その瞬間。
「何を言ってるんだ、龍麻っっ!」
「龍麻、君は間違ってる!」
 いきなり龍麻の脇に現れた人影に、小蒔が驚きの声を上げる。
「き、如月クンに壬生クン?」
 瞬きの間に現れた如月と壬生に、龍麻は目を丸くした。
「如月に紅葉…新宿に来てるなんて、珍しいな。コーヒー飲みに来たのか?それも…みんな、一緒に?」
 龍麻の言葉に呼応するように、周囲のテーブルの客が立ち上がる。
「あ〜あ、ったく、馬鹿が先走るから気づかれるんだよッ」
「冷静さを欠くと、こうも見苦しくなるものですね」
「ダーリン、元気してる〜?」
「龍麻、コスモレンジャーにも会いに来て欲しいな」
「龍麻サン、今度ライブ見に来ませんか?」
「オー、アミーゴ!会いたかったネ!」
「先生、アンタに会えた偶然には俺の強運に感謝するが…たまには歌舞伎町にも来てくれよ」
 藤咲に御門に高見沢に黒崎、雨紋とアランに村雨まで登場したのには醍醐も言葉を無くした。広くない店の客席の殆どを、良く知った顔が埋め尽くしているのだ。これを一体どうやって偶然の一致と片づけるのか。
 しかしその心配は無用だった。偶然というのはあまりにも揃いすぎた面子の最後に登場したの人物が、一言でそれを片づけてしまったのである。
「ふふふ、偶然会ったから、驚かせようと思って」
「葵!来てたの?」
 現れた美里に心底驚いている小蒔を見て、醍醐は少し安堵する。
(そうだ、やっぱり桜井は知らなかったんだ。やはりなッ!)
 しかし、その安堵も美里の放つオーラの前にたちどころに吹き飛んだ。
「折角、驚かせようと思ったのに、如月くんも、壬生くんも…駄目じゃないの」
 決して咎めているものではない、あくまで軽い冗談のようなその言葉に、如月と壬生の肩がまともに揺らぐ。
(如月に壬生…今回ばかりは同情するぞ)
 そんな二人を退けるようにすっと足を進めると、美里は龍麻に微笑みかけた。
「ごめんなさいね、龍麻。みんなに会ったところに、姿を見かけたものだから、少しびっくりさせようと思ってしまって。…驚かせてしまった?」
 そう言って小首を傾げて微笑む姿は愛らしさを感じさせる。そういう所はまさしく菩薩な少女である。如月達を圧倒したオーラも、龍麻の前ではしっかり隠しているあたり、流石と言うべきか。
「そんなことないよ。旧校舎以外で、こんなに集まったのは本当に久しぶりだから嬉しいし」
「よかった。話の邪魔をしてしまったんじゃないかと、心配してたの」
 そう言って、美里はちらりと視線を如月に投げた。如月はなんとも言えない表情を浮かべたが、すぐに龍麻に向き直った。
「そうだ、龍麻。つい黙っていられなくて口を出してしまったが………君は、何か誤解してないかい?君が蓬莱寺を甘やかすことこそあれ、何故君が、甘やかされていることがある?」
「その通りだ。僕もそう思う。龍麻、君は蓬莱寺を甘やかしすぎてる」
 壬生がそう言えば、居心地悪そうに視線を逸らしていたその他の面々も、堰を切ったように続いた。
「過分な親切は人を駄目にするものですよ」
「そうッ、龍麻、あんまり甘やかすと、あの馬鹿はつけ上がるよ」
「つけ上がるなんてもんじゃないだろう。あの猿はっ!」
「こればっかりは意見が合うな。同感だぜ」
 その、あまりの勢いにマリィは少し怯えを見せ、小蒔は醍醐の耳にそっと口を寄せてきた。
「…どうなってんの?京一のヤツ、なんかやっちゃったの?」
「いや。…知らない方が良いと思う…」
 実感と悲哀の籠もった醍醐の言葉に何を見たのか、小蒔は掛ける言葉を無くしたようだった。
 そんな醍醐達を余所に、その場は既に収拾がつかないくらい騒がしくなっていた。それぞれが言いたいことを言い合い、主張しているのだが、ただ一点、共通しているのは『龍麻は京一に甘すぎる』という点だった。
 最初は驚きで呆けていた龍麻だったが、何故か途中から苦笑に近い笑みを浮かべてそれを聞いていた。そして、一同の息が切れた頃におもむろに口を開いた。
