ずっと、「夢」なのだと思っていた。
 この江戸に来てからの日々に、何か、身を削ぎ落とされたかのような違和感を覚えても、時折襲ってくる痛みに胸を突かれても、それは単なる気のせいで、「現実」ではないのだと。
 何かを無くしたかのような喪失感に悩まされても、それは錯覚だと、そう思っていた。
 あの日、確かな証が目の前に現れるまで。
 幻ではないあの存在が目の前に現れた瞬間、何かがかちりと音をたてて重なった気がした。
 足らないものがなんだったのか、やっとわかった気がした。
 そうして少しずつ、失くしていたものが蘇ってくる。
 それは、忘失が信じられないほど、大事なものだったのに―――



 覚えのある気配を感じて、そちらに足を向ければ、案の定そこには求める姿があった。
 一見華奢にも見える背中が、無断のない動きで目標を追っている。追いかけているのは、恐らく仲間である少女だろう。これまでも何度か、彼女を密かに見ていたのを知っている。
 色恋…といった情熱的な風でもなく、そうやって見ている時はいつも一人なことから考えて、秘密裡の役目か何かか。いずれにせよ、若い娘をこそこそとつけ狙う輩にろくな人間がいようはずもない。
 本来ならば、見張られている本人にそれを告げるなり、仲間達に伝えて警戒するなりしないといけないのだが、京梧はどうしてもその気にはなれなかった。
 緋勇龍斗。
 今、江戸を騒がせている鬼道衆の一員で、成り行きとは言え、公儀隠密に身を置く京梧からしてみれば立派な要注意人物である。
 しかし、京梧は一度も彼を「敵」だと思った事はなかった。
 その姿を見て浮かんでくるのは、胸をじわりと焦がすようなもどかしい熱と、喉元に迫り上がってくるような思い。そうして、身を裂かれたかのような喪失感。
 感情が痛みを産む、なんて錯覚だと思っていても、確かに痛みを覚える自分がおかしかった。
 しかし、それでもその気配を感じれば、自然に姿を探してしまう。
 確かめずには居られなく、なる。
 確かにそれが幻ではない、ということを。
 物陰に身を潜めて少女を窺う龍斗は、京梧が見ていることにはまるで気が付いていないようだった。療養所の患者らしい老人を送って長屋へと入っていく少女の後ろ姿を見送って何やら考え込んでいる背中は、意外なほど近くにある。姿は見かけていても、ここまで近くにいるのは初めてだった。
 そう言えば、最後に声を聞いたのは、いつだったか―――
 不意に湧き起こった衝動に抗えず、京梧はその背に手を伸ばしていた。
 ぐいと引き寄せれば、その細い背はあっさりと引き寄せる事が出来た。
「………っっ!」
 京梧の気配に気づいてすらいなかったのだろう。容易く腕の中に落ちてきた身体は、しかし京梧の顔を見るなり見事に強張った。
 闇夜の色の瞳が、驚きと、そして不審を強く滲ませて京梧を映している。その冷たい光に胸を抉られながらも、それを表には出さずに京梧は笑いかけた。
「よぉ」
「蓬莱寺…」
「へへ、びっくりしただろ?思い切り跳ね上がったもんな」
 笑いかける京梧に、龍斗は不機嫌そうに腕を振り払った。
「いきなり後ろから腕を掴まれれば、誰だって驚く」
「そうか?ボケてたみたいに見えたけどよ」
 そう言えば、龍斗は探るような視線を向けてくる。京梧の真意を図っているらしいが、面と向かって訊ねられたところで、京梧にそれが言えるはずもなかった。
「何の用だ。いきなり」
「何の用、って言われてもなぁ…」
 龍斗の警戒も無理はない。龍斗が「鬼道衆」の一員である事は京梧も気づいていたし、龍斗もまた京梧が承知している事に気づいているはずだ。何せ、「最初に」顔を合わせたのは、鬼道衆である九桐と共にいた時だったのだから。
