二学期の授業は終わっているのだが、先日の騒動もあって寮にはまだ生徒が多く残っている。
しかし、授業のない校内は静かなもので、人影も余り見えない。
九龍の行きそうな所と考えて、皆守は顔を顰めた。
その顔の広さ故というか、九龍はあちこちの鍵を譲り受けて使っていたことを思い出したのだ。
心当たりが多すぎても困る。
迷った挙げ句、皆守は屋上に足を向けた。校内で九龍と一番よく顔を合わせた場所だからである。
冷たい風の吹き抜けるその場所に九龍の姿はなかったが、代わりに意外な人物が皆守を迎えた。
「こんにちは、皆守さん」
屋上の柵に凭れて眼下を眺めていた白岐は、皆守を見るとそう声を掛けてきた。
これが四ヶ月前ならば、白岐はただ黙って動かないか、他者の気配を厭って立ち去るか、そのどちらかだっただろう。
この三ヶ月程の間に學園内の様々なものに訪れた変化は、目の前の少女にも確かに訪れているらしい。
皆守は、一瞬胸を過ぎった複雑な感情を顔には出さずに片手を上げた。
「よお。もう具合はいいのか?」
「ええ、平気よ」
そう言って、白岐は微かに笑った。
遺跡脱出の直後はかなり憔悴していた白岐だったが、こうして見る限り、顔色も大分良い。それも遺跡からの解放が影響しているのだろう。
白岐の回復を素直に喜んで、皆守も口の端を綻ばせる。
「そいつはなにより」
そう言うと、一転皆守は眉間に小さな皺を寄せて白岐を睨んだ。
「お前が、八千穂に妙なことを言ってくれたもんだから、とんだとばっちりを受けた。どうしてくれる?」
それだけで、白岐には何のことかわかったようだった。少し首を傾げて答えた。
「そう…。けれど、私もあの場で起こった全てのことを理解している訳ではない。最初から知っている貴方が居るのに、それを私が八千穂さんに話すのはおかしいと思うわ。そうではなくて?」
尤もな答えに、皆守も苦笑するしかない。
わかったという風に肩を竦めてみせると、白岐は一つ頷いて不意に声色を変えた。
「九龍さんに会いに来たの?」
いきなり当たりかと皆守は逆に聞き返した。
「ここに来てたのか?」
「ついさっきまでは。すぐに逃げられてしまったけれど」
神鳳と同じような言い回しである。意味を掴みかねていると、白岐は皆守に問いかけるような視線を向けた。
「あれから、九龍さんとは話をした?」
「ああ、さっきも…」
言いかけて、皆守は口を噤んだ。確かに顔を合わせはしたが、二言三言言葉を交わしただけで、話したとは言い難い。
「貴方はそれでいいの?このまま九龍さんと別れてしまっても」
真剣な様子の白岐に、皆守は呆れたように肩を竦めた。
「あいつがいずれ行ってしまうのはわかっていたことだ。止められるもんでもないだろう」
九龍がトレジャーハンターであることは始めから解っている。
用が済めば―――《秘宝》さえ手に入れば、次の《秘宝》を求めて行ってしまうこともまた、最初から解っていた事だった。
このまま、卒業まで過ごして欲しいというのは、恐らく関わった全員の願いだろうが、九龍がその道を選ばないことは皆守にも想像が付いた。
しかし、白岐は首を横に振った。
「そういう意味じゃないわ。このまま、今のままだったら、あの人は明日にでも風のように消えて、二度と帰ってこないかもしれない。それでもいいの?」
白岐の言いたいことを理解して、皆守は苦く笑ってそれを否定した。
「それはないだろう。あいつが行っちまうことは間違いないだろうが、あれで義理堅い奴だからな。用が済んだからって、投げ出していくような奴じゃない。きっちり義理を通して行くと思うがな」
俺はともかく、と胸の中で付け加えて、皆守は溜息を吐いた。
いくら自業自得だとは言っても、苦いものは苦いのだ。
白岐は、そんな皆守を妙に静かな目で見つめた。
「いつものあの人なら、そうでしょう。けれど今の九龍さんは違う。私にはあの人が何か仮面を被っているように感じる。……あの時、貴方が遺跡に残ると言ってからずっと」
