ノブを握る手が少し震えているのに気づいて、龍麻は唇を噛んだ。
 馬鹿みたいだ。
 そう思っても震えは止まらなくて、手の平が汗で滲んでくる。
 心臓は全力疾走した時のように早鐘を打っていて、今にも喉から飛び出しそうだった。
 ノブを握りしめたまま、固まってしまった龍麻の気配に気づいたのか、急かすように再び鳴ったチャイムに背を押され、龍麻はノブを押し開ける。
 そこに立つ人間は承知していた筈なのに、姿を見た瞬間足の力が抜けそうになった。
「……よぉ」
 ぶっきらぼうに言う京一の顔はどこか不機嫌そうに歪んでいる。けれどそれが意味する本当のものに気づいてしまった龍麻は、それから目が離せなくなって。
「………」
 視線を外せずに立ちつくす龍麻に、逆に京一の方が居心地悪げに視線を逸らした。
 その仕草に、我に返った龍麻が身を引いて京一を招き入れる。
「…入れよ」
「…ああ」
 今度は反動でまともに顔が見られなくなった龍麻は、そのまま背を向け足早に部屋へと戻ろうとしたのだが、それは伸びてきた腕に阻まれた。
 閉じるドアの音がやけに大きく響く中、背中から回された京一の腕が、逃れることを許さない強さで龍麻を捕らえている。
 もう、これ以上は早くならないと思っていたのに、引き寄せる腕の力と、触れた背中から伝わってくる同じように早い鼓動が龍麻を急かす。
 そして、背中を包む熱さが。
 左の肩に乗せられた京一の頭の重みが。
 首筋に感じる京一の吐息が。
 逃すまいと確かめるように回された腕の強さが。
 その全てが、どうしようもなく自覚した熱を煽ってくれる。
 それに対して、京一は何故か動くことなく黙って龍麻の肩を抱きしめている。
 いい加減、龍麻が焦れてきた頃、京一がぽつりと呟いた。
「…ごめん」
「……なんで謝るんだよ?」
 この、抱きしめてくる腕を否定しているのかと少し眉を寄せた龍麻だったが、次の言葉に思わず身を固くする。
「ずっと、ガキみてーに拗ねてたから」
「それは…っ」
 反射的に言い返そうとした龍麻に、京一は肩に乗せた頭を深く擦り寄せてより強く身体を拘束することでそれを封じる。
「ちゃんとおまえのこと、わかってるつもりで全然わかってなかった。ひとりでわかったつもりになって、ひとりで拗ねてた。馬鹿みてーだよな」
「京一…」
「謝って、チャラにして、それでも拘ってる自分がガキみてーで言い出せなくて拗ねて。……拗ねる前に、ちゃんと、することあったのに」
 京一の言葉が、龍麻の中で溶けていく。
 改めてその口から聞く京一の考えていることは、やっぱり龍麻の思うそれとは完全に一致している訳ではなくて。
 ふたりが、相容れない別の生き物だと思い知らされる。
 それは痛みを伴った、永遠に癒されないであろう切なさ。
 けれど、だからこそきっと、こんなに胸が熱くなるのだ。
「もう、いい」
 龍麻はそっと回された腕に手を掛けた。
「俺も、同じだから」
「ひーちゃん…?」
「気を使ってるつもりで、逆に距離を置くようなこと、した。それでどんどん望まない方向に進んで行っても、気を使う振りで逃げてた。…ちゃんと、言えば良かったのに」
 腕を外して向き直ると、真正面から京一を抱きしめる。
「だからごめん。謝るのは俺の方だ」
 強く強く、京一に負けないようにしっかりと腕に力を籠める。
 その意図を読んだのか、京一がくすりと笑った。
 そうして、龍麻の背に同じように腕を回しす。
「なーんかさ、馬鹿みてェだよな」
「そうだな」
「けどま、いっか」
 嬉しそうに笑う京一に、龍麻はちょっと躊躇ってから尋ねた。
「なぁ」
「なんだよ」
「今度こそ、チャラ、だよな?」
 確認しておかないとどうにも不安で、恐る恐るそう尋ねると、京一が更に笑った気配がした。
「チャラは嫌かもなぁ」
 笑んだ気配とは裏腹の言葉に、龍麻の腕から力が抜ける。
 自らも腕を緩めた京一は、身を固くする龍麻の顔を覗き込んで笑った。
「意地張ってた間、ホント辛かった。ひーちゃんの顔まともに見ないのがこんなにしんどいなんて思わなかった。まあ、自業自得だけどよ」
「京一…」
「だからその分、ちゃんとお前に近づきてェよ。困らせたり苦しめたりしなくてもいいように。もう、こんな馬鹿な意地張らなくてもいいように」
「………」
「けどまあ、またやっちまうような気もすっけどな」

