よほど急かしたのか、奈凅の訪れは早かった。 「ふむ…」 残された武器と、龍斗の傷口を改めた奈凅は小さく息を吐いた。 「毒を、吸い出したのか…?」 尋ねられて天戒は眉を寄せた。 「出来るだけ、と思ったが…完全には無理だった」 「そうか」 「それで、どうなのだ?」 苛立つ天戒に、奈凅は小さく笑った。 「鬼の主とは思えぬな、相変わらず」 「奈凅!」 「毒の種類は解った。危険なものには違いないが、手当が早かったから大事には至らないだろう」 「そうか…」 「ただ、解毒の薬は店に帰って調合しないと手持ちにはない。少し時間が欲しいな」 「…!それでは…」 厳しい表情になった天戒に、奈凅が苦笑する。 「大丈夫だ。解毒といっても気休め程度だ。龍斗君は体力もある。勿論薬があればそれが最良だが、このままでも寝ていれば回復するだろう」 言外に感じていた不安を戒められて、天戒は息を吐いた。 「しかし…龍斗君がこんなものに引っ掛かるとは珍しい。そちらの理由の方が興味があるな」 「………」 答えない天戒を気にした風もなく、奈凅は暫くしたら戻ると言い置いて出ていった。 静けさの中、龍斗の繰り返す浅い息だけが部屋に響く。
不覚の理由。 勿論、それは天戒を庇った為だ。しかし、恐らくいつもの龍斗なら毒、刃を受けるような羽目にはならなかっただろう。 それは、天戒の問いに心を揺らされたからなのか。 何がそこまで龍斗を苦しめているのか―――
その時、苦しげに龍斗が呻き声を上げた。 「う…」 「龍斗?」 覗き込めば、龍斗はうっすらと目を開けていた。 「龍斗、気がついたのか?」 「………」 呼びかけてはみるが、開いた目は天戒を映してはいない。熱の所為か、潤んだ目は虚空を彷徨っているようだった。 ふと、汗で張り付いている髪が邪魔に思えて、それを梳いてやる。汗で張り付いた髪が脇に流れ。現れた思いの外白い貌は、天戒の目を奪った。 勿論、何度も見た顔だ。しかし、顔を覆う髪を少しどかしただけでその印象は明らかに違う。熱のために上気した頬も、汗の浮いた額も、いつもは見せない揺れる視線も、全てが奇妙に胸を騒がせる。 魅入られたように視線を外せずにいる天戒に、龍斗の震える手がそっと差し出された。 「無事だった…のか?」 酷く頼りなく掠れる声が、安否を尋ねて来る。それに言葉一つ返すのにも、天戒は酷く苦労した。 「ああ…お前のお陰で、この通りな」 そう言えば安堵するかと思った龍斗の表情は、しかし更に辛そうなものになる。 「……えが、…き…て」 掠れる声は、殆ど何を言っているのかわからない。良く聞き取ろうと顔を近づけると、不意にぐいと腕を引かれた。 慌てて布団に手をついて、顔を上げれば、驚くほど近くに龍斗の眼差しがあった。 「龍…斗…」 驚きで動けなくなる天戒に、龍斗は苦しそうに息を吐いた。 「本当に…無事か?」 「あ、ああ…大丈夫だからお前は休め。無理は…するな」 そう言って、腕を掴む手を外そうとするが、龍斗は更に力を籠めて握りしめてくる。 「生きてる…な。本当に」 「龍斗?」 「よ…かった…」 その、どこかうなされたような眼差しに天戒は不意に気づいた。 龍斗が見ているのは、天戒ではない。天戒を通り越して、何か、違うもの―――違う相手を、見ている。 しかしそう気づいても、天戒は龍斗から目を逸らすことが出来なかった。 「龍斗…」 「…ずっと、間違えた…のかと…おもってた。…無事で、よかった…」 「………」 次の言葉は、殆ど掠れて聞き取れなかった。耳を寄せれば、熱い息と共に苦しげな言葉が耳に届く。
…もうにどと、あえないのかと、おもった。
こちらが辛くなるような、切なげな声だった。そしてその言葉が頭の中で形作られた瞬間、天戒の身体は自然に動いていた。
まだ辛そうな息を吐く唇を、それ以上の言葉を防ぐように自分のそれで塞ぐ。 触れた瞬間、火傷したような錯覚を覚えるほど、唇は熱を持っていた。 そして、触れるだけだったそれが離れる瞬間、首筋を引き寄せたのは龍斗の方だった。
わかっている。引き寄せる腕も、切なげな眼差しも、与えられる唇も、全て自分に向けられたものではない。 けれどもう、わかっていても引き返すことは出来なかった―――
「ん…っ」 毒が抜けきらないであろう身体は酷く熱く、頭の片隅ではやめろと声が響いている。それでも、もう全てを暴いてしまわないと居られなかった。 息を全て奪うような口づけを与えれば、震える身体はそれに応じてくる。舌を存分に味わってから唇を首筋に落として、一度着替えさせた着物の合わせを広げた。 その、無駄なく鍛えられた身体に残された、斜めに走る大きな刀傷。致命傷でないのが不思議な程の傷痕だった。この傷を受けた戦いで、龍斗はこんな風に切なく名を呼ぶ相手を無くしたのだろうか。 しかし、深く考える余裕などあるはずもなかった。傷痕を辿るように唇を這わせれば、堪え切れぬように悲鳴じみた声が上がる。 ひたすら、その熱だけを追い求めて勝手に動く身体とは切り離されたように、頭は妙に冷静になっていった。