 しかし、京梧にはもう一つ「記憶」がある。
 この、今は不機嫌を隠そうともしない瞳が、柔らかく笑んで自分を映していた時のものが。
 それ故に、何の感情もなく京梧を見つめてくる眼差しには、胸の痛みはいや増すのだが。
 しかし、それでもなお、もう少しこの瞳を間近で見たいという誘惑には抗えなかった。
「こんなところじゃなんだしよ、場所移らねェか?」
 断られるのを承知でそう言えば、龍斗の顔に呆れたような表情が浮かんだ。
「断る」
「んだよ、いいだろ、別に」
「そんな事をする理由がない」
 はっきりと言い切られても、このまま帰す気にはなれなかった。
「そう言うなよ。折角だろうが」
「遠慮しておく」
 言い切って背を向けた龍斗の気を引く為に、京梧は敢えて黙っていた事を口にした。
「美里なら、当分出てきゃしねェよ。あそこのじいさんは話が長ェんだ」
 途端に振り返った龍斗の顔に驚きの色を認めて、京梧は自分の読みが当たっていた事を知る。
「ふ…ん、やっぱ美里狙いか」
 そう言えば、龍斗の顔からすっと表情が消えた。
「…何の事か、わからないな」
 見事なまでの無表情に、京梧は内心溜息を零した。龍斗はどうしても美里を探っていた事を知られたくないらしい。
再び背を向けた龍斗に、京梧は思案顔になる。
 このまま、行かせたくなかった。こんな機会はあまりないのだ。もう少し時間が欲しい。しかし、どう出るべきかと躊躇しているうつにも、龍斗はどんどん行ってしまう。
 その時だった。
「ったく、何処うろついてんだ、あの馬鹿はっ!」
 聞き覚えのある声だった。
 龍斗や、九桐と共に居た少年の声だ。その声に龍斗の肩がぴくりと揺れた。隙のなかった背中に生まれた隙に、京梧は咄嗟にその肩を引き寄せた。何の抵抗も示さない身体が、龍斗の動揺を示している。
「蓬莱寺…っ!」
「来いよ」
 振りほどこうとする力も弱いのを良い事に、京梧はその身を引き寄せて歩き出した。美里が居る長屋には、顔見知りの老人が住んでいる。一度美里に付き合った時に知り合ったのだが、釣り好きの道楽者で、昼間は殆ど家に居ないのだ。そこでなら、邪魔を入れずに向き合える。
 しかし、それを美里の元へ向かっていると思ったのか、龍斗は声をあげて身を捩った。
「待て…はなせっ!」
「いいから、来いって」
 そう言って、その身体を強引に抱き込んで覚えのある戸の中に押し込む。
「ちょ…」
 手を解こうとした龍斗は、しかし直後に響いた声に身を固くして抵抗を止めた。
「ったく、何処行きやがったんだ、あの馬鹿!ふらふらしやがって…探すこっちの身にもなれっての!」
 明らかに近づいてくる声に、抱えた身体は抵抗も忘れて完全に竦んでいる。その温もりと、柔らかではないが確かな手応えに、京梧は目を細めた。
 覚えのある、温もりと重み。
 どんなに夢だと思ってみても、この腕は、胸は熱く押し寄せる感覚を覚えている。
そう、いつも自分はこんな風に抱いていると冷静ではいられなくて―――
 夢想は、龍斗の大きな溜息で途切れた。どうやらあの少年は行ってしまったらしい。その溜息が、先走りそうな身体を押さえてくれた事に気づいて、京梧もまた息を吐いた。
「行ったか…」
 これ以上抱いていると、放したくなくなりそうで困る。しかし腕に収まる温もりを自分からは手放すことが出来ない京梧は、ふとある事に気が付いた。
 腕に、収まっている。
 無手でのその腕っ節には流石に敵わないかと思う龍斗が、大人しく京梧に引かれるままに。
 不意を突いたのも、外に気を取られているのももちろんあるだろうが、それにしても龍斗ならばこの手を振り払う事など簡単だろうに。