責めるでもなく、ただじっと見つめられて皆守は眉間に皺を寄せた。
「…あれは、決めていた事だ。最後まで黙っていたのは悪かったと思うが、あの時はそうするしかなかった」
その事に関しては、皆守に後悔はない。
否、無いはずだった。
白岐の次の言葉を聞くまでは。
「黙って決めて、二度と手の届かないところに行ってしまう。貴方はそう決めていたのね。…九龍さんも、そうするのかしら」
「何を…」
解っていた筈のことなのに、皆守は虚を突かれて口ごもった。
九龍がこの學園を去ることは想定していても、そんな風に断ち切られるように行ってしまうことなど、考えもしていなかったことに気が付いたのだ。
白岐は淡々と続ける。
「無理のないことかもしれないわ。九龍さんは酷い衝撃を受けたようだったから。黙って行ってしまった方があの人には楽なのかもしれない」
「おい、白岐…!」
何を言っているのかわかっているのか、と睨めば、白岐はあくまで静かに答えた。
「勿論、そうだとは限らない。私にも今のあの人の考えていることはわからないから」
静かな白岐とは対照的に、胸に焼け付くような焦燥を抱えて、皆守は首を振る。
「当たり前だ。あいつはそんなことはしない」
「どうして?貴方がしたことと同じ事でしょう?目の前でそれを見た九龍さんが、同じ事を考えないとどうして言えるの?」
「……………っ!」
その言葉に、皆守は返す言葉を失って絶句した。
その表情を見た白岐が少しだけ口元を緩めるが、皆守にそれに気づく余裕はない。
皆守は固く拳を握りしめると、
「……邪魔したな」
と言い置いて屋上を後にした。
その背を見送った白岐は、一つ溜息を吐いて再び眼下へと視線を向けた。
皆守に話したことは、印象と推測を重ねた上の想像で、当たっているとは限らない。
けれども、九龍の様子がおかしいこと、その原因が皆守の行動にあることは確かだとの確信があった。
そして、九龍を元に戻すことが出来るのは発端を作り出した皆守だけだということも、間違いはないと思っていた。
なにしろ、先程屋上に現れた九龍は皆守の話を出すなり飛び上がるようにして逃げていったのだから。
直接九龍の力になれないのは少しばかり切なかったが、皆守を焚き付けるくらいのことはしてもいいはずだった。
九龍には、言い尽くせない程沢山の物を貰ったのだから。
眼下に目をやれば、先程屋上を飛び出したばかりの背中が見える。
珍しい程の慌てぶりに少し笑うと、白岐は日の傾いてきた空を何時までも眺めていた。
校内、寮、敷地内の施設と思いつく限りの場所を確かめたものの、九龍を見つけることは出来なかった。
途中、八千穂と神鳳とも一度ずつ顔を合わせたものの成果はなく、結局皆守は崩れた石や土が散乱する墓地の跡地に立っていた。
校内は虱潰しに当たったし、寮の部屋にも姿がない。
『黙って行ってしまった方があの人には楽なのかもしれない』
先程の白岐の言葉が頭を過ぎってぞくりと背筋を悪寒が走った。
「冗談じゃない…!」
予定が狂い、生きて墓を出た時から話をしなければならないとは思っていた。
怒鳴られて殴られるくらいのことにはなるかもしれないと覚悟は決めていたのに、九龍は皆守を見てもただ無事かと尋ねただけだった。
いつもの九龍らしからぬ言葉に安堵したのは、やはり面と向かって話すことが怖かったのかもしれない。
今にして思えば、その態度こそがおかしいのだと気づくべきだったのに。
白岐の言葉に冷水を浴びせられて、ようやく気づいた事実は苦い。
先程尋ねた寮の部屋―――最低限の荷物こそまだあるものの、大半の物が片づけられたがらんとしたその様子―――を思い出して、皆守はぎりりと唇を噛んだ。
九龍はまだ校内に居るはずで、残る可能性はこの墓地しかない。なんとしても、行ってしまうその前に、九龍を捕まえなくてはいけない。