「まいった。もう充分驚いたよ。それで、最後に京一が出てくるのか?アイツも人が悪いな」
「た、龍麻?」
「ったく、驚かすにももうちょっと考えればいいのに。そりゃ、人の話してる時に本人が出てきたらびっくりはするけどさ」
 どうやら、龍麻はこれを京一の仕組んだ悪戯だと解釈したらしい。くすくすと笑う龍麻に、一瞬呆けた壬生が慌ててそれを否定する。
「違う、そうじゃないんだ、龍麻!」
「そうだよ、龍麻サン。蓬莱寺サンは来ない。大体あの人は今頃…」
「雨紋くん」
 何かを言いかけた雨紋を、美里の言葉が引き留める。穏やかに聞こえるが、それに含まれるものは明らかである。一瞬まともに引きつった雨紋はそのまま硬直した。
 しかし、それすら打ち砕く声が、その場に響いた。
「俺がどうしたって?」
 全員が良く知る声だった。雨紋だけではなく、その場にいた龍麻以外の人間も、凍り付いたように動きを止める。
「き、京一…?」
 いつものように木刀を担いだ京一が、いつの間にか店の入り口に立っていた。背後には霧島と舞園、劉の姿も見える。
「アニキ、会いたかった〜」
「龍麻先輩、こんにちはッ!」
「ユエに霧島に舞園も…どうしたんだ?みんなで一緒に旧校舎に潜ってたのか?」
「私は、後で合流させて貰ったんです。学校で、龍麻さんも見かけたんですけど、声をかけられなくて」
 さやかは明るく笑ったが、何故か残る二人は元気がない。
「二人とも、なんか元気ないな?どうした?疲れたのか?」
「べ、別にそんなんやないって。元気やで?京一ハンがアニキに会う言うから、顔見よう思おて一緒したんや」
「そうですよ、龍麻先輩。僕達は元気ですッ!」
 やけに元気を強調する二人に、京一が笑って割り込んだ。
「ま、今日はちょ〜っとばかし飛ばしすぎたのさ。まぁ、二人ともまだまだって事だな!」
「京一ハン…」
 霧島はがっくりと肩を落としたが、劉は少しばかり恨めしそうに京一を睨んでいる。
「まぁ、先頭で突っ込んで行く時の京一の勢いにはちょっと凄いものがあるからな。後ろを守るのは大変だと思うよ」
「なんだよ、それ。誉めてんのかよ?」
「誉めてるんだよ。…一応ね」
「なんか、そーゆー気がしねェんだけど」
 屈託無く笑う龍麻と、首を傾げながらも楽しそうな京一。その様子はとても、喧嘩しているようには見えない。
(美里は、何故二人の様子がおかしいなどと…普通じゃないか。…いやどちらかというと、龍麻の方の砕けた感じが増して、良い雰囲気になっている気がする。一体、美里は何を案じて、あんな…)
 わざわざ仲間達を集め、京一を遠ざけて醍醐に脅迫めいた依頼をして龍麻の様子を探らなければならない理由が思いつかない。思考の迷路に陥いる醍醐とは裏腹に、周囲の緊張感は高まっていた。穏やかに笑う龍麻とは裏腹に、他の面々の顔は引きつっている。小蒔とマリィは状況を判断しかねて首を傾げていた。
「な、何故ここが…」
「そりゃどっちかってーとこっちの台詞だな。随分沢山集まってるじゃねーか?」
 引きつる壬生に、京一は口の端を上げて笑ってみせる。そのまま醍醐達のテーブルに近づいて来た京一に、龍麻は笑ってその顔を見上げた。
「何言ってるんだ、主催者はお前だろう?」
「はぁ?なんだそりゃ?」
「だから、みんなで集まって、俺を驚かせるつもりだったんじゃ…ちがうのか?」
「初耳だぜ?」
 肩を竦める京一に、龍麻が考える表情になる。
その瞬間、一同に走った緊張に京一はどうやら気が付いたようだった。視線を下げてしまった龍麻の肩に上から腕を回して覗き込む。髪をくしゃくしゃを掻き回す仕草に、脇にいた如月の拳が白くなるのを目撃してしまった醍醐は、胸の中でそっと呟いた。
(京一…触りすぎだ)
 これ以上、空気を悪くしないで欲しい。しかし、そんな醍醐の心の声が京一に届くはずもなく、京一は遠慮なく龍麻の頭を掻き回している。
「別に、いいんじゃねぇの?こういう場所でこれだけの面子が揃うのは久々じゃねーか」