「…なんのつもりだ?」
 低くそう訊ねてくる声は不穏そのものだが、相変わらず抵抗は弱い。
「何のつもりって…助けてやったんじゃねェか」
 そう言いながら、京梧は次第に、試すような心持ちになっていた。
 もし、思惑(それ)が当たっているとするならば。
「なんでそうなる?いい加減放せ」
 京梧の心中など知らぬ龍斗は、剣呑な目つきで京梧を睨んでくる。
「だって…そうだろ?お前、あのガキに見つかりたくなかったんじゃねェのか?」
「……ッ」
 図星を指してやれば、その顔は明らかに怯んだ。
「ふ…ん。当たり?」
「知るか…っ!お前には関係ない!」
 次第に強くなる、しかしどこかまだ頼りない抵抗を封じながら、京梧は賭に出てみる事にした。どうせ負けても、失うものはない。
 いずれにせよ、もう耐えられないのは確かなのだから。
 何の色もない眼差しで見つめられる事には。
「関係ない、ねぇ…折角匿ってやったのに、ちょいとばかり冷てェんじゃねェの?」
 深く引き寄せて、その首筋に唇を寄せれば、龍斗は驚いたような声を上げた。
「な…」
「ここのじいさんは夜まで帰ってこねェんだ。丁度いい、付き合え」
 そう囁けば、見る間に腕の中の身体が強張る。
「何を…っ!はな…」
 流石にここまでくれば抵抗されるのは予想が付いたから、京素早く掌で口を覆う。
「静かにしろ…聞こえねェか?」
 どうすれば最も効果的に抵抗を防げるか。
 仲間の少年の気配をあれだけ警戒していたのだから、当の本人には尚更気づかれたくはないのだろうと、そう踏んでわざと意識をそちらに向ける。案の定、安普請の長屋の隣室から聞こえてくる美里の声に、龍斗の抵抗はぴたりと止んだ。
「騒げば、美里に気づかれちまうぞ?」
 そう言って顔を近づければ、憤怒に彩られた眼差しが見上げてくる。
「貴様…」
 更に怒りを買うのを承知の上で、京梧は更に囁いた。
「どうも最近、誰かさんらが元気に動き回ってくれるお陰で遊びに行く暇もねェ。溜まってんだ、付き合えよ」
 本音は、言えない。
 本当は何よりお前自身に餓えていたと真実を告げても、きっと一笑に付されるだけ。
 それならばいっそ、怒りでもいいから某かの感情を向けて欲しかった。
 一瞬だけ力の抜けた身体は、だが強張りを解いていない。案の定、即座に反応した足を逆に払って、京梧は龍斗を組み敷いた。
「……いい加減にしておけ。俺はお前の暇つぶしに付き合う気はない」
 煮えそうな怒りを向けられても、京梧にはもう引く気はなかった。
「暇つぶしじゃなかったらいいのかよ?」
 少なくとも、今、この瞬間。
 龍斗の目には間違いなく自分が映っている。まるで他人を見るかのような温度のない眼差しではなく、確かな感情の読みとれる熱い眼差し。
 例えそれが嫌悪でも、構わない。
 記憶に違わない肌の滑らかさと熱さに目を細めれば、龍斗の眼差しが更に強くなる。
 しかし、その時行ってしまったはずの少年の声が再び聞こえてきた。
「…確か、こっちで…」
 その声に一瞬動きを止める龍斗を好都合だと思いながらも、京梧は容易く龍斗の意識が逸れた事に不満を覚えてしまう。
「やっぱ、気になるみてェだな?」
 揶揄するように言えば、龍斗の顔に血が上る。
「ふざけ―――っっ!」
 口を塞ぐ代わりに、きつめに前を握り込む。竦み上がったその耳元に、京梧は本音を混ぜた囁きを落とした。
「けど、気ィ逸らすのはナシだぜ?」
「……っ」
 余所見など、させない。
 他の事に気を取られるなど許さない。
 自分をここまで捕らえておいて、他に目移りなど言語道断ではないか。