遺跡の内部で見かけた壁の破片や、大量の土砂に覆われている地面は、所々に穴はあるものの、しかし陥没はしていない。
地下にあれだけの空間があるのだから、内部が埋まっているのならばもっと大きく陥没している筈である。それがないということは、地下にはまだある程度の空間が残っている可能性がある。
皆守は慎重に足元を確かめながら、以前地下に降りる穴のあった辺りを探してみた。
しかし、瓦礫はどれも重く、とても動きそうにない。
諦めて少し離れた辺りを探していると、ふと頬を撫でていく風に気が付いて皆守は足を止めた。
目の前には、大きな壁の破片が地面に突き刺さるように埋まっている。破片そのものはびくともしなかったが、気をつけてみると、破片の影に動かせそうな石が寄りかかっている。それを蹴飛ばすと、その下にぽかりと黒い空間が広がっていた。
そして、真新しいロープが下へと垂れ下がっている。
九龍はご丁寧に入り口をカモフラージュして降りたらしい。
穴の内部は奥まで見渡すことは出来なかったが、皆守は躊躇うことなくロープを掴んで地面を蹴った。
遺跡の最後の部屋は、最後まで開かなかっただけあって、その手強さも並みではなかった。
正直、バディ無しでの単独行は厳しかったのだが、今更誰かを頼ろうという気にもなれず、九龍は結局一人で踏破した。
何より、厳しい戦闘をこなしていると、余計なことを考えずにすむ。
しかし、確認の意味で全ての部屋を周り尽くした頃には、流石に立っていられない程の疲労を覚えて膝を突いてしまった。
「これで終わり、か…」
後は報告を纏めて本部に送れば、天香での任務は終わりだ。
すっきりしてもいい筈なのに、どうしてもすっきりとしないものがある。
忘れると、そうきめた筈なのに、遺跡を回っていると余計な事ばかり思い出してしまう。
天香で会った人々の顔や、きつかったこと、楽しかったこと、頭に来たこともおかしくて笑ったこともあった。
そんなことを思い返していると、どうしてもその時一緒にいた人間の顔も浮かんでしまう。
「ああ、もう…!やめだ、やめ!」
どんなに考え込んだとしても意味のないことを考えるのは不毛なことだ。
如何にすっきりしなくても、明日の朝にはもう協会の迎えが来る。
考えても詮無いことを追いかけても仕方ない。
部屋に戻って最後の報告書を纏め、荷物を片づけて、それとなく最後に皆の顔を見ておこう。はっきり別れは言えなくても、世話になったのは確かなのだ。
そう思い切って、九龍は最後の部屋を出た。
しかし、すぐに部屋に戻る筈だった思惑は大広間に出た時点で外されてしまった。
大広間には、そこにあるはずのない、一番見たくない顔があったのだ。
「……甲太郎」
思わず漏れた呟きは酷く掠れていた。
降りてみれば、地下の様子は以前と殆ど変わりはなかった。所々が派手に崩れてはいるものの、天井が落ちるような様子ではない。地上部分の惨状からすると信じられないくらいだが、元々が頑丈に出来ているのだろう。
崩落の名残か、埃臭さの残る空気の中を、皆守は足音に気をつけながらゆっくりと歩いた。
遺跡の中は静まりかえっていて、動くものの気配はない。しかし、その静けさが逆に気になった。
手近の扉を開けてみて、その思いは確信へと変わる。
「やっぱりここか…」
周囲に化人の気配はない。
しかし、床に転がる真新しい薬莢が何があったかを示していた。
「ちっ…」
舌打ちを零して、皆守は踵を返した。単独での探索ならば尚更、急がなければならない。
しかし、次々と開けた扉の何処にも九龍の姿はなかった。
闘った形跡は残っているのに、姿だけは何処にもない。いい加減焦り始めた頃、皆守の耳に微かな音が届いた。
「………っ!」
音のした方を注視すると、遺跡の奥にある扉の一つが開いている。その奥から見慣れた姿が現れたのに、思わず安堵の息が零れた。
かなり疲れた面持ちで、両足を引きずるように下りてきた九龍は、皆守を見て目を見張る。