 我ながら、情けねェとは思うけどよ。
 その時は、容赦なく黄龍でもなんでもかましてくれていいからさ。

 そう言って笑う京一の表情に、龍麻は些か乱暴な仕草でその耳を掴んで引き寄せ、囁いた。

「馬鹿野郎。んな事言うな。…お互い様なんだから」

 本当に、何時だって京一は言葉一つで龍麻を熱くさせる。結局、敵わないのなら我慢なんて無意味だ。
 言いたいことを言って、喧嘩もして、それからもっと近づければいい。
 至近距離で京一の目を覗き込めば、苦笑いと共に唇が頬に落とされる。
「ンな目で見ンなよ」
 その言葉に、京一もまた自覚している事を知る。
「なんで?」
 素直にそう聞き返せば、呆れたような声が返ってきた。
「我慢できなくなっちまうだろ?」
「……する必要、あるのか?」
 顔を見た瞬間から、同じものに飢えている事は知っていたから。
 言いたいことも言ったし、聞きたいことも聞けた。
 だから、これ以上我慢する必要なんて欠片もない筈。
 そういう意図を籠めて見つめれば、京一が小さく敵わねェなと呟いて顔を寄せてくる。

「じゃ、遠慮なく」
「遠慮は要らないから、早く寄越せ」
 敵わないのはこっちだと、これは胸の中で呟いて、龍麻は深く京一を引き寄せた。


 はだけたシャツの間から見える肌は紅く上気していてやたらと扇情的だった。
 自分だけ脱がされるのが不満とばかりに、龍麻は京一のトレーナーを脱がそうと引っ張っているが、上手く脱がせられないらしく不満そうに京一を睨んでくる。
「お前も、脱げよ…っ」
 妙な拘りがおかしくて、京一は口元を緩める。
「拘るよなぁ…」
「不公平なの、ヤなんだよ」
 視線一つで京一を束縛する癖に、こんな所は子供のようだと思う。また一つ、知らなかった龍麻を見つけたようでそれが嬉しかった。
 全てを知り尽くすなんて不可能を望むよりも、知らない部分を見つけた時の喜びを大事にしてる方が人生幸せだ。
 今も、脱ぐために少し身を離しただけで、寒そうに身を縮めるのは、きっと、無意識。けど、それだけにもろに京一の精神を直撃してくれる。
「はいよっと、ほら、これでOK?」
 脱いで見せたら、視線を戻した龍麻の顔が更に赤く染まる。
「ばっ…わざわざ言うな!」
 照れている様が恐ろしく可愛くて、京一はそのまま滑らかな首筋に軽く歯を立てて下肢に手を伸ばす。
「ひぁっ…っっ」
 途端に跳ね上がった身体と、甘い悲鳴に京一の熱情も煽られる。
 首筋を辿って胸の飾りに歯を立てれば、龍麻は声もなく首を打ち振った。熱を持った下肢が触れあってお互いの余裕のなさが知れる。
 抱き合うのに余裕がないのはいつものこと。しかし今日は触れるだけで互いの熱が跳ね上がった。
 もっと、もっと欲しい。
 言えなかった意地と、足りなかった言葉の分を、互いの熱で埋めたかった。
 堪えきれずに奥を探れば、未だ固く閉じたそこはそれでも熱を持って京一の指を迎え入れる。
「…っっ!」
 苦痛とも快楽ともつかぬ表情で眉を寄せる龍麻に、京一は堪えきれずに呟いた。
「悪ィ」
 熱情に掠れた声に龍麻が身を震わせるより早く、京一の指に更に奥を探られて悲鳴が上がる。
「い…あっ…んんっ!」
 掻き回すのもそこそこに指を引き抜いて、代わりに張りつめた自身をあてがう。
「我慢、できねーわ」
 その囁きに、龍麻が眉を寄せながらもうっすらと笑った。
「いい、ぜ」
「龍麻…?」
「早く…寄越せ、よ」
 言葉で、眼差しで。
 誘われるままに、京一は深く突き上げた。
「く…ひぁ…んっっ!」
 流石に、慣らしていないそこはきつく、苦痛に閉じられた龍麻の目尻には涙が玉になっている。
「きょう…いち…」
 龍麻の苦痛を思っても、それでも京一は突き動かされる情動を堪えることが出来なかった。
 きつく拒みながら、しかし熱く絡みついてくる龍麻の内部に自身を絞られ、龍麻の唇から零れる己の名前に、更に熱を煽られて。
「きょ…いちっ!」
 何より、『繋がっている』という充足が京一を高ぶらせる。
 そして、それは多分龍麻も同じ事で。
 何度か突き上げると、じきに龍麻の表情から苦痛の影が消え、陶然とした悦びが浮かび上がってくる。
「龍麻…」
 名を呼べば、快楽に酔って辺りを彷徨っていた龍麻の視線が京一の顔を捕らえた。
「好きだ。下らない意地張っても、傷つけるような馬鹿な真似しちまっても、これだけは本当。どんなに遠回りしても、やっぱ俺にはお前が必要で、それは絶対変わらないから…だから、また馬鹿やってもここに戻ってきて、いいか?」
 恐ろしく直球な上にかなり傲慢な言葉だったが、それ以外思いつかずに口にして額を合わせると、一瞬固まった龍麻の顔に柔らかな笑みが浮かんだ。
「そうだな。俺も、ここに帰りたい」
 その言葉を合図に、後は押し寄せる波に身を任せて。
 上り詰めるその瞬間、耳元で囁かれた言葉が、京一に止めを刺した。

「……あいしてる」



 本当に、お前には敵わない。



 その瞬間、互いの胸の裡で生まれた言葉が一緒だったのを、ふたりは知らない。