういう意味…?」
 掠れ気味の京一の声に対して、龍麻は落ち着いた声で答える。
「言葉通りの意味」
「それって、もしかして…OKってことか?」
「さあね」
 積極的な行為とは裏腹に、妙に曖昧な龍麻の答えに、京一の顔が歪んだ。
「さあねって…」
「返事の前に…」
 龍麻は再びにこりと笑んで京一の耳元に唇を寄せる。
「ちょっと、ね。聞きたい」
 近づく温もりに、完全に理性が焼き切れそうになるが、囁かれた言葉が辛うじて京一を現実に引き戻した。
「…なん、だよ?」
「俺、今回は色々と計画してた訳。お前の好きなさやかちゃんのスケジュールを押さえるのに走り回ってみたり、如月の店を貸して貰うべく交渉したり、派手にやろうと思って資金を稼いでみたり」
 龍麻の言葉に、京一の頭からすっと熱情が引いていく。
(ま、まさか…)
「それが全部ぱぁになったのは、正直ちょっと、引っ掛かってるんだけど」
 そう言って艶やかに笑む龍麻に、京一は確信を抱いた。
(やべェ、完全怒ってるっっ!)
 密着して黄龍を食らえば、流石にお花畑を拝む羽目になってしまう。
「ごめ…悪かったってっ!」
「ふーん、悪いと思ってんの?」
「ちゃんと話聞かなかったのは悪かったってっ」
 思わず身を竦ませた京一に、龍麻がくすりと笑う。
「…まあ、今回は俺もふざけちゃったから、ちょっとで勘弁してやるよ」
「ちょっとって…」
「如月に、良い木刀の話聞いたんだ。今日はそれを探しがてらここに潜ろうと思ってたのに、お前が断るから、俺はまだ誕生日プレゼントを用意できてない」
「それって…」
「自分で、取ってくるよな?」
 腕の中で、艶やかにそう微笑まれて、京一はがっくりと肩を落とした。
「まあ、運が良ければ200階くらいで拾えるんじゃないかって、如月のアドバイス」
「200階…」
「ここは190階。あとちょっとだから平気だろ?」
「わーった、わーったよっ!」
「けど…」
「なに?」
「その前に、ひとつだけ」
 そう言うなり、聞き返す余裕を与えずに京一は腕の中の身体を引き寄せた。
 そうして、薄く色づいた唇を有無を言わせず奪う。
 今度こそ、拳の一つでも飛んでくるのは覚悟していたのだが、やっぱり拳は飛んでこなかった。その代わり、合わせた唇から忍んできた舌に、別の意味で衝撃を与えられて。
「…んっ」
 吐息のように漏れた声に、京一は我を忘れてそれを貪った。龍麻も、積極的にそれに応えてくる。
(やべ…)
 目の眩みそうな快楽に、京一はそろそろと龍麻の服に手を這わせた。ここがどこか、とか、現在の状況とか、そんなことがどうでも良くなって―――
「はい、そこまで」
 セーターの下に忍び込もうとした京一の指は、龍麻にしっかり捕えられていて。
「―――っ、そんなひーちゃんっ!」
 ここで止めるなんて鬼だと視線で訴える京一に、龍麻は肩を竦めて問う。
「したいのか?」
「当たり前だろっ!」
 その答えに、龍麻は嫣然と微笑んで告げた。
「―――駄目。とっとと行ってこい」
 その表情に、京一は龍麻の本気を感じ取って渋々手を引く。
「そうそう、聞き分けは良くないとな」
 腕からも逃げられて、がっくりと肩を落とした京一は、しかし次の瞬間がばりと身を起こして龍麻の肩を掴んだ。
「ちょっと、待てっ!」
「…っっ!びっくりした〜。いきなりなんだよ?」
「取って帰ってきたら、当然さっきの続き…してもいいんだよな?」
 意気込み一杯にそんなことを言う京一の顔に、龍麻はちょっと目を大きくして、それからくすくすと笑い声を上げた。
「…そうだな。俺が待ってる間に帰ってこられたら、考えなくもないよ?」
 その言葉に、京一の顔がぱっと明るくなる。
「マジかよ?ホントに、いいんだなっ?」
「けど、一時間以上は待たないからな?」
「上等だっっ!」
 京一は喜色満面で木刀を握り直すと、それを龍麻にぴしりと突き付けた。
「いいか?その言葉、忘れんなよっっっ!」
 言い捨てて、京一は喜々として地下への階段に駆けだしていく。
 その後ろ姿を見送って、龍麻は小さく息を漏らした。
「あんの、馬鹿…」
 あの調子では、龍麻が密着ついでに腰に結んでやった如月骨董品店謹製のアイテム袋など気がついていないだろう。
「けどまあ、賢かったら京一じゃないしな…」
 酷い言い様ながら、龍麻の顔に浮かんだ表情は見る者がいないことが惜しいほどの艶やかで、そして優しいもの。
「馬鹿で、丁度だよな」

 そう、知らなくてもいい。
 『旧校舎へ行こう』と誘えば、違和感無く二人っきりでいられるとか。
 素直に誕生日を祝ってやるとは言えないから、仲間達を集めて口実を作ってみたりとか。
 自分から誘った癖に全く中国行きを言い出さなくなった京一への意趣返しのつもりで虐めてみたとか。

 そんなことは、龍麻だけが承知していればいいことなのだ。

「さ、どのくらいで帰ってくるか…」
 そう呟いて、龍麻は適当な岩場を選んで腰掛ける。
「ここで待ってるのも、いいか」
 龍麻は大きく延びをした。
 本当は待つのはそんなに好きじゃないけど。
 京一は、龍麻に待ちぼうけを食らわせる事はないだろうから。

 龍麻はそのまま、岩に背を預けて目を閉じた。
 京一の残した熱が、全身に広がって辛いなんて、本人には絶対に言えない。
 帰ってくるまでにはこの熱を覚ましておかないといけないと思いながら。