「…甲太郎」
見れば、九龍の服は汚れ、頬にも黒いものが飛んでいる。
真っ先にここを確かめるべきだったのだろう。
しかし、今更それを言っても仕方がない。
皆守は、立ちつくしている九龍を見上げて声を掛けた。
「よお。もう帰りか?」
その声にようやく我に返ったのか、九龍は階段を下りてくると短く尋ねてきた。
「どうして、ここに?」
「お前を捜しにきたんだよ。急に席を立つもんだから、八千穂の奴むくれてたぞ」
昼食の時間などとうの昔に過ぎているのだが、敢えてそう言ってみる。
しかし、九龍は眉を寄せて首を振った。
「そうじゃない。どうしてここに来たってわかったんだ?」
九龍の言いたいことを察して、皆守は答えた。
「《宝探し屋》が入り浸るところなんて決まってるからな」
本当は神鳳の話がなかったらもっと遅くなっていたところだが、その辺りを説明するのも面倒である。省略してそう言うと、九龍の顔つきが微妙に歪んだ。
「そりゃわざわざ悪かったな」
そう言って、笑顔を向けてくる。
しかしその表情にはっきりと違和感を覚えて皆守は目を細めた。
口元は笑っているのだが、目は少しも笑ってはいない。
全身を覆うぴりぴりとした緊張感は、昼の時の比ではなく、皆守を見る目にもきつい光があった。これで口元は笑っているのだから、見事なものである。
しかし、逆にこれで皆守は少し楽になった。
何を考えているのかわからないし、居場所もわからないと言うのでは手の打ちようがない。
しかし、目の前にいて、明らかに自分に対して怒りを抱いている相手ならばまだやりようもある。
「気にするな。ついでがあった。終わったんなら帰ろうぜ。話がある」
そう言って皆守は下りてきた穴をしゃくった。
流石に、こんなところで長話をする気にはなれなかったのだ。
しかし、九龍は首を振った。
「いや…まだここに用がある。話は後で聞くから、上に戻っててくれ」
「用?」
訝しげに見やっても、九龍の表情は相変わらずだ。
「仕方ねえな。付き合ってやるからとっとと済ませろよ」
何をするつもりなのかは知らないが、また探し回る羽目になるのは避けたい。
もしかしたら用というのは皆守を避ける口実なのかも知れなかったが、それならば尚更、ここで別れる訳にはいかない。
しかし、そう答えた途端、九龍の口元から形ばかりの笑みが消えた。
「…………」
殆ど殺意を感じる程のきつい一瞥を投げつけて、九龍は踵を返した。
「おい…九ちゃん?」
「いいから、上がっててくれ」
九龍はそう言い捨てて、そのまま元来た方へと戻っていく。
「おい、ちょっと待てよ」
「……っ!」
咄嗟に掴んだ手は、思いも寄らぬ程強い力で振りほどかれた。
その勢いに驚いた皆守だったが、それ以上に振りほどいた側である九龍の方の反応が大きかった。
「あ…」
一瞬固まった九龍は、すぐに表情を隠すように顔を伏せた。
「………………」
気まずい沈黙が落ちる。
皆守は頭を掻いて溜息を一つ零すと、俯いたままの九龍を見据えた。
面倒で厄介なことだが、間違いなく自分で蒔いた種なのだ。自分で刈り取らなければいけないだろう。
「…あの時のこと、だがな」
そう言った途端、九龍の肩がびくりと揺れた。
「もし、気にしてるんなら忘れてくれ。お前が気に病むような事じゃない」
途端、殆ど殺意にも近い眼差しが皆守を射る。
九龍は、最早きつい表情を隠そうともせずに小さく呟いた。
「……知ってた。何か、覚悟があったってことは」
「………そうか」
やはり、九龍は薄々事情を察していたらしい。自嘲気味に笑って、皆守は肩を竦めてみせた。
「あれはけじめのつもりだった。だからお前が気にすることはないんだ。まぁ、成り行きでこういう結果になっちまったけどな」
言うなり、強い力で胸ぐらを捕まれる。
殴られる、と思ったが、振りほどく気はなかった。
九龍がそれで落ち着くのなら、いっそその方が話が早い。目を閉じて衝撃を待つ。