最初はおかしな男だと思った。今まで出会った事のない、変わった雰囲気を持つ男。警戒が信頼に変わるのにそれほどの時間は必要なかったし、自分の意見をはっきりと述べるところも不快を呼ぶものではなかった。 そして今、村までの道中、背中の重みが熱を増していくに従って、込み上げてきた焦燥。
しかし、それが―――何を意味しての事なのか、こんな時になって気づく、とは。
浮かされる熱の証のように、熱くなったものを握り込んで更に追い上げる。 熱い息を吐くその耳元に、天戒は言葉を落とす。
ここにいる。お前は間違えてない。 だからもう、そんなに苦しまなくても、いい―――
潤んだ瞳が、天戒を映して揺れている。 吐息だけで呼ばれる己では無い名。 承知していても、もう後戻りは出来ない。
龍斗が上り詰める瞬間、同じように熱が弾けるのを感じて、天戒は強く目を閉じた。
「ったく、人が働いてるってのに、お前はこんな時間から床についてぐうぐうかよ…こっちは苦労したってのに」 「…そんなに大変だったのか?」 床の中から真顔で問い返されて、風祭はうっと詰まる。 「大変って言うか、地味って言うか…とにかく、俺の趣味じゃなかったんだよ!イイ身分だよな、ったく。大体、怪我するってのはたるんでる証拠だっての!」 文句を言いながらも、風祭は腰を上げる気はなかった。未だ床にはあるものの、龍斗の顔色はかなり良い。あの日、力無く崩れて慌てて支えた時からは、かなり回復しているようだった。 それに安堵している事など認めたくはないが、少なくとも血に染まって倒れる龍斗などもう見たくはないのは事実だ。 「お前がちゃんとしてたら、こんな地味な仕事回って来なかったんだからな!」 殆ど八つ当たりという自覚のある文句を続ける風祭に、龍斗はくすりと笑った。 「ああ、心配かけて悪かった」 普段は前髪に隠れている龍斗の目に柔らかな光が浮かんでいるのに気づいて、風祭の顔が赤くなる。 「…っ!誰がお前の心配なんか…って、おい!」 身を起こした龍斗に、さっきまでの悪態を忘れたように風祭が慌てた。 「なに、起きてんだよ!寝てないとやばいんじゃねーのかよ!?」 「もう平気だ」 事も無げに言う龍斗に、風祭の眉が寄る。 「平気って…寝てろって言われてたんじゃないのかよ?」 「大丈夫だ、もう痛みも殆どないし」 「馬鹿野郎、お前が勝手な事すると俺が怒られるっ!」 思わず言葉を荒げた風祭に、龍斗は傷を受けた肩を動かして見せた。 「ほら、もう動かすのも平気だ。奈凅の調合してくれた薬のお陰かな?」 「っても…」 「それに……」 そこで言葉を切って、龍斗は意味ありげに風祭を見た。 「………?」 「ちゃんとしてないと、風祭にも面倒かけるみたいだから」 悪かったと笑顔を向けられて、風祭は少し慌てる。 「な…あ、当たり前だっ!」 答えた声が上擦っているのに気づいたのか、龍斗の笑みが深くなった。 「そうだろう?」 そう言って、龍斗は手足を伸ばして腕を振った。 「ん…けどやっぱり、寝てばかりだとなまるな。よし、行こう、風祭」 「行こうって…何処へ…?」 「組み手でもして、身体を動かしたいんだ。久しぶりだからあまり激しくは動けないかもしれないけど。―――付き合って、くれるんだろう?」 どこか吹っ切れたようなその表情に、風祭は浮かんだ疑問をそのまま口にした。 「―――なんかお前、妙に…元気じゃねーか?ぶっ倒れてたくせに」 そう言えば、龍斗はちょっと目を伏せて、口元を緩めた。 「そうだな、ちょっと―――気合いは入ったかも」 「おう、自分の情けなさに根性入れ替える気になったのかよ?」 「…夢を、見たんだ」 「…夢?」 「そう、夢。会いたかった相手に会う夢」 何を言うのかと構えていた所に返ってきた予想外の答えに、風祭は呆れて息を吐いた。 「はっ、お前ガキだな!夢ごときでそんなにころころ気分が変わるのは根性座ってないんじゃねーのか?」 「はは、確かにそうかも。けど―――嬉しかったんだ」 「――――――っっ!」 そう言って笑った龍斗の表情は、今までに見た事のない種類のもので、風祭は一瞬息を止めた。 「だから、ちょっとは気合いも入れ直さないと、って思ったんだ。確かに、まだまだ修行不足だよな。根性、入れ替えるよ」 そう言って龍斗は布団から抜け出した。 「どうした、風祭?道場で良いだろう?」 「あ、ああ…」 不思議そうに尋ねられてやっと硬直から抜け出した風祭は、慌てて龍斗の後を追う。
ふと、視線を感じて顔を上げると、部屋から天戒が顔を覗かせていた。こちらを見て、小さく手を上げる。
頼むぞ。
唇の動きでそう言っているのを感じて、風祭は肩を竦めて、けれど一応一つ頷いてみせる。そのまま龍斗の背を追おうとして、ふと、足が止まる。
何かが、変わっていく。
不意に訪れた予感に、風祭は首を竦ませた。 いや、もう変わり始めているのかもしれない。 目の前に見える背中が、この村に訪れたあの時から。 それは風祭が予想していたものではなかったが、嫌なものではなかった。……絶対に、本人には認めたいものでは、なかったけれども。
「こらっ、待て、つってんだろ!」
声を上げて、風祭は変化を呼んだその背中を追いかけた。
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