 龍麻の顔が、驚いたように上がって、すぐにいつもの穏やかな笑みを取り戻す。
「で?何の話をしてたんだ?」
「…お前が、俺を甘やかしてるっていう話だよ」
 その、瞬間。
 龍麻の顔に浮かんだ笑みに、醍醐は完全に目を奪われた。
 別に、龍麻の笑顔そのものは珍しいものではない。表情はあまり変わらないものの、大抵は穏やかな笑みを浮かべているからだ。
 しかし、その笑顔はそれまで醍醐が見たことのない種類のものだった。穏やかで、見る人を安心させるものではなく、安心した、全てを委ねたような…『甘えている』微笑。
 固まったのは、醍醐だけではなく仲間達も同じだった。注文を取りに来たウェイトレスまで、踏み出した足もそのままに固まっている。まともに顔を赤くしている者も一人二人ではない。そんな中、極上の笑みを向けられた本人だけは、冷静に反応を返していた。
「そりゃ、まぁ…ひーちゃんも俺を甘やかしてるから、あいこじゃねーの?」
 そう言って笑った京一の表情は、龍麻のそれとは種類が違うが、やはり一瞬目を奪われるほど印象的なものだった。その表情に醍醐は以前、まだ龍麻が転校したての頃のことを思い出す。

「おまえ、少し変ったんじゃないか?」
 龍麻が転校してきて一月ほどした頃、冗談のようにそう尋ねると、京一は少し驚いたようだった。
「そうか?…そんなにわかるか?」
「まぁな」
 それまでの京一は、あまり誰かとつるむということをしない人間だった。それが同性となれば尚更である。醍醐と京一は一年の頃からの親友だが、しょっちゅうつるんでいた訳ではないし、その頃から京一にはどこか自分をもてあましているような部分があった。それが、時期外れの転校生だった龍麻には自ら近づき、気が付けば常に側に居る。
 その姿には、以前のような焦燥感は微塵も感じられなかった。それを、本人もわかっているのだろう。
「そっか…けど、悪かないだろ?」
 へへへッと笑った京一の笑顔はとても良い表情で、醍醐は安心さえした事を覚えている。
 良い友との出会いは、自分も含めて、かけがえのないものなのだなと感慨を抱いたものだったのだが…

(もしかして…いや、もしかしなくても、この二人は…)
 そう思うと、途端にバラバラだったパーツが醍醐の中でかちりと組合わさった。
 ぽろりと漏れた小蒔の言葉は、その醍醐の気持ちをある意味端的に表していた。
「ホントに、ひーちゃんと京一って仲が良いよね…」
 心底感心したように言う小蒔に他意はない。その様子に醍醐は違う意味で肩を落とした。
(桜井…それだけか?)
 完全に固まる一同の中で、そういう感想を口に出せる小蒔の鈍さはある意味凄いのかもしれない。
 龍麻はくすりと笑い、京一は胸を張って宣言した。
「おうよ。俺とひーちゃんはラブラブだぜ!」
「こ、こら、京一!くすぐったいって…!」
 戯けた風に龍麻の首を抱え込んで頬を寄せる京一の仕草に、背後で派手に何かが砕ける音が響いた。…誰かが、水のコップを握りつぶしたらしい。その音で、固まっていた一同が我に返って騒ぎ始めた。
「黙って見ていれば、狼藉の数々…蓬莱寺ッ!その手を放さないかッ!」
「そうよお〜京一くん、ずるい〜」
「その通りっ!グリーンに馴れ馴れしく触るなど言語道断」
「僕に喧嘩売るとは、良い度胸だね。…あの世を見せてあげるよ」
「おぅ、やるってのか?俺はいつでも受けて立つぜッ!」
 睨み合う京一と壬生の前に、するりと影が滑り込んだ。
「美里、か…なかなかやってくれるじゃねェか」
 挑発気味に言葉を投げる京一と、笑みを浮かべつつも殺気を漂わせる美里。二人の間に不可視の火花が飛び散るのを、醍醐は確かに見た。
「うふふふ、京一くんたら…神に仕える大いなる力…」
 目つきの座った美里の口から覚えのある言葉が紡がれるのを聞きとがめ、醍醐は焦りの声を上げた。
「ま、待て待て待て!美里、ここでジハードはッ…!」
 醍醐の制止が届くよりも早く、美里を制したのは立ち上がった龍麻だった。
「…なんかおかしい」
「へ?」