しかし、いつまで待っても拳は飛んでこなかった。
「………?」
沈黙を不思議に思った皆守が目を開けると、目の前には怒りも露わな九龍の顔があった。九龍は怒りを押し殺すように唇を強く噛んでいたが、やがて皆守を放すと低く呟いた。
「行けよ。お前にはもう、ここに下りてくる理由はないだろう」
九龍はそのまま、背を向けて歩き出した。
一切の言葉を拒むかのような硬い背中に溜息を吐いて、皆守はその後を追った。
その気配を察した九龍が、振り返らずに短く言う。
「戻れって行ったろう」
「付き合うって言っただろう」
九龍は足を止めて振り返ると、きっぱりと言い切った。
「帰ることを考えないバディは要らない。足手まといになるだけだ」
返す言葉が出てこずに、皆守は立ちつくした。
覚悟はしていたつもりだった。
だが、実際にその言葉を聞くのは考えていたよりもずっときつかった。
言った側の九龍もまた、表情は硬い。
先程までの怒りに満ちた顔ではなく、苦しそうにも見える顔で九龍は言葉を継いだ。
「お前の言うとおりだ。俺達が助かったのは単なる成り行きで、運が良かっただけだ。あの双子がいなけりゃ、お前も阿門も、下手すれば俺や白岐も今頃その辺の石の下敷きになってた。冗談じゃない…!」
次第に九龍の語調は激しくなる。
「油断して気を抜いた結果、偶然に助けられるなんてハンター失格もいいとこだ」
心底口惜しそうな物言いに、皆守はようやく九龍が何に捕らわれているのかに気が付いた。
「九ちゃん…」
「あの時、俺はもう一人誰か連れて行くべきだった。夕薙か真理野辺りを連れて行っていれば、偶然に頼らなくても戻ってこられた。お前や阿門が馬鹿を言いだしても、問答無用で殴り倒して引っ張り出すことも出来たのに…それを考えなきゃいけなかったのに…!」
独白のような呟きは生の感情に溢れていて、それが九龍の本音であろうことがよくわかる。
しかし、その過激極まりない内容はまるで想像していなかったものだった。
皆守は先刻とは違う意味で、言葉を失う。
「問答無用…殴り倒すって…おい」
自分はともかく、あの阿門を殴り倒して引きずって行くつもりだったのだろうか。
呆気に取られた皆守に興奮が引いたのか、九龍は決まり悪げに視線を逸らす。
「バディはハンターにとっては身体の一部みたいなもので、ハンターの最低条件は生き残ることだ。だから、もうお前とは組めない。……違うな、最初から組んじゃいけなかった。元々ハンターは隠密行動が原則なんだから」
九龍は絞り出すように、だがはっきりと言い切った。
「俺はここで、ハンターとしてはなにも出来なかった。最後ぐらいはきっちり片をつけて行きたい。そこに踏み込まれるのは迷惑だ」
斬りつけるような言葉だった。
耳に痛い言葉ばかり浴びせられたというのに、皆守の胸には苦痛や不快感はなかった。
否、確かに痛みはあるのだが、それを上回る感情がある。
「ははは…っ」
堪えきれず笑い出した皆守に、九龍が不審の目を向けるが止められなかった。
「ったく、お前って奴は…」
骨の髄までハンター気質というか、負けず嫌いというか、何処までも皆守の予想を裏切ってくれる。
秘宝を手に入れられなかったことではなく、自分の詰めの甘さを悔いている辺り、負けず嫌いの方が強いのかも知れない。
己の未熟を悔やみ、それを乗り越えて前に進もうとする気質はいかにも九龍らしい。
その、とことんまで前向きなところが皆守は好きだった。
どうにも敵わないと、一種の清々しさを覚えて笑い出してしまう程に。
笑い続ける皆守に九龍が苛立ったように手を伸ばしてくる。
先程のように胸ぐらを掴み上げるつもりだったらしいが、それよりも皆守の方が早かった。
「……っ、甲太郎!」
いきなり抱き込まれた九龍が怒りの声を上げるが、皆守は構わなかった。
ここが勝負所だという強い感情が、皆守を支配していたのだ。