 恐らく、龍斗本人が聞けば更に怒るだろうが、それは京梧の掛け値なしの本音だった。
 痛みを宥めるように竦んだ龍斗自身を辿り、柔らかく撫でてやれば、龍斗の唇から掠れた息が漏れた。
「ふ…っ」
 それが嬉しくて、でもまだ足りぬ熱を補うように、わざと煽る言葉を選んでみる。
「大人しくしてろって…気づかれちまってもいいのかよ?」
 言いながら更に震える先端を割れば、龍斗はきつく目を閉じて首を振った。緩く扱いてやっただけで、触れる肌の温度が確実に上がっていくのがわかる。
「う…あっ」
 無意識だろうが、袖を強く握る手に、京梧は頬を緩めた。
 ああ、やっぱり、間違いない。
どんなに冷たい眼差しを晒していても、やはりこれは京梧の知る龍斗だ。手に馴染む肌が、思うままに反応を返す身体が、酷く熱くて愛おしい。
 しかし、それが龍斗には我慢出来なかったらしい。
「はなせ…っ!」
 暴れ出した龍斗は、何かを恐れるように、滅茶苦茶に身体を揺らし、京梧を押しのけようとする。
 冷静さを欠いているその様子に、京梧は苦笑して少し腕を緩めた。龍斗は予想通り逃げ出したが、勿論、それを許すつもりはなかった。
 腕の下をかいくぐった身体を背後から抱きすくめる。隙だらけの身体を引き戻す事は何でもないことだった。
「大人しくしてろ、つったろ?生きがいいのはいいけど、騒ぐと気づかれちまうって、何回言ったらわかるんだ?」
 京梧は手早く龍斗を追いつめながら小さく笑んだ。じわりと沸き上がる愉悦は、京梧自身をも猛らせる。
 こんな風に自分を熱くさせるものを、京梧は他に知らなかった。
 もっと、もっと確かな証が欲しい。
 間違いなくこの存在が現実のものであるという、確かな証が。
「…つ…あっ」
 龍斗はどこもかしこも熱かった。戯れに指を差し入れた口内も、繋がりを求めて探った奥も、なにもかも。
 我慢出来ずに、猛った己を解いた部分に押し当てれば、龍斗が息を飲む。
「はな…嫌だ…っ!」
 弱々しく振られた腕を捕らえて、京梧は口の端を歪めて呟いた。
「逃がさねェよ。ちゃんと…お前が俺を見るまで放さねェ」
 竦み上がった身体は、抵抗も大きい。熱の引きかけた身体に、京梧は眉を顰めた。
「ちったぁ落ち着いたか?」
「………くっ」
 耐えている風情の龍斗に、京梧は舌打ちして穿ったそこを突き上げた。
「いっ…や、やめ…っっ」
 悲鳴のような声を聞きたい訳ではない。京梧は眉を寄せたまま、それでも突き上げるのは止めなかった。
「………っっ」
 欲を吐き出せば、腕の中の身体は硬直後、安堵したように息を吐いた。しかしそれこそ、京梧の求めていたものだった。力の抜けた身体はその分、抵抗が少なくなって締め付けてくる感覚が心地良い。
「これで、マシになっただろ?」
 そう囁いて、耳を柔らかく噛めば、龍斗の身体はぴくりと跳ねた。
「ふざける…なっ!とっとと抜けこの馬鹿!」
 威勢の良い声に、京梧は頬を緩めた。先刻のように、苦痛で声もない姿は京悟の望むものではない。
「へへっ、元気になったみてェじゃねェか。もういい、か」
 繋がったままで身体ごとこちらに向かせ、突き上げれば、上がる声にもう苦痛の色はなかった。
「あああっっ!」
 衝撃に仰け反った喉に唇を落としながら、京梧は目を細めて、ほんのりと赤く染まるその顔を見守った。苦痛ではないものに震えている睫毛が、酷く愛おしくて京梧は今度はゆっくりと探るように腰を動かして、龍斗の表情を窺う。
「あぅ…っ、んんっあっ…」
 突き込まれ、濡れた悲鳴を上げた龍斗に、もう苦痛の影は無かった。
「イイ、か?」
「ん、んんん…っ」