「さっきから、みんななんか変じゃないか」
 龍麻は、ちらりと一同に視線を投げると、京一に問いかけた。
「なぁ京一、みんなと何かあったんじゃないのか?喧嘩でもしたのか?」
 俯き加減に尋ねる龍麻の顔は、悲しげに歪んでいる。場に溢れていた好戦的な雰囲気は、それで一遍に吹き飛んでしまった。
「ひーちゃん…」
 龍麻の肩に手を掛けた京一に、消えていた周囲の殺気が再び復活する。それを、心底冷えそうな視線を投げる事で黙らせて、京一は口を開いた。
「ごめん、そんな風に心配させるつもりじゃなかった。ちょっと驚かせてやろうって思っただけだったんだ」
「え、じゃあ…」
「そ、ちょっとどっきりを狙ってみたの。けど、逆に心配させてやりすぎたみたいだな。悪かったよ」
「…十分驚いたよ。あんま、びっくりさせるな」
 息を吐いて力を抜いた龍麻の顔に、柔らかな笑みが戻る。
「悪かった。驚かせた詫びに、何でもするから、よ」
「じゃあ、今日の夕飯の一つでも作って貰おうかな?最近は俺ばかり作ってるだろう?たまには京一の作ったものを食べたいよ」
「なんだ、そんな事か?そんなんで良ければ、いつでも」
 最近は俺ばかりという下りに周囲の人間に再び不穏な空気が流れるが、京一はそれを鋭い一瞥で見事に切り捨てて見せた。
「ちょ…ちょっと、待ってくれ。龍麻、折角会えたんだ。夕飯でも…」
「……悪ィな、壬生。今日の俺の飯はひーちゃん専用なんだ」
 壬生の言葉を遮った京一の視線は恐ろしく強いもので。
 結局、集まった一同は、何か言おうとするたびに京一の一瞥に阻止され、殆ど何の手出しも出来ずに龍麻は京一に連れ出されて行ってしまった。
 当然のように、残された店内の雰囲気は地を這っていた。
「ったく、先生は騙されてるぞ…」
「同感ですね。早く目を覚まさせてあげないと…」
「うふふふふ…」
 虚ろに笑う美里に、マリィが怯えたように身を竦ませた。
「美里オネェチャン、ヘン…」
「美里だけじゃなくって、みんなヘンだよね…醍醐クン、そう思わない?」
 小蒔に尋ねられ、醍醐は答えに詰まった。
「ええと、その…アイツらにも色々あるんだろう。美里も、今日はそっとしておいてやった方が良いと思う」
 醍醐の言葉に、小蒔は軽く首を傾げた。
「醍醐クン、何か知ってるの?」
「それは…」
「その…今日様子がおかしかったのも、そのせい?」
「………」
 答えを返せない醍醐に、
「なんかさ…色々あったみたいだけど、ボクで良かったら、聞くよ?」
 気遣う笑みを浮かべる小蒔の思いやりが嬉しい。醍醐は、今日はじめてかもしれないしみじみとした喜びに身を浸した。
「そうだ、な…話せるようになったら、一番に桜井に話す」
「うん、待ってるよ」
「じゃ、ここを出ないか?マリィも。荷物持ちぐらいには付き合えるから。その…美里は少し置いておいてやった方が良いだろう」
 全く周囲が目に入ってない風に、なにやらぶつぶつと呟いている親友をちらりと眺めて、小蒔は頷いた。
「そうだね…そうしよっか、マリィ」
「ウン…デモ、葵オネェチャンは?」
「大丈夫。すぐに元通りになるからさ。行こっか、醍醐クン」
「ああ」
 醍醐達が席を立った事にも気づかず、京一にしてやられた一行はなにやら話し合っている。
(しかし…)
 醍醐は少しだけ彼らに同情した。
 醍醐でさえ見惚れてしまったあの笑みに、京一は動ずることなく笑い返していた。
 それはつまり、あの場の誰も見たことがなかったような表情を、京一だけは動揺しない程度に見慣れているということだ。
 あの、心からの『安心』を感じさせる笑み。そして、それを見慣れているかのような京一の反応。
 その事実が全てを語っていると思うのだが、余計なことは言わぬが花だ。うっかり首を突っ込めば恐ろしい目に遭うことは今回の件で実証ずみである。
「じゃあ、行こうか」
 とんでもない一日だったが、最後ぐらいは少しいい目を見ても良いはずだ。想い人の笑みを前に、醍醐はしみじみとそう思ったのだった。