ここで足掻かなければ、九龍は後味の悪さだけを胸に刻んで行ってしまう。
ずっと信じてくれていた九龍に、それはあんまりな仕打ちだろう。
何より、皆守自身が嫌だった。
九龍は強い人間だ。
この天香での事も、いずれ全て飲み込んで前に歩いていけるだろう。
けれど、今のまま、傍目に見ても辛そうな顔をしたままではとても行かせられない。
間違えてしまったのは皆守の方なのだ。このまま別れたのではこの先ずっと後悔する。
たとえ怒鳴られても殴られても、きちんと謝って、許して貰いたかった。
こうやって、手を伸ばせば届く所に九龍がいるうちに。
皆守は、振りほどこうと暴れる九龍の肩を強く抱き込んだ。
「悪かった」
「……っ!」
九龍の動きが止まる。
「俺は逃げてただけだった。それじゃなにも変わらない。変えることは出来ないってお前が教えてくれたのにな」
「…放せよ」
短い九龍の要求を無視して、皆守は続けた。
「あの時、俺はこれで楽になれると思った。これで自分のしたことにけりがつけられるってな。そんな訳はないのに」
「だから、放せって」
「後のことも、残される人間の気持ちも全然考えてなかった。すまなかった」
「放せこの馬鹿!」
怒鳴り声と共に強く肩を押されて、ようやく皆守は少し身体を離した。
「お前は…!今頃なに寝惚けた事言ってんだ!」
語気を荒げる九龍の顔は、怒りとも苦悩ともつかないものに歪んでいる。
苦笑した皆守は、回していた腕を解いてやった。
「怒っても、殴ってもいいさ。俺はそれだけのことをしたからな。お前にはその権利がある」
拒絶されるよりは、はっきりと怒りを出して感情をぶつけられる方がずっといい。
そう思ったのだが、それを聞いた九龍は不機嫌そうに言い返した。
「自分のポカを他人に押しつけるようなことはしたくない。お前の馬鹿っぷりを考えに入れてなかったのは俺のポカミスで、お前を殴ったからってどうとなるものでもないし」
身も蓋もない物言いで言い切ると、九龍は大きな溜息を吐いた。
「お前は馬鹿だけど、俺はもっと大馬鹿だ。醜態晒したくなかったから、こっそり後始末していくつもりだったのに…こんなとこでお前に捕まるなんて最悪もいいとこ」
九龍は皆守の背後を見やって、
「どうやってここに下りた?前の入り口は潰れてただろう」
と尋ねてきた。
「お前の下りてきたとこと一緒だよ。ロープ垂らしてただろう。それを下りてきた」
そう言えば、九龍は怒っているのとも違う、なんとも言えない目つきで皆守を睨んだ。
「俺の下りたとこは、わからないようにカモフラージュしてた筈だ。なんでわかった?」
「なんでというか…まあ、勘、ってやつだな。お前の夜遊びに三月も付き合ってたんだ。お前のやり口くらいはなんとなくわかる」
皆守の答えは九龍には結構な衝撃だったらしい。
「なんで…なんで肝心なとこで馬鹿な癖に、なんでそんなことに気が付くんだよ、お前は…!」
「馬鹿なのは否定しないがな…俺に気づかれるのはお前の詰めが甘いのさ」
さらりと返すと、九龍は口惜しそうに皆守の肩を軽く殴った。
「この根性悪…!お前にだけは詰めが甘いだなんて言われたくないぞ!」
悪態を吐いているものの、九龍の口調は大分落ち着いてきている。
その様子に励まされて、皆守は仕舞っておくつもりだった本音を口にすることにした。
「冗談だ。お前の詰めが甘いんじゃなくて……お前の考えてることなら、大体俺にはわかるんだよ。ずっと―――見てたからな」
九龍が天香にやってきた時からずっと、皆守はその歩みを傍らで見てきた。
最後の最後で間違えてしまったのは不覚の一言だが、九龍のやり方は大体予測出来る。
「……嘘くさい」
じろりと睨まれた皆守は苦笑したが、すぐに真顔になって九龍を見つめた。
「言ったろう?馬鹿なのは否定しないと。お前じゃないが俺も色々ポカをやったからな」
胡散臭そうに皆守を見やった九龍が何か言いかける。
それを塞ぐ形で皆守は言葉を継いだ。
「けど、嘘じゃないさ。好きな奴の、ことだからな」
何か言いかけた九龍の目が、一拍置いて大きく見開かれる。
ぽかんと開いた口が九龍の驚きを表しているようで、皆守は思わず笑ってしまった。
「九ちゃん、口開いてるぞ」
九龍は何度か口をぱくぱくと動かしたが、頬を引きつらせて、
「…笑えない冗談は、止せ」
「冗談を言っているように見えるか?」
皆守が九龍を見ていたように、九龍もまた皆守を見ていた筈である。
果たして、九龍はうっと詰まった。
「…………冗談、だろう?」
困惑して立ちつくす九龍の肩に皆守はそっと腕を回した。
「本当はずっと言うつもりはなかったんだがな。このまま、お前を行かせるのは嫌だから…な」
さしたる抵抗もなく腕に収まる身体は暖かかった。
この温もりを永遠に失ってしまうのは嫌だった。
一度は死ぬことも覚悟していたのに、今更のようにそんなことを思うのは滑稽で、我ながら身勝手なのだが思いは消せない。
葉佩九龍と、決定的な決別をするのは耐え難い。
今頃になってそんなことに気が付いて、皆守は告げる筈の無かった思いを口にすることにしたのだ。
ついでにこれが、怒りで平静を失っている九龍に対する切り札になることを祈りながら。
九龍はぴたりと押し黙ってしまった。先刻のように抵抗する素振りはないから、皆守もその身体を抱きしめたまま待っていた。
短くはないが長くもない、そんな沈黙の後で九龍はぼそりと呟いた。
「………冗談じゃなきゃ、嘘だ」
そう言って九龍は皆守の肩を押しやった。
その力は弱かったが、皆守は逆らわずに腕を緩めて零した。
「嘘でもないってのに…」
すると、俯いていた九龍が絞り出すように言った。
「それじゃお前は、好きな奴にあんな酷いことをしたのかよ?」
「九ちゃん……」
「言われた方が、心臓が止まりそうになりそうなあんなこと…」
九龍は拳を固め、皆守の肩をばんと叩いた。
「ふざけるな…!俺はそんな寝言は絶対に信じない。お前のことはこの仕事が終わったら、綺麗さっぱり忘れる!お前みたいないい加減暴走野郎にこれ以上引っかき回されてたまるか!絶対、忘れてやる!そう決めたんだから、もう俺に…」
多分、俺に構うなと続くのだったろうが、皆守は最後まで聞かなかった。
かわりに九龍をもう一度引き寄せた。その勢いのまま、唇を塞いで言葉を封じる。
軽く触れただけで、九龍の身体は固まった。
「………っ!」
すぐに顔を離して、九龍の目を見据えて言う。
「悪かった。本当に。だから忘れるなんて言うな。お前に忘れられるのは困る」
「………」
「好きだ」
はっきりとそう言うと、九龍は唇を噛んで皆守を睨むように見た。
「…俺は、自分の命を粗末にする奴は嫌いだ」
「もう言わないさ」
「……信用出来ない」
「約束する」
九龍は暫く黙っていたが、そっと目を伏せて言った。
「どうして、今頃そんなこと言いだしたんだよ…」
心底困惑しているような口調に少し傷つきながらも、皆守は引かなかった。
「そりゃあ、今しかないって思ったからだ。今ならまだ、間に合う………そうだろう?」
確認するように肩に指を伸ばしても、ゆっくりと顔を近づけても、九龍は逃げようとはしなかった。
息がかかる程の間近で、いつもまっすぐだった眼差しが、今は少しだけ揺らめきを宿して皆守を映している。
「もう二度と、あんなことはしないって……そう誓えるのか?」
「ああ」
即答した皆守に、九龍はほんのりと笑った。
「なら、いい」
九龍の目が閉じられ、次いで暖かいもの―――しなやかな腕が皆守の背に回される。
誘われるままに、皆守はその唇に口づけた。
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以下、少々アダルト風味ですので、続きは地下室へ。
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