 腕を首に回してやれば、縋り付いてくるその仕草が胸を暖めた。欲しがるように揺れる腰に、京梧もまた熱を煽られる。
 間違いなく、龍斗はここにいる。
 その実感に、京梧は深く息を吐いて更に深く突き上げる。
 龍斗の唇から漏れた甘い悲鳴は、何よりも京梧を酔わせて止まなかった。
 腕の中の身体がびくりと大きく震え、一層強く締め付けられて京梧は、二度目の熱を放っていた。





 達したかと思うと、意識を失ってしまった身体は未だ熱いままだった。もっと貪りたい気持ちを押し殺して、そっと欲の残滓が飛んでいる頬を拭ってやる。
「…っっ」
 低い呻き声を上げた龍斗は、混乱してるのか、首を振りながら起き上がろうとしてそのまま沈んだ。
 無理をさせた自覚はあったから、京梧は苦笑して声を掛けた。
「気が付いたのか?」
 そう聞けば、龍斗は飛び上がるように反応した。
「落ちちまったから、びっくりしたぜ?平気か?」
 そう訊ねれば、龍斗はぎりりと唇を噛んでばっと身を起こした。掴みかかってきた手は、しかしその寸前でぴたりと止まる。龍斗が何を気にしているかに気づいた京梧は、龍斗の気が逸らされる事をほろ苦く思いながらも、それを教えてやった。
「ガキは、気づかずに行っちまったよ。美里ももう居ねェ」
 そう言えば、龍斗は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「…なら、遠慮する必要もないな」
 一転、怒りと憎悪に燃えた眼差しが京梧を貫いた。胸元を掴まれ、拳を振り上げられても、京梧にはもっと気に掛かる事があった。
 振り上げられた拳は簡単に捕らえる事が出来たし、龍斗の顔色は酷く悪い。無理をさせたのは確かだが、後を引かせたい訳ではないのだ。
「やめとけよ」
 崩れた身体を支えれば、それは思った以上に軽い。
「放せ…っ!」
「少し落ち着けって。顔色悪いぞ?」
 紙のような顔色で迫ってくる龍斗は、苛立ちを隠せない表情で京梧に噛み付いた。
「誰のせいだと思っている!このままで…済ませられるか…っ!」
 暴れる龍斗に舌打ちして、京梧はその身体を押さえ込んだ。途端に、その動きが鈍くなる。先刻までの行為に怯えているのかと思えば、それは少し、辛い。
 でももう、今更後戻りは出来なかった。
 一度賭けたものを、取り返す事は出来ないのだ。
「そんなに固くなるなって。もうなんにもしねェよ」
 そう言って、龍斗の額をかき上げる。
「殴りたきゃ、殴っていいさ。けど、今日はやめとけ。そんな有様じゃ、俺を殴る事も出来ねェよ」
 龍斗の身体が心配なのは事実だったが、京梧には思惑があった。この状況で、こんな言い方をすれば龍斗は何と取るか。知った上での一言だった。
 案の定、見る間に龍斗の眼差しには消しようのない強い憎悪が刻まれていく。
 その様を、京梧は半ばうっとりと見つめた。
 他の誰でもなく、京梧だけを映す眼差し。それは何より欲しかったものだった。
「殺してやる…っ!」
 数瞬の後、吐き出すように告げられた言葉に、京梧は目を細めた。
「絶対に、殺してやる!」
 その言葉に、京梧は薄く笑い返した。
「いいぜ、いつでも来な」
 憤怒に燃える瞳を覗き込んで、告げる。しかし、そう言いながらも、京梧には奇妙な確信があった。どんなに激しい言葉を叩き付けてきても、恐らく龍斗には自分は殺せない。本当に殺すつもりなら、いくら傷ついていても、起きて京梧の姿を見た途端にやっているだろう。
 それだけの自尊心とそれを踏みにじるものに向ける牙を、龍斗は持っている。それが己には向けられぬ事に満足を覚えながら、京梧は楽しげに囁いた。
「お前になら、いいぜ?……出来るものなら、な」