喧嘩をした。 理由なんて覚えてないけど、覚えていられないほどしょうもない事だったのは確かだ。 とにかく、最初に怒ったのはアイツで、謝ったのは俺で。けどどこでどう間違ったのか、そこで済むはずの話が段々気になりはじめて。 あれから妙にアイツの顔がまともに見られない。 けど、アイツは何事も無かったように笑う。 なあ、俺の事なんて、そんなに気にならないか?
喧嘩をした。 原因は本当に些細なこと。正直、もうなんだったのか覚えてない。とにかく、本当に、どうでもいいような事で。 頭に来て怒ったけど、一時の感情が過ぎたら怒りすぎたんじゃないか、って気になった。 謝ってくれたから、もう気にしないようにしようって決めたのに、あいつは妙にぎくしゃくしてる。 そんなに、きついこと言ったかな? 何でもないように振る舞う度に、微妙に歪むあいつの顔を見るのは、本当は辛いんだけど。
なんで、すっきりしないのか。 自分でもわかんねェ。 何が引っ掛かってるってちゃんと言い切れないのに苛々するのは、多分アイツの笑顔のせい。 俺は引っ掛かってるのに、お前はそんなに笑えるんだ? 理不尽だって知ってるけどそんな風に思っちまう。 おかしいよな? 自分でもわかってる。 謝って、許して―――それでも気まずいってどうだよ? 俺とアイツは、そんなに薄っぺらい関係なのか?
どうして、こんなに辛いのか。 よく、わからない。 謝ってくれたから、もういいよって言った。 気にしないように振る舞った。 けど、あいつの顔はどんどん歪んでいって、気がつけば空気が重たくて。 辛いのに何も言い出せない。 だって、『謝って』くれて、『許した』んだから。 だから、もうあれは済んだことで。 気にしちゃいけないと思うのに、どうしても考えてしまう。 謝って、許して―――それでも気まずいっていうのは何がいけないんだ? それも解らないほど、あいつと俺は遠かったのかな?
珍しく自室に帰ったら、妙に空気が他人行儀で。 自分の部屋なのにそんなことを考えるのは、アイツの所に居すぎたせいだって、ちゃんとわかってる。 部屋のベットに寝転がって、ぼんやりと考えても、思いつくのはろくでもないことばかりで。 こんなにぎくしゃくしても、アイツは気にしてないのかな、とか。 俺が思ってるほど、アイツは俺のことを思ってないんじゃないか、とか。 今頃、何してる? 気になって仕方ないけど、手にした携帯のボタンが押せないのはもう、どうしようもない。
一人しか居ない部屋は奇妙に寒くて。 温度に気づく間も無いほど一緒に居たって思い知らされる。 座り込んだ背中の壁が冷たくて、それが妙に切ない気分を誘う。 いつまでこんな風な気まずさが続くんだろう、とか。 ずっとこのままだったら、俺はどうなるんだろう、とか。 今頃、何してる? それが聞きたくなってしまうから、絶対に携帯は鞄から出さない。
手の中の携帯を弄んでいて、揺れているストラップを摘んで。 そういえば、振り回してたからちょっとやばかったんだなんて、思って、ふと見たら。 外れそうになっていた根本の部分が、ボンドみたいなもので、固められていた。 いっそ、ぶっちり切った方が良いんじゃないかと思うくらい、ごてごてに塗られた不器用なそれは、誰の仕業かなんて詮索するまでもない明らかな証拠。 思わず笑って――― そうして不意に―――
鞄に放り込んでしっかりと封印してある携帯と違って、家に据えてある電話は嫌でも目に付く。 見ないようにって思って、わざわざ視線を逸らして。 けれど、どうしても視線が行くそこには、あいつが貼っていった馬鹿みたいに大きい番号を書いた紙。 知り合って殆どすぐ、遊びに来たあいつがわざわざ書いて貼り付けていったもの。 それにふっと目がいって――― そうして不意に―――
そうして不意に、気が付いた。
これは、他ならぬアイツに貰った物で、その時俺は擦りきれるまで使うって言って馬鹿言ってアイツに笑われたっけ。 壊れかけてたそれを、アイツはこっそりこれを直してた。 それと、同じで。 何も言わない方がいいって、アイツは思ったんじゃないか? どんなに俺がおかしな顔してても、言わないでそっとしておくのが、アイツなりの気遣いだったんじゃないのか? そう思えばやっと、アイツの笑顔の裏側が見えてきて。 あまりの情けなさに、頭を抱えたくなった。
あいつは、番号を貼っていく時にやたら細かく念を入れてた。 何かあったら、いや、何かなくてもいいから、かけて来いよって。 電話代が嵩みそうだって笑ったけど、確かに最初、あいつはよく電話をくれて。 ―――じきに、電話より本人が来てる方が多くなったけど。 それでも、時々ふらりとかけてきてちょっと喋って切って。 馬鹿話でも話すだけで確実に近くなった。 それと、同じで。 あいつは、ちゃんと聞きたかったのかもしれない。 何もない振りをして笑う俺は、あいつには苦しかったのかもしれない。 それに気づけば、体中の力が抜けそうになった。
なんでそんな当たり前のこと忘れて、俺は馬鹿みたいに拗ねてたんだ? 俺が、思ってるように、アイツは俺を思ってない? 当たり前だ、別々の人間なんだから。 話すことや、感じ方だって全然違う。 だから、ちゃんと話さなきゃわからない。 姿を見て、声を聞いて、会って話して―――でないと気持ちなんて伝わらない。 あんまり近くに居すぎたから? そんなのは理由にならない。 今すぐに、アイツの声が聞きたい。 握りしめた携帯を押す指に、焦りはあってももう躊躇なんて欠片もない。
どうして、こんなことに気づかずにぐるぐるしてたんだ? 何にも無い振りをして忘れるなんて、出来る訳がない。 あいつがそれとは一番縁のない人間だって、誰よりも知ってた筈なのに。 ちゃんと、話して。 思ったことを口にして。 とことん腹の中までぶつけ合って。 それも出来ずに疑心暗鬼なんて、馬鹿らしいにも程がある。 あいつに、会いたい。 会って話したい。 直後に響いた電話の音に、相手が誰かなんて考える必要もなく腕を伸ばした。
「…もしもしっ」 「……よぉ」 「………っ!」 「…今から、行っていいか?」 「…待ってる」
耳に飛び込んできた声に、全身が震えた。 まともに喋れずに、一言だけで切る。 なんでって、足りない。 声だけじゃ全然足りない。 会いたい。 会って、声を聞いて、顔を見て、それからアイツを抱きしめたい。 逸る気持ちを抑える理由なんてなくて、そのまま家を飛び出した。
予想通りの相手だったのに、その声を聞いただけで全身が震えた。 行ってもいいかという問いに、待ってる以外の答えを返せなくて受話器を置く。 今から、来る。 それだけで顔に血が上った。 会いたかった。 声だけでなく、顔を見て、あいつに触れたい。 そう、思った。
エレベーターを待てずに、階段を駆け上がる。 息は切れたけど全然苦にならない。 だって、もうそこに扉が見える。 あの中に、アイツが居る。 それだけでガキみたく胸が弾んだ。
急いたような足音が響いて、あいつの到着を知らせてくれる。 ただ座っていただけなのに、やたら早くなる鼓動が耳に煩くて。 足音が、どんどん近くなる。 そうして。
響くチャイムの音―――
|
|
 |
